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些事雑談 無関係な話。 廃都にて 

(セルフレーティング要素あり 暴力・残酷 あともしかしたら少しグロテスク)

 調査の一団は、滅びしネーゲの首都、廃都アケルナルに踏み込まんとしていた。


 一同は皆一様に頑なな表情で、全身に魔除けをジャラジャラとぶら下げ、布という布には禍事避けの意匠。口元を覆うのは呼気から入り込む悪霊を弾くために聖木の灰とサフラン、蓬、ラック虫、、藍、最後に海竜の生き血で七度染め替えた布だ。


 アケルナルの周囲は今や草木もろくに生えぬ荒れ地と不毛の砂漠が広がっているため、調査隊は廃都に徒歩でしか踏み込むことができなかった。数頭駱駝を連れていはしたが、ここに来るまでにみな泡を吹いて死んだ。


 彼らの顔にも疲弊の色が濃い。

 よろよろと進む影たちを時折砂塵が覆い隠し、さらにごうと吹く塵旋風つむじかぜが押しひしぐ。

 それが収まったとて、地を這いずるように吹く風には黄色い微細な埃がたっぷり混ざり、彼らの視界をさんざんにぼやけさせた。



 ざあと崩れかけた壁の残骸から砂がこぼれ落ちるのに、一行の後を歩く男が一人ひいっと声を上げて振り向いた。


「なんだ……砂か、お、驚かせやがって!」


 毒づく声に先を行く者たちは振り返ることもない。ただゆっくりと進んでいくばかりだ。

 まるで葬送の行列のようではないか。不吉な連想をした男は、思考を振り払うために一歩立ち止まって、彼らが進んできた方角を眺めた。


 頼みの綱の太陽は、砂埃の向こうに低く浮かび、ぼんやり霞んで頼りなく、ぶやぶやと揺らいで赤錆のような色を発散している。

 まるで月か、ただの明るい星のようだった。


 往時には万の人が行き交ったろう広い石の街路には砂が厚く掛かり、その中に点々と残るのは自分たちの足跡だけ。

 道の左右を彩ったろう壮麗な建築物は、今や崩れ落ち、行き倒れて死んだいきものの肋骨あばらぼねのように、砂にまみれた土台を晒している。


 その周辺には偏執狂めいて神聖文字をびっしりと彫り込まれた魔除けの杭が乱れ立ち、その間を鈴を吊るした赤糸が乱雑に結んで、風に揺れ、ときおりかすかにちりちりと音を立てた。


 それらすべてが不吉な橙色の午後の光に照らされ、長い影を伸ばしている。



 まるで墓標のようだ。都市の墓標。

 余計不吉な連想にたどり着いた男は、ぶるぶると首を振って、先を行く一行の後を追った。


「二十年程度でここまで荒れ果てるとはねぇ……」


 一同の先頭を行く女が周囲を見回して言った。


「一時は永久とこしえの都なんて言っていた割には、脆かったこと」


 厚く布を重ね、体格もわからぬ衣装を身に着けた他の面々とは違い、彼女だけは身軽な格好をしていた。

 光沢のある白い布のベルスリーブのごく短い上着と、腰から下を足首まで覆う……しかし、深い切れ込みのある長いスカートを身に着けている。


 上着は胸の下で終わり、白い胸郭のラインと美しいラインを描く腹を惜しげもなく晒しており、共布のスカートも切れ込みから太ももを覗かせ、慎ましく足を隠す用途を果たしていると感じる男は少ないだろう。

