トラウマ
マリーが嫁いでから2年ほどが経つ。その日、レヴィとマリーは王都に向かうため馬車に乗っていた。
「陛下と会わずに帰りてぇな」
「陛下とお話をするために王都に来たのに」
「オッサンと部屋に詰め込まれるのが嬉しいわけないじゃん」
心底嫌そうな顔したレヴィを見て、マリーはくすくすと笑う。この2年ですっかり打ち解けたものだ。
あの家でうけた辛い日々を忘れたことはない。それでも思い出さない程度には他のことで満たされた。マリーはそんな幸せを噛み締めながら生きている。
「ごめんねマリー、暫く待たせちゃうね」
「ゆっくり待ってます。レヴィと待ち合わせは初めて、ですね。ちょっとドキドキします」
「誰だよマリーに可愛いこと覚えさせた奴〜!」
そう惚気けるレヴィを見て、対面に座る男は咳払いをした。
「仲が良いのは喜ばしいけどね、目の前で戯れていると【リア充】【爆発】しろと言いたくなるんだが」
「いやそれ【リア充】の父が言うー!?」
彼こそ辺境伯当主、シデン・オルタムリジンである。
基本的にオルタムリジンの者達は領地から出ない。それこそ戴冠式や王の葬式でさえ出席しないほどだ。しかし、対面で話さなければならないと王に呼び出された場合は別で、人目を避けてコッソリと会う。今がまさにその時だ。
本来なら王と密談した後、さっさと領地に帰るのだが。今回のレヴィはマリーと王都を回る、デートを計画している。このような時でもなければ機会になかなか恵まれないのである。
「私は陛下に謁見できませんから、先に皆さんへのお土産など見て回ります」
「本当にありがとうね。俺が選ぶとライラがセンス皆無だって怒るんだもんよ」
「僕たちにそういうセンスを求めないで欲しいんだけどね」
出店や屋台の立ち並ぶ道をマリーはゆっくりと歩く。いったい何を贈ろうか迷って色々見ていたら、ぐいっと腕が引っ張られた。
「アンタ、まさか、マリー?」
「お義姉様」
そこに居たのはアンゼリカだった。彼女はとても驚いた顔でまじまじとマリーを見ている。それもそのはず、この2年でマリーは随分と様変わりしたのだから。アンゼリカも彼女の特徴的な“痣”がなければマリーと気付かなかったであろう。
「随分と良い暮らしさせてもらってるんじゃない。こっちはアンタのせいで散々な目にあったのに!」
「散々とは?」
「まあ、それはいいわ。過ぎたことだから。それよりアンタよ、アンタ。あの辺境伯って珍しい本を溜め込んでるって聞いたわ。どうしてソレを言わないのよ!家族に申し訳ないと思わないの!?」
マリーは口をつぐんで目をそらす。それはアンゼリカの言うことを、辺境伯家には珍しい本があることを肯定するも同然の行為だった。
「悪いと思ってるんならさあ、その本をアタシに頂戴よ」
「できません…」
「口答えする気?いつからそんなに偉くなったの?」
アンゼリカはぎゅっと強くマリーの腕を握る。
「できません。あの本の数々は王命で保管しているもの。もし本が無くなったことが露見すれば、どんな罰があるかも解りません。お義姉様も受け取っただけなど言っても許されませんよ」
痛みに耐えながらも、そう訴えるマリーにアンゼリカはたじろぐ。王の顔に泥を塗ればどうなるかは経験していた。だが、だから何だというのだろう?
「一冊だけでいいのよ。一冊だけならバレやしないわ」
「お義姉様」
「私がアンタの旦那とやらを奪ってもいいのよ?アンタを気に入る程度の男なら、私が少し微笑むだけで好きになるわ。そしたらアンタはまた掃除用具入れに逆戻りよ。いいの?」
マリーは下唇を噛み締めて俯く。あの日々に戻るのは、あの地獄を思い出すのは、なによりレヴィが誰かを好きになってしまうのは嫌だった。
「一冊、だけですよ」
「最初からそう言えばいいのに」
「ですが私は字が読めません。本を選ぶことはできませんよ」
アンゼリカはマリーをせせら笑った、まさか字も読めないとは思わなかったからだ。しかし妙な本を送られても困る。
「そうね。アンタが読まないように言われてるような本がいいわ。できるだけ人目につかないように避けられてて、触っちゃいけないようなヤツ」
「…わかりました」
「それじゃあお願いね」
去っていくアンゼリカの背中を見送る。呆然と立ち尽くしていたマリーの背に声がかけられた。
「マリー?大丈夫?」
「はい。レヴィ、大丈夫です」
体が震えそうになるのを隠しながら、マリーはレヴィと一緒に歩きだす。
領地に戻ったあと、マリーは一冊の本をアンゼリカに送った。
次の話でマリーが何を送ったのか解ります。是非読んでね。