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第63話 異しきもの波間より来たり 4

 使用人に宴会は縁がない。

 主催側であればいくらでも仕事はあるのだろうが、一応にも賓客的な立ち位置であるため、流石に接待を任されたりはしない。


 大規模なものならそれはそれで主人の近くに控えて衣替えやらこまごました用事やらを果たす者も必要とされるのだが、小さな村の宴席であるので、――そのうえ、セルカ伯が保護者であるようなものなので――マリアネラが率いて行ったのは執事だけだった。


 宴席とはいえ、だいたい有力者の顔みせ的なものだ。村の有力者に顔を通し、自己紹介を受け、する話は施策やら産業やらのミクロとはいえ政治的な話。ただの食事会などとは違い、終了時間は遅くこそなれ早くなることはほぼない。


 つまり、使用人たちは戻ってくるだろう時間の一時間ほど前を見計らって足を洗う湯桶だの着替えだの安眠用の飲み物だのを用意すればよく、戻ってくるのを待機しつづける必要はないのだ。


 というわけで、ドレスを着て出かけていったマリアネラを見送った後で、スサーナはぽっかり空いた数時間をゲットしていた。


 ――さて、どうしましょう。

 スサーナは腰に手を当てて考え、とりあえず割り当てられた使用人部屋に戻る。


 家にいるときなら空き時間ができたらやることはいくらでもある。

 刺繍の練習、型紙を試作すること。ボタン付けやちょっとした繕い物の持ち帰りが許される仕事。帳面を写しておけばあとあと楽になるし、レース編みのヴェールも進めている最中だった。読むようにと言われている裁縫の技能書もある。講の宿題だってあった。

 だが、ここにはその手のものはなにもない。


 数年ぶりに本当に何も用事のない時間だった。

 スサーナはたじろいだ。

 ――何も用事がないときってなにをしてましたっけ。

 思い出そうとしてみると思考が前世まで遡ってしまう。

 ――前世ではたいてい本を読むかパソコンか携帯端末でなにか読んでたなあ。


 今生でも本を読むのは嫌いではない。家では実務の本か技法書、料理の本ぐらいしか見かけはしなかったが。

 ――本!

 あるはずがなかった。

 ここのところの疑問たちを何とかするにも本を読むというのは良い活動ではないか、と思い立ったのだが、そうそううまい話はない。


「ううっ、そうですよね、新作の恋愛物語の写本なんてものがあんな扱いなんですから、ぜったい高価ですよね……」


 そういえば本島の街でも貸本屋ならまだしもほとんど本屋を見た記憶がない。余計こんな村にあるはずがないのだ。スサーナはそっとくやしがった。


 消去法で余暇を楽しむ方法をいくつか検討して、せめても散歩に出ることにする。

 再度寝る、という選択肢もないではなかったが、せっかくの空き時間なのだ、なにか有意義なことをしておきたいスサーナだった。


 一応仕事着ということにしている布地のしっかりした灰色のワンピースを脱いで、麻の生成り灰緑のワンピースに着替える。

 髪覆いは癖がつくといけないので、ボンネットだけ被って髪を目立たぬようにした。


 出かけます、と、こちらは仮眠をとることにしたらしい同僚の寡黙な使用人――そういえばまだ名前も聞いていない――に声を掛け、そろーっと代官屋敷の外に出る。



 日暮れを少し過ぎた空は下側が色あせたバラ色で、上が澄んだ紫色。

 その空の色が、埃っぽい地面にも、灰色の石壁にも、そこらじゅうに咲いた白い花にもうつって奇妙に静かな風景を作り出していた。


「わあ」


 ――そういえば、私、よその島に来るのってはじめてなんですね。

 スサーナは急にそのことを実感する。

 仕事中に休んで外出するせいだろうか。なんだか秘密の寄り道をしているような気分もした。

 少しだけ楽しくなって、さっきおつかいのときに出た裏木戸から道に出る。

 特にプランはないものの、村の大通りをブラブラしていれば面白い店の一つもあるかもしれないし、いくつかある様子の飲食店で夕食をとってもいい。肉づつみパンあたりがあれば他の使用人におみやげに買って戻るのもいいだろう。


 村の通りをぐるっと歩いて冷やかすと、あきらかに酒を飲ませる店が数店ある。流石に酔っ払いがいるような店は勘弁願いたかったスサーナは、他になにか食べ物屋はないか。ともう少し歩くと、早めの店じまいをはじめている認可パン屋が1店目についた。


 ――そういえば、田舎って店じまいが早いんですね……

 お酒を飲ませる店以外はさっさと閉まってしまう、という可能性を考えていなかったスサーナは、少し考えて、パン屋に首を突っ込み、残っていたベーコンを包んだ固いパンを三本買うことにした。


 代金を払っていると、他の客が入ってくる。


「おい、ビールを……おや、村の娘か、遣いごとかね? 感心じゃないか。」


 おお、こちらでもパン屋がビールを、と歴史的事象にスサーナが感心しつつ振り向くと。

 ――げっ。

 午前中見た派手な衣装。

 ――ベルガミン卿! なんでこんなところに!?

