花
「貴方の名前はハナコである」
「違うわ」
「ハンナはこの世界に来てから付けた名前である」
「違うって言ってるでしょ」
「周りからハナチャンと呼ばれていた」
「そんなダサい名前じゃないったら!!!」
ハンナはその場に蹲り、少女のように震えている。三十歳をとうに過ぎた大人が。泣き喚く彼女の口に布が押し込まれる。くぐもった声だけが今も広間に響いていた。
王が口を開く。
「アオイ殿が魔法を使う必要もない。今まさに自分の口から、異世界より来たことを証明したのだ」
国が異なれば名前も違う。他国の人名を聞いた時、不思議な響きだと思うことはあるだろう。だが“ダサい”とはっきり言えるのは、その文化に生きるものだけ。意味や流行を理解していなければ存在しない感性だ。
ハナコという名前はこの近隣諸国では一般的ではない。どこか遠くの国なら存在するかもしれないが、彼女がそこから来たとは思えない。言葉で苦労をした様子がないからだ。異世界から来たものは何故か言葉に困らないという。
「異世界の者はけして珍しくはない。数十年に一度の頻度で現れる。彼らは勝手に婚姻してはならない、国が勝手に婚姻させてはならない。国際法で定められておる」
どうして勝手に結婚してはいけないのだろうとマリーが首を傾げていると、レヴィが「病気とかテロとか怖いじゃん」と小声で教えてくれた。マリーは異世界人の恐ろしさをボンヤリと理解する。
二人が蚊帳の外にいるような気持ちになっていたら、突然に王が「レヴィ、説明を」と声をかけてきた。レヴィが驚きすぎて1センチほど浮いた。
「なんでえ!?僕がわざわざ言わなくても!待って!睨まないで!説明するから、せめてマリーを一緒に!」
「ウサギが寂しいと死ぬは嘘だから。むしろ単独行動の多い生き物だって」
「ヤダー!」
ライラに蹴っ飛ばされるレヴィの手を取り、マリーは彼らの前に立つ。あんなに酷いことをしてきた両親の前という怒りよりも、隣で震えているレヴィを支えなければという使命感が勝った。
レヴィはマリーの手を何度か握ると、意を決したようにその手を離れて話しだした。
「結婚するにあたって、マリーのことを知ろうと男爵家を調べたのが最初、でした。隣国の貴族と結婚してると知って、ちょっと違和感があって」
これが高位貴族ならば、国同士を結びつけるための国際結婚だと納得しただろう。遠戚ならば何か事情があったと理解できる。だが、そのどちらもない。やや珍しいとレヴィの興味をひいた。
「詳しく調べたら養子だったんだよね」
「えっ?」
「ハンナ嬢は貴族社会に突然現れた異分子。その前の経歴がよくわからない。こんなのさあ、気になっちゃうじゃん?」
そしてレヴィは“暇潰し”のつもりで彼女を掘り下げることにした。叔父であるライデンにも協力してもらい、男爵領に嫌がらせをするついでにハンナについて調べた。
「だけど全然情報がなくてさ。不思議に思っていた時に転機があって、そこから調べ直したら当たりを引いた」
レヴィはぎゅうとマリーを抱き寄せる。まるで悪夢から逃れる時のように。マリーはなぜレヴィがそのようなことをしているのか解らず困惑した。
その時、広間の扉が開く。
「シデン・オルタムリジン、只今帰還しました!」
背筋を伸ばして歩くシデン。その後ろから複数の兵士に囲まれた男がやってくる。ぎっちりと拘束されている姿は誰が見ても重罪人であった。
その男の顔を見て、ずっと静かに話を聞いていたアンゼリカが目を見開く。その人は己と婚約したあの商人だったのだから。
レヴィが口を開く。
「その人はアンゼリカ嬢の婚約者で、今回の戦争を引き起こした張本人。そして」
「マリー、君のお兄さんだ」
勝手に結婚しちゃいけないについては、短編「婚約者が異世界産の聖女と結ばれたらしい」にて少し書いてます。