隣の聖女
ちょっと疲れたので、少し更新お休みするかもです。
「貴方には失望しました」
男の声がする。アンゼリカは腹をおさえて蹲りながら、その声をぼんやりとした頭で聞いていた。
「本ならば何でもいいとお伝えしましたが、こんな酷いものを良しとするなんて」
そんな事を言われても知らない。どうして自分が蹴られなければならないのか。
アンゼリカは婚約してすぐ、隣国にある男の屋敷に招かれた。そこで待っていたのは豪華な衣装や美味しい食事が出てくる生活。男爵家にいるよりずっと贅沢な暮らしができて幸せだった。
婚約者の男はとても美しい見目をしており、前の婚約者よりずっと素敵だった。そんな男に「マリーの嫁いだ家から本をもらってこい」と言われて、そのとおりにしたのに。
本が届いてから今までの生活が一変した。服は簡素なワンピースばかりで、それもすぐ暴力でズタボロになってしまう。食事はパンしか貰えず、床に落ちた物を口にしろと嗤われる。婚約者である男の傍には高級娼館より呼び寄せたという美しい女が侍っている。
屈辱、憎悪、羞恥、あらゆる感情がアンゼリカの中に溢れ出る。この家を出ていこうと何度も試したが、どれも失敗に終わっていた。この男はアンゼリカを逃してはくれない。
「どうして自分がこのような目にと思いますか?貴方は義妹に同じことをしていたのに?」
これはマリーにした仕打ちが己に返ってきているだけなのだと、何度もそう言われてきた。もっと自分がマリーに優しくしていたら未来は変わったのだろうのかとアンゼリカはほぞを噛む。何も変わりはしないのに。
そんな日々を送っていたある日、アンゼリカは突如として湯浴みをさせられた。ピカピカに磨かれた後、今まで着たこともないような豪華なドレスを着せられる。いったい何がと困惑していたら、教会に連れてこられた。
「聖女様、我が婚約者であるアンゼリカを連れてまいりました」
そこに居たのは、一年ほど前にやってきたという聖女だった。長い髪をなびかせて佇む姿は神秘的で、アンゼリカも思わず息を呑むほど。聖女はアンゼリカに微笑みかけた。
「こいつが聖女様にいかがわしい本を渡した張本人です」
男がにやりと笑ってアンゼリカの背を押すと、聖女様は目を潤ませながら「まあ」と声をあげた。アンゼリカは咄嗟に頭を下げる。
「もうしわけ、ございませんでした」
聖女はふるふると首を横に振る。
「この国の方々はあの字を読むことができないと伺っております。アンゼリカ様もいかがわしい本だとご存知なかったのでしょう?」
「しかし聖女様、コイツは」
おもむろに聖女は男と目をあわせる。そのゆっくりとした動作は優雅なのに威圧的で、男は思わず縮こまってしまった。
「嘘偽りなくお答えください。貴方は毎日のようにアンゼリカ様に暴力をふるっている」
「い、いいえ!」
「嘘ですね」
聖女は笑顔だというのに、アンゼリカの目には恐ろしいもののように見えた。同時にまた救世主のようであるとも。
「私には“嘘を見抜く”魔法があることをお忘れですか?」
「ち、違います!これは躾です!アンゼリカがやった事を同じようにやっているだけ」
「貴方または親しい方が、アンゼリカ様に暴力をふるわれていたのですか?」
「違う、けど、こいつは最低の女なのだから当然のことでしょう!?」
聖女は微笑みを消し、蔑んだ目で男を見た。
「被害者が復讐するならばともかく、無関係な人間が傷つけていいわけがない。貴方がしているのはアンゼリカ様がかつて犯した罪と同等、もしくはそれよりも重い。貴方は正義感を振りかざして許された気になっているだけの愚物。あの本を朗読させられた時よりも不快です」
男が神殿に勤める騎士達に囲まれる。その体が取り押さえられ、床に体が押し付けられた。アンゼリカはその様子をぽかんと見ている。
「アンゼリカ様をこちらの教会で保護しなさい。そして、その男を二度と私の前に連れてこないように。それができないならば私は協力しないと陛下に伝えなさい」
引きずられて教会の外に放り出される男。
聖女は改めてアンゼリカに向き直った。
「私はアオイと申します。以後、お見知りおきを」
「あの、どうして助けてくれたんですか?」
アオイはふわりと微笑んだ。
「まだやり直しできますもの」
彼女こそ聖女であると確信したアンゼリカは、自ら跪いて頭を垂れた。今までの愚かな己を悔い改めるように。




