平和的な会戦
ガラスケースの心臓は脈動している。
生物学的には生きている。
「ネイヴ先生のご自宅に不法侵入。それはなんと愚かな……末席の愚行、お詫びをすればよいやら」
金樹は席から立ち、頭を下げる。
しかし台詞の中ではシラを切っている。
下っ端の勝手な行動という着地を目論んでいる。
「頭をお上げください金樹様。上に立つ者として下の教育は当然の義務。ですが組織が広がるとそうもいかなくなる事は、主人も理解する所です」
教育がなっていない無能な上司。
遠回しな罵倒を淡白な慰めで包む。
直接的表現を避け、含みを持たせた嫌味。
更に含みの嫌味にも冗談が混じっている。
敵対したくない。
けれど優位には立ちたい。
議論の場で見られる一般的な光景。
互いに嫌味には気付いているが、指摘をするのは幼稚で浅はかな行動とされている。
あくまで話し合い。
躱し進めるのが定石である。
「そう言って頂けるなら、此方としても有難いで御座イ。今後はこのような愚者が続かぬ様『自分が』。徹底して教育にあたらせてもらいます」
『またの機会があれば。今度は下っ端を使わず、金樹直轄の者を差し向けます』
「こちらと致しましても、このような事態になるとは想像だにしていませんでした。このような愚行。金樹様はこの都市の主領であらせられる有力者。これ以上ことを荒立てたくないのが、主人の思う所です」
『三代勢力の一角を担う立場にありながら、その手段はあまりに杜撰。下っ端だからという言い訳は負け惜しみが過ぎる。この辺りで手打ちにしましょう。ネイヴ先生とこれ以上、明確に敵対したくはないでしょう?』
金樹は空のコップに紅茶を注ぐ。
酷く無礼な行動だ。
使用人が気を利かせて淹れるのとは訳が違う。
相手と対面で話している最中に視線を外し、
ポットに手を掛け、コポコポと音を立てて淹れる。
相手が同等の立場であれば指摘も出来る。
だがここは相手の縄張り。
つまり相手に絶対的な主導権がある。
故に傲慢も我儘も許される。
この行動はメイド長に対する釘刺し。
負けそうだからという負け惜しみではない。
今後の展望を考えた上で、
金樹が予め打った落とし所という意味合いが強い。
「この国でネイヴ先生と関係のある人は多い」
『彼らの依頼した患者がどうなったかはさておき。ネイヴは貴族を超え、王族ですらその存在を認知しているという噂』
「嬉しい限りです。先生は気分屋ではありますが、治療のご依頼はかなりお受けになられます。中には……あら失礼! 私事が過ぎました。どうかお忘れを」
『貴族より上の立場の人間とも、ネイヴ先生は交流なさっている。誰とは明言しませんが』
「不始末でお越しいただき恐縮では御座イ。しかしこういった機会に恵まれ、嬉しく思います」
『使い捨てが思わぬお土産を連れてきた。コレは嬉しい誤算だ』
「私共も致しましても、金樹様のご尊顔を拝見させて頂き嬉し次第。ですから残念です。このような場ではなく、もっと他の出会い方をしたかった」
『金樹。貴方の顔と名前を一致させた。それでどうします? まだちょっかいをかけられますか?』
「同意見で御座イ。今後貴方達と築いていきたい友好関係を、こんなことで潰えるなどあってはならない」
『敵対関係になる金銭的考慮が少なすぎる。そんな事をするくらいなら、この密談の間で敗北を認める方が有益だ』
「ではこの一件。一人の愚か者への手打ちという事で」
『ガラスケースの男の事じゃない。お前の事だぞ』
「それで宜しいで御座イ」
『情報とは違い、我の強い使用人だ』
二人はにこやかに握手を交わす。
嫌悪感はあるが、多少の嬉しさはある。
含み嫌味冗談が入り乱れる議論で結論が出た。
結論が出たのは互いにとっては好転であったからだ。
そしてメイド長はキャリーケースの鍵を。
金樹は高級宿を無料で提供してくれた。
更に帰りの専用馬車付き。
互いにやる事を終えた。
これで後は帰路に着くだけ。
そんな安堵もノックの音で遮られる。
相手は護衛の異種族だった。
「金樹様。お客人のご友人様が……」
「ご友人! はてさて誰の事だ? オークのガラプさんか? それともあのアーメット?」
身振り手振りが激しい。
装っているのは困惑と焦り。
だが嬉々とした感情が透けて見える。
「オークのガラプさんでございます」
「ガラプ? 私の連れが何かしてしまったのでしょうか?」
「今は何も。何かをする可能性が高いというだけでございます」
小馬鹿にした様な言い草。
飼い主に似たのか。
メイド長は遠回しな言い方に心の内でムッとする。
「こらこら余計な事を。スミマセンねえウチのが」
「……ガラプは今何処に?」
「オークのガラプさんは先程の闘技場に出場される事が決まりました。まもなく決闘が始まります」
「……はい?」




