表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/108

第78話 奇禍と僥倖のあいだ 3

 そして、二日目は何事もなくすぎていった。

 というよりも、ベルガミン卿のほうで()()()はあったのはわかるのだが、スサーナには詳細が察せなかった、というべきか。

 午後遅くになり、日が傾いてきたぐらいに泡を食ってやってきた召使いの話を聞いて、ベルガミン卿は何やら慌てて視察途中の席を辞し、急いで何処かへ出掛けていったのだ。

 ――やったあ!

 そろそろ頬も精神も疲れ切っていたスサーナは内心快哉を叫び、それはそれとしてマリアネラの使用人たちも、昨夜の話を聞かされてはおらぬらしいセルカ伯の使用人たちもぱっと雰囲気が明るくなったのを見て取る。

 どうやら家人たちにも基本的に好かれてはいないようだった。


 レミヒオは内心短く息をつく。

 どうやら術式付与品の保管所に行っていたらしいベルガミン卿の使用人がヨドミハイのことを発見したようで、急ぎ報告にやってきたのだ。

 それを聞いたベルガミン卿は驚愕し、セルカ伯に適当な言い訳をして急いでそちらの方に向かったようだった。

 青天の霹靂、というところだろう。特に、中で魔獣が魔術人形と交戦して死んでいる、という事態ともなれば、他の貴族が点検に来ないとも限らない。

 つまり、彼が中に持ち込んだ術式付与品が目につく可能性がある、というわけだ。


 ……実のところ、もう発見されているし、内密にリスト化もされていることだろう。

 昨夜遅くのレミヒオの闇取引をしているらしいという報告で、もちろん付与品保管所の鍾乳洞にも人は向かっている。


 レミヒオ(ヨティス)は、異常を感づかれるかもしれぬと多少警戒はして報告に同席していたが、結局その心配はなかったようだった。


 セルカ伯は魔獣がいるという報告から違和感なく事態を受け入れたようだったし、使用人たちは帰路に見かけた、細部まで腑分けされた魔獣の死体がきっちりと並べられて、一部は結晶化し一部は崩壊し、それを使役体がせっせと回収しているという光景――どうやらあの魔術師が後の片付けによこしたらしい――の方に意識を取られ、確かに保管されたリスト以外の術式付与物品がある、という以外、報告の半ば以上はそちらを述べるほうに割かれていた。


 自分の方はこれで一安心だ、レミヒオ(ヨティス)は思う。万が一なにか証拠の尻尾が残っていても、狼狽えたベルガミン卿がせいぜいかき回してくれることだろう。


 レミヒオは抜け目なく「特別室」のこともセルカ伯に伝え、報告を受けた彼が嬉しげにするのを見る。

 セルカ伯はレミヒオを労った。


「お前には本当に助けられるね、私は本当に破格の拾い物をしたものだ。」

「いえ、昨夜からのことはすべて偶然の賜物、僕がなにか伯のために尽力できた結果ではありません」

「そう謙遜しなくてもいいさ。しかし、マリアネラの連れてきた子にはたくさんの難儀をさせてしまったな。」


 レミヒオはつつましく目を伏せる。

 セルカ伯の物言いは、「ショックを受けた彼女を休ませた後にベルガミン卿に苦情を述べ立てようと村路に戻った際にそれを見ていたらしい魔術師に接触された」と伝えてあるためだ。


