兄
地に額を擦り付ける男爵を一瞥すると、レヴィは合図をして商人の猿轡を解かせた。
「次は君の口から話をしてほしいかな?」
商人はポツポツと語りだした。
「俺を“商品”として売り込みに行った先で、とある貴族に“あの伯爵の息子”だと言われたことが最初でした。俺に本当の親がいると知ったのは」
彼の口ぶりから、引き取られた先でどんな扱いをうけていたか想像に難くない。伯爵譲りの美貌を期待され、いつか高く買ってもらえるよう宣伝していたのだろう。悪趣味な話だ。そんな彼にとって実親の存在は衝撃だったに違いない。
「自由になる金が欲しかった俺は、貴族に媚を売って、商会を乗っ取りました。そして金に物を言わせて親を探したんです。男爵様の家に居ると知って、向かった時にはもう」
商人となって国を渡り、最初に知ったのは既に実母が亡くなっていることだった。更には己を不幸に追いやった原因が居ること、ソレは今も少女を虐げていることを知った。その少女こそ妹だと知った彼の憤りは凄まじく、最後のタガが外れたのだ。
「まずはソイツに接触しました。俺の顔が気に入るのは解ってたので」
そう言う彼が顎で指し示したのはハンナだった。彼は大胆にも元凶から情報を引き出そうとしたのである。
「馬鹿だから何でも喋りましたよ。異世界とか魔法とか、頭がおかしいんだと思いましたけど。だけどマリーが結婚することになって、オルタムリジンを知りました」
オルタムリジンを調べるうちに彼は異世界も魔法も存在すると知った。そもそも異世界の存在は隠されているわけではない、単純に遭遇するケースが少ないので認知度が低いだけなのだ。彼はすぐハンナの言葉が真実であると考えを改めた。
「オルタムリジンが戦争に参加すると絶対に勝つっていう記述を見つけました。俺はもうその事しか考えられなくなった。この女をぶち殺すのはいつでもできるけど、あの国を滅ぼせるのは今だと思った!」
そして彼は暗躍を始める。最初にしたのはオルタムリジンの屋敷に貴重な本があると隣国の貴族に吹き込むことだった。それは王族ならば知っていることだったが、肝心の字が読めないため手に入れることを諦めていたもの。その解読方法があるとうそぶいた。
次に彼は秘密裏にハンナを連れだし、魔法で彼らの闘争心を煽った。次第に彼等は正常な判断力を失って、トランス状態に陥っていく。
そんな時だった、アオイが現れたのは。暴力が苦手なアオイはどう転んでも計画の邪魔でしかない。彼は一計を案じてアオイを隔離することにした。
「それがアンゼリカ嬢との婚約に繋がるの!?」
「本当にマリーから本をもらう必要はなかったんです。ただアンゼリカ嬢がもってきた、内容もろくに解らない本という認識だけが欲しかった。あとはアオイ様に解読できなかったという認識を植え付けたかった。そうすることで貴族たちの関心を失わせたかった」
ところがマリーはアンゼリカに本を渡し、アオイはそれを読めてしまった。隣国の貴族達はオルタムリジンの本が読めるという熱気に包まれていく。アオイを戦争から離脱させるため、彼が最後にとった手段。それがアンゼリカを虐げること。
「アオイ様は女性への暴力をなによりも嫌っているのは知っていたので、そうしました。そんなことをする国には協力したくないと思ってほしかった」
「その企みは上手くいって、二人は戦線離脱したというわけね」
男はそのまま聖女と接触できないよう遠ざけられたが、もうすぐ戦争が起きると思うと心が満たされていた。大嫌いな国が一つ無くなるのだと、それだけを楽しみにしていた。
そう口にする男にマリーは告げた。
「兄のフリをしないでください。気持ち悪い」
「えっ?」
男がショックを受けたような顔をするので、どうしてそんな表情をするのだろうとマリーは不思議でたまらなかった。
「貴方は結局、自分のことしか考えていない。それはお義母様と変わらない。そんな人に兄のように振る舞われても困ります。私のことをマリーと呼び捨てにしないでください」
「俺はそこの女とは違う!俺は君の兄だから」
「私怨の復讐を優先して、私を救いもしない人がよく言うわ!」
マリーを救ってくれたのはレヴィを始めとしたオルタムリジンの人々だった。悪夢にうなされて飛び起きた夜も、固形物が食べられるよう【リハビリ】をした時も、捨てられる恐怖に震えていた日も、いつだってレヴィがいた。
「私は隣国が滅びようとお義母様が死のうと関係ない、どうでもいい。そんなものより食べ物が欲しかった。貴方はそんなものすら私にくれなかった。貴方は結局、自分がしたいことをやっていい理由を探しているだけ。私はそんな理由に都合が良かっただけでしょう?
それだけじゃない。貴方は何をするにも周りのせいにして、自分のしたいことをやってる。それはお義母様と変わらない。そんなに大勢の人を不幸にしたい!?」
マリーをぎゅうと抱き寄せながら、レヴィがぽつりと呟いた。
「【広島】そして【長崎】」
小さな声だったのに、妙に通る声だった。それは男にとって聞いたことのない言葉の響きだった。男が顔をあげると、妙に悲しげな目をしているレヴィと目があった。
「オルタムリジンが戦争を嫌う理由の1つだよ。大事な話だからマリーにも聞かせたことがある。僕達はあの悲劇が起こらないよう、この世界を見張ることを初代に命じられた。戦争が続けばいつか辿り着くかもしれないから」
あの悲劇を聞かされた時から、マリーにとっても戦争は忌むべきものになった。この戦争を企てた者を嫌悪した。マリーはそれが自分の兄のように振る舞っているのが許せない。
レヴィは男の顔を覗き込んだ。
「焼けた街の至るところに、大きな魚が沢山落ちていた話を聞いたことはある?」
「さかな?」
「実際は魚じゃなくて人間なのだけれどね。街を焼き尽くすほどの炎で黒焦げになってしまった」
その言葉を理解した瞬間、男は耐え難い吐き気に見舞われた。思わず胃液と唾液が混じったものを口の端から垂らすと、レヴィがうっすらと笑った。
「君がやろうとしたのは、そういうことだ」
この章は書くか悩みました。明らかに異世界恋愛に合わないテーマだからね。商人君は悪者だったねで終わらせても良かったんですけどね。
でも「魚」の話をしてくれた方がだいぶお年なので、なにかの形で残しておきたくて書きました。そういう話もあったんだよ、ということで。