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第62話 異しきもの波間より来たり 3

 屋敷の用意ができた旨を聞いて、セルカ伯が話題を切り上げる。


「申し訳ないが、この後やることが多いので、御用があるようでしたらまた後で。」


 有無を言わさず使用人を二人選び出し、お送りしろと言いつけてベルガミン卿を戸口に追いやった。


 彼が去った後、使用人たちはほっと息をつき、ざわざわと会話しだす。


「なんですあの態度、旦那様より下だとは言いませんが、せいぜい同格だっていうのに偉そうに」

「マリアネラ様もお可哀そうに、あんな奴に見込まれて……」


 ベルガミン卿の悪口を言う者、マリアネラを可哀想がるもの。

 ――ああ、やっぱりこのうちの使用人さんたちにもあの人評判悪いんだ。

 そうするうちに、セルカ伯がぱんぱんと手を叩き、


「余計な無駄口を叩いている暇はないぞ、荷物を運び込む支度をしなさい」


 指示をしたことで使用人たちは三々五々自分の作業をしにその場を離れる。

 セルカ伯が中庭に女性たちを迎えに行くのを見送って、スサーナもいそいで外のマリアネラの使用人たちと合流した。


 手早くかいつまんだ内容を話すと、執事が苦虫を十匹ぐらいまとめて噛み潰したような顔をした。


「また面倒なことになりそうだ……」

「あの、聞いてくる話ってこれでよかったんでしょうか?」

「ええ、その通りです。事前に判って良かった。チータ、今晩はお嬢様と寝るように。」


 ――ヒエッ、寝室。


「……あ、あの、ところで、セルカ伯の使用人の方々でも聞けば教えてくれたんじゃないかって思うんですけど、なんでですか?」


 スサーナは疑問に思ったことを執事に聞いた。あの内容ならわざわざスサーナを残さずとも、もっと事態に慣れている様子のセルカ伯の使用人が注意喚起してくれるのではないか、と思ったからだ。重点的に聞いておく内容が正解だったから良かったものの、違ったら洒落にならないではないか。


「どれほど親しくても他家の使用人ですから。時と場合によっては話したことが問題になることもあるのです。主家の責任になりますからね。覚えておおきなさい。」

「なるほど……つまりセルカ伯のご迷惑になるから話していただけないこともある、ってことですね。 ……使用人のフリで混ぜてもらってたのはセルカ伯にご迷惑がかからないんです? 快く混ぜていただけましたけど……」

「そういう事のほうが責任の所在などが言い逃れが効くのですよ」


 なるほど、貴族の使用人というのは建前の使い方も大変なものなのだなあ、とスサーナは恐れ入った。



 マリアネラの使用人たちはその後セルカ伯の使用人たちと一緒に少ない荷物を代官屋敷に運び込み、それから執事とマリアネラが現地に先に来ている領地代理人に到着報告に行くというので待機を命じられた。


 到着は本当は夕方のはずだったため、夜に歓迎の宴会があり、明日視察にはいる、という予定だったので、マリアネラに割り当てられた部屋を整えてしまえば後は用事もない。

 スサーナはこれ幸いと使用人部屋の片隅のベッドで丸くなり、昼食も取らずにぐっすりと寝た。薄く粗末な藁布団だったが、ベッドの底板はちゃんとしなう木だったし、視察が決まってから整えられたようで新しく、南京虫もダニもノミもいなかったのが幸いだった。



 しばらくぐっすり眠って目覚めると、夕方のしばらく手前だった。


 背中やら肩やらが痛む気がしたが、それでもだいぶ復調したスサーナは身支度をして顔を洗い、チータに頼まれて村に買い出しに出ることになった。

 目指すのは雑貨屋だ。宴会前に入浴ができるそうなのでマリアネラを洗う石鹸と海綿が必要だ、と言われて、荷物に入っていないのかと疑問に思ったスサーナだったが、どうやら本土の貴族はさほどの入浴習慣がないようなのだ。

 ――島で湯船はなくても毎日体は洗うのは、水が豊富だからなのかなあ。


 島では、どの島でも…多分人の住んでいる島なら皆、水は潤沢だ。

 夏前の雨と冬の嵐以外はさほど雨の降らない気候の諸島だが、魔術師たちの手が加わった島の井戸は渇水何それ美味しいのという勢いで水が湧く。

 おかげで浴槽にこそあまり浸からないものの、日本人の記憶があるスサーナでも違和感がないほどの入浴習慣があり、それが普通だと思って生きていたのでちょっとカルチャーショックであった。


 ――入浴習慣ぐらいはうまく島の方の習慣に染まってくれないかな?