「私の方からも後でいくらか出しておこう。服を汚したそうだからその分の埋め合わせにはなるだろう。」

「きっと彼女も喜ぶことでしょう」

「どうかな、近々にまた困難な目に遭わせてしまうかもしれないわけだしね。」


 セルカ伯はため息をつき、うちにはアレの気にいるような若いメイドはいないからな、と言った。

 ベルガミン卿を追い詰められる証拠集めは闇取引の結果が出てすぐにまとめられる必要がある。

 公式に糾弾できる内容ではないため、対外的には捕縛するにも謹慎させるにも別の理由が必要だ。もちろんセルカ伯だけで決めることではないが、その方針で過誤はないだろう。


「娘たちの友人に苦労を強いるのは心苦しいな」

「ええ、ですが、お嬢様たちのことです、押さえつければむしろ勝手に何か強行することでしょうから……」

「見える位置で手綱を取れるようしてもらったほうが安全ではあるねえ」


 彼は眉を下げて肩をすくめ、レミヒオは応えて首を垂れた。

 ――狸。




 査察はベルガミン卿が去った後、奥方がクチナシの香水の作成と特産化を本格的にもくろみはじめたぐらいで特に大きなハプニングもなく進み、滞りなく夜の宴の時間がやってきた。

 スサーナは魂が抜けそうな顔をしているマリアネラを励まして、チータを手伝って磨きたてて送り出す。

 夜の最後の便でベルガミン卿が本土に戻ったと聞いたので実に気が楽だった。

 一応、夜這いに備えて別の部屋で寝る準備などをしたほうがいいだろうか、と思っていたのだ。

 ――さあ、後は明日の朝帰るだけ!!

 そう考える。実は帰った後で「次にもう一度雇われる」ことについて、おばあちゃんを説得する必要があるかもしれないのだが、いまは面倒ごとよりも肩の荷が下りた喜びのほうが強かった。


「スサーナ、あなたもついてきてくださらない?」

「駄目ですよ、村の人がびっくりしちゃいますってば。それにご一緒に執事さんがおられるじゃないですか」

「気が重いのですわ……」


 すんすん愚痴を言って、それからしょんぼりと出掛けていったマリアネラを見送る。


 彼女ともずいぶんとなんだか打ち解けた。貴族ということで最初は結構警戒していたけれど、仲良くなれるものだなあ、とスサーナはふにゃふにゃ思う。

 レティシアも態度が軟化してきてみればなんだか懐っこいし、側仕えの仕事というのももしかしたら楽しいかもしれない。召使いの仕事というのも相手と場所を選べばなかなかやりがいがあって楽しそうだなあ、という気がする。

 まあ、スサーナとしてはお針子としておうちで雇ってもらうという人生設計は小揺るぎもしないわけなのだが。




 つつがなく夜が過ぎ朝になり、船に乗る。

 どうやら昨日の夜の便が乗ってきた船が出た順番だったらしく、船員に知った顔がいなかったのがスサーナは少し残念だった。

 こんどは船は危険なほど揺れもせず……しかし、それなりには揺れて、スサーナは酔ったマリアネラとレティシアに呼ばれて船を駆け回った。


 結構な時間を子どもたちだけでまとまってラウンジで過ごす。


「ねえ、レミ、レミ、背中をさすって頂戴……」

「いえ、僕が……というのは、少し……慎みがないとお父上が仰られますよ」

「じゃあマリ、スサーナさんを貸してちょうだい……とでも言うと思いましたか」

「!?」

「ねえマリ、あなた、わたくしが婚約破棄のためだけにレミと仲良くしていると思ったのかもしれませんけど、わたくし、ちょっとは本気なんですわ。レミもわかっていて?」


 レティシアは一瞬胸を張って言うと、また胸を抑えてうえっとえづいた。

 ああ、レミヒオくんがめちゃくちゃたじろいでいるなあ、とスサーナはぐったりしたレティシアとマリアネラの背を交互にさすりながら生暖かい目になった。


「もちろんもっと素敵な殿方が現れたらやぶさかではありませんけど……うっ、例えば今すぐこの胸のむかつきをなんとかしてくださる方……」

「レティ様、それは神様とおっしゃるのではないかしら……」

「今すぐ船の揺れを止めてくださる方でもいいのだわ……」


 レティシアも親しくなってみればなかなか強気で面白い女の子のようだ、とスサーナは察する。レミヒオが遠い目をした。



 そうして沢山の隠し事とちょっとのおみやげ話とともにスサーナはおうちに帰還する。

 待ちかねていたおばあちゃんに根掘り葉掘りいろいろ聞かれるのをなんとかごまかし、おみやげに買ってきた染料を見せて布染めに使えないかと話をそらし、いつもより量の多いごはんをきゅうきゅうに詰め込まれて、干したてのお布団で長くなって眠った。