 異装である、と言っていい格好であった。

 特にそれが、砂塵紛々たる廃都の只中であれば。


 急ぎ足で追いついてきた男は立ち止まって周囲を見渡していた女と目が合い、急いで反らした。

 男はこの女が苦手だった。


「あら、お疲れから?」


 女は肉食の獣めいて目を細めて笑い、砂粒一粒ついた様子のない、蛋白石オパールの輝きを浮かべる白く長い髪を搔き上げた。


「身体は労っていただかなくちゃ。アタシでは普通の言語ことばのことはわからぬもの。そうでしょ言語学者様」

「いや、なんでもない……」


 居心地悪くもごもごと答える。


「それとも熱い? 冷やしてさしあげましょうか。水が飲みたい? それとも、気付けに興奮剤がお要り用かしら。」


 女が指を揺り動かすと、その周りにひゅうと細氷混じりの風がまといついた。


「いらん!」


 男は一歩後ずさって強く声を上げた。

 常民としてアウルミアの辺境で生まれ、ヤロークで育ち、学を修めた彼にとって、この魔術師という人種は図り知れず、あまり関わりたい存在ではない。

 その上に、目のやりどころに困る格好の女ともなれば、なおさらだった。


「あまり嫌わなくてもいいじゃない。ここではアタシたち、一蓮托生なのですから。」


 女は白い喉を反らしてけらけらと笑った。


 女を避けるように横手を早足で歩みだした男に追いつき、ことさらに親しげになれなれしく声を掛ける。


「ねえ言語学者殿、あなたはネーゲの秘文が読めるのか?」

「読めない。」

「おや、読めぬのにこの調査隊に抜擢された? 脅されて?まさか立候補じゃないでしょう?」

「読めないが、どういう仕組の言葉なのかは類推することは出来る。サンプルを集めれば解読もいつかは……」

「おやうふふ、驚いた。その目の色。自分からここへ来たのだね。」

「それが」

「このような死臭紛々たる廃都に自分から来ようなどと、驚くしかないでしょう? しかしヤロークの王家も思い切ったもの。まさかこんなところに調査隊を出すなんて。」

「ネーゲの技術は余人の図り知れぬ高いものだった! それが今や完全に遺失、失伝しているのだから当然だろう!」


 良きわざが永久に失われ、その恩恵に預かれるものがいなくなるということは人にとっての損失だということは魔術師にもわかるのではないか。男は声に力を込め、とうとうと述べ立てた。


 ぶっきらぼうな響きながら饒舌に返事が戻ってきたのに満足したらしく、女は機嫌の良さそうな顔で男に歩調を合わせる。ざあ、と黄色い砂が落ちる。


「そう、ふふ、元気になった事。矢張り学者様には学問のことを喋らせているのがいい。」


 男はちっと舌打ちをし、魔術師の女から離れるように足を早めた。



 崩れかけた大門を超える。市内に入り、しばらく歩く。太陽は半煮えの卵の黄身のようにどろりとした光を投げかけ、影は一層長くなった。

 周囲にはネーゲ特有の溶石で作った灰色の建築物が増えてきた。

 かつてネーゲで魔術師の塔に及ぶ高層の建築を可能とした奇妙なわざの体現、ネーゲの層楼が男たちの周囲に姿を表しだしていた。


 低いものでも6階、10階を超えるものもある、城の物見櫓めいた高さの建物の残骸。

 往時はいかに威容を誇ったことだろうというそれらは、今はあるものは根本から折れて倒れ、あるものは虚ろな石の箱となってひゅうひゅうと風の音を増幅していた。


 灰色の砂石がぼろぼろと崩れ、石の中に埋まった基礎組のかぼそい鉄棒が、まさに骨のように縦横に組み合わさった構造をむなしく晒している。

 都が健在であった頃には驚異の技術よ人の進歩よと持て囃されたそれも、こうして滅んだ無人の廃墟としてみると、実に陰気で恐ろしいように思われた。


 調査隊に雇われた三人の熟練の護衛と、腕に覚えのある五人の調査員達が先に立つ陣形を組み、各々が手にアケルナルの地図を描いた陶器版を持ち、ルートを確かめながら進む。


「まだなのか、『都庁舎』は」

「はい。地図に寄るともっと中央より、無憂宮の側です」


 熱と空気の不快さに呻いた男に、護衛の長が短くいらえた。


「少し休憩しましょう」


 十人あまりの調査隊は、まるで石の影に集まる草鞋虫めいて廃墟が長く引く影の中に入り、その崩壊の際にネーゲの民とともにぐしゃりと敷石に叩きつけられたのだろう崩れた灰石の上に腰掛け、背嚢から浄化文様と魔除けにまみれた水筒と、それ自体に魔除けを焼き付けた堅パンを取り出し、背を丸めて口にした。


