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第54話 くちなし島へ 3

 奥に藍色の滲んだような深い青い空。その下に立ち上る白い雲と、空の色が映ったような青い海面。朝と言ってもいい時間帯だが日差しは強く、空も海もきらきらと眩しい。服の裾が揺れるぐらいの風に乗り、白い海鳥の群れが帆船の上を鳴き交わしながら飛び交っている。


「来てしまった……」


 スサーナは半眼でつぶやいた。

 港の端、旅行先へ向かう帆船の前である。


 マリアネラ達とは帆船の前で落ち合う、ということになっていた。

 一応にも側仕えということで、事前に上役の使用人に紹介されるとか、メイド修行などあるのでは?と思ったスサーナだったが、どうやらそういう事はなく、カジュアルに当日集合を言い渡されたのだ。

 マリアネラの立場を知った今になって思えば、さもありなんというところではある。


 出港の3時間ほど前である。まだ貴族たちは船のもとには来ていないようだった。

 話によると出港の1時間前に乗船するとかいう話なので、乗船準備に一時間ほど掛かると見て、多少余裕を見て早めにやってきたのだ。

 どうやら、少し早すぎたらしい。

 そのあたりには朝の早い船乗りたちが行き来しているばかりである。


 スサーナはずるずると籐で出来た旅行かばんを引っ張って邪魔にならなさそうな場所に据えると、その上にちょこんと座り込んだ。

 これは、はじめて本島から出るスサーナを心配して家族が用意してくれた荷物だ。

 中には着替えに、毛布の代わりにもなるマント、簡単な食器、ふきんやタオル類、小さな携帯用の裁縫箱、ちょっとした薬、それから普段は必要のない――そう、街には刺す類の衛生害虫が沸かないような魔法が掛かっている!――虫除けの干したハーブなど、いろいろなものがぎゅうぎゅうに入っている。


 側仕えが勝手に荷物とかを持っていっていいのか、とちょっと不安だったが、教養の教師によればどうやら下級貴族の召使いというものは何もかも主家から支給される、というようなことはないらしい。身の回りのものや仕事着は自分で用意するもので、揃いのお仕着せですらただで支給してくれるのはよほど羽振りのいい家だけだそうだ。

 ついでに言えば、たった数日ほどの臨時雇いの召使いになにか支給するのはよほど大金持ちで酔狂な貴族でなければやらない、という。

 さもありなん。


 スサーナはまだ誰も来ていないのをいいことにはしたなく鞄の上で足をぶらぶらして、これから行く島のことを復習しはじめた。


 島の名前はガルデーニャ島。諸島の一番外周部にある小さな島の一つだ。

 くちなしの島、という意味で、名前通り海岸線はくちなしの森で覆われているそう。

 主な産業は染料や薬剤をくちなしから生産することで、小さい港を備えた、漁村を兼ねた村が2つ。


 あとは、この辺には珍しいクチナシ(移入植物)の森があることでわかるように、島のどこかに小さな魔術師の塔があるとかないとか、いまでも魔術師が居るとかいないとか。

 大きな塔はともあれ、小さな塔はたまに放棄されたり塔ごとどこかに移動したりするらしく、そういうものの正確な場所や数なんかは魔術師ならぬ身にはよくわからないようで、大体話され方が島の怪奇スポットか、そうでなければ「前ヒグマが出たらしい」みたいな扱いである。


 他に特筆するような情報はなし。

 諸島にいくらでもある代わり映えのしない小島というやつだ。



 島で泊まる先は代官屋敷。滞在期間は船の行き帰りを含めて、順調なら5日。ガルデーニャ島では二泊する、という見通し。


 くちなしの実の収穫は冬の行事らしいので、農協の研修旅行ぐらいに「視察」することは少なそうだ。

 新しく任される任地とか言っていたし、どちらかと言うと領地代理人と顔をつないだり、村長や村人に統治者になる貴族様の顔を見せたりするのが目的なのだろう。



 そして、スサーナが何をやればいいのか、と言うと。

 正直良くわからない。


 いや、わかる、わかるのだ。多分マリアネラについてまわってあまり専門的ではない雑用をやる、前世で言ういわゆる「ねえや」、女童めのわらわと言ってしまうのが一番適当だろうか、ともあれ正式な使用人ほどかっちりしていない同年代の気安い少女でありつつ雑用をするようなものを求められている、ということは。


