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第55話 くちなし島へ 4

 上機嫌のマリアネラと合流したスサーナは、彼女の連れた使用人たちに紹介され、旅行中に側仕えとして務めさせていただきます、と挨拶をした。


 マリアネラが他に連れてきたのは、先日も一緒だった老齢に入りかけた執事と、中年の使用人が一人、それと雑役女中らしい女性が一人。

 挨拶をしたスサーナに女中がまあ!と声を上げたので少しビクッとしたスサーナだったが、


「ンまあー! お嬢様、いくら黒髪の子がほしいからってまさか髪を染めさせるなんて!」


 と非難するような声で彼女が続けたためにとりあえず脱力する。

 マリアネラは使用人の無礼に怒るわけでもなく、両腰に手を当てた女中を見て、またはじまったわ、といたずらっぽくため息をついてみせた。


「あっあの、髪ですが、生まれつき……」


 ふわふわとスサーナが執り成しに掛かったものの、どうにも話を遮れず、いっときの思いつきでそんなことをして、だの、幼い頃からなにか思いつくと、だのその場でお説教がはじまってしまい、マリアネラがくすっと苦笑する。


「チータ、ここでお説教はよして? スサーナが困っているでしょう」


 どうもお説教の内容の感じ、チータという女中は乳母やか子守女中上がりらしく、雇用主への気安さはそのあたりから来ているのだろう。

 家族みたいな人はいたんだ、とスサーナはなんだかちょっとホッとした。



「よござんす、反省は船でたっぷりしていただきましょう」


 いかにも肝っ玉母ちゃん、という感じのチータが肩をいからせるとなかなかに迫力がある。スサーナは、このひとは出来るだけ怒らせないようにしよう、と心に決めた。


 マリアネラに従ってタラップを上って船に乗り込む。

 島育ちではあるが、帆船ははじめてのスサーナに比べて他の皆は慣れているようで、男の使用人が員数を船員に報告し、船室係にトイレの使い方やら吐いた時の対処法やらの講釈を受け、船内を簡単に案内され、スムーズに雇用人側と使用人側にわかれ、それぞれ部屋に案内された。


 スサーナ達使用人は窓なしの多分下から数えたほうが早い等級の部屋。全員で一部屋だが、お客様ではないのでまあ贅沢は言っていられない。順調なら一晩で目的地につくというのだから、短い辛抱ではある。

 それに、スサーナの仕事はマリアネラの側で雑事をすることなので、多分使用人の船室にはあまり用がないと思われた。


 とはいうものの、部屋に入ってスサーナは少したじろいだ。

 窓のない四人部屋で、部屋、というよりも箱をふたつ重ねたような狭い二段ベッドの間に通路が通っている、というような構造をしている。一応薄い板の扉で隣とは区切りはしてあるが、どうやらこちらと同じような部屋らしいそちらの部屋に船客が入れば、内緒話はできないだろう、という扉の薄さ。

 薄い扉、というよりも、部屋の中に無理に板を入れて船室を区切ってある、という方が正解だろうか。

 空気がこもって、潮の香りに何かあまり想像したくないものが混ざったような匂いがむっとする。

 ――ま、まあ、船ってこういうものですよね。

 エンジン船の時代になっても三等客室というやつはあまり居心地がよくなさそうなのだから、小型の帆船など言わんをや。スサーナはとりあえずそう唱えて落ち着く。

 多分、いわゆるタコ部屋の雑魚寝形式やら、部屋の間仕切もない蚕棚形式よりもずっとマシなのだ。


 荷物を寝台の上に置いて、自分の寝台を整える。そうしたら上の船室に戻って、まずはチータさんの指示に従いつつ荷物を確認、飲み物などを出して、レティシア、えー様たちがやってくるのを待つ。

 スサーナはあとの手順を脳内で反芻しつつマットレスの隅を持ち上げ、かちんと動きを止めた。


「おう……海草かいそう……」


 マットレス、と呼ばれるであろうものは、いわゆる熱帯魚屋の水槽の中で見かけるような海中に生えるたぐいの水草を乾かしたものに麻布をかぶせた代物だった。

 スサーナが指先で一本つまんでみると、半ばもろけた茎が指の間でぼろぼろと崩れた。


 まじまじとそれを見つめるスサーナにチータが笑う。


「アラあんた、船ははじめてかい。どこもこんなよ。船で採って、悪くなったら海に捨てんだからねえ」

「なるほど……合理的なんですね……」

 ――い、異文化ー!!

