お休み
湿気を帯びた衣服を着て。
光が漏れ出ぬよう火も灯せず。
上昇する体温と肌寒さに打ちひしがれる。
何より退屈だ。
不安もあるが、退屈が優っている。
次からは本でも持ってこようか。
小脇に抱えられるくらいの本を。
そんなことを一瞬考えもしたが、
学のない男に読める本などあるのだろうか。
そんなくだらないことに思考を費やす。
「(腹が減ったな)」
『小脇に抱えられる』
何の気なしに胸のポケットを探る。
すると豆が一粒だけ紛れ込んでいた。
賞味期限なのか、
深くは考えず口に投げ入れる。
「……」
男が受けた依頼は襲撃とは違う。
襲撃が行われる裏で行う別の依頼を
ボスから直々に下された。
信頼されているからではない。
否、ある意味信頼はあるのかもしれない。
潰れても痛くない人材。
居れば便利だが替えは幾らでもいる。
そういう意味での信頼はあるのかもしれない。
ランクで言えば最低ランクDの次。
Cランク在中のギルドメンバー。
それが男の立ち位置だった。
六年このギルドで心血を注いできた。
だが同期は上へ行き頭を下げる存在に。
新進気鋭の後輩には最早追いつけない。
正直ここ最近はヤケクソ気味だった。
鳴かず飛ばずの人生。
それは当の本人自身が一番理解している。
そんな時、ボス直々に依頼が来た。
依頼内容は
『襲撃する屋敷の内情を探る』
『医者ネイヴに関する情報の収集』
歴だけは達者だ。
ネイヴの名を依頼書で見た時、
目の前にいるボスの正気を疑った。
『受けてくれるな?』
「拒否権なんてなかっただろ、クソッタレ……」
あの場で言えなかった言葉。
それを負け犬みたいに
誰もいないこの部屋の中でポロリとこぼす。
どれくらい時間が経っただろうか。
体感ではかなりの時間を過ごした。
居眠りしそうなくらいに。
時間を指し示す道具は高級品だ。
そんな品を男が持っているはずもない。
「……開ける、か」
再び重い扉に手をやる。
横にスライドさせ、隙間から様子を伺う。
下のホールの明かりは消えている。
完全な闇が屋敷中に広がっている。
少し耳を澄ましてみても、
談笑の声は聞こえてこない。
「……コレより仕事を再開します」
体が入り込めるだけ、入り口を開ける。
体を横にして、スルリと入り
ゆっくりと慎重に扉を閉める。
「ヨシ」
「何がヨシなの?」
「!!!!?」
突然の子供の声。
扉を慎重に閉めねばと考えるあまり、
無防備な背後を晒してしまっていた。
悲鳴をあげそうになった。
咄嗟に口を押さえられたのは偶然だった。
運良く口元近くに手が寄っていたから。
ビギナーズラックというやつだ。
だがそれ以外は酷い。
腰砕けてへっぴり腰。
動悸の上昇 心臓の躍動 滝の汗
裏ギルドの依頼を受けた人間とは思えない。
「(こ、子供?!)」
そこにいたのは子供だった。
子供の声だと認識していたが、
その姿を目視で確認して確定した。
パジャマ姿の子供だ。
身長も尻餅をついている男と目線が同じくらいだ。
ぬいぐるみの手を引いている。
「オジサン、だあれ?」
「え、あっ! ……おじ、おじさんは。その……」
不意の出来事に言葉が出ない。
何を言えば怪しまれない。
どうすればこの場を切り抜けられる。
それとも諦めて手にかけるか。
「あっ! オジサン、昨日入った新人さんでしょ!」
「えっ?」
「違うのー? 昨日ネイヴ先生が、新人さんを新しく雇ったって僕さっ。……僕、聞いたよl?」
「そ、そうなんだよ! オジサンは、新人さんだ! ネイヴ先生にその、色々あった。ね!」
渡りに船とはこのこと。
男は子供の勘違いに乗っかった。
「やっぱり! じゃあオジサンが、その部屋の新しい住人さん?」
「そう、そう、そうだとも! 私がこの部屋の新しい住人さ! ……! ベッド! そうベッドがいつものと違うせいで寝付けなくてね。ちょっと歩こうかなって、出てきた所なんだ、今!」
「ふーん……そうなんだ」
相手は子供だ。
多少疑われようとどうってことはない。
むしろこの状況は男にとって好都合。
子供を懐柔して情報を得るだけでなく、ネイヴの寝室までの案内や、いざという時には人質としても有用だ。
「き、君。ちょっと聞きたいことが……」
「ハイ、チーズ」
突然向けられたぬいぐるみの口から
霧状の何かが噴出して、顔全体にかかる。
「うわっ!!? な、なんだ、コレっ、???!?!」
飛沫を顔に吹きかけられたら。
手のひらを開いて拭こうとするだろう。
それが当然の行動であり、無意識の行動だ。
だが男の手のひらは半開きだった。
指も曲がっていて、その形は拭くというよりも
