第二の人生
風呂上がり。
用意されていた牛乳を一本。
ローズの心持ちは晴れ晴れとしている。
メイド長に身体を拭かれ、
魔石を使った道具で髪を乾かしてもらった。
少々の小っ恥ずかしさを覚えた。
がそこまでだ。
風呂に入る前に感じた惨めな感情。
そういったものは一切、消え去っていた。
風呂場から出て玄関ホールへと戻る。
この場所がこの屋敷の中心であり、
基本的にどの部屋にも通じている。
迷ったらここにくればいい。
「あ、いい香り」
コーンの香りが漂う。
甘い香りが食欲をそそる。
「今日は貴方の歓迎会を兼ねているから、豪勢な食事が用意されてるわ」
「あ、ありがとうございます」
「ふふ」
メイド長が微笑んだ。
常ににこやかな表情をしているのに、
微笑んだどうこうは間違っている気もするが、
ローズは彼女が笑ったと思ったのだ。
「? 何か変ですか?」
「いえ。さっきまでの貴方なら、ありがとうじゃなくてゴメンなさいっていうと思ったから。お風呂って、やっぱり偉大だなって思っただけ」
本人にその感覚はない。
ただ気分が高揚しているのは確かだ。
少なくとも、風呂に入る前よりは。
ローズの腹の音が響く。
実はコーンの匂いを嗅いでから、
仕切りに腹を捩り音を抑制していた。
だがもはや限界。
わがままなお腹は雄叫びで主張する。
「もう待ちきれないみたいね」
「アはは……は、早く食堂に……」
「ハイハイ、新人さんは食いしん坊ね」
───── ダイニングルーム ─────
広い。
ダイニングルームを初めて訪れた感想は、
その一言に尽きる。
この屋敷にいる人の数に見合わない広さ。
急に何十人の来客が訪れようと、
余裕を持ってこの場所にお連れできるほどのスペースは確保されている。
コの字に並べられた長机。
多過ぎて壁に寄せられたアンティークチェア。
銀細工のキャンドルスタンド。
上席の背後には暖炉も配置されている。
「皆、今日の主役の登場だ。迎え入れてやってくれ」
この屋敷に来てから。
否、ネイヴからしてみれば戻ってきてから、
病院にいた頃の淡々とした雰囲気が感じられない。
相変わらず笑顔は見せないが、
声の質が柔らかくなった。
「あ、あの……」
ローズの口から出そうになったのは謝罪。
待たせてしまった可能性に対する謝罪。
だがそれが口に出る前に
寸前のメイド長の会話を思い出す。
『さっきまでの貴方なら、ありがとうじゃなくてゴメンなさいっていうと思ったから』
「……いいお湯でした!」
謝罪の言葉を口にするくらいなら、
感謝の気持ちを口にした方が皆幸せだ。
そしてそれに対する皆の表情。
それはとてもにこやかで穏やかだった。
「良いネ良いネ、来た時よりだーいぶいい顔になったね。気合いを入れて風呂掃除した甲斐あったネ、姐さん?」
「別に気合いなんざ入れてねぇよ。普段通りに掃除しただけだ馬鹿野郎」
「間食忘れて、ギリギリまで掃除してたジャン。姐さんが間食しないって、かなり相当っ」
「黙れヴァネッサ。それ以上口を開くんなら、口じゃなくて、贅肉掴むぞコラ」
メイド二人が織りなす喧騒劇。
ローズはそんな二人を見ていると、
村の子供達のことを思い出す。
「申し訳ない。あの二人はいつもあんな感じで」
「え、あ! いえ、そんな! 大丈夫です‼︎」
ローズの言葉がしどろもどろになる。
理由は話しかけてきた執事の格好だ。
執事服を着ている。
手袋もして、背筋もピンとしている。
非常に礼儀正しく、好感が持てる。
だが一点。
食事時だというのに、
男はアーメットの鉄兜を装着している。
それ以外は完璧な執事なのだ。
ただ一点だけ。
ボコボコのアーメットを除きさえすれば。
「賑やかでいいじゃない? それに無理に初日だけ取り繕っても、どうせすぐにボロは出ると僕様は思うよ」
「執事長……皆が席に着く前に、バケットを齧らないでください」
まるで平民の食卓。
皆が皆、好きなように話し合う。
礼儀作法などクソ喰らえと言わんばかり。
そもそも使用人と家主が同じ卓を囲むこと自体
本来であればおかしなこと。
そんな常識的なことを考えていると、
ふとそんな考えがバカらしくなって。
「アハハ!」
「いい顔いい顔。そっちの方がいいよローズチャンは」
「暗い顔したって良い事なんてないんだ。だったら馬鹿みたいに笑っとけ!」
「やはり女性には笑顔が似合う」
「男の笑顔も捨てたもんじゃないよ。てな訳で、その兜外しちゃわない?」
「見せません」
「非常に賑やかで非常に結構。だが……」
ネイヴが手元に置かれたベルを鳴らす。
すると全員、思い出したかのように席に戻る。
雨音が支配する世界。
他に聞こえてくるのは、
ローズの車椅子を押す車輪の音だけ。
「皆、改めて紹介するが。今日からここで働くことになったローズ・ロール君だ。皆、仲良くしてやってくれ。同じ境遇を持つ友として」
ネイヴがグラスを掲げる。
それに合わせて、
他の使用人達もグラスを掲げる。
ローズも見よう見まねで掲げた。
「……さあ食べよう。今日は歓迎会、無礼講というやつだ。秘蔵のワインも開けた。遠慮なく飲んでくれ」
「ネイヴ気が利く〜」
「その一杯で終わりですよ執事長」
「ッカー! 高い酒は味わい深いねェ!!」
「一人だけグラスじゃなくて、ジョッキで飲んでる……」
「ローズさん、お酒は?」
「た、嗜むくらいには!」
賑やかなで垣根のない食事。
この後のどんちゃん騒ぎは、
想像に難くないだろう。
ネイヴのワイン樽がいくつも空になった。
明日からここでの仕事が始まる。
さっきまで不安で一杯だったローズ。
しかし今は、一抹の不安すら抱いていない。
何の仕事を任されるのか。
部屋の位置やルール。
他の使用人の名前さえ知らない。
覚えなければいけないことが山盛りだ。
不安なんて覚えている暇はない。
今は高いワインでも飲んで
今日という出会いの日を存分に楽しもう。




