義姉
「嫌!絶対に嫌!嫌ったら嫌!!!」
アンゼリカは叫んだ。己の部屋に閉じこもり、扉を開けられないようバリケード代わりの家具を積み上げている。重いものはあまり持ったことのないご令嬢でも、その気になれば家具を動かすぐらいできるものだ。
男爵とその妻は扉の向こうへと必死に呼びかけた。
「わかっておくれ。これは我が家を救うためなんだ」
「知らないわ!どうしてお父様が作った借金を私が返さなきゃいけないのよ!自分の不始末は自分でつけなさいよ!贅沢をさせてくれるっていうから、素敵な人と結婚させてくれるっていうから、この家に来たのに!」
男爵はぐっと下唇を噛んだ。アンゼリカの言う事は正しく、前妻が亡くなってすぐ「苦労させない。幸せにしてみせる」とプロポーズして得たのが今の妻だ。娘のアンゼリカにも「これからは贅沢をいっぱいさせてあげよう」と告げた。
それがどうだ。男爵は王の一言で社交界から爪弾きにされ、今や誰も相手にしてくれない。人との繋がりがなくなれば商売も立ち行かなくなる。男爵領で作られた数々の品物は買い叩かれてばかり。男爵の懐は寒くなる一方だ。贅沢をする余裕がないどころか、夫妻は逃げ道の一つを選び取ろうとしている。
「もしかしたら気にいるかもしれないわよ?」
「じゃあお母様が嫁ぎなさいよ!!!」
そう言われて彼女はヒュッと息を呑む。己が代わりに嫁ぐことを想像して吐き気がこみ上げた。
アンゼリカに勧めている嫁ぎ先は、ライカン・オールドという資産家な男の後妻である。アンゼリカとは親子以上の年の差があり、見た目はあまり清潔感がない。脂ぎっていてフケだらけなので多くの女性が嫌厭した。貴族ではないので作法も酷く、食事時にくちゃくちゃという音をさせる。
母本人でさえ嫁ぐのが嫌な相手を押し付けられて、アンゼリカが納得できるわけがない。
「こんなにお金に困っているのはお父様が失敗したからでしょう!?私、知ってるのよ!売り飛ばした土地でまた小麦ができてるって!お父様がちゃんとしていたらお金に困ったりしなかったのよ!」
安易な儲け話に乗って農地を売るのではなく、長い目で見て農地を育てるほうがいいと判断できたならば。少なくとも食べるものに困らないのであれば、ここまで切羽詰まっていなかったかもしれない。
そう言っても全ては過去の話、もはや男爵家に土地を買い戻す金もない。甘い蜜に誘導されて、己の首を締め続けてきたのだ。
アンゼリカは自分もまた原因の一つだとは気付いていないけれど。
「お父様もお母様もどうなろうが私の知ったことじゃないわ!」
無理やりアンゼリカを連れて行こうにもバリケードは壊せないし、そうできるだけの男手は全員解雇してしまった。二人はアンゼリカがこのまま嫁いでくれなかったらと焦りがつのる。
冷静に考えれば食料にも限界はあるし、アンゼリカの部屋には水がないので二日ともたないのだが。そこまで判断できるだけの脳が彼らには無かった。
そんな時だった。男爵が久方ぶりに手紙を受け取ったのは。
レヴィは王からの手紙を読みながら眉間に皺を寄せる。その様子を見ていたマリーは、何か悪い知らせだろうかと不安になった。
「レヴィ、陛下がお困りですか?」
眉を下げるマリーを見てレヴィは悩んだ。今回の報告はマリーにとってあまり良くない、けれど全てを隠しておくのもマリーを不安にさせるだろう。開示できる情報だけ与えてしまえと結論付けた。
「陛下はお困りじゃないんだけどね。君の義姉であるアンゼリカが婚約したって」
「婚姻ではなく婚約?」
「色々あって前の人とは別れちゃったんだってさ」
その主犯であることはおくびにも出さず、レヴィは淡々と事実を述べる。マリーは「そうなのですか」と不思議そうな顔をしていたが、それだけだ。義姉が婚約解消されたことなど全く気にしていない。それよりも引っかかることがある。
「どうして陛下が婚約のご報告を?」
「相手の商人がさ、昔見たお嬢さんの姿が忘れられないって言って大金を持参してきたんだってさ」
「それは、なんというか」
「きな臭いでしょ?」
マリーは戸惑いながらも頷く。レヴィも同じ感想を抱いたのだから。
大富豪が一目惚れした女性を助けるために颯爽と現れる、物語ならば素敵な話で終わるだろうが。そんな話を信じられるほど素直ならば、レヴィは陰湿な性格になっていない。
「不気味、ですね」
「そういうわけだからマリーも警戒しといてね。何があるか解らないから」
レヴィはそう言うものの、本当は既に目星がついている。狙いがあるとしたらオルタムリジンしか考えられない。あの男爵家には他に搾り取れるものなど残ってないのだから。
(それにしても、いくらお金に困ってるからって怪しい話にホイホイ乗る?男爵家の奴らは脳みそお花畑か?)
王に手紙の返事を書きながら、レヴィは溜息をついていた。