 男はなんとなく居心地が悪く、少し皆が座る瓦礫の周りを彷徨い、少し離れ、やや奥まった場所に自然物らしい石を見つけてその上にへたりこんだ。


 口布を引き剥がして背嚢から瓶を引きずり出し、水筒に移す手間も惜しんでがぶがぶと水を飲む。

 不快な熱が溜まってじりじりと煮えているような腹がすっと冷えて、胃液が泡立つ錯覚を覚える喉が洗われ、ほんの少し気分が良くなったような気がした。


 ひと心地ついて周囲を見渡す。

 男が座った石から見て少し奥は、鉄の棒や穴を開けた石塊が残され、建築途中か取り壊しの最中に放棄されたあとのように思われた。

 でなければ、ネーゲもひとときですべてが崩壊したわけではないそうだから、その初期に壊れた建築物を誰かが必死に補修しようとしたその名残りか。


「おや」


 男は立ち上がり、鉄材に歩み寄った。

 錆びつき、摩耗しきってはいたが、鉄材の端の組み合う部分に叡智王文字を認めたゆえだった。


 叡智王文字。ネーゲ中興の祖と持て囃され――また滅亡を招いた当人である、いまや僭王と呼ばれるトラン王が広めた暗号文字。ネーゲの奇跡と呼ばれる先進技術はすべて叡智王文字によって記録され、他国への流出が制限されていた。


 男が王家から命じられたのは叡智王文字の収集と解読だった。

 いくらかの技術書――今やそれらはネーゲの秘文と呼ばれ、各国が所有を争っている――は崩壊に際して間諜たちの手でネーゲから持ち出されていたが、それはごく僅かなものに過ぎず、そのうえヤロークは運良くその一つを所持することが出来たが、それ自体の解読すら遅々として進まずにいた。

 文字の解読と技術の運用にはもっと莫大な量のサンプルが必要だ。そう結論づけたヤローク王家はお抱えの言語学者のひとりであった彼に調査隊への同行を命じたのだ。

 彼自身、否やはなかった。


 孤児育ちで資産も家柄もなく、先祖から受け継いだ研究もなく、他の学者に勝る部分は熱意しか無いと自認していた自分が他の学者よりも業績を上げるためには、危険な任務に挑み、叡智王文字の実例を持ち帰る功績を立てなくてはならない。そう感じていたためだった。



 目を近づけて注意深く文字を見る。筆で砂を払い、荷物入れから出したペンでなるたけ詳細にスケッチをする。

 刻まれていた文字はごく簡単なつくりのもので、どちらかと言うと記号に近い単純さのものが数文字であった。直線が多く、線の単純な組み合わせで出来上がっていて、象形文字とも思われる形状をしている。どうやら組み合わせの方向を示しているらしい、男はそう判断する。皆こうなら解読は楽であるだろうが、残念ながら男が本国で確認した叡智王文字にはもっと複雑な線の組み合わせも多数存在していた。

 解釈をメモの端に書き付け、丁寧に荷物にしまい込む。

 一息をついて目を上げる。



 目線の少し先、大地に開いた穴の中から、女の顔がこちらを見上げていた。


 一瞬何事かまったく判断がつかなかった。

 見えているのは女の鼻筋から上だ。

 まるで穴の中に女がひとりしゃがみこんでいるように、女の白茶けた髪がみえ、見開いた目が見え、青白い頬と鼻筋が見えて、その先は穴の下にわだかまる影に沈み込んでいる。


 なんだかはわからないが、ふつうの事態ではない、ということだけははっきり判る。

 肌が煮えるような熱気の中にいるのにぞくぞくと背中が妙に寒い。今水を飲んだはずなのに、喉の奥がじんじんと痛くてたまらない。

 なんだか、わるいことが、おきかけているのはわかる。

 男は振り向いて護衛を呼ぼうとして――


 思考にぽかんと空白が混じった。


 ――あれは、リリシアじゃないか。

 愛しいリリシア。ぼくをおってこんなところまできてくれたんだ、あんなところで、ひとりで、さむいにちがいない。だきしめてやらなきゃ――


 脳が勝手に言葉を紡ぐ。


 リリシアなどという()()()()()()な、そんな名前の知り合いはいたろうか?