 半ばポップアップモンスター扱いしてスサーナは内心悲鳴をあげる。

 おかしいじゃないか、宴席に何故出ていないのか、と思ったが、よく考えれば当然だ。

 この貴族は偶然村にいたというだけで、視察にやってきたセルカ伯たちが招かれている宴席に呼ばれる理由はないのだ。

 面倒と迷惑はこの時間みんな宴に行っていて、村の他の地点は安全地域だ、というような気持ちでいたスサーナは、自分の迂闊さにぐったりした気持ちになった。


「可愛らしいだね、ご褒美は欲しくはないかね」


 馴れ馴れしく肩に手を置かれたのを、後退りして避ける。


「ベルガミン卿様におかれましてはご機嫌麗しゅう、あるじが世話になっております」


 形式張った挨拶をしたスサーナに、ん?とベルガミン卿が眉を上げた。


「ああなんだ、何かと思えばクレメンテ(セルカ伯の姓)の」


 雇い主はそっちではないのだが、これ幸いと否定はせずにおく。

 しかし同格の貴族を敬称でも名前でもなく呼ぶのはだいぶ失礼なのではなかったか。スサーナはなんとなく嫌な感じを受ける。


「彼の異国趣味もなかなかのものだが、ふうむ、ふむ。悪くない」


 じろじろと見渡されてスサーナはなんとなくぴいっと身をすくめた。


「この視察では彼は奥方を伴っているから、可愛がってもらえなくて君も手持ち無沙汰だろう?」


 ――んん、ん? なんだか変な言い回し……

 口の端を曲げるようにして、にこやかに、のつもりだろう。微笑んだベルガミン卿が腰に手を添わせてくる。


「どうかな?今晩私のねやに来てくれるなら、君に払われている給料よりもたくさんのお小遣いを払っても構わないんだが」


 ――ん!? この人ただのわるい求婚者じゃない!趣味と実益を兼ねたわるいロリコンだ!!!


 なるほど12歳のマリアネラ様に熱烈に求婚ね!とスサーナは後ずさった。

 ただでさえ地に落ちていたベルガミン卿の評価はスサーナの中で地溝か海溝に叩き込まれ、y軸評価ではマイナスがつくという処遇に相成る。

 ……12歳というのは前世の感覚では完全に幼い子供だが、14から結婚できるうえに倫理観などいろいろ差があるこちらではそこまで倒錯しきったという年齢でもない――|趣味人として盛大に眉は潜められる程度《前世の15歳程度だろうか》――のだが、12歳の子ども自身、しかも現代日本の倫理観を引き継いだ彼女にそんなことがわかるわけもない。


「ご遠慮させていただきます!!!  お使いの途中なので失礼します!」


 脱兎の如くパン屋を飛び出す。店主からビールを受け取ったベルガミン卿が少し後に続いて店を出てくる気配に力強く嫌になって、後を追いかけられないように目についた小道に駆け込んだ。


 道を曲がり、より細い道に入り。目についた角を曲がり。

 微妙に息が切れても立ち止まる気になれず、早足で歩きつづける。

 とりあえず撒いたな!!という確信が持てるところまで移動して、ようやく立ち止まった。


「うわあびっくりしたああ……」


 スサーナははあっと脱力した。


 まさか無差別に女児に声を掛けるタイプの変態だったとは。マリアネラ様に話しかけているのを見たら絶対に妨害しなくては、と心に決める。



「いやしかし、だいぶ外れまできちゃいましたね……」


 周囲を見渡すと、村というより納屋だのが点在する郊外の光景である。畑ばかり、というのとも少し違うのは、林で作るものが特産品だからだろうか。

 パン屋の時点でだいぶ代官屋敷からは離れていたのだ。そのうえこの村はひょうたん状になっているので、場所によっては少しそれただけで人家から離れた場所に出る。


「まあええっと、代官屋敷は高台ですから? 迷子ではないですね!」


 勢いづけて呟く。そろそろ夜の帳が下り始めた村外れからは、少し高いところに建っている代官屋敷の明かりが遠目に見えた。


 うん、帰ろう。帰って雑仕事をしているチータにご注進して、夜の警戒をしっかりしてもらわないと。スサーナはそう思って来た道を……そのまま戻るとまた鉢合わせそうだな、と思い、もう少しぐるっと回って村に戻り、屋敷を目指すルートをとろう、と決めた。


