巣立つ紅い蝶:後編
無影灯
手術室を照らす首の動く照明器具。
生体情報モニタ
血圧 バイタル 呼吸
患者のあらゆる情報を測定してくれる。
人工呼吸器
手術中の患者の呼吸を手助けする器材。
などと手術室にあるものを書き連ねてはみた。
浅学を晒す様な真似をしたのは、
異世界の、つまりネイヴの手術室が如何に現代の医学レベルより低いかを知ってもらう為だ。
ないものよりも
あるものを言っていった方が早い。
中央にはベッド
側には器械台と点滴スタンド
魔石で照らされている首の動かない照明モドキ。
コレが全て。
コレらで手術を執り行う。
手術内容は『皮膚移植』だ。
「さあ、コレを噛むんだ。ゆっくり時間をかけて」
ネイヴが差し出したのは三枚の乾燥した葉。
それをヴァネッサは言われるがまま、
口に含んでゆっくりと噛み締める。
乾燥した葉っぱの味がする。
苦くて不味い。だが食べられなくはない。
問題はこの後だ。
「(ねむ……)」
突然且つ強烈な眠気の前に、
人は争う手段を持ち合わせていない。
後ろに倒れ込む様に眠るヴァネッサ。
それをネイヴは冷静に抱き止め
背中をこちらに向ける様に体勢を変えて寝かせる。
噛んだ葉には強力な睡眠性が備わっている。
一枚でも強力だが、この場では三枚。
コレで丸一日起きることは無い。
本来は全身麻酔を打つのがセオリーなのだろう。
だがこの世界は医療の医の字もない世界。
麻酔の存在も認知されていなければ、
打つための注射も刺突武器と認定される。
「麻酔」
注射には薬品。
麻酔に似た液体と考えてもらえればいい。
効果も同じだからだ。
それを腕に刺す。
刺す箇所だけは同じった。
この場にはネイヴただ一人。
手助けも、汗を拭いてくれる人もいない。
黙々とこなしていく。
「(切除開始)」
───── 数時間後 ─────
「……」
「……」
この時間が歯痒い。
ただ待つことしかできず、
普段の生活に集中できない。
特に仲の良いガラプ。
腕組み足を組み、
しきりに体を揺らしてその時を待つ。
そんな姿にローズも釣られる。
と言っても揺らす足も腕も一本しかないのだが。
やりたくてもできない歯痒さが彼女にはある。
「ほら、怖い顔をしてたってしょうがないじゃない。紅茶を淹れたから、一緒に飲みましょう」
メイド長が代わりにこの場に居る。
そして代わりに紅茶と茶菓子を用意してくれた。
「あっ、ありがとうございます」
「……あんがと」
出されたカップに手を伸ばす。
近付けただけでわかる
林檎の甘い香りと温かな湯気。
口に含んだ瞬間、真っ赤な林檎が顕現した。
自分が淹れてもこうはならない。
茶菓子に手を伸ばす。
素朴なクッキーを齧る。
素材は小麦 バター 鶏卵
同じ材料、同じ機材で作られている筈なのに
何故味わいの深さが違うのか。
「美味しい……」
「喜んでもらえて嬉しいわ」
「……」
ガラプは何も言わない。
表情の暗いままだ。
ただ惰性に飲み食べる。
不満があるわけではない。
ただヴァネッサのを食べ慣れている。
そういうシンプルな理由が彼女にはあった。
メイド長はその事を察している。
だから感想も求めないし
その事を追求もしない。
「「「……」」」
非常に静かな時間が流れる。
こういう日に常々(つねづね)思う。
ここの環境の素晴らしさを
雨音は決して邪魔をしない。
むしろ居心地の良さを高めてくれる。
カップを置く音
深く呼吸する吐息
暖炉に焚べた薪の弾ける音
「あっ、暖炉の管理をしないと」
不意に思い出し言葉が垂れる。
それにハッとして、その場を見渡す。
知らぬ間に紅茶の菓子も品薄。
集中し過ぎていた様だ。
「私、暖炉見てきます!」
「私も夕食の準備に取り掛かろうかしら。今日はいつもより少なめに調整しないとだから」
ヴァネッサとネイヴは手術中で
その日の食事を必要としない。
早ければ24時間後、ネイヴが再び加わる。
「俺は一人か……ヨシ、俺も新人について行くよ。俺が押した方が早いしな」
「そんなガラプさん……」
「行かせてあげて。彼女、一人でじっとしてるのが耐えられないタチだから」
「つー訳だ。嫌々だろうとついて行くぜ」
ガラプに車椅子の取っ手を持たれ
三ヶ所ある暖炉の火の具合を確認する。
まずはダイニングルーム。
薪を補充するだけで終わった。
「ヴァネッサさん……」
「心配すんな。そのうち戻ってくる」
そう言っている本人が一番気が気でない。
車椅子の取っ手がぎゅっと握られる。
そして形が変わる音が確かに聞こえた。