 恋人……?どこの国の人間だ?そんな、珍しい命名の?

 この自分が由来に興味も持たず、聞きもせずに――?


 彼の自我はガンガンと警鐘を鳴らしていたが、それでも、彼女は愛しい恋人だ、と思考が叫ぶ。


 一歩踏み出す。両手を広げる。妙に世界がのろのろとしているような気がする。ぬうっと女の頭が上に上がってくる。ああ。もうみんな見えてしまう、見たくない。女の目がぐりんと動く。こちらを視界の中心に捉えたとわかる。叫びたい。でも、なにをさけべばいいんだっけ――



 かのじょが、わらった。





 甲高い鳥の叫びのような、限界まで絞られた喉が上げる苦鳴のような、ぞっとする音が滅んだ街道に響き渡った。


 もそもそと食事を続けていた調査隊のメンバーたちがはっと顔を上げる。

 護衛の長が横においた長剣を流れるような動きで握り、音の元へ走る。


「転化だ!!! 学者ラザール殿がやられたぞ!!!」


 顔をしかめた魔術師の女がその後に続く。



 護衛の長達がたどり着いた先には、言語学者の男が一人呆然と立っていた。いや、立っているように見えた。



「言語学者殿」


 女が声を掛ける。


 男が()()()と振り向いた。

 首だけがまるで柔らかく溶けた水飴のように回った。


 ぎい


 男の喉から、いや、()()()から、という方が正確だろうか。不快な音が響いた。まるで硝子をすり合わせたような音だった。


「これは……もう駄目か、潜り込まれた!」


 女が舌打ちする。

 残りの護衛達が他の調査隊の面々を離れさせ、それぞれの武具を持って駆けつけてくる。


 男が身構える一同に向けて一歩足を踏み出した。

 靴がすぽんと抜けて落ちる。

 素足がまるでまったくなんの痛痒も感じないようにぺったりと焼けた砂の上に降ろされる。

 それは虫の蠕動のようにうねうねと脈打ち、それがぞるぞると胴体の方に上がっていって、服から露出した上半身まで震え、ぐねりぐねりとまた足に戻るようにして投げ出すようにもう片足が突き出される。


 そしてまたもう一歩。

 腰の関節がどうかしたように身体がよじれる。悪い夢か冗談のように腰がひねられ、まるで雑巾を絞ったように幾重にも衣装に皺が寄った。


 それは人間の形をしながらも人間ではないものだった。


 無秩序にぼこぼこと全身の筋肉が膨らみ、戻る。

 下半身は確かに直立しているのに、飴か何かを引き伸ばしたように上半身は地上に投げ出された。

 関節がぐにゃりと曲がり、それぞれ別の生き物でも入っているかのように接地点を起点にしてばらばらに先に進む。


 まだ四つん這いに四肢を使って進んだなら、獣を連想することも可能だったろうに、その動きはどんな獣にも似ておらず、しいて言うならばまだしも巨大な蛞蝓に例えることが出来ると言ってもいいのかもしれなかった。


 動きにつれて痙攣するようにぐちゃぐちゃに腕が振り回され、砂地に叩きつけられてはそこからいきなり蛇が這い回るように動く。

 頬の肉が花が咲くように弾け、そこから一体何をどうしたのか、視神経を引いた眼球がずるずるとこぼれ、ひとしきり這い回っては眼窩にたどり着き、まるで粘土のように肌が視神経を飲み込んで何事もなかったように戻った。


「うっ」


 護衛の一人が体を曲げ、吐き気をこらえるような声を上げた。


 ()()は跳ね上がると、その声に反応したように護衛のもとに走った(うねった)

