最高の褒め言葉
「こん子が全然違う世界から来たって話は、どうやらペテンやなさそうや。」
丸一日「レコードメモリーシステム」の部屋に篭っていたユーゴさんがリビングに顔を出したのは、私がこの店「マーメイド」に連れて来られた次の日の深夜だった。
暴漢に襲われた私はマーメイのバイクに乗せられ、この店に入った。
そして様々な話をマーメイとする事で、私自身もここがやはり異世界である事を再認識した。
マーメイがそんな現実離れした素っ頓狂な話を信じてくれたのには訳があった。
ここ数年、特に半年ほど前から頻繁に、生体認証登録のない成人の遺体が貧民窟方面で見つかっているからだ。
はじめのうちは場所が場所だけに、生まれても生体認証登録をせず、何らかの商品として育てられた子供が成人まで生き延びていたのだろうと思われていた。
しかし、そういった場合はブラックマーケット特有の逃走防止を含めた商品登録が施されている何らかの痕跡がある事が多いのに、見つかり始めたそれらの成人遺体にはどんなに調べてもそういったものすらなかった。
そしてその遺体と共に見つかる、不奇異な遺留品の数々に警察は頭を悩ませていた。
ブラックマーケットですらそれらが何なのかわからず、高値で取引されたりしていたらしい。
その中にはスマホなんかもあったようだ。
だからマーメイとユーゴさんは、私のスマホを見て物凄く驚いたのだ。
ユーゴさんはブラックマーケットを普通に利用していたりした過去があり、今でもそう言ったところの知り合いと繋がりが完全に切れてはいないので、そちらで何か情報がないかと「オジサン」が訪ねて来た事でマーメイも軽くその事を知っていた。
ユーゴさんの「オジサン」と言うのは血の繋がりがあるのかないのかよくわからない。
あるっぽくもあるし、単にヤンチャしていた時に世話になった人っぽくもある。
詳しくは聞いていないし、私が来てからも訪ねて来た様だが、ちょうど「レコードメモリーシステム」に入っていたので直接お会いした事はない。
ただ聞齧った話を総合し、ユーゴさんの「オジサン」でありマーメイも受け入れている事から、二人と同様に一癖二癖ある人物なのは何となく察した。
そしてあの日の事も、ユーゴさんが「適当に丸め込んで」くれてはあるが「そう言う事」としてひとまず受け流したに過ぎないようだ。
何だろう、このアウトロー感漂う「オジサン」は……。
会ってみたいようなみたくないような感じがする。
あの日、私が「マーメイド」に来て数時間後に戻ってきたユーゴさんは、粗方の話をマーメイから聞くと、黙って私を見つめた。
何の感情もない、機械みたいな目だった。
それが精密に私という人間を測定している。
そんな感じがした。
そして出した結論が私を「レコードメモリーシステム」にかけるといったものだった。
「この子の言うとる事は嘘やない。だが完全に信じてええんかはわからへん。」
ユーゴさんは貫徹した頭をガリガリ掻きながら、不満そうに言う。
私はソファーの上で身を縮める。
冷ややかで、私はあの頃はまだユーゴさんが少し怖かった。
マーメイがその言葉に顔を顰めた。
「レンゲは嘘をついてないんでしょ?!なんで信じられないのよ?!」
「レンゲちゃん?だっけ??こん子は嘘は言うてへん。それは『レコードメモリーシステム』で裏がとれとる。」
「だったら!!」
「だが、その記憶、本物だと言い切れるんかいな??」
「は??」
「え?!」
ユーゴさんの言葉にマーメイは訳がわからないと言った顔をし、私は純粋にびっくりした。
「レコードメモリーシステム」と言うのは、その人の記憶であり知識であり経験をデータ化する事ができると聞いた。
だから私をそのシステムにかけ、データを解析すれば嘘かがわかると言ったのだ。
当然、マーメイは反対した。
話を作る目的以外で「レコードメモリーシステム」を使うべきじゃないと。
どうもこのシステムはユーゴさんが作り出したもので、サクッと言ってしまうと違法システムになりかねない代物らしい。
まぁ、人の知識や記憶なんかをまるっとデータ化して取り出せてしまえば、どんなに言いたくない事でも丸裸にされる訳で人権なんてあったものじゃない。
「約束したわよね?!ユーゴ!!これは話を作る為だけに使うって?!」
「せやかて、そうせんと本当の事かわからへん。それにもし本当だったなら、こん子も覚えてへんっていう、どうやってこの世界に来たかがわかるかもしれへんのやで??」
「それは……。」
「それが分かれば、帰る方法も見つかるかもしれないやろ??」
そう言われてマーメイは迷っていたが、私はユーゴさんの顔から、それが方便に過ぎないとわかっていた。
この人は私を疑っているし、その理由にはマーメイに危害を加える存在ではない事を確実に確かめたいと言う強い意志があった。