 土っぽい踏み分け道を歩き、畑の間を通る道を選ぶ。見た感じソルゴーに似た丈の高い青草が段々に植えられてざあっと鳴る。

 なぜだか大きな亀がのそのそと道を横切っていく。


 亀を見送ってしばらく畑の間を歩き、小さな放牧地の横を通る。

 夜間も放牧するタイプの酪農をしているらしく、山羊と羊が寄り集まってもこもこした塊になっているのが見えた。


 ――そういえば、なにかけだものが居るとか言っていましたっけ。

 熊じゃなければいいけど、とスサーナは嫌な想像をする。

 スサーナは熊が苦手だ。この世界にも戯画化したクマのぬいぐるみは存在するものの、そういうものですら6歳からこちら所持したことはないぐらい苦手である。

 ――本島に熊を放すひとがいるんですから、どこかの島に放してあってもおかしくはないんですよね……

 ああいやだいやだ、と首を振り、早足で放牧地の横を抜けよう、と歩みだし――


 おぎゃあ


 声にぴたりと足が止まった。

 ――赤ちゃん?

 周りにはぱっと見には人家は見当たらない。

 スサーナが反射的に想像したのは、昼間仕事に来たお母さんが畑のあぜに赤ちゃんのおくるみを置いて、うっかり忘れて帰ってしまった、という、前世の文学で読んだ牧歌的とも言える逸話だ。


 ――牧歌的ー、とも言ってられませんよね……。

 なにせ、仔山羊や子羊をたべるけだものがいるのだ。仔山羊や子羊を食べるなら、それより小さい人間の赤ん坊だってそれは食べるだろう。


 おぎゃあ おぎゃあ


 ――誰か呼んでくるべきでしょうか? 余所者が私有地に踏み込むのもアレですし、もしかしたら親御さんがすぐ側にいるのかも。でも、もう夜ですよね。それに運よくすぐ側に誰かいるとも限らないし。

 ――ああでも、へんに拗れたら休み時間中に戻れないどころか雇用主さんたちにご迷惑をかけるかも……泥棒とかと勘違いされたらまずいですよね。

 スサーナは少し悩み、踵を返した。


「ええい!もう。」



「あかちゃーん、そこにいるんですかー! 返事してくださーい!」


 おぎゃあ おぎゃあ


 畑のきわを横切り、林床にたどり着く。

 植えてあるものか、自生しているのか、黒スグリの茂みが広がっていて視界が悪い。

 声がした方向に向かってガサガサと歩く。


「ううっ、蚊がいそう……こんなところに赤ちゃんを寝かせておくだなんて、いっぱい刺されて酷いことになっちゃう」


 茂みをかき分けるとそれにつれて幾匹も羽虫が飛び上がり、それに縞々の蚊も混ざっていた気がして、スサーナは顔をしかめた。


「すぐにお母さんのところに連れてってあげますからねー、あかちゃーん」


 おぎゃあ


 声が近い。

 スサーナは小走りになって声のもとに駆け寄り、なにかぐにゃりとしたものを勢いよく蹴飛ばして足を止めた。


「うわっ赤ちゃん蹴っちゃっ え?」


 足にドロリとしたものが絡みつく。

 じわりと生成りの生地が水気を吸い広がってきた色は、赤だ。


 身をこわばらせて足元を見る。

 果たして、蹴り飛ばしてしまったものは、亀のようだった。


「か、亀? 良かっ……え? なんでじゃあ、この赤いのは?」


 亀。大きな亀。さっき見たものなら50センチほどあったろうか。

 日が落ちて薄暗い林床で、見えづらいのを焦って目を慣らして、亀を注視する。

 どろり、と目を開き、口が半開きになっている。

 バキバキに割れた甲羅。

 胴体の半ばからなくなり、断面を晒して、そこから紐めいた内臓や丸いソーセージめいた塊をこぼしている。

 それなのに、手足はまだぴくぴくと動いている。

 こうなってから、まだ時間が経っていない。


 おぎゃあ。


 声がした。

 なんだかとてもとても嫌な感じがする。


「あか……ちゃん?」


 スサーナの呼びかけに応えたようにがさり、と向こうの茂みが鳴った。

 逃げたい。よくわからないけど怖い。ああでも、亀をこんなふうに出来る生き物がいるところに赤ん坊が居るなら、それは助けなきゃ。


 スサーナはそろそろと茂みに踏み込んだ。


 おぎゃあ。


 そこにいたのは、赤ん坊とは似ても似つかぬ生き物だった。

 クラゲとトカゲとカブトムシをめちゃくちゃに混ぜ合わせればこういうものになるだろうか。

 うす青いぶゆぶゆとした表皮。トカゲか、でなかったらオオサンショウウオに似た外形。短い四本の足があるべきところには、カブトムシによく似た節足動物様の足がずらりと並んでいる。

 頭には、真っ黒なビー玉のような目……目のようにも思える組織がバラバラに8つ。

 そんな()()()が、ぐりんと頭を回し、スサーナの方を見て


 おぎゃあ


 そう、鳴いた。





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