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第82話 大虚鳥は滑稽劇を歌い 1

 諸島に隠遁した、と言われていたセルカ伯が居住地でパーティーを開くという知らせは国内の貴族たちにおおむね好意的に受け止められた。


 位こそ下級ながら才覚と如才なさで幅広い人脈を持つ彼は社交の場ではそれなりな名士の扱いであったし、なによりある種の趣味人たちの間ではトレンドセッターとして名高い人物であったためである。


 彼が本土に残していった後継者である長男はそのあたり実直な人物であり、新奇で社交の場の話題にのぼるような風変わりな宴を開くことは二年の間一度もありはしなかった。

 そこにこの度の知らせである。これまでも島中ではうちうちの宴を開いていたようではあったが、島の外にまで招待状を送ることはこれまでなかったことで、好事家を名乗る貴族たちは皆躍起になって招待状を手に入れたがった。


 もちろん、招待状は慎ましく彼と同格までの貴族に送られたものだったし、うちうちでの宴、しかも急な開催ということで、近隣にしか送付されなかったのだが、「()()」としての参加を望むものによって価値が高騰した、という話は社交界では話題の種として囁かれることになった。



 そうこうして当日、招待の幸運に預かった島内の下級貴族たち、誰かの「代理」として幾分の対価を払い、取れる手段を尽くして開催に遅れずに列席の栄誉を得た好事家たちは夕刻に彼の屋敷に訪れた。


 セルカ伯の町屋敷はヴァリウサ一般の様式に従い、優雅な二面階段と馬車停めを備えてはいるものの、飾り気のない玄関扉がまず客を迎えた。


「これは望み薄ですかな」

「まあ、このような場所ですからね」


 囁き合いながら従僕に玄関を開けさせた者たちは、一歩中に入って息を呑む。

 玄関ホールには色ガラスのランプと吊香炉がいくつも下がり、正面の壁はグリスターン風のタペストリで覆われていた。

 複数の水盤が置かれ、そこには香りの強い花が満載されている。天井から下がる明かりは光を抑えたもので、目線の高さは薄暗い。

 しかし一体どのような仕掛けか、たしかに水を張り生き生きとした植物が満載された水盤の中がロウソクの色に光り、ホール中の足元に淡い光と複雑な影を満たしていた。


「招待状を拝見いたします」


 声に振り向けば、壁際に控えていた侍女が招待状を確認に近づいてきたらしい。

 眼の前までやってきた侍女に招待状を渡そうとした貴族はまた息を呑む。侍女の髪は黒く――まじまじと見れば黒いカツラであることは見て取れはした――|足のシルエットのわかる《筒状に下部の別れている》グリスターン風の下履き(ズボン)に肌もあらわな上衣を身に着け、あえかな光を鈍く跳ね返す金属の飾りをまるでその腰や首の細さを想像させようと言わんばかりに幾重にも巻き付けていたのだ。


「おお、これは……」


 見渡せばホールに居る侍女の全てはその装いであり、歩むたびに、水盤から散乱する光が上衣の隙間から覗く白い腹に複雑な陰影を浮かばせ、際立たせていた。


 その光景に飲まれたまま女たちに案内されて会場へ進む。


 会場に入れば、そこはすっかりグリスターン風にしつらえた広間であった。

 床には厚い絨毯が敷かれ、丈の低い寝椅子には丸いクッションが載せられて客が座れるようになっている。


 明かりは玄関ホールよりかは強く、居室を見渡せるほどであったが、天井にはごく薄い生地の色に染めた絹布が弛ませながら張り結ばれ、かの国の奥の間を思わせつつあからさまな光を遮っていた。


 銀盆に載せた簡単な飲食物を客に勧める使用人たちは男も女も黒髪を装い、グリスターン風に装身具で飾られているようだった。特に女たちは案内の侍女たちと同じにグリスターン風の奇妙な衣装をまとい、鼻から上を薄物ですっかり覆い隠し、黒を装う髪には金属の飾りをきらめかせ、貴族たちの目をいやがおうにも惹きつけた。


