第86話 大虚鳥は滑稽劇を歌い 5
宴が続く中、奥へ引っ込んだスサーナは、着替え用にと割り当てられた厨房の横の食料庫の片隅で囲まれて叱られていた。
「おかしなことをされそうになったら! すぐ鳴らせと言ったでしょう!!」
「ええそうですわ、とても危ないところでしたのよ!」
「ええ、その、多分、腰に手を回されたぐらいでも鳴らしてよかったと思うのだわ」
気色ばんで怒るレミヒオとマリアネラ。ちょっと勢いが劣っているのがレティシアだ。
――いや、うん、ええ。はっきり非合意の形をとりつけてからでないと冤罪感がつよくて申し訳ないかな、と思って……
スサーナは内心言い訳するが、完全に現代人めいた倫理理由なので伝わらない気がしているし、口には出さなかった。第一嵌めたという点では一点の差異もない。
「まったくもう、無事に終わったから良かったようなものの。こんなことならメイドに聞いた内容なんか信じないで横の部屋で待機しているべきでした」
「メイドさんに聞いた内容……ですか?」
首を傾げたスサーナにレミヒオは気まずそうにああ、と言った。
「その……閨ごとがどういうことを指すのかスサーナさんがご存知かどうかわからなかったので……」
「ああー。そういえば聞かれました。ご夫婦が子宝を授かるために何をするか知ってるかって聞かれたの、何だったんだろうと思っていたんですよね」
「そ、そんな聞き方だったんですか!?」
「ええ。知ってますよとお答えしましたけど」
こっくり頷いたスサーナに、レミヒオが額を手で抑えて首を振った。
「危なかった、本当に危なかった……」
――いやあ、言わんとする所はちゃんと判ってますので大丈夫なんですけどね!
事によるとこの中で一番詳しい可能性すらある。そう思いながらスサーナは黙ってにこにこした。
「えっ、同じ寝台に入ってフォロスにお祈りする…… ことですわよね? 今の質問が乱暴となにか関係が……」
レティシアがきょとんとしてぽろりと口に出す。ぱっと横を振り向いたマリアネラがなんとも曰く言い難い顔をする。
――あっ本当に知らない人だ。
乱暴、とかみだらなこと、についてはなんとなく判っているような物言いをしていたけれど、多分その辺のふんわりした「されてはいけないこと」のイメージと実際のあれこれとが繋がっていないのだろう。その純粋さ、大切にしてほしい。多分然るべき時期に誰かに教えてもらえるんだろうし。スサーナはそう思いながらさあーと曖昧に首を傾げる。マリアネラとレミヒオが気まずいような困ったような顔をした。
「そ、そういえば!」
一瞬の沈黙の後マリアネラが声を張り上げた。
「スサーナの周りで光っているそれ、消えませんけれど、どうしたらいいものなのかしら。わたくし達が触ってもなんともなかったですけれど、ベルガミン卿は跳ね上がったのでしょう?」
おお、そういえば、とスサーナは自分の周りを見回す。非常に助かったものであるけれど、他の人を跳ね飛ばすようだと困ってしまう。第三塔さんのすることだしそのあたりの選別は出来ている気がするスサーナだったが、予断で行動して被害が出たらあんまりよくない。
「そういえばどうするものなんでしょう。えーと、魔術師の人に頼んでハンカチに障壁を貼る術式を使ってもらったんですけど」
「まあ、魔術師にですの? ほんとに島には魔術師がいるのね」
「見せてもらえますか。」
話題が変わったことにあからさまにホッとした顔をしたレミヒオが手を差し出した。
「えっと、これです」
スサーナがハンカチをレミヒオに渡すと、その瞬間にパッと体の周辺を覆った膜状の光が消える。
一瞬眉間を寄せたレミヒオがハンカチを覗き込み、何やら納得したように頷いた。
「ああ、なるほど。持っている人に危険があったらしばらく発動する、とそれだけなんですね」
「えっ、わかるんですか!? 詳しいんですねレミヒオくん!」