「……私やります。」
「レンゲ?!」
「私も知りたい。ここが本当に異世界なのか、どうやってここに来たのか……帰る方法があるのか……。」
正直、怖くない訳じゃない。
でも何故か、ユーゴさんの「マーメイに敵対し危害を及ぼす者」を排除したいと言う気持ちを理解できた。
そして私もそうしたいと思った。
じっとユーゴさんの目を見つめる。
ユーゴさんも私を見つめ、そして頷いた。
お互いの利害が一致したのだ。
マーメイを危険に晒したくないと。
「アンタを本気で疑っとるんやない。」
「わかっています。」
「ただ世の中には、人畜無害な人間の腹ん中に爆薬を仕込んで、そいつもろとも爆破する様なヤツもおんねん。」
「そうですね。だからやって下さい。その……システム。」
「ええんやな??人権無視した事をされるんやで??」
「はい。」
「ちょっと!!なに二人で決めてるのよ?!」
置いて行かれたマーメイが焦った声を出した。
私は横に座っていた天使の様な彼女の手をそっと握った。
「やらせて?マーメイ……。私も知りたいの。」
「レンゲ……。わかってる?知られたくない事も何もかも晒すのよ?!」
「わかってる、わかってるよ、マーメイ。」
私の意志が固まっている事を見て取ったマーメイはしばらく俯き、そしてガバッと私を抱きしめた。
もにゅっと巨大な柔らかさが押し付けられる。
何か全然違う意味であわあわしてしまう。
「ひゃぁぁぁ~っ!!」
「責任取るわ!!レンゲ!!私が責任取るから!!」
「せっ?!責任?!」
「何が明かされても!!私がレンゲの今後の人生、一生、必ず幸せにするから!!」
「ひゃぁぁぁ~っ?!」
「……何やねん、そのプロポーズみたいなんわ……。」
メチャクチャ硬い顔で真面目にそう言ってくるマーメイ。
真っ赤になってパニクる私。
つまらないコントを見るように冷めきっているユーゴさん。
「……プロポーズのつもりはなかったけど~。……そうね、プロポーズでもいいわ♡レンゲ?私が責任取ってア・ゲ・ル♡」
「ぴゃぁぁぁ〜っ!!」
「その辺にせぇや、マーメイ、こん子、あんまそう言うんに免疫なさそうやん??」
「うふふっ♡うぶなのね~♡可愛い~♡」
ぎゅっとさらにマーメイに抱きしめられる。
どうしよう……天使の様な爆乳美女に人生初のプロポーズをされてしまった……。
私はどう答えるべきかわからずパニックが限界を超えてしまい、とうとうフッと気を失ってしまった。
そしてはたと気づいた時には、私は既に「レコードメモリーシステム」にかけ終わっていて、リビングのソファーに寝かされていたのだ。
そして丸一日後、ユーゴさんの謎発言「その記憶が本物だと言い切れるのか」を受ける事になったのだ。
マーメイも私も意味がわからず顔を見合わせ、そしてユーゴさんを見た。
「何言ってるの?!ユーゴ?頭大丈夫?!」
「ええと……どういう意味ですか??」
訳がわからない私達に、ユーゴさんは呆れたようにため息をついた。
「言葉のまんまやんけ……。その記憶、ホンマに本物かなんて、わからへんやろ……。」
「……すみません……意味がわからないです……。」
「だからな??単に何かしらの方法で植え付けられた、作られた記憶って事も否定できひんのや。」
「?!?!」
私はびっくりした。
しかし同時に、ありえないとも言い切れないと思った。
何かで読んだが、世界というものは誰かによって5分前に書かれたものであると言う仮説を否定する論理は未だに見つかっていないらしい。
つまり、私がそうだと思っている全ては、たかだか5分前に誰かがホイッと決めた事にすぎず、私が過去だと思っている20年は、5分前に決められたただの作り話でしかないと言う仮説なのだ。
しかもここでは「レコードメモリーシステム」と言う、人の記憶や経験等を全てデータとして出せていまう。
だとしたら、まるっと記憶を埋め込まれて、そう言う人間だと思いこんでいるだけと言うのを否定する術はない。
「……だったら……私って……??」
「まぁ、その可能性もなくはないって話やねん。そんな考え込まんでええで??レンゲちゃん?」
「いやでも……言われてみれば……。」
そうなのだ。
それが本物の記憶かと問われれば、そうと確実に返事ができる訳ではない。
元々、記憶というのは曖昧なのだ。
事実を異なって覚えていたり、ショックのあまりあべこべになっていたり、忘れてしまっていたりするものなのだ。
だから絶対なんて言い切れない。
そんな私に、ユーゴさんはそっけなく告げる。
「ただ何だかんだ言うたけどな?ワイもレンゲちゃんは別の世界から来たってのが一番有力やと思うで?」
あれだけ色々言ったのに、あっけらかんとユーゴさんは言った。
はい??なら作られた記憶の話はどこに??