 奥で招待客たちに挨拶をするセルカ伯の側には年端も行かぬ少年と少女が一人ずつ侍り、彼らの小柄さに合わせたおもちゃのような手押し車を伴い、挨拶を済ませた順に客に小さな玻璃の脚付盃に満たした甘い酒とスプーン・スイーツ(グリカ・クタリウ)をそれぞれ渡していた。


 もちろん彼らも黒を基調としたグリスターン風の衣装で揃えられ、黒髪を装った頭にはいっそ鮮やかに見える白い花を飾り、セルカ伯が客を迎えるたびに双子のように膝を曲げた礼をして、黒で揃えた薄布を優雅に翻らせる。

 酒を捧げる少年の所作は美しく、ときに流れるようで、体はある種の獣めいて均整が取れていた。次いで慎ましく菓子を差し出す娘は挙措は端正で慎み深く、黒衣に映える肌は白く華奢で儚い。

 それぞれ布に隠れた顎のラインは麗しく、大人と揃えた要所の肌を見せる衣装と相まって倒錯的な美を醸し出していた。


 広間の奥にはヴァリウサに一般的な中庭があり、その扉も開かれていたが、中庭の木々にはすべてグリスターンを思わせる金属と色ガラスの小さなランプが数知れず結ばれ、香が炊かれ、異国の曲調で八弦琴を掻き鳴らす楽師たちが控えているようだった。


 貴族たちを感心させたことには、広間の楽師はグリスターン風にアレンジしながらも彼らに馴染みある音楽を演奏し、中庭の楽師たちは異国情緒あるものを爪弾いていた。菓子も酒もどうやらそのように階調されているようであった。


 それら会場全てに点在する小テーブルには思い思いの美術品が飾られていたが、それもまたそのすべてがグリスターンに由来するもの、もしくはそれを思わせるものであり、彼の今回の趣向を示す。特に見事なものは羽を広げた孔雀を模した輝石の彫刻であり、それは中庭の中央を睥睨するように飾られている。


 一事が万事そんな具合であり、貴族たちはセルカ伯の開く宴がまたしばらくは社交の噂を攫うだろうと確信するのだった。





 ――いやあ、短期間で本当によく格好がつくものですねえ。

 セルカ伯の横で優雅な礼を繰り返しながら、スサーナはそんなことを思っていた。

 前々から企画していたにせよ、一週間かそこらで宴席の準備ができるものだろうか、と思っていたのだ。特にそれが美術品を見せる、というのなら特に。

 簡単に集められるものでもないだろう、と思っていたのだが、パーティー会場には見事に美術品が並べられ、招待客の目を楽しませている。


 ……開場前にスサーナがそう述べたところ、セルカ伯はいたずらっぽく片目をつぶって

『いやあ、広間に置いてあるのは実は皆二束三文のものなんだよね』

 そう言った。

 なんでもグリスターン様式であっても、いわゆる「実用品」「レプリカ」をそれらしく飾ったものだという。

 もちろん彼自身が目利きして完成度や風合いを気に入って買い求めたものなので人の目を楽しませる自信はあるというのだが、買っては奥さんに叱られて奥にしまい込まれていたやつをみんな出してきたんだ、と楽しげに笑われたスサーナは人のご家庭のご事情に微妙に遠い目になった。

 ――あ、海賊市のレプリカ品、そういう。


 宴席にはハッタリが大事だからねえ、と笑ったセルカ伯ではあったが、いくつかは価値の高い美術品もあるのだという。

 そういうものは明るくしてある中庭に皆飾ることにしたんだよ、明るいと細部まで見えるからボロが出やすいし、と言ったセルカ伯に、スサーナはははあ商業の才覚、となるほど納得したのだった。