 講では事情を初めて聞いたアンジェにとても羨ましがられ、同じ日の授業の女の子たちに囲まれて貴族のことをたっぷり聞かれる。

 ……質問の七割が新作の物語は持っていったのか、ということだったのでスサーナは苦笑した。

 あったのかもしれないが、物語本を見る暇などなかった。

 レティシアはともあれ当主代行として行ったマリアネラもそれどころではなかっただろう。

 そう説明するとみなあからさまに落胆したり、私が行ったら絶対何があっても物語本を見ていたのに、という声が上がったり。

 少女たちの間への恋愛物語の侵食力の強さを目の当たりにしたスサーナはそっと戦慄するのだった。



 そして、日常に戻ってから7日。


 屋敷に貴族のお嬢様たちが現れた。

 今度は伝書使ではない。レティシアとマリアネラが少数の供をともなって直接やってきたのだ。

 運悪く対応した取り次ぎ役――普段は使用人のほぼいないスサーナの家だったが最近忙しく手すきの者がいないタイミングが多いのでお客が多い時期だけいる――は目を剥き、泡を食った取り次ぎさんに飛び込まれてぶつかったおばあちゃんはあやうく腰を痛めるところだった。


「レティシア様、マリアネラ様」

「スサーナさん、数日ぶりですわね」

「ふふ、おかわりなさそうで何よりですわ」


 応接室に現れたスサーナを二人は立ち上がって迎え、マリアネラは軽く抱きつきすらした。

 ……これはスサーナの一計である。

 もしもまた雇う……つまり、囮の必要が出来たら、親しいように振る舞う書状あたりを寄越してほしい、と伝えたのだ。

 そうすれば、孫を守ろうとするおばあちゃんの警戒も緩んで絶対に駄目とは言われまい、という算段だった。

 ……まさか家まで来るとは思っても見なかったのだが。


 計略は功を奏し、硬い表情でとんできたおばあちゃんの態度はやや軟化した。

 ――すみません、おばあちゃん。私のためを思ってくれていることはいつだってよくわかっているんです!


 スサーナの家人は「スサーナのお友達」に弱い。スサーナがこの歳になり、フローリカだけではなくアンジェやドン、リューと普段から過ごすようになっても弱かった。

 ヴァジェ村への投資額があれからぐっと増えたのも「スサーナと仲がいい村の子ら」の係累が契約相手だから、という理由があるのではないか、とスサーナがちょっと疑っているほどである。


 ちらりと目と目を見交わす。

 レティシアが浅くうなずいた。


「スサーナさん、前にお話しした父のパーティーの日程が決まりましたの」

「ぜひスサーナにまたお手伝いしていただきたくて。」


 レティシアとマリアネラは丁寧におばあちゃんに挨拶をし、スサーナをまたお借りしたいと申し入れた。

 流石に渋ったおばあちゃんだったが、スサーナは無邪気な顔でぜひ行きたいとねだった。

 ――ごめんなさいおばあちゃん! おばあちゃん不孝な孫でごめんなさい!

 スサーナはやや胸を痛くしつつ、心の中でおばあちゃんに謝った。

 まさか孫がアンモラル趣味な貴族をハメようと思っているとは絶対に思うまい。

 ――でも、たぶんこれやらないとうまく落ち着けないんです!ごめんなさいおばあちゃん!