そして私は異世界転移したってのが有力なんですか??
さらに混乱してきてしまう。
「ちょっとユーゴ!!だったら変な事言わないでよ!!レンゲが混乱してるじゃない!!」
頭を抱え始めた私。
その肩を抱き寄せてそう言うと、マーメイはユーゴさんを睨んだ。
しかしユーゴさんはどこ吹く風。
飄々と掴みどころのない顔で笑う。
「ワリィワリィ。でもな?一つの可能性だけに決めつけとると、肝心なもんを見落とす事があるさかい。常に他の可能性も頭に置いといた方がええで?」
その顔を見つめ、マーメイの顔を見つめ、自分の手を見る。
確かに一つの可能性に固執するのは良くない。
何はともあれ確実にわかっているのは、今、私はここにいると言う事だ。
それだけは確かだ。
「……よくわかりませんが……わかりました……。」
私が私である証拠は何一つないが、でも少なくとも今はここにいる。
たとえ5分前に作られた事だったとしても、私は今、ここにいる。
肩を抱いてくれていたマーメイが私の顔を覗き込む。
それににこっと笑うと、安心してくれたのか女神のようなキラッキラな笑顔を向けてくれた。
うぅ……眩しい……。
マーメイ、天使すぎる……。
「全く!!ユーゴは!!」
「いや、そう言うけどな?自分??普通だったら別の世界から来た線より、記憶を埋め込まれてる線の方が有力やで??」
「ならなんで異世界の方が有力だと思ったのよ?!」
ユーゴさんの言う事は最もだ。
船が難破して異国に来てしまったのとは訳が違う。
完全に違う世界に来るなんて事が起こると考えるより、何らかの記憶障害でそう思い込んでいると考えた方が筋が通る。
そうなると、何でユーゴさんは異世界転移の方が有力だと思ったんだ??
私とマーメイはユーゴさんを見つめた。
ユーゴさんもどう説明すればいいか悩んでいるのか、寝不足で辛いのか、顔を覆って大きくため息をついた。
「……それなんやけどなぁ~。あまりにレンゲちゃんのデータが突き抜けとるねん。」
観念したようにそう言った。
今まで理論的に説明してきたユーゴさんらしくない。
私は首を傾げた。
「突き抜けてるって何よ?!」
「だからな??もしもこれが誰かによって作られた記憶なら、ソイツはエライ天才かありえへんほどヤバい奴やで??……そんぐらいこことはかけ離れた、ぶっ飛んだデータやねん。」
「ぶっ飛んだデータ……。」
自分の記憶をぶっ飛んだ知識であり記憶だと言われ、何と言っていいのかわからない。
だが、今の所、そこまで私は元の世界とこことに差を感じていない。
だからそこまでぶっ飛んだズレがあるとは思えないのだ。
なのに何故、ユーゴさんは異世界から私が来たと判断したんだろう??
「せやからな?あんまりにもブッ飛んでるさかい、誰かが作ったと考えるより、別の世界から来たって方が有力やと思うたんや。……パラレルワールドって言葉もあるしな。」
「パラレルワールド……。」
ある世界から分岐し、それに並行して存在する別の世界で、並行世界や並行宇宙、並行時空とも言われているものだ。
単なる空想上のものではなく、物理的な仮説もあるような話だ。
確かにそれならそこまで感覚などのズレがなく、しかし全く違う世界と言うのも頷ける。
この世界で言うパラレルワールドが私の世界で言うパラレルワールドと同じ物を指しているのかはわからないが、仮説としてはそこまで違和感のある話ではない。
「でや、レンゲちゃん。一つ教えてくれへんか??」
うむ、と考え込む私に、ユーゴさんは酷く険しい顔を向けた。
そして体を前に傾け、真剣な口調でそう言った。
私も思わず硬い表情で聴き入ってしまう。
「何でしょう……?」
一体、ユーゴさんは何を聞こうとしているのだろう?