「少しは見たことがありますから。 ……ハンカチに書き込みがあるでしょう、銀の文字で、硬くなっている部分。これが銀インク。ここに少しだけ魔力が通っていたはずです。他に魔力溜めがないので、一回こっきりの術式付与品ですね。僕に渡したので消えましたが、そうでなくてもそこまでは保たなかったはずです。」
「ほへー……そういう仕組なんですね。なんだかちょっと」
漂泊民の魔法に似ているような、とスサーナは思ったが、流石にレティシアとマリアネラがいたので口に出さなかった。しかし、意図はレミヒオに伝わってはいたらしい。
その後スサーナが着替えるために女の子たち二人が先に出ていった後、少しあとに残ったレミヒオがちょっとぶすっとした口調でハンカチを示して言った。
「似ていませんよ。」
「はい?」
「さっき、糸の魔法に似ていると思ったでしょう。」
「ああ、はい。ちょっと。」
「全く違います。魔術師の魔術は術式通りのことしかさせられませんし、術式を読み解かれれば何をするつもりかわかってしまいます。比べて糸の魔法は掛けたものが何をさせたいかで何が起こるか変わる、本当の魔法ですから。」
「ほへー……」
確か昔、エウメリアも似たようなことを言っていたなあ、と思いながらなるほどすごく便利さが違うんですね、と頷けば、レミヒオは満足そうに頷いて部屋を出ていった。どうやらそれを言うためだけに少しあとに残ったらしい。
なるほど鳥の民はそのへんで魔術師と仲が悪いのか。スサーナはふんわりわかったような気分になりつつ、どっちもすごく便利なんだけどなあ、と思った。むずかしい。
そのあとはスサーナは宴席が終わるまで奥で休んでいい、ということになった。
顔布をしていたから容姿なんかは招待客たちにはわからなかっただろうが、同じ体格の女の子は使用人にはいないので、また宴席に戻れば注目を浴びてしまうだろう、というセルカ伯の気遣いだ。
レミヒオはまたセルカ伯のお付きに戻り、主催側とはいえ参加者なので途中で席を辞してもいいレティシアとマリアネラがスサーナと一緒に奥に戻ってきて、本土から来たお客におみやげに貰ったという、超最新の――なんと月内の発行だという――恋物語の写本のつつみの封を空け、台所からすこし掠め取ってきたいちご水をカップに注いで、ちょっとした祝宴ということに相成った。
「乾杯ー!」
グラスをそれぞれ掲げて一口。
「ふふ、マリ、マリ、おめでとう! さあこれであの方婚約だなんて寝ぼけたことを言っていられなくなりましてよ! 何日で破談の申し入れをしていらっしゃるかしら!」
レティシアがわるいかおではしゃぐ。
「ああ、嘘みたい……。これもスサーナのおかげですわ。ねえスサーナ、ありがとう。あなたが手伝ってくださって本当に良かった」
「いいええー、いいんですよー。あの人は私も気に入りませんでしたし! 意趣返しみたいな……ええ、そういう部分もありますし!」
カップを抱きしめて涙ぐんだマリアネラの背を二人でぽんぽん叩いたり抱きしめたりしてねぎらい、それからレティシアが大判の写本をマリアネラの目の前に据えた。
「さあマリ、あとはクラウディオ様をどう籠絡するか研究ですわ! もう充分必要ない気も致しますけど、次にお会いする時にあっと言わせて差し上げましょう!」
「レティ様、あの、わたくしそんな……」
「あら、じゃあマリはクラウディオお兄様のこと嫌い?」
「……ぃぇ、それは……」
さっと頬を染めたマリアネラにスサーナはうふふいいねいいねと笑顔になった。他人の恋路は嫌いではないのだ。12歳ぐらいの女の子が初恋に悩む様であるので特になんというかこう、人生の妙味が感じられて微笑ましい。彼女たちの事情は現代日本の12歳女子一般とは違ってなかなかハードなわけだけれど。
