熱帯雨林の屋敷
馬車に揺れること数時間が経過した。
未だに雨脚は衰えず、
この地域特有の気候の外に出ていない。
「到着だ」
ネイヴが扉から先に出る。
車椅子の準備を整え、傘を刺し、
ローズを抱えて乗せる。
足がないから仕方がない。
と、妥協できないローズは、
恥ずかしさと無力さを痛感する。
「ここが今日からキミの職場兼家だ」
「このお屋敷が……」
【医療介護支援邸 ネイヴ♯】
ラグーン郊外に位置する屋敷。
使用人を住み込みで働かせるには十分過ぎる程に、広く立派な建造物ではある。
だが壁には蔦が張り巡らされ、
さながら家主を失った幽霊屋敷。
周りも熱帯雨林で囲まれていて、
ここまで続く道も整備されていない。
「少々草木に囲まれているが、趣深くていいだろう」
「(趣深いというより、放置されてるようにしか……ガタガタして、お尻が痛い……)」
車椅子の車輪が、タイルの凸凹に足を取られる。
元々は綺麗には張られていたのだろうが、
大地から芽吹いた草木の力に負けてしまった。
ガタガタと揺れる。
しかしローズに不満はない。
これから雇われる身というのもあるが、
ネイヴの言葉通り、趣自体は素晴らしいからだ。
正門から正面口までは、
地面を除き丁寧に整備されている。
天然の木々の傘が天幕となっていて、
雨粒も殆ど落ちてはこない。
そして何より、
この場所にいると自然と気持ちが落ち着く。
数時間前に夫に捨てられたことなど、脳から消えて心持ちも比較的穏やかだ。
「先生。私は先に行って、準備の確認をしてきます」
「相変わらず真面目だなメイド長。皆優秀な子達だ。心配は無用だと思うがね」
この時ローズは初めて
メイド長の顔を視認した。
左目に大きな傷がある美白の女性。
ローズも肌の綺麗さには自信があったが、
メイド長の美しさは新雪の雪の如く真っ白だった。
右眼は碧眼。
それも細かな輝きが散りばめられた、
まさに宝石のように美しい目をしていた。
「(綺麗な人)」
「じゃあ、また後でね」
彼女はローズに対して、常ににこやかだった。
そして去り際の唇に指を当てる仕草。
同性でありながら、ドキッとした。
「(あの男の時は、一度もときめかなかった)」
「あの子はこの屋敷を統括する片割れ。つまりはキミの上司だ。困り事があれば、彼女に聞けばいい」
「上司……あっそういえば私、まだ仕事の内容を聞かされていないのですが……」
純粋な質問だった。
だからネイヴも怪訝な顔は一切しなかった。
「やはり、な。馬車の中で説明をしていたんだが、キミは上の空だった」
「す、スミマセン…」
「構わんよ。最初は皆、そうだったからな」
二人は木々の天幕を抜ける。
出た先に待ち受けていたのは噴水。
だったものだ。
蔓草にまみれ、雨水が溜まっている。
足元には様々な植物。
森では採取できないモノを栽培している。
中には毒々しい色をしたキノコや、
下向きに花を咲かしている植物等が見受けられた。
「キミの仕事は衣食住の徹底だ。ここに住む者の衣服の洗濯、食事の準備や後始末、屋敷中の掃除が主な仕事だ」
「それはつまり、普通のメイドに求める仕事を私に求めているんですか?」
ローズは驚きを隠せない。
自分の立場を考えてみれば、
まともな仕事には在り付けないと思っていた。
非合法な仕事や、それこそアッチ系の。
だが蓋を開けてみれば、
待っていたのは使用人仕事。
平民の出のローズにとっては、
家事手伝いは苦でもなんでもない。
ホッとした。
が、すぐさま動揺もした。
「あの、私……コレ、なんですけど」
自分が欠損者である事を再確認させる。
「全てを任せる訳じゃない。メイド長や執事長からできる仕事を受ければいい。ここにいる皆は、キミと同じ境遇だ。安心したまえ」
「同じ境遇……」
同じ境遇。
それが死から蘇ったことを指すのか、
それとも何かから逃げた者を指すのか。
「(あのメイド長の人もそうなんだ。あの人も、人にはいえない事情が)」
「到着だ」
本日二度目の到着報告。
目の前には大扉が待ち構えている。
ネイヴは傘を車椅子から取り外す。
そして自分が羽織っていた合羽を壁に吊るした。
地面には先に行ったメイド長の足跡が。
傘置きには濡れた傘が、何本か刺さっている。
「呼吸を整える必要はない。緊張をする必要もない。コレから会う子達は、皆家族だ」