 ただし、どうもマリアネラはレティシアに対してレディズ・コンパニオンのような立場ではないかと推測されるので、彼女らが一緒の時はレティシアの方の家の裁量で動く侍女を使うだろう。そして、その際スサーナに求められることは、と考えると待機という可能性がけっこう高い。

 それでその待機中にこそレティシアに見えるようになにかが求められるのでは感があり、多分それが主目的であり、現状全く不明かつこわい。



「私の勘繰り過ぎで杞憂ならいいんですけどねえ……」


 潮風に紛らせて呟く。

 まだまだスサーナの杞憂だという可能性も高いのだ。お友達とペアルックぐらいの気分でこういうことをしている可能性も無くは――


「君……」


 驚いたような顔でつかつかと歩み寄ってくる人影が一つ。

 見れば、この間見た召使いのお仕着せ。黒い髪が潮風に揺れている。レミヒオだ。

 船の方を見れば、いかにも召使いらしい格好をした一団が荷物の山を船に運び込みだしている。どうやらセルカ伯のほうの使用人たちが準備にやって来たらしい。


「あ、ええと、お久しぶりです、と言うべきか、この間ぶりですと言おうか……。この間はろくに挨拶もできませんで」

「いや、それはいいです、けど……なんでこんなところに。それに、髪。」


 困ったようなレミヒオの言葉に、スサーナはああ、と潮風になぶらせたままになっている髪に触れた。


「えーと、マリアネラさん……様と言ったほうがいいんでしょうか、なんだかそちらのレティシアさ…様と、使う人の色味を揃えたいそうで、えっと、まあ。旅行の間、側仕えにとご依頼がありまして。」


 見た目を揃えたい、ということで側仕えに雇われたのだから、ボンネットをかぶって現れるというわけにはいかないだろう、と、スサーナは久しぶりに髪を晒している。

 涼しくていいのだが、もうずいぶん長いこと、外に出る時はボンネットをかぶる生活をしていたので少し落ち着かなくはある。


「側仕え!? 」

「あ、この格好、なにか変だったりします? ちゃんと側仕えに見えます?」


 呆れたような呆然としたような口調で吐き出すレミヒオにスサーナは首を傾げてみせる。

 今日のスサーナは飾り気のない、腰に切り替えのある灰色のワンピースにエプロン、髪を半ば以上晒す形の白布当てのヘアバンド。……一般的な服装の範疇内で前世で言うメイドルックに比較的近い形にできて、実は朝ちょっとワクワクした、などということは秘密である。


「いや、それは、……似合っているけど。 でも、いいんですか?君こそ」

「はあ、ええと、こういう面白がったようなことで雇われたのはレミヒオさんには申し訳ないとは……」

「いや、そういうことじゃなくて……それは君の責任じゃないでしょう。そうじゃなくて、君は、隠してるんじゃ」


 はじめて会った時も、前回も、髪をボンネットで抑えて見えないようにしていた、というレミヒオの言葉にスサーナはうなずく。


「あ、はい、普段はみなさんを驚かせるのは本意じゃないですから……。えっと、それなんですけど、ええと、髪の色、生まれつき濃かっただけってことになっててですね……それも申し訳ないんですけど、前話したことは他言無用で……すみません」


 小さく首をすくめるスサーナに、レミヒオ(ヨティス)はああ、とうなずいてみせる。

 氏族の則を得ていない混血……らしい娘に血の誇りをもてと言うほど彼は愚かではない。なにより慈悲深き呪司王は望むまま生きよく生きろとかつて氏族に告げたのだそうだから、常民と生きる彼女が生きやすいように生きてなんの問題があろうか。


 それよりも、髪を厭って隠した子を貴族どもが見世物のつもりで無理に引きずり出したのではないか、と危惧したのだが。どうも様子を見るにそうではないようで、彼女が自分のほうの感情を傷つけたのではないか、と気にして小さくなっている様子がなんとはなしに笑みを誘った。