 スサーナは指先でそおっと虫よけのハーブを込めた布袋を海草の間に押し込んで、できるだけここで寝る機会は少ないといいな、と思った。



 階上のマリアネラの落ち着いた部屋はまだ快適そうだった。

 流石に、貴族の泊まる部屋だ。三畳ほどの部屋にベッドと化粧台、小さな布張りの椅子と衣装棚が備え付けられており、丸い窓も開いていて採光もある。

 マリアネラとチータ、スサーナの三人でぎゅうぎゅうになり、さらにマリアネラはベッドに座る形になるが、狭いながらも一人部屋の体裁が整っていて、使用人部屋とは雲泥の差である。



 スサーナはチータがマリアネラの荷物を広げるのを手伝い、次いで荷物の中から瓶詰めのレモネードとジャムとビスケットを持ち、マリアネラについて食堂に向かうことにした。そちらでレティシアを待つのだ。

 小さい帆船ながらいくつか船内に公室があり、食堂兼サルーンはその一つで、自由に使って構わない場所になっている。たぶん日中は船室にいないでこちらか、でなければ甲板で過ごすことになるだろう。

 他に数名旅客はいるような気配がするので、いきなり食堂に貴族がいて肩身の狭いものもいるだろうが、背に腹は代えられない。

 流石に三畳に閉じこもって一日過ごすのはスサーナも勘弁申し上げたかった。


「ふう」


 くたっと木のベンチにもたれたマリアネラが優雅にため息を付いた。


「まさかあんなに船室が狭いだなんて」


 ――あっ、船室では何も言わなかったから慣れてるのかと思ったら、びっくりしすぎて喋れなかっただけなんですね! わかります!


「本当にあんなところで一日過ごせるのかしら。あなた達の船室もあんなに狭かった?」

「船なんてそんなもんで御座いますよお嬢様。住むわけじゃないんですから我慢なすってくださいな」


 スサーナは、わかりますわかります驚きますよねえ、と頷きながらグラスに気付けのレモネードを注いでマリアネラに渡した。


「本島に来る時の船はこんなふうじゃなかったんです?」

「ええ、もっと大きな船でしたもの。サルーンもラウンジも別々にあったし、部屋だって広かったわ。わたくしはサルーンで本を読んで過ごしたの。」


 マリアネラはため息を付いてレモネードを啜って、美味しいわ、と呟いた。


「もう一口注ぎましょうか?」


 スサーナがマリアネラからグラスを受け取り、一口分注いで渡す。

 グラスを受け取ったマリアネラが、グラス越しにスサーナを眺めてよし、と何やら気合を入れた。


「気ばかり塞いでいてはいけませんわね、船でしたいこともあるのですもの、ええ。頑張らなくちゃ。ふふっ」


 ――なんでこっちを見て気を取り直すんでしょうか! ちょっと怖いんですけど!

 スサーナは、やっぱりなにか企んでるうこの子ー!と内心悲鳴を上げつつ、表向きにはなんとか何事もなかったように微笑んでみせた。



 しばらくして、レティシアたちがやってきた。

 レミヒオに手荷物をもたせ、先に進んでくるのがセルカ伯だろう。広義の初老にギリギリ入りかけた、という感じだろうか、パッと見た感じ、気の良さそう、という感じのする雰囲気で、威厳があって貴族らしい、というより趣味人めいた雰囲気の人だ。

 楽しげに周囲を見渡しながらその後に続いてくるのが奥方か。こちらも好奇心に溢れたといった感じで、なかなかにチャーミングだ。


 スサーナたちを従えて甲板で待機していたマリアネラが名代らしくセルカ伯に正式な挨拶をする。鷹揚にセルカ伯が返答した後、マリアネラはちょいちょいとスサーナを手招いた。

 セルカ伯がおっ、という顔をする。


「おや、マリ。その子ははじめて見るな。髪が黒いのだね」


 ――ひええ。


「うふふ、島の方ですの。ただ黒いだけの髪は漂泊民の方々とは少し違うらしいですけれど、きれいな色でしょう?伯父様のレミヒオと並べたらなかなか見栄えると思いまして。」

「ああー。うん、うん、それはなかなかいい趣向だねえ。」


 ひげを引っ張りながらセルカ伯が楽しげに同意した。チータが全くこんなことでわざわざ髪を染めてもらうなんて、と後ろの方でぶつぶつ言う。


「おや君、染髪かい? そんな色に染まるのでは捨てたものではないなあ、何を使ってる?」


 目を輝かせたセルカ伯に問いかけられてスサーナは泡を食った。


「あっいいえ、その、髪ですが、濃く生まれつきましたもので……」

「ああっ、なるほど。もともと黒いのを上染めしたのか、なるほどなあー。」

「え、いえ、そのう」

「まあまあ素敵! ねえマリ、この子にレミヒオと揃いの飾りを仕立ててもよろしくて? きっと並んだときにとっても映えるわ! ああ、お仕着せも作って差し上げたいけれどそれは流石に失礼よね、ああでもこの衣装も斬新でなかなか良く似合っているわ、ねえマリ、これは貴女の見立て? 色を使わないのは重たくなってしまうと思っていたけれど白を差し色にするとぱっと映えて品があるふうに見えて素敵ね、頭の飾りもリボンかと思ったらそうではないのね、斬新でとても可愛らしいわ!」


 広まりかけたチータの勘違いを正そうとスサーナが慌てて口を開くが、楽しげに寄ってきた奥方がマシンガンめいて喋りだしたのに遮られてしまう。


 ――ひえええ。


 スサーナは完全に気圧されながら、両親の後ろに行儀よく控えたレティシアがぷすっとすねた顔をしたのを確かに見て、三度


 ――ひえええええ。


 内心悲鳴を上げたのだった。

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