キミの気持ちはわかる
時間は少し遡り、二人の邂逅。
──── 一ヶ月前 ────
病院のベッドで眠るローズ。
その姿はまるで死んでいる様だった。
彼女の姿を考えれば妥当な誤解である。
ネイヴは彼女の傍らで本を読んでいる。
人体について書かれた生体書と呼ばれる本
内容は対人を目的とした急所の場所について。そして性行為に関する事の上澄みだけが書かれている。精子や卵子などの単語は書かれていない。
「……うぅっ」
ローズは長い眠りから覚め、薄く目を開ける。
射し込むはランプの灯り。
寝返りを打って、布団に包まりたいと思う。
「お早う、ローズ君」
聞き覚えのない男の声。
寝ぼけた頭で警戒心がぼやけている。
彼女は身の危険を言葉で発するより先に、
質問を見ず知らずの男に投げかけた。
「あ、たは?」
「ワタシはネイヴ。キミを治すよう、マネー氏から依頼された医者だ」
「い、しゃ。マネ、ぇ」
ローズは咳き込む。
口が乾いて思うように言葉を出せない。
「長期睡眠による弊害はやはり免れないか」
「? な、のはなし」
「キミはどこまで覚えてる? いや、どこまで思い出せる?」
ネイヴは質問に答えない。
自分勝手に質問を投げかける。
投げつけられた『思い出す』という言葉。
無意識に自分が覚えている最近の記憶を思い出す。
『一時の自由』 『昼下がりの店』 『天候は晴れ』
『太り気味の店長』 『無精髭が不愉快』
『フードの男』 『忘れ物の荷物』
『眩い閃光』 『轟音』 『焼ける痛み』
当時の記憶がフラッシュバックする。
所々欠けていて、決して鮮明ではない。
アルバムをひっくり返して落ちる写真の様に。
だが一つ確かなことを思い出した。
『焼ける痛み』、死にも匹敵する激痛。
あの時、私は死んだのだと。
ローズは身体を起こそうとする。
しかし彼女の体はベルトで固定されていた。
「(何で!? どうし……)」
彼女は己の体に視線を向けた。
「な、に……カ、ラダ。わたしっ」
「記憶媒体に問題なし。……キミが動揺するのも無理はない。キミは一度死んだ。偶然立ち寄った飲食店の爆発に巻き込まれて。即死だった」
身体の至る所に巡られている糸。
焼け焦げた自分の肌と使い古された誰かの肌。
それを糸で繋いでいる。
両足に力が入らなかった。
無いからだ。
無いものにどうやって力を込める。
右腕もない。
利き腕だった。
ベルトで繋がれていない左腕。
頭の上にまで移動させる。
白かった肌が焦茶色に。
動かそうとする度、カサカサと音が鳴る。
乾燥して肌がひび割れる。
呼吸が荒れる。現実が受け入れられない。
何故生きているのか。
こんな姿になってまで生きていたくはなかった。
「ぁぁ、ァァァ」
「……失礼」
ネイヴはそう言って部屋を出る。
今にも泣き出しそうな女性を一人残し。
寄り添う事も励ます事もせずに。
アフターケアを彼に求めてはいけない。
そもそもこれから先の出来事に、
他者が介入する余地があるのだろうか。
薄くて粗末な木製扉は音をよく通す。
扉を閉めると悲鳴が聞こえる。
悲鳴は次第に泣き声に変わる。
自分の不幸を、見るに堪えない姿に。
そんな理性的な言葉ではなく、
感情を音にして吐き出している。
「……いつも思います。患者に全てを打ち明けるのは、本当に正しいことなのかと」
ネイヴは別の部屋のベッドの上。
栞を挟んでいた生体書を読み直していた。
そこに訪れて来たのはメイド姿の女性。
言葉とは裏腹に、とてもにこやかな表情をしている。
「正しいとは何だ。死んだ事実は隠せない。凄惨な姿も取り繕えない。ワタシに出来る事は説明をするかしないかだけだ。【メイド長】キミの意見を聞こう。キミはあの時、『ワタシに聞かされた時』何を思った? そして今はどう思っている」
メイド長と呼ばれる女性。
彼女は顔を背けて服の袖を握る。
過去を思い返して苦しみながらも表情は崩れない。
「……あの時、私は死にたいと思いました。生き恥を晒すくらいなら、今すぐこの場で! ……でも出来なかった。もう一度、あの【死】を。自分の手であの『死】を受けるなんて……」
ネイヴは何も言わない。
ただメイド長の言葉に耳を傾ける。
『君の気持ちはわかる』
ネイヴの嫌いな言葉である。
正確には同じ境遇に立っていない他人が、この言葉を使い共感を得ようとする事や、諭そうとするのが嫌いだった。
「だから。だからって言い方も違いますけど、今は幸せです。あの時、怖気付いた自分に感謝したいくらいには。だ、だから……」
「もういい、辛い事を思い出させたな」
ネイヴが静止すると静寂が訪れた。
ローズの悲鳴が満ちる中で迎えた静寂。
二人は耳を傾ける。
治した者として、同じ境遇に立っていた者として。
「……死を選ぶか、生き永らえるか。それは君達が決める事だとワタシは考えている。少なくともこの世界ではな。私欲で依頼したマネーや無理矢理甦らせたワタシに、生を強制する事はできない」
「……」
「最低だと思うか」
「いえ。ただ彼女には生きてほしい、そう思っただけです。私には彼女の気持ちがわかるから」
「もし……いや、今それを口にするのは無粋か。一ヶ月後にまた」
「失礼します」
メイド長は丁寧な一礼をして家を出た。
今この建物の中にはローズとネイヴの二人だけ。
互いに干渉はし合わず、一人の時間を過ごす。
「……彼女を帰す前に茶を頼めば良かったな」
独り言を口ずさみ、閉じた本を再び開く。
どこまで読んだかわからなくなった。
普通ならぱらぱらとめくって探す所。
だが今は丁度いい。
ローズの嘆きはまだ止みそうにない。