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些事雑談 揚げなすが食べたい

 スサーナは、ある日前世の夢を見た。

 他愛ない、目覚めてからどうと言い表すこともできない、ただ、見た、としか言えない夢。

 だが――


 目覚めて、彼女は思ったのだ


「揚げなすが食べたい!!!!」


 と。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 夏の初めのある朝、スサーナはよじれていた。

 昨夜見た夢に見事な揚げなすが出てきたのだ。

 大きななすの表面に隠し包丁を入れ、皮がパリパリになるまで揚げたトロトロのなす。

 揚げ浸し、そのまま生姜醤油で。中華風にあんかけをかけて。麻婆茄子という手もあった。チーズを載せてとろっとさせてもいいし、豚バラで巻くというのも捨てがたい。パスタにこれでもかと混ぜるのだって悪くない。

 てらてらとした鮮やかな紫と、とろとろの黄色の強いごく薄い黄緑の実のマリアージュ。恐ろしいほど油を吸って、噛み切ればじゅわっと熱が弾け、口に入れればトロトロと蕩けてコクを残し、トゥルンと喉を降りていく感覚も心地よい。そんななすであった。


「なっ、なす……!」


 スサーナは呻いた。

 爽やかな明け方だと言うのにお腹が減ってたまらなかった。



 この世界にも茄子はないでもない。

 白い、卵型の大きな茄子は皮を剥いて焼き、グラタンやスープに入ったり、グリル焼きにして食べたりする。

 ただ、本当に卵のような薄いクリーム色の皮はとても硬いし、そのまま揚げてずるずるっと行くにはちょっとばかり種が大きくて多いのだ。

 ついでに言うと、この世界の……かどうかはわからないが、夏になