強さと弱さ
ど…どうしよう……。
私は困って、買ってもらって着替えたばかりの真新しいスカートの裾をぎゅっと握った。
何に困っているって……。
だって普通にユーゴさんとデートしてしまっている気がする。
いやいやいや、違う。
ただの生体認証作動テストだ。
勘違いするな、れんげ!!
私は自分に言い聞かせる。
そうやって変な顔をしている私の頭を、ユーゴさんが笑ってポンポンした。
途端に血が顔に上がって視界がぐるぐる回る。
どうしろって言うの?!
私に?!
ちょっと待って?!本当?!
今日のユーゴさん、どうした訳?!
何かマーメイに弱みでも握られてるの?!
そう思えるほど、ユーゴさんは変だった。
いつもの意地悪や嫌味や下ネタがない。
どうしたんだろう?!
怖いよ~!!
パニックになってきた私は、いつもより優しいユーゴさんに恐怖すら覚え始めていた。
バイクに乗せられ、最初に連れて行かれたのは丘にある公園だった。
そこから街を見下ろした。
「うわぁ~!!」
「こっから見えんのがプラーシパルやな。」
「思ったより大きな街ですね?!」
ユーゴさんは『シッカ』とか言う煙草みたいなものを吸っていた。
特に臭くなく、何というかミントガムみたいなものらしい。
健康に害のあるものでもなく、喉の調子が悪い時などに吸ったりするもので、マーメイもたまに吸っている。
一口もらった事があるが、確かに口の中にソフトなミントスプレーをした感じで喉がスースーした。
でもなんとなく見た目が煙草っぽくて嫌なので私は吸わない。
タブレットの物もあるので、そっちは少し、マーメイに分けてもらった。
「あそこに高いタワーがあるやろ?あれが街の中心で、政治家がぎっしり詰まっとる。」
言い方がおかしくて少し笑った。
そんな私を見て、ユーゴさんは隣に立った。そして顔を寄せる。
ドキッとしたが、動揺しないようにした。
「あれを中心と見てこっちな?右ん方。この辺がガッツリ金を溜め込んどる連中がいる所。その周辺から真ん中ら辺までが、それなりに裕福な普通の家。左に行くほど金がなくて下品になんねん。ワイみたいにな?!……ちなみにレンゲちゃんと最初に会ったんわ、左側の……アレや、ちいと高くて赤いのピカピカしとるんあるやろ?あれ、デカイ留置所ついとる警察署なんやけど、その側になんや緑がある場所あるやろ??」
「え〜と……あ、はい。」
「あそこ……何つったかな??なんや遺跡?か何かなんねんて。で知っての通り公園になっとる。あそこらにいたんやで、レンゲちゃん。」
「…………。」
それはかなり左の方だった。
それをどう判断していいのかわからなくて私は何も言えなかった。
「……普通の人やったら行くのはギリギリあそこまでにした方がええ。まともに生きてたいならな。」
ユーゴさんはそう言ってまた、シッカを吸い始めた。
何も言わずに煙を空に吐き出す。
私はそれ以上、何も言わなかった。
豆粒みたいに見えるその場所を無感情に見つめる。
何を思っていいのかわからなかった。
「でな、マーメイドがあんのが……あれ??どこやっけ??忘れてもうたわ。」
シッカを吸い終わったユーゴさんが何事もなかったように話し始めたが、マーメイドの場所が本当にわからないようで、ちょっと吹いてしまった。
それからもう少しだけ、この街の事を説明される。
ちなみにマーメイドがどこかはわからないけれど、当然ながらどちらかというと左側に近いそうだ。
その後またバイクに載せられて、小さな水族館に行き、見た事のない魚達を堪能した。
その後はもっと繁華街の方に行って映画館のチケットを買う。
チケットを買うと言っても、水族館も映画館もカウンターでお金を払って生体認証を登録し、後は館内の入り口で機械の生体認証チェックを受けるだけだ。
つまり、ここでも生体認証のテストをしたという事だ。
映画館のチケットは数時間先の物を買ったので、そのまま近くをウインドショッピングする。
そこで私は初めてクーンの実物を見た。
小型のドローンみたいなのが結構な数、飛び回っている。
ユーゴさんによると、場所の治安とそこにいる人数密度によってクーンの配置数が変わるらしい。
治安が悪い方が多いのかと思うとそうでもなく、治安が良いところ、つまりそれなりに裕福な人口が多い場所が優先されるそうだ。
これもクーンの生体認証によって、どの生活ランクの人がどこにどの程度集まっているかを判断して行われているらしい。
何ともまぁ、この世界はあからさまな対応が許されるようだ。
その後、人々で賑わう商店が立ち並ぶ中、監視カメラのある場所をあえて選んで歩いたり、店舗の防犯カメラのチェックをする為に、服を選んで1着だけ買ってもらったりした。
それからちょっと人気の少なくなる裏通りを歩き、オープンテラスに防犯カメラが向いているお店でランチを食べた。
長い時間カメラで映されても異常が起きないかのチェックらしい。
そして映画を見に映画館に入った。
映画館は暗い中、スクリーン側から暗視カメラで犯罪行為が行われていないか監視されているらしい。
と言う訳で、今ここ。
私は真っ赤になっていたたまれなくなっていた。
ユーゴさんは疲れていたのか、朝早く起きたせいか、途中から寝ている。
寝ているのはいいのだが!思いっきり私に寄りかかっているのだ!!