 ところで、話を聞いていた奥方が見事な微笑を浮かべつつ、ねえ貴方、私見たことがないものがあるようですけれど、と言ったとたん楽しげに笑っていたセルカ伯がさっと目をそらしたので、微妙に終わってからのことが心配になったスサーナである。


 暗くした部屋も、薄暗く、普通ではない色合いのガラスを通した光も、布を多用した飾り付けもどちらも安価で豪奢に見せやすい演出だ。


 いくつか値を張り込んだのは効果的に数カ所で使った術式付与品アーティファクトの明かり――とは言うものの、島の中でなら高価ではあるが手の届かない値段ではない――ぐらいで、後は一度使ったものを手直ししてと直前に買い集めた調度をそれらしく調整したもので出来ている、という。


 本来なら値の張る大きな絨毯も、グリスターンの色であるバラ色と緑と黒を要所にあしらった、と思わせておいて、その主目的は小さめの絨毯を張り合わせることにあったりする。


 料理や酒も、本格的に手に入りづらい香辛料や材料を取り寄せたものはほんの少し、中庭周りで供することで、趣向のように見せつつ値を抑えている。


 あんまり馴染みのないものはパッと美味しく感じないものだしね、同じ値段なら島の市場で新鮮なものを揃えて誤魔化そう、なあに大きさや形が悪いものでも味さえ良ければ十分、運のいいことにグリスターンは原型が残りづらい料理が多い。とはセルカ伯の言だ。



 安価に宴が開けるのは奥方もご機嫌麗しくいいことだ。しかし、ちょっと疑問に思ったスサーナが、


「でも、本当の目利きの人が来たらどうされるんですか? レプリカだと気付かれてしまったら良くない噂になりませんか?」


 と聞いてみたところ、セルカ伯は


「それこそそういう趣向のパーティーだと思っていただけるのじゃないかな」


 と肩をすくめて笑う。

 真物の置き方やらも工夫し、日用品やらレプリカも飾る際に癖やら傾向を揃えることなどをしているために、趣向と十分言い切れるという。妙に真贋を言い立てるほうが野暮天ということになるわけだ。


 ――この人、貴族をやらせているより実業家か演出家のほうが天職なんじゃないかなあ。

 現代人の経験のあるスサーナはそう思った。


 しばらくして、招待客もだいたい出揃い、スサーナとレミヒオはセルカ伯の両脇に並ぶ仕事から開放された。


 これからしばらくは他の使用人たちに混ざって客に飲食物を供し、頃合いを見て目的を果たす。そういう手はずになっている。

 そのために、これ見よがしに中庭から行ける数室を一休みできるようなしつらえにしてドアを開いてあるのだ。

 ……とはいうものの、中庭周りの小部屋――諸島には一般的な――が数室空いているのをいいことに、それぞれに壁に布を貼り、留め具の目隠しに花飾りを飾り、絨毯に寝椅子と低い座卓、差し向かいのクッションを置き、水差しと干し菓子、小瓶の酒などをそれらしく置いただけの場所だ。もちろん普通の歓談に使うものもいるだろうし、そういう建前で用意されている。本来は世間的にもそのような用途のはずだ。寝椅子もさほど広くはないし、ブランケットその他があるわけでもなく、別にスプリングが効いている、というようなこともない。……ベッドスプリングはまずどうも存在しなさそうであることだし。


 ……全然えっちくないなあ、と思ったスサーナだったが、下準備の際に部屋を見たマリアネラが()()()()()()()()()()()顔を覆い、赤面した挙げ句そのまま比喩抜きで気絶しかけたので、そこは出身世界と年齢層でちょっと意見が変わるところなのかもしれない。



 スサーナは客の間を見渡し、他の招待客を捕まえては楽しげに大声で喋っている様子のベルガミン卿を目にして、ポケットの中の防犯ブザーを服の上から確認してそっと気合を入れた。





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