 地面に叩きつけられた手足が滅茶苦茶な角度にぽんぽんと跳ね上がり、ぐるりぐるりと回って捩れる。


 あまりのおぞましさに反応が遅れ、半身をひねってただ逃れようとした護衛に飛びつく。

 一瞬早く護衛の長が投げた長剣が男だった身体を大地に縫い止めた。


 が。


 顎の関節が外れたようにかぱん、と開いて、口の中からどこのものかもわからない骨が壊れた骨だけの傘を広げたように突き出す。

 首がぐなりと揺れて、怯えきった目の護衛の目の前まで伸びた。



 ぱん!と硬いものに当たるような音がして、首がしろい魔法陣に阻まれる。

 転がるように下がった護衛が見れば、視界の先で鋭い目の魔術師の女が手を広げていた。


「下がれ! 気を強く保て! 我々の魂は契約に守られている! そうそう二次転化はせん!」


 強い声で護衛の長が指示を飛ばす。


「書き直す! もう少したせなさい」


 女の指が精緻な魔法陣を白い線で虚空に描き出していく。


 気を取り直した護衛達が波状に()()に攻撃を加える。そのたびに腕が飛び、腹がはぜ、血の一滴も見えぬ灰白い断面を覗かせては戻り、寄り集まっては繋がる。

 そのたびに、飛び散った筋繊維が寄り集まって鞭としなり、突き出した骨が針となり、そして肉の中に戻っていく。

 その一つ一つには指向性は感じないものの、それの意志がこちらの肌を「見て」いるということを護衛たちは感じ取る。


「き、効いていません!」

「かまわん!他のもののところまで進ませるな!」


 確かに、一撃一撃を受けた後には多少それの動きは遅くなるように思われた。

 なんという最悪な千日手だ。護衛たちは吐き気を覚えつつも、任を果たすために愚直ともいえる責任感と勇気を振り絞り、剣を振り続けた。


 化物を押し留めて、ほんの少しの間か、それなりの時間が経った後か。魔術師の女が凛とした声を上げた。


「成った!」

「よし、下がれお前たち!」


 最も矢面に立ち化物を跳ね返し続けていた護衛の長が一歩飛び退り、腰の装備袋から引き出した手網を短く脇に構えて投げつけた。


 網が化物の全身に絡む。

 細かい網目の間から短い肉芽が幾本も伸びかけたが、全体の動きは一時完全に止まった。


 白い光の図案が化物の周りを囲んで現れた。

 薄く月のような燐光を放つ線がまたたき、そして強い光輝となる。


 強い光が消えたそのあと、砂の上に倒れ伏していたのはボロ布を身体にまといつかせた傷一つ無い言語学者の死体であった。

 すこしの間警戒を残したまま身構え、死体がもはや動く気配がないと確認した後に護衛の長は二人の護衛に残りの調査隊のメンバーのもとに行くように命じる。


 魔術師の女が近づき、ぽかんと開いた目を閉じてやる。


「口布を外したのか」


 口惜しそうに護衛の長が言った。


「もっとよくよく言い聞かせてさしあげていれば……」

「……砂の混じったものを飲んだのだね。ああ、節約よりももっと気遣うものがあると言ったのに。ここまで無事に来着いたというにな。」


 女の声にも形にならぬ哀愁が混ざったようだった。


「他のところならともあれ、このアケルナルの邪気と淀みはなまなかなものではないとあれほど……」


 悔しそうに言葉を続ける護衛の長を尻目に、魔術師の女は言語学者の死体の横に膝をついた。


「身体は持ち返してはやれないな」


 奇跡的に死体の首に残っていた紐飾りを外してポケットに仕舞い、立ち上がる。


「さて、他の方々はどうしておられる」


 少し戻りが遅くはないか。女が言ったその時に、彼方の方から尾を引く悲鳴が聞こえた。

 残り二人の護衛たちの声だった。


 その声に被さるように、硝子を擦るような嫌な音がいくつも響いた。


 ぎい 

 ぎい 

 ぎい


 魔術師の女と護衛の長がそれぞれ短く舌打ちをした。




 この年のネーゲへの調査遠征は失敗。調査隊は魔術師と護衛一人しか戻らなかった。

 後に残った報告書にはそう記されている。


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