特権治療
銀蓋を取り外す。
現れたのは色とりどりのサンドイッチ。
野菜や卵ベースは勿論、
ジャムやフルーツといった甘味も嬉しい。
そんな中で何をチョイスするか。
案外こういった場面で
人の性格が現れるかもしれない。
ヴァネッサが手に取ったのは、
生クリームとフルーツのサンドイッチ。
一口で頬張り、口周りにクリームが溢れる。
それを指で拭い舐める。
「うん、美味し」
ローズが手に取ったのは卵サンド。
特に好き嫌いの理由があったわけではなく、
一番近かったという理由でだ。
「ああ……美味しい」
「美味しそうに食べるね〜。こっちのも美味しいよ、ドンドン食べな食べな」
「あ、ありがとうございます」
手の届かないローズに代わり
持ってきた小皿にサンドイッチを盛る。
ある程度食べ終われば一服の時間。
ヴァネッサの仕事である洗濯も
部屋の主人たちが出てこないと取り出せない。
他の使用人が出るまでは、働きたくても働けない。
「コーヒーに牛乳はー?」
「大丈夫です。そのままで」
豆を挽いて作ったコーヒー。
香りが高く、呼吸する度心が休まる。
コーヒーが飲める人間で良かった。
そんな風に思う日もしばしば。
二人はブラックをそのまま一口。
熱く黒い流れが喉を通り
鼻から抜ける香りが極上の一時を生む。
「アタシさ。コーヒーなんて、苦くてドロドロした不味い飲み物だって思ってたんだ」
「そうなんですか。好きになったきっかけとかあるんですか?」
「ふふ、ローズチャンが聞き上手でたーすかる。アタシがコーヒー飲めるようになったのは、ここを出て行った先輩のおかげ……げ? いや、先輩のせいで飲みなれたダナ」
ここを出て行った元患者達。
今まで誰からもその話を聞いたことはなかった。
だが使用人部屋には、過去に誰かが使っていたであろう痕跡はいくつもあった。
その時は『誰かが使っていた』で留まった。
だがこういった場面で不意に思い出すと、
ローズは先輩方のその後がどうなったのか。
それを考えずにはいられなかった。
それが【特権治療】の話に繋がる。
そう直感するのは自然といえる。
「その言い方だと、あんまり劇的な話ではなさそうですね」
「悲劇的ってワケでもないから安心してよ。アタシがここにきて引きこもっていた頃、朝晩と間食の時間に必ずコーヒーを添えてきて。突き返すのも何だからってちびちび飲んでたら、飲みなれたっていうオチのない話」
事を急ぐことはない。
ゆっくりと時間をかけて話していこう。
そう考えていた矢先に告げられた新事実。
ローズは聞き逃さなかった。
「(ヴァネッサさん、引きこもってっ。ダメダメ! 深く考えたらダメッ!)」
「どったのローズチャン、頭ブンブン振っちゃって」
「あーいえ! 何でもないです、何でも!」
「…………あっ。まーたアタシ、意味深な事をサラッとやっちゃった?」
「……はい」
目線を外して小声で応える。
先の前例がある。
ここですっとぼけるのは失礼だと考え。
だが素直になるには話題が重い。
「あーアハハ。まー……そうなんだ。アタシ最初来た時、まだ受け入れきれなくて、部屋に閉じこもってたんだぁ」
「そ、ソウナンデスカー」
何と応えるのが正解なのか。
どういう感情が正しいのか。
それが分からず片言な口調になる。
「でも安心してよ! 笑い話にできるくらいには、もう乗り越えてるから!!」
「四年かかったけどね。出てくるのに」
ダイニングルームの扉から入ってきた人物。
動物のパッチワークがなされたパジャマ。
手にはぬいぐるみが握られている。
しょぼついた目 ボサボサな髪 大欠伸
非常に子供らしい子供。
だがれっきとした使用人達のトップの一人。
執事長のお目覚めである。
「執事長! オッハー!!」
「はいおっはー。新人さんもおっはー」
「おっ、おっはー」