ここまで様々な考え方ができ、「レコードメモリーシステム」などと言うものを作ってしまう人だ。
私は固唾を飲んで次の言葉を待った。
そして言った。
ユーゴさんは物凄い真剣な表情で言った。
「……亀、助けたら酒飲まされて、だまし討的に干乾びたジジイにされるあの話、なんなん?!色々ブッ飛び過ぎてて意味わからへんのやけど??」
頭の中で、ゴーンという低い音が鳴った。
え??
何でそれ??
この恐ろしいほど真剣な空気の中、それ聞くんですか??
私は完全に地蔵と化してしまった。
いや、話はわかる。
完全にあの話の事を言っている。
だが、正直、あれが何なのかと聞かれて答えられる返答を私は持っていなかった。
いやむしろ、答えられる人がいたら私にも教えて欲しい。
あの理不尽極まりなく、恩を仇で返すとしか言いようの無いあの話が何かの教訓なのだとしたら、その答えを教えて欲しいと地蔵と化した私は強く願ってしまっていた……。
あれから「浦○太郎」の話は、「亀が恩を仇で返す話」としてマーメイドに定着した。
そのせいで、ユーゴさん的に何か理不尽な事をマーメイから要求されると、
「何やと?!自分、亀かいな?!」
と文句を言い、それに対してマーメイが
「乙姫とお呼びっ!!」
と返し、
「黒幕やん!!諸悪の根源やん!!」
とユーゴさんが言い、さらにマーメイが、
「オーホホホッ!!愚かな人間め!!干乾びたジジイになるが良いっ!!」
と返すと言う一連の流れが出来てしまった。
もう、日本人として、何をどう釈明すれば良いのかわからない。
いやなんかもう、話が変わっているから……。
でも、日本人の私でさえ「何で?!」って子供心に思っていたので、異国どころか異世界のマーメイとユーゴさんから見たら、そういう話にしか見えないのかもしれない……。
後で知ったのだが、ユーゴさんは私の全データを調べた訳じゃない。
ランダムに調べてみて、それで私に疑う部分はないと判断したそうだ。
でも何でランダムに調べてみて、ピンポイントで浦○太郎を引き当てるかな?!ユーゴさん?!
それをキッカケにして、私の異世界の記憶であり読んだ事のある話などはここにはないもので、絶対、面白くなるからと「レコードメモリーシステム」のメインダイバーとして働く事になったのだ。
そして今日も私は「レコードメモリーシステム」に入る。
リクライニングチェアーに装置をつけて座る私の顔を、フルヘルメット型の装置越しにユーゴさんが覗き込んだ。
「リラックスしいや、レンゲちゃん。」
「でも……あんな大事な内容なのに、異世界の私で大丈夫ですか??」
大事な内容とは、小さな男の子からの依頼だ。
長い間かけて貯めたであろうお金を持って、私達に託した物語の制作依頼。
「大丈夫や。むしろな?あの手の依頼は、半ば非現実的なファンタジーみたいに変えてやった方がええ。なまじ現実味が入ると、拒絶してしまう事が多いねん。」
何となくわかる気がする。
リアルな現実を突きつけられるより、絵本の中の出来事の様な内容の方がするりと受け入れられる。
だから私の世界では「大人の絵本」ってジャンルがあったのだ。
「レンゲちゃんのここではありえない記憶と知識、そんでもってワイのインサイドクリエイターとしての腕の見せ所やな??」
「ふふふっ、私は何もしてないですよ。ユーゴさんの手腕に期待してます。」
「そんな事ないで?旨い食材をイイ料理人が調理するから旨いねん。」
「店は汚くても、ですね。」
思わずそんな事を言ってしまった。
私としてはこの「マーメイド」を褒めたつもりなのだが、伝わっただろうか??
ユーゴさんは驚いたように、ゴーグルの向こうの目を少し見開いたが、やがて満足げにニヤリと笑った。
「せや、最高やろ?!」
「はい。最高ですね。」
私も笑った。
良かった、伝わって。
これが終わったら、三人でご飯を食べに行きたいなぁと思う。
私の初月給が出たら感謝を込めて三人であの店に行こう。
「ほな行くで?」
「はい。」
ユーゴさんの合図で、私の意識はまた、するんとゼロと1が支配する世界に落ちて行ったのだった。