『掻く』に近い。
「い、痛い痛い痛い痛い!!!! 目が、目が焼ける!? 肌、ははっは肌が?!?!? お、おええええ!!!!」
眼球が痛い眼球が痛い。
涙が止め処なく流れて目が見えない。
眼球を取り外してヤスリで拭きたい。
肌が痒い肌が痒い。
爪を立てて掻かないと意識を保てない。
全身を炎で焼いて痒みを止めたい。
臭い臭い臭い。
鼻の奥で汚物をされたのかと思う程に。
両の穴にホースを突っ込み水で流したい。
「止めてくれ止めてくれ止メテクレ!!!! 耐えられないいい、耐えられないッッ!!!」
「二階から侵入してきたから、下調べをしてきた手練れの侵入者かと思ったら。とんだ下っ端三流クソオヤジを寄越したもんだ。何処の差金だ? お前の依頼人は? これくらいの耐えて見せてよ、大人でしょ?」
先程の子供の声だ。
だがその口調は子供らしさのかけらもない。
見下し舐め腐ったような言葉使いと口調。
大人として叱るべき。
だがそんな感情よりも、
子供の台詞を聴覚が認識するよりも、
男は今ある地獄に悶え苦しんでいる。
「……そろそろかな。どーでーすかっ。少しは和らいで、気持ちよー苦なってきたんじゃないですか?」
何度も言うが、
男には聞いている余裕はない。
だが言葉通り
痛み痒み臭気はどんどんと和らいでいく。
後遺症の吐き気と破れた皮膚の痛みは残るが
それでも根本的な痒みや臭みの減少を確かに感じる。
と同時に今度は急激に眠気に襲われた。
脚に力が入らない 脳に霞がかかる
おかしな思考が脳内に流れる。
この思考はアレだ。
眠る寸前のボケた意識によく似ている。
「(雪山に聳える塔から落ちたとしても、空飛ぶベッドを使えば、落下の衝撃を抑えられる。今重要なのは追いかけてくる四足魔物から逃げることだ。あいつは俺の花嫁を花婿にしたがっているから、逃げない……と……)」
眠る瞬間には後遺症の苦痛も忘れていた。
そして自分の使命や置かれている危機的状況すらも。
やだ穏やかな眠りへと堕ちていった。
その表情は非常に安らか。
握っていた魔石がコロコロと転がり、
一階へと落ちて砕け散った。
「ツンツン、ツンツン。寝た? 寝たなら挙手!」
ぬいぐるみの手を使い確認する。
そんなことをせずとも寝息でよくわかる。
「ご苦労、執事長」
「あ、先生」
【ダリア・ダイアル】 役職:執事長 本名:開示
今年で十歳になる切長目の少年。
身長は120cm前後 髪型は茶髪のセミロング
性格は非常に子供らしく好奇心旺盛。
特別な才能を持っているというワケではなく、ただ男性の中で最も歴が長かった為、執事長の位に格上げされた。
心臓を剣で三刺されたのが死因。
元は貴族の家で生まれた『存在しない双子の片割れ』
素性を隠さない理由がないからという子供っぽい理由。
自分から吹聴はしないが、聞かれれば素直に答える。
こだわりはぬいぐるみ。
『魔ぐるみ』という店が作っている品以外受け付けない。
常に大ぬいぐるみ一体か子ぬいぐるみ数体を持ち歩いている。
一番のお気に入りは、今手に持っている魔熊のサンダー。
担当は『二階関連』『警備』『付き添い』
ネイヴが蝋燭片手にやって来た。
夜も遅いというのに
寝巻きではなく白衣姿のままで。
「念の為に警戒してたけど、わざわざ僕様のサンダーを使わなくてもいいレベルの相手だったね」
ぬいぐるみの背中にはチャックがある。
チャックを下げて中を探ると
薬物の入ったスプレー缶が出てきた。
「洗濯カゴに入れてとこ。流石に抱いて寝れないや」
「お疲れ様。今回の働き、他の三人も含めて何かしらの褒賞は出すつもりだ。大したものは出せないがな」
硬い口調で話す。
おもむろにダリアの頭を撫でる。
「僕様は頭を撫でていいなんて許可出してないんだけど? それより僕様のご褒美は新作のぬいぐるみにしてよ。サンダーの出身と同じ店の新作をさ」
「分かった。次に外出するタイミングで」
「ダメダメ、ネイヴが買いに行ってよ。男一人でさ。辱めを受ければいいよ。シシシっ!」
小悪魔みたいに笑う。
ネイヴはポケットから懐中時計を取り出す。
時刻は深夜を回っている。
「改めて今日は助かった。明日は休日にする様、メイド長には伝えておく。おやすみなさい」
「まだ寝ないよ? このまま下にいる三人のところに合流して夜更かしする。僕様だってもう二桁の年齢! 夜更かしくらいでき……でき嗚呼〜〜〜……」
「お休み」
「……は〜い。おやすみなさいです」
ダリアは二階の階段を降りていく。
ネイヴは眠った侵入者を引きずり、
部屋の中へと消えていった。