映画の内容なんかすでに全くわからない。
と言うか…
私も久々に外に出で、見るもの見るもの初めてで浮かれていたので、はじめのうちはコロッと忘れてたんだけれども……。
これってかなり本当にデートだよね……。
だんだんはたと意識してきてしまい、今はすでに限界。
考えても見て欲しい。
バイクに二人乗りして、高い所から景色を見渡して、水族館に行って、ショッピングして、服を買ってもらってそれに着替えて、オープンテラスデートランチして、映画を見てるとか……。
意識したら叫びそうになってしまった。
いや違う!!落ち着け私!!
全部生体認証の反応を見てるだけだ!!
出かける前にユーゴさんにデートとかからかわれたから意識してしまうだけだ!!
頭を抱えているうちに映画は終わり、明るくなった事でユーゴさんも目覚めた。
ただはじめのうちは寝ぼけていて、私に寄りかかっていた事は気づいてないみたいだった。
「……まだ夕飯までには時間あるさかい、ちいと変なとこ寄ってもええか?レンゲちゃん……。」
デート疑惑が拭い去れず動揺する私に、ユーゴさんはそう言った。
その顔は見た事のない……いや、初めてあった日に見た、ユーゴさんの顔だった。
それから地下鉄みたいなものの駅に向かう地下道をしばらく歩き、途中、ドアを潜った。
そんな所に入っていいのかなぁとも思ったが、今のユーゴさんに何か言う事は憚られた。
そして進むに連れ、何とも怪しげな地下街に入っていく。
「…………。」
「ええか?こっから先は何があっても声を上げたらアカン。」
異様な雰囲気に飲まれながら、私は無言で頷いた。
いつの間にかユーゴさんはしっかりと私の腕を掴んでいた。
少し痛いくらいだった。
ユーゴさんはこの薄暗い地下街を迷い無く進んでいく。
そしてやがて、おかしな屋台の様な場所に来た。
その安っぽいアダルト自販機のような半透明なロングカーテンをめくり、中にはいる。
この時、ギュッと引っ張られ、肩を抱かれた。
はっきり言って、色気なんてものは全く無い。
危険から守る為と言うのがひしひしと伝わる抱き方だった。
「ん〜??懐かしいねぇ〜??ユーちゃん??」
そこには背を向けた大きな巨体の男性なのか女性なのかもわからない人が無数のモニターに囲まれていた。
「ご無沙汰してます。」
ユーゴさんはそう言って頭を下げたが、目はしっかり開き、油断していないことを伺わせた。
「戻ってきたワケ??ん〜、違うか。でも足を洗ったワケじゃないのね〜??ん〜。」
「いえ、もうこちらより奥には行きません。」
いつもの雰囲気じゃない。
それが喋り方だと気づくのに、時間がかかってしまった。
「ん〜?ん〜〜??そうなの〜??ユーなら結構、深くまで潜れると思ってたんだけど〜??まぁいいわぁ〜。」
「すみません。」
話はわからないが聞いていても仕方ないだろう。
誰にだって触れられたくない過去はあるのだから。
それでもどうしてもユーゴさんはここに来ないとならなかったのだ。
だから私は邪魔をしてはならないのだ。
私は無になろう。
何も知らない、何も聞こえない。
喋れないんだし、それでいいはずだ。
「ん〜ん〜ん〜??随分、肝の座った子ね〜〜??」
「?!」
その人は振り向かずにそう言った。
肝の座った子??
もしかして私?!
少し驚く。
「ん〜。生体認証、大丈夫そうね〜。その子、気に入ったから、しばらくはアフターケアもしてあげるわ〜??」
「……ありがとうございます。」
「……。」
私は喋れないので、とりあえず頭を下げた。
その途端、屋台が揺れるんじゃないかと言う笑い声が響いた。
ビクッとしたが、ユーゴさんがグッと私を抱き寄せ、首を振った。
そうか、この人、私を喋らせたいのか……。
そう思って頷いた。
「うふふ……っ。見掛け倒しじゃないわね??好きよ、そういう……糞アマァァ…っ!!」
そしてまた笑い声が屋台を揺らす。
流石にギシギシ言ってて崩れそうで少し怖かった。
なるほど、ヤバい人だ。
ヤバそうな場所にいる、本物のヤバい人だ。
気が狂ったような笑い声がいつまでも響き渡る。
確かに怖いけど、事情を知らない私は「ヤバい人」ってだけで我慢できるが、色々知っているらしいユーゴさんはかなり辛そうだった。
やがてゼイゼイと荒い呼吸が響き、やたら静かになった。
ユーゴさんが黙って頭を下げた。
私も軽く頭を下げる。
そしてそこを離れる為に向きを変えた。
「……お金はいつもの所にねぇぇ?!!!ユーちゃぁんっ!……ふふふっ……いつでも戻っておいでぇぇ〜〜!!」
そんな奇声を聞きながら、ユーゴさんと私は足早にその場を離れる。
来た道を戻りながら、あちこちの店から、防犯カメラよりもハッキリと私達を監視する人々の目があった。
それに気づかないふりをして、小走りに進む。
段々と普通の通りに近づいてきて、私も何となく覚えていたので、ユーゴさんを抱えるようにして引っ張っていく。
バタンっと始めに潜ったドアを抜け、閉めた。
その瞬間、ユーゴさんがその場に蹲り、吐いた。
私は何も言わなかった。
元の世界から持ってきた持ってきた、誰のものかわからないハンカチを差し出す。
ユーゴさんは一度は汚れるからと断ったが、私が無理やり顔を拭くと観念して使い始めた。
近くの階段に座らせ、お茶を買ってきて渡す。
「……何も…聞かへんのやな……。」
そう、ユーゴさんが呟いた。
俯いたままのその姿をきょとんと見つめる。
何かあれっと思ってしまった理由がいつもの関西弁に戻っているからだと気づき、私は笑ってしまった。