「わあ楽しみです。それで、いつなんですか?」

「楽しみにしてくださって嬉しいわ。すこし日取りが近いのですけれど。実は、7日後なの。」

「急ぎで申し訳ありませんけれど、わたくしたちも気心の知れた子がいると安心なの。」


 少女たちは笑いあい、それからレティシアが召使いに手で示す。

 召使いが出してきた書状には前回の手厚い礼と、娘たちがスサーナを非常に気に入ったこと、彼女らのすすめで次の宴席にスサーナを雇いたい、ということが見事な筆でしたためられていた。最後にセルカ伯の署名。


 おばあちゃんはそれからしばらく渋っていたけれど、最終的には非常に渋々ながら陥落した。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 同時刻。


 首に青帯を浮き出させた黒髪の少年が、路傍に停めたロバに荷車を牽かせる形の雑穀酒売りのもとで立ち止まっていた。


「一杯頼む」


 御者席で寝入っていた様子の雑穀酒売りの青年は、顔の上に下ろした帽子を少し上げ、声を掛けた少年を見る。


「へっ、毎度あり。」


 瓶から一杯分の雑穀酒を汲み渡す。


「座って飲みなよ」


 荷車の横に腰掛けた少年は、親しげに横に座ってきた青年を見やる。


「うまいかい? ……だいぶん大変だったみたいじゃねえか。」


 すっと声を落とす。


「ああ、それなりに。……面倒なことだ。」

「弱音か? 珍しいな。 ……で、今日はなんの用だよ。」

「……調べてほしいことがある。」


 青年ミロンはぐいっとあぐらをかき、自分も瓶から一杯雑穀酒を取って飲んだ。


「まずは、たぶん領外の貴族だと思うけど、どこかの氏族のものを連れてるやつがいるみたいだ。氏族の名も忘れた下の方の奴らだと思うけど、暗殺士の真似事をしてるかもしれない。うまく後で利用できるかもしれない。経歴、目的、とりあえず調べて。」

「あいよ、まずはってことは他にもあるんだな?」

「ああ。」


 ヨティスは目を伏せ、それからカップを煽る。

 息をつき、その目が鋭くなる。干したカップの縁をぐっと拭って言った。


「……本題はこちらだ。……幅をとって、十年から十五年前。その間に祖の六氏族の息女で妊娠していた噂があるもの、戦乱で行方がわからなくなったもの、そういう方がいるかどうか探してほしい。」

「……お? ずいぶん妙な……」

「多分、隠された姫を見つけた。……だと思う」

「なんだと?」

「……腕の糸、換えてくれるように依頼を出しただろ」

「ああうん、切れて魔術師製のやつを入れたんだっけ。来週までにはなんとか」

「……それ、入れる前に切れた刺繍を繋いだ。術糸じゃない、ただの木綿糸で、暗示もナシ、血は……どうだろうな、ギリギリ。」

「なに? おい、マジかよ……それがマジだとしたら」

「ああ、翼萼ようだいに値する、かもしれない。」


 純血に近い祖の六氏族の姫たちのなかでも特に力の強いものが選ばれ、翼萼に隠される。羽裹もるべき貴種の姫を秘める場所だ。

 蜘蛛の糸のはしとはしのように特に交わらず、世界に散らばる鳥の民の間で、重んじられるものといえば彼らの言葉だけだ。呪司王を呼び戻すきざはしになる、と言われている姫宮たち。

 魔法の力も弱まった今、半ば形骸化し、六氏族であっても幾代も翼萼に登らぬ氏族もある。邦土を取り戻すという伝説の一翼。空位のうてなにあるべき方が戻ることを待ち望まれる場所。


 そんな力量の術者が容易くそこらへんに隠されているはずがないだろう、そう思ったミロンだったが、ヨティスの表情に冗談やからかいは混ざっていなかった。


「おい、そんな姫、一体どこで」

「……ミロンも見たことがある。二年前会ったあのだ。」

「あああー。混血じゃなかったか? 魔術師《月の民》がそう言ってなかったか」

「……わからない。少なくとも魔力は持ってる。だから、調べて。」


 鳥の民の二人はゆっくりうなずきあうと、雑穀酒売りと客の顔に戻り、しばらくして別の方向に別れていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