「……お互い大変ですね。お嬢様たちの気まぐれに振り回されて。」


 短い言葉で共感を表してみせたレミヒオ(ヨティス)に、しょんぼりしていた少女はぱっと表情が明るくなる。


「えへへ。ええっと、慣れないのでご迷惑をかけるかも知れませんけど、よろしくおねがいします! あ、えっとそれでですね、なんといいますか、」


 マリアネラが自分を呼んだ意図はどうなのか、という話を勢い込んで始めようとしたスサーナだったが、ばたばたとした足音を聞きつけてしゃべるのを止めた。


 大柄な船員がひとり近づいてくる。レミヒオがほんの少し雰囲気を鋭くして、一歩前に出た。


「やあーっ、やっぱりだ! 正直屋のお嬢さんじゃねえですかーーー」

「ひあーーーっ」


 よいしょと抱き上げられて振り回されるスサーナの視界の端に、ポカーンとしたレミヒオが映った。


「おろしてー 12ですよー!もう12ですからねー! レディを振り回すなんて何を考えているんですかーっ!」

「あっはっはっは、いつまでもちっこいもんだから! ちゃんと食ってます?」


 幼い頃からの大人の知り合いはなぜ皆自分を見るとぐるぐる振り回さなければ気がすまないのか、という哲学的深遠な疑問を胸に歯噛みするスサーナはひとしきり抗議して下ろしてもらう。

 近づいてきたのはスサーナのうちと昔から懇意にしている船の船員だった。


「いやあどうしたんですその服装、ずいぶんと珍しい格好して」

「あっ、変です? えーと、髪とか」

「ああー、やあやあ、髪は気になりませんけども。エンマさんもフリオさんも見事な赤毛ですしね、お嬢さんがそうして出してんのは珍しいですけども、ちゃんと聞いてましたからね。」

「そ、そうでしたか、よかったです。」


 船員と会話する少女が後ろめたい子猫みたいな顔でちらりとこちらに視線をよこすのにレミヒオは気にしてない気にしてないとそっと手を揺らした。


「そうでなくって、ずいぶんと斬新な組み合わせじゃあないですか」

「うっ……駄目です?この格好。じつは数日だけ侍女になるので、それらしくと思って用意したんですけど」

「うーん、いやあ、侍女らしいかっつうと、ずいぶん豪勢な前掛けですし、頭布も凝ってるじゃあないですかね」


 メイドスタイル、駄目だったかー。スサーナはがっくりする。ギリギリあるデザインを組み合わせたのだが、組み合わせで違和感が出るやつだったらしい。


「いやあ、でもなかなか可愛らしいですよ。アレですか、今年の売出しってやつですか。お嬢さんはいろんなものを考えなさるね」

「はあ……ありがとうございます……」

「あっお嬢さんの作ったのといえばね、これ、このビロビロ服いいねえ!音ぉ聞くってのもそうだけどさ、 手だの拭く布もんを持ち歩く手間も省けるし、身軽なまんまで取り回しがいいのもいいよ」


 船員はニコニコして、ハードに使われていると思しきぼろっちくなったセーラー襟をグイグイと引っ張って示す。


「ビロビロ服……」


 セーラー服はこれは今後も少女のトレンドにはならなさそうだ、という思いに打たれているスサーナを尻目に、船員は上機嫌そうに、それじゃあエンマさんによろしく、と言って去っていった。


 こと、メーカーの使用イメージとエンドユーザーの使われ方には差が出やすいものであった。




 しょんもりしているスサーナに、ちょっと不思議そうな顔をしたレミヒオがよってくる。


「今の方は……。」

「ああー、おうち……お店で付き合いのある船の船員さんなんです……。驚かせちゃってすみません」

「ああ……うちはお店なんですね。」

「ええ、仕立て屋さんをやっていて……」

「仕立て屋……。ああ、だから君が作った、って。……働き先に困っていないなら、こんな仕事受けなくても……。」


 マリアネラの状況を最初から知っている状態のレミヒオは、貴族が押してくることが怖くてまず受けた、という想像は出来なかったようだった。

 まあ、事情を知った今ならいくらでも断る手段はあるとはスサーナもわかるのだが。


 スサーナは遠い目で空を仰いだ。

 ――逆に断れなくなっちゃいましたよねー。


「いえ、まあ……。あっ、それなんですけど……」


 再度なんだかふんわりした疑惑のことを話そうとしたスサーナだったが、船の方からおおーいと声を上げながらセルカ伯の家の使用人らしい人がレミヒオを呼ぶのを見た。


「ああ、行かなきゃ。……そういえば。」


 船の方に向かいかけ。いかにも大切なことを聞き忘れていた、と言う様子ではっとレミヒオが立ち止まる。


「は、はい?」

「名前……なんて呼べばいいか教えてもらえますか。」

「あっはい! スサーナです、レミヒオさん!」

「さんは必要ないですよ。じゃあ、よろしく。」


 スサーナは身軽に駆け去っていく後ろ姿にぺこりと一礼して、ついで港の入口の方にいかにも下位の貴族らしい小型の馬車がやってくるのをみとめ、旅行かばんをよいしょよいしょと半ば引きずるようにして自分もそちらを目指すことにした。

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