 頭をひねりながら歩く。海綿と石鹸だけではなくて香油とかマッサージソルト、ボディクリームも用意したほうがいいだろうか。あれば自腹でも買おう。貴族というイメージとお風呂入らないの落差はなんだか謎のキツさがあった。いや、たしかにフランス貴族とかは入らなかったそうだけど。スサーナは遠い目になりつつ必要なものを指折り数える。


 ――でも、あるかなあ、この村に……


 村のメインストリートに入りかけていたスサーナは、周囲を見渡す。

 いかにも村!!!といった村だ。

 建物は大体が石か、木造りの平屋。主要な通りは小さな丸石を埋めて石畳に仕立ててあるが、一本脇に入れば砂利すら敷かない土の道だ。道の広さも一定ではなく、というより、向かい合わせの家と家の戸口の間が暫定として道として運用されている、という具合。

 道をゆくのは馬車よりも圧倒的に荷車であり、さらに言えば徒歩が多く……正確に言えば、その徒歩もあまりたくさん見かけるわけではない。


 二集落をひょうたん状にまとめて一つの村にしている、その主要な集落の方がこちらだ。

 主要な方なのだ。

 確かに飲食店はこの広い方の集落にも複数あり、雑貨屋もあるようなのだけれど、どう見てもおしゃれなものは売っていない気配がする。

 道の端の方の泥が掘れたあたりにすっぽり入ってめんどりが昼寝していて、見渡したスサーナと目が合うと不審そうにクココココ、と鳴いてどこかへ去っていった。


 主要産業はあるのだし、それなりの広さの村が成り立っているのだから十分食べて行けているのだろうけれど、栄えているという印象はない。

 ――あのなんとかいう貴族の人、なんでこんな村がほしいんだろう。

 クチナシ染料に一大商機でも見出しているのだろうか。それを除けばきっとこの程度の村はいくつだって諸島にはある。

 それにしたって、小さな女の子と無理に結婚してまで欲しがるようなものだろうか。

 スサーナはどうにも違和感を覚えて首を傾げながら、雑貨屋に入っていった。



 薄暗い店内に入ると、勘定台の向こうに座っていた女将が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてスサーナの髪を見た。

 ――あ、まずいやつ。雇用主といないなら被り物をかぶってくるべきだったかも。


「ええっと、アル・ラウア伯代行のお買い物なんですが」


 スサーナはにっこり微笑みながらいそいで声を上げる。

 それを聞いた女将がスサーナを上から下まで眺めあげ眺めおろし、ははあ、と言って座り直したので、少しほっとする。


「ご主人様がお風呂をつかわれるので、石鹸と海綿の柔らかいの、あと、お風呂に使うものでいいものってあります?」

「あるよ、ちょっと待ってな」


 女将が後ろを向き、ごそごそと積んだ商品の中から石鹸と海綿を取り出した。


「はいよ。ちょっと待てれば髪油と肌用の香油も用意するけど」

「あっ、お願いしてもいいですか?」


 女将が首肯し、裏に向かって大声で叫ぶと、そこにいたらしいスサーナよりいくらか下に見える少年がいっさんにどこかに向かって走っていく。

 彼を見送ると、女将はふんと鼻を鳴らし、ぶっきらぼうに値段を言って、それからスサーナに勘定台の前においた椅子を勧めた。

 スサーナは待つ間に先に代金を出しておく。


「ねえあんた、漂泊民カミナなのかい、お貴族様は漂泊民をよく使うのかねえ」


 受け取った女将は対価にスサーナが出した小銭を軽く噛んで何やら納得し、机の中にしまう。そして、どうにも手持ち無沙汰になったのかじろじろとスサーナを見て問いかけてきた。


「いやあー、本島の街の商家の出なんですけれど、ちょっと髪が濃く生まれつきまして。」

「ははー、まあそうか。あたしゃ驚いちゃってねえ、あんたの他にも黒髪がいただろう」

「あっはい、ええと、アル・ラウア伯の従者もセルカ伯の従者も悪いことをしたりはしないので! ご安心いただけると!」


 ほんとは半分は漂泊民なんですけどね!とは、スサーナは心の中だけでいうだけにした。

 変に波風を立てる必要などないのだ。


「あはは、あたしも商人のはしっくれで目端は効くと思ってっからね、あんたにその心配はしてないけどもさ。前も別のお貴族様が黒髪を連れてたから、本土の貴族様ってなそういうもんかと思って」