「スサーナさん、スサーナさんも一緒に読みませんこと! この写本は原本が出たばかりだそうですのよ! ほんとの最新ですわ!」
きゃっきゃと手招きされて、真ん中にマリアネラを捕まえて見始めた写本は、うるわしい若い遍歴戦士が魔獣退治に赴く際に、彼を密かに想う、といっても直接面識がなさそうな乙女に靴下止めをもらう話で、スサーナにはやっぱりだいぶ理解がふんわりと遠い一品なのだった。
わからない。首をかしげるスサーナを他所に女の子たち二人はきゃあきゃあと頬を染め、なにやら際どいものらしい恋愛描写に盛り上がっている。
「靴下止めを渡されるって、よくわからないんですけど……どんな意味が?」
首を傾げたスサーナにうっとりした顔のレティシアがまあ!と首を振ってみせる。
「スサーナさんはおくてですのね! 恋愛物語で男の方に渡す思いを伝えるものといえば、ハンカチ、リボン、そして靴下止めですのよ! 」
いやあ、奥手度合いは多分レティシア様よりマシなんじゃないかな、そう思うスサーナにマリアネラが非常に恥ずかしげな声で注釈した。
「ハンカチ、リボン、靴下止めの順番で意味が重くなりますの、再会した時に付けていただく、っていう願いを込めているっていう……」
途中で頬を抑えてきゃあきゃあと首を振る。
――レミヒオくんの考案した足首に鈴といい、足、そんなになんらかの性的要素があるものなんでしょうか。ぜんぜんわからん。
描かれた靴下止めはハイソックスとかではなく、ふくらはぎの半ば……足首の少し上で留めるやつなのだ。
太ももぐらいならまだしもともあれ、とスサーナはわかるようなわからないような気持ちで首を傾げた。
ちょっとした女子会は宴席が終わって他の皆が上がってきたのを契機に終了。こんど服を見に行ってその際に靴下止めを買いましょう、ということになった。
当然のように誘われたスサーナはちょっと悩み、まあいいかと了承する。実はそこまで親しいおつきあいを続けるつもりはスサーナ自体にはなかったのだが、お嬢様たちはもう完全にうちの子扱いで、断るのも悪いように思ったのだ。
――アンジェたちに話したら……羨ましがって物語を借りてきて!って言われるやつですね。フローリカちゃんはどうかなあ。
なんだかこの臨時侍女ばたらきが長期化しそうな気がしはじめたスサーナは、お友達たちにベルガミン卿の事抜きに貴族のお嬢様二人と親しくなった経緯をなんと説明するかをかんがえはじめていた。
そのあと帰り支度を済ませ、最後にセルカ伯と奥方に恒例の挨拶に行ったスサーナは、なんだか難しい顔のセルカ伯に呼び止められた。
「ああ、済まないが、明日昼出て貰っても構わないだろうか、少し頼みがあってね……」
スサーナはとりあえずうなずく。宴席の終わった次の日は後片付けで入ることになっていたし、事態のほうの後始末でもなにか必要になるかもしれないと思ってはいたからだ。
「はい。会場の後片付けでしょうか。それとも、なにか証言をしたりとか……」
「いや、そういうことはこちらで済ませるから大丈夫だよ。そうじゃなくてね……」
セルカ伯はなんだか困ったような顔のままで顎を掻いた。
「案内をしてもらいたいんだ。君と……同じぐらいの年頃の子供でね、保護者が明日こちらで話があるものだから。観光案内をね。……勿論他にあちらの従者もつくし、娘たちも同行させるつもりでいるんだけれど、構わないかい。」
「はい。」
よくわからないながら、セルカ伯と彼が本土から連れてきたほとんどの使用人たちよりかは島に詳しい自信のある島っ子のスサーナは違和感もなく頷いた。
「よかった、行ってくれるかい。」
セルカ伯はほっとしたように微笑み、じゃあ頼むよ、小遣いはこちらで出すからね、と戯けてみせた。
その日はその後は何事もなく、スサーナは何食わぬ顔でお家に帰り、ちゃんと宴席のお手伝いをしたとだけ言って、明日に備えて寝ることにした。