彼女は虐げられている
「おまえの嫁ぎ先が決まったぞ」
一瞬、マリーは父の男爵に何を言われたのか解らず呆けてしまった。そんな彼女を義姉が嘲笑う。
「生贄に選ばれたのよ!良かったじゃない!」
ケラケラと彼女は嘲笑っているが、世情に疎いマリーはそれが何を意味するか解らない。反応の薄い彼女に苛立ちながら義母が補足した。
「おまえの嫁ぎ先よ。あの辺境伯と言えばわかるでしょう?」
「ええと…?」
「察しが悪いわね!山奥のあの領地よ!」
そう言われたってマリーは何も知らないのだ。この国のことを知る前に、彼女たちがマリーの家庭教師を解雇してしまったのだから。大まかな地理こそ知っているものの、どの貴族がどの領地を治めているかまでは解らない。マリーは辛い目にあうだろうということだけが察せられる。
父は咳払いをして話を続けた。
「その地に嫁いでいった者がどうなるか誰も知らん。なにせ誰一人として帰ってこないからだ」
マリーは恐る恐る尋ねてみた。
「あの、辺境伯様がどんな方か、誰もご存知ないのですか?」
「知らないわ。夜会にも式典にも現れたことがないもの。“守るものが無い”のに領地に引きこもっているなんて、きっととても醜い方なのでしょうね!」
守るものが無い、いったいどういう意味なのだろうとマリーが考える間に話は続いていく。
「我が家から娘を嫁がせるよう王命があった。しかし、そんな場所に可愛いアンゼリカを送る訳にはいかん」
それで自分が引っ張り出されたのだとマリーは理解した。自分に拒否権は無いと知っていたマリーは、すぐ頭を下げる。下手に口答えをしても良いことなどないから。
「わかりました。私が行きます」
マリーは物置部屋の中に入る。彼女の寝床であるその部屋には、所狭しと掃除用具が置かれていて酷く臭い。体を縮こませなければ横たわることもできない場所だ。あの義母と義姉が来てから、彼女の居場所は此処しかなかった。
(明日にはもう迎えが来るから荷造りをしろと言われたけれど)
そもそも荷造りするような物も何もない。実母の形見は全て取られてしまったし、彼女の私物も全て処分されてしまった。男爵令嬢としての面影はない。全てが遠い昔の話。
もはや鳴ることすらない空腹を抱えて目を閉じる。本当は考えることも出来ないほどマリーは衰弱していたから。