特権治療を受ける患者。
彼らが戻ってくる時間は、
怪我の具合でまちまちである。
怪我の大きさ 治療部位の重要性
それに比例して時間も長くなる。
腕一本ともなれば一ヶ月は最低でも掛かる。
今回の場合は皮とその下の傷。
一ヶ月は覚悟しなければならない。
「こ、ここでお祝い事が開かれるんですよね。一体どんな風なのかな? 楽しみ、ダナー!」
自分で蒔いた話題の種。
であれば不安を拭う責任はローズにある。
「ヴァネッサはお菓子の山を頼んでたな。今流行の店の人気商品 老舗菓子屋が出してる鉄板 手に入りづらい珍しいお菓子。えっと他にどんなお菓子を言ってたか……」
「お菓子ばっかりですね……」
「また太るだろうな。俺達ももれなく」
次に右側の部屋。
扉を開けば心地よい温もりと古本の香り。
蔵書されている本は活字ばかりで、利用するのは執事達とメイド長がたまに訪れるくらい。
「アーメットさん!」
「うーっす、カブトガニ」
言ったそばからそこには二人がいた。
本を片手に読書をするアーメット。
そのすぐ近くのソファーで寝ている執事長。
「お二人共、どうかなさいましたか……と質問するのもおかしいですね。暖炉の管理ですか?」
「ハイ、代わりにやっていただきありがとうございます」
「いえいえ、お礼を言われるほどでは。その場にいるのであれば、代わりをするくらいなんて事は」
「スー……スー……」
本を顔に被せ、ぬいぐるみ片手に就寝。
寝息は大人しい。
「本でも読まれてみては? 心が休まりますよ」
「休まるねぇ……俺は別の意味で休まりそうだ」
アーメットはヴァネッサを優秀な同僚と。
執事長は太ったレディと思っている。
女性と男性の友情は中々難しい。
だが心配はしている。
仲間として当然の感情を持ち合わせている。
証拠として二人の周りには本の山が盛られている。
「(凄い読書量……)」
「あんまり気を張りすぎんなよ?」
「? それは貴方の方では?」
アーメットは無意識に本を漁り読んでいる。
兜で表情は読めずとも、分かりやすいのが彼だ。
二人は顔を見合わせる。
最後は応接間。
ここは三人で茶を啜っていた場所。
いの一番に見た。
だから戻るという言い方が正しい。
その途中の玄関ホール。
そこで立ち止まり、ニ階を眺める。
「……」
「……」
「……あー悪い。止まっちまったな」
「いえ、私も見ていましたから」
過去に特権治療で命を落としたという前例はない。
何も不安に思う事はない。
どっしりと構えていればいい。
とは割り切れない。
「……ハァー、俺がこんなんでどうするって話だよなぁ。ガラじゃねぇよガラじゃ」
「それだけヴァネッサさんの事を大切に思っているんですよ」
「大切? あー大切、か……まあアイツがいないと、俺の間食が無くなるからな。そういう意味じゃ、大切だな。ウン」
大切という言葉の歯痒さ。
人前で言葉にするには小っ恥ずかしい。
特にオークの場合は意味合いが変わってくる。
オークは戦闘至上主義種族。
話し合いよりも殴り合い
友情は戦いの果てに
腕力の強さ=地位の高さ
そんな彼らが戦いを介せずに
友愛の感情を抱くのは珍しい事例である。
「どうしたんですか?」
「何でもない。さっさと戻るぞ」
「?」
ローズがオークの生態系に精通している訳はない。
彼女は素でガラプの急所を突いた。
それに対してガラプはあまりに無防備だった。
ヴァネッサと自分との関係性。
声を大にいうのも何だが大切の存在。
それは間食云々ではなく友として。
あるいは親友として心から無事を祈っている。
───── 手術室 ─────
再び場面は手術室の中。
中は血の匂いが充満している。
換気設備はあるが、湿度に高さが問題だ。
床や仕切のカーテンには血が付着している。
担当医であるネイヴも例外に漏れず血塗れだ。
暑さと匂い、そして孤独に掛かる重圧。
ネイヴの精神は研ぎ澄まされていた。
今屋敷が火事になろうと気付かない程に。
『カチャリ』
鉄の器具をトレイに置いた音。
そのすぐ後にネイヴの深い呼吸音。
カーテンから出てきたネイヴ。
血塗れの様相を脱ぎ捨て、
震える身体を自らの手で御する。
壁側の椅子に座る。
いまだに震えが治らない。
呼吸も深く続けている。
「……まだまだ慣れない。こんな調子では親父様には遠く及ばない。彼女の治療なんて、夢のまた夢だ」
ヴァネッサの紅い蝶。
今は彼女の背中から巣立ち、
水の敷かれたトレイの上にその羽を休めている。




