命の価値
まだまだ過去編
数日が経過した。
日を重ねるにつれ、彼女の容態は安定していく。
根っこが前向きなのだろう。
その性格をここ数年、押し潰されていただけで。
「車椅子の乗り心地はどうだ?」
「まだ少し……違和感と言いますか。でもそれは私の個人的な慣れの問題で!」
病室を繋ぐ短い通路で練習をしている。
【車椅子】はこの世界で普及していない技術。
足のない、片腕もない彼女が生活するには、
この医療器が必要とネイヴは判断した。
ローズの受け答えに問題はない。
自傷的でもなく神経的でもない。
素の部分で会話が成立している。
本当の彼女はそそっかしい。
自分の話したい話をしたいでけ話す。
そして自分ばかりが話してる事に気付きブレーキをかける。
「結構、疲れますね……」
「休みますか?」
「大丈夫です! まだまだやります。早く慣れておかないと……」
そして彼女は愚直だ。
だからたった数日のネイヴにも焦りがわかる。
知りたいことを知りたいだけ知りたがる。
やらなければならないことを詰め込めるだけ詰め込む。
0か100の性格、分かりやすい性格の彼女。
そんな彼女だからだろうか。
精神面の心配を無視して直球の質問を投げかけるのは。
「誰かの世話になるのは嫌?」
この異世界、足がない場合の備えは松葉杖くらいである。
その松葉杖すら普及率は全く高くない。
使う対象が鉱山労働者と限定的。
年に数十人は事故に遭うが、殆どの人間は死ぬからだ。
「嫌です、嫌に決まってます! こんな姿で……前とは、全然違う。こんな姿になって、しかも誰かに世話をして貰えないといけないなんて、耐えられません! だから……」
誰かに縋る事を拒絶しているのではない。
至極真っ当な拒否反応。
誰も半壊した自分の体を知人には見せたくない。
ましてその姿を晒しながら生活をしたいとも思わない。
初期症状としてよく見られる傾向。
ネイヴは手元のカルテをパラパラとめくる。
最後の数ページで指を止め、ペンを持った。
「アナタは悲劇の女優だ。運命の悪戯で、若くしてその命と美貌を失った。そして剰え、他人の都合でこの世に呼び戻された。アナタが誰に頼ったとしても、批判される謂れはない。アナタは被害者だ」
「? 急に何ですか。被害者だなんて。私は助けて貰ったんです、貴方に。だから私は、ネイヴ先生に感謝しなきゃいけないんです」
「ワタシは依頼通りに治療を施したに過ぎない。キミを助けたのはマネー氏だ。マネー氏がいなければ、この悲劇は始まらなかった」
ローズは、
『自分を助けられた』と主張している。
ネイヴは、
『他人のエゴで甦らされた被害者』だという。
双方の主張に間違いはない。
どちらも真実であり、微塵の嘘も混じっていない。
どちらが正しいかという話ではない。
この議題をこのまま取り続けても、
平行線のままで誰も幸せにはならない。
「……先生、あの人が本当に私の治療を依頼したのですか?」
あの人と呼ぶ相手はローズのずつの夫。
数日後の未来で実の妻を引き取らなかった男の事だ。
「爆発事故で亡くした妻を治療してくれと、事故があった三日後に駆け込んで来た」
「そう、ですか」
納得のいかない顔を浮かべている。
ネイヴは何の気なしに
二人のカルテをもう一度見直した。
「(マネー。言わずと知れたマネー家の現当主。マネー印の商品を目にしない日はない、貴族の中でも相当な権力と莫大な資金を有している)」
「(ローズは平民の出。生まれも育ちも、マネーと出会った場所も同じ村だ。二人は互いに一目惚れし、身分の差を乗り越えて婚姻にまで漕ぎ着けた。……そう、マネーは言っていた)」
マネーは貴族の中でも有数の権力者。
ローズは至って普通の平民の娘。
互いに惹かれ合い結婚した。
そういう風にマネーからは聞かされた。
「(貴族と平民。身分に差を超えた婚姻……)」
「どうしたんですか? その、板? 紙? を見つめて」
「……これはカルテという。患者の、つまりキミのような重症な人の状態を事細かに記す。論文みたいなものだ」
「かるて。確かに、回復魔法ならその場で傷を治せますもんね。そんな体の不具合なんて一々書く必要ないのか……」
医者が存在しない異世界。
カルテも当然存在しない。
「そうです。……それにここには 『マネー氏がここへ来た際に話された事』も書かれています。一言一句、事細かに」
「……私の、事が」
ローズの目がカルテに集中している。
カルテには二人の関係性以外に、
この病院へ来た際のマネーの発言や態度といったものも、事細かに記してある。
カルテの範疇の扱いが違う。
だがここは異世界であり、
彼はそんな異世界で数少ない医者だ。
どう使おうと間違いではない。
「……もうこんな時間か。すまないが、この後私用が入っていてね。数時間程、この病院からいなくなる」
「あっ」
ネイヴはそそくさと部屋を立ち去る。
丁寧で、それでいて露骨な説明口調だった。
部屋にはローズと置き忘れたカルテ。
二人っきりだ。
カルテは彼女の手の届くところに置いてある。
「(あのカルテに、マネーの本心が。こんな姿の私を呼び戻した理由が……)」
手を伸ばす。
が、すぐに気が引けて手を戻す。
戻した腕を見た。
唯一残った四肢の一本。
しかしその肌は焼け焦げ、動きもおぼつかない。
そして鏡に映った自分を見た。
酷い姿だ。見るに堪えない。
「(誰も私を私と思わない)」
【麗しのローズ 君は 僕の妻になるべくして生まれてきたんだよ】
マネーの言葉 マネーの声
過去にあったワンシーンを思い出し、
ローズは鳥肌を立て、左腕で我が身を抱いた。
「あの男が、今の私に求めるモノ……!」
ローズはカルテを手に取る。
専門的な事が書かれている最初のページはすっ飛ばし、ネイヴが読んでいた最後のページまでめくり、真実を読んだ。
「……やっぱり、やっぱりじゃんか」
カルテを読み終えた。
ローズは脱力しきった様子で、天井を見つめる。
「やっぱり、あいつにとって私は『 』だったんだ……アハハ。アハハハハハハハハハハ」
笑いが込み上げる。
絶望よりも、滑稽さが優った。
万人に理解されることのない感情。
絶望ではない何か。
希望では決してない何か。
彼女の笑い声は、
雨に飲み込まれ消えていく。