「えっ……そうなんですか? ……流行ってるんですかね、黒髪。私はもうひとりの子と揃えると見栄えがいいからって雇っていただいたんですけど」

「ああー、流行り廃りで常民の髪色濃い子を集めてるのかいね。お貴族様のやることはわからないねえー。」


 それで女将は納得したらしく、今日の天気の話や今晩の宴でどんな注文があったのかというような話をはじめた。

 スサーナは奇妙な感じを受ける。

 ――他に黒髪? というか、前に他に貴族、ですか? ここってそんな貴族が来そうな場所じゃないような。

 ベルガミン卿のことだろうか。避暑とか言っていたが、この島はそんなに避暑に向いているようには思えないし、そんなによく来るような場所なのだろうか。

 しかも、黒髪を伴って? 混血の奴隷を手に入れる、とかそういうエキゾチックな趣味はそんなに貴族の間で広まっているのだろうか。


「あのう、その、他に貴族がいらっしゃるんですか?ここ。」

「うん? ああ、たまに来るよ。みんな偉そうなわりにろくに村に金も落とさないし、いいことをしてくれるわけでもないからみんな飽き飽きしてるんだけどもね、今度の視察ってやつはなんだか責任のあるおひとが来て、陳情とかも出来るんだろ?」


 女将の、怒涛の世間話に慣れた遮りづらい早口でそれた話をうまくもとに戻す方法が思いつかなかったスサーナは、とりあえず質問に答えてうなずいた。


「えっ、あっ、はい! 明日村長さんと領地代理人さんと村を回るそうなので、そのときに出来ると思います!」

「そりゃいいね、けだものが出てるから箱罠をしかけて貰わなくっちゃいけないんだよ。うさぎやらトリならまだしも、放牧の山羊だの子羊だのも食われてねえ」

「く、クマですかね」

「島には熊はいないからでかい山猫じゃないかってみんな言ってるけどねえ。山に逃げられたらお手上げだから、高い罠を使ってもらわなきゃ。」

「山に逃げられちゃうとまずいんですか?」

「そりゃあんた、魔術師の領域だもの、勝手に荒らせやしないよ」

「ああー。」


 ――そういえば、塔があるとか言っていたっけ。

 島に貴族がいるよりも島に魔術師がいるほうが和む気がするスサーナだったが、やっぱり現地に住んでいないとわからない苦労もあるものだなあ、と思う。動物に入会と立入禁止の場所で住み分けろと言っても聞くはずもなし。


「魔術師さんにお願いできないんですかね」

「まさか!」


 ぱたぱたと手を振り、呆れたような面白いような顔で女将が笑い、この話はここで切り上げらしかった。

 スサーナがでは話を戻そう、としたところ、髪油と香油を持った商店の息子が戻ってきてしまい、更に彼が細々した注文をいくつか伴ってきたために結局聞きそびれてしまう。

 どうしても聞かなければいけないたぐいの話ではなし、戻ったらマリアネラの執事さんあたりが知っている話かもしれない、とスサーナはおとなしく帰ることにした。




 戻ってみるとマリアネラは帰ってきており、入浴具を渡した途端にチータが腕まくりをして浴室に連行していった。


 たまに呼ばれて石鹸の替えだのタオルだの軽石だのを持っていくスサーナは、そのたびに風呂の椅子で洗われる小型犬みたいなしょぼくれた顔で擦られているマリアネラにそっと祈りを捧げた。


 いや、多分こういう行事の前には貴族はこうして入浴するものなのだろうけれど。それでも毎日入浴している人とはきっと足の角質などの落としやすさが違うのだ。

 それにどうも本土流の入浴は、蒸し風呂の用法に近い。せっかく人一人入れる浴槽があるというのに、石鹸を泡立てた海綿で肌を擦り、流すことの繰り返しで、全身を湯につけて緩める工程はないようなのだ。


 入浴に慣れない人が湯にも浸からずいきなり全身を洗い上げられたらきっと皮膚がピリピリしみるようになるのにちがいない。


 南無。


 それからたっぷり二時間、マリアネラは浴室から出てくることを許されず、終了時間を見計らってそっと台所からオレンジジュースを調達してきたスサーナは、やりとげた顔のチータと交代してひたすら手足に香油を塗り込む作業に従事した。


「肌が痛い……」

「香油、赤くなったり痛んだりするのを抑えるのを頂いてきたのですぐ治まると思います……」

「ゴシゴシ力任せにこすられて、根菜になった気分ですわ……入浴なんかきらい……こっちだと毎日こんなことをしているって本当なの……?」

「毎日入る場合はこんなにしっかり磨かないので……」


 このまま眠ってしまいたい、とぼやくマリアネラをなだめ励まして、意気揚々とチータがドレスを用意しているマリアネラの割当ての部屋に送り込む。


 そのあとグラスを下げに台所に向かったスサーナは、レティシアと奥方の割当ての風呂の方からも似たような騒ぎを聞きつけ、貴族をやるというのも楽ではないのだなあ、と心底同情したのだった。





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