朝の挨拶を交わしたが、まだ眠たげ。
「執事長も食べるー? 甘い甘〜いフルーツサンドもあるよ」
「イイや。僕様、このまま二度寝に直行するし。ここに寄ったのも、相棒を迎えに来たら声がして寄っただけ。ついでに水差しとコップ、貰っていくよ」
普段の顔に似合わない執事服姿より
こっちの方が親しみがある。
執事長らしくはないが。
「それより何の話ヴァネッサ。メイド長や僕様より、ここに勤めている時間は長いから、アドバイス?」
「え、お二人より長く勤めてるんですか!?」
「そだよ」
「そだよって、そんな軽い……」
「ヴァネッサは来て早々に引きこもったからね。働いていない時間は当然【特権治療】外になるから、どんどんどんどん伸びに伸びて」
「アタシくらいじゃないかな。先代と今代のメイド長の下でお世話になったの」
【ヴァネッサ・フルール】
死因:度重なる暴力による撲殺
ヴァネッサの裸を見た時、
誰しも死因は背中の大火傷だと思い違いをする。
だが実際は不特定多数により受けた暴力
『全身打撲』『頭蓋骨陥没』『脳内出血』
『完全骨折』両大腿骨 右上腕 鎖骨 肋骨
『不完全骨折』左前腕 下顎骨 胸椎
その他の箇所に関しても
骨折に近しい症状であった。
「本当だったら引きこもり期間の四年とちょっとで、アタシは退院できたんだけど。まー今更だけど。それよりぃー丁度良かった! 執事長が来てくれて!!」
「話の前後がまとまってない。いきなり抱き付いて、一体何が丁度イイの?」
「特権治療の説明。ローズチャンにして♪ アタシの説明だと抜けがあるかもだし」
「メイド長が説明してなかった?」
「してなかったです! ……多分」
「自信無さげだね。別にどっちかを攻めるつもりなんてないから安心していいよ。特権治療は簡単にいえば、使用人に支払われる、給金代わりみたいなものさ」
【特権治療】
この屋敷で働く使用人には給料は支払われない。
外に出向くことのできない彼らにとって、銀貨や金貨は無用の長物。意味のない品なのだ。
その代わり一年を通して働いた使用人には、
特権治療と呼ばれる給金代わりのシステムがある。
特権治療とはつまり
『自分の怪我を一箇所 無料で治してもらえる』
その権利を特権治療と呼んでいる。
『怪我を一箇所』
あまりに曖昧な括りだが、
怪我の種類及び四肢事と考えてもらえればイイ。
ローズでいうなら四肢の三箇所の修復。
火傷の完治と肌の再生。
ザッとではあるが5年働けば
元の美しい姿に戻る事ができる。
「因みに治療が終わった後でも、働くことは可能だよ。その場合はちゃんと給金が支払われる」
「執事長とか、メイド長も例外だけどそれだよね」
「衣食住完備で払いも良い。ここ以上にいい条件の仕事はないからね。そりゃあ残るよ」
「それに執事長。子供だからね〜〜ヨシヨシ」
「やめてください」
二人が談笑している傍ら、
ローズの頭の中で特権治療の説明が、
ずっとリピートし続けている。
「(治る? 私の体が?? 一年、働けば)」
「(車椅子要らずで歩ける)」
「(利き腕で何不自由のない生活)」
「(火傷を治して包帯からの解放)」
「(元の肌に戻れば、肌のひび割れも)」
「ん? どこ行くのローズチャン」
「……暖炉の管理です。あれから少し時間が経ちましたから、少し見回りに行こうかと」
一年という時間。
焦りや頑張りで短縮などしない。
だが仕事の頑張りで元の姿に戻れる。
そう聞いたローズに談笑なんて言葉は
あまりに不必要で無駄な時間に過ぎない。
「ろ、ローズチャン……」
「あちゃー、メイド長が話さなかった理由コレか。当分はずっとああだろうね。ふぁあ〜……そういえばヴァネッサの特権治療は来週だったよね? その後どうするつもり。残るのかそれとも……」
「アタシは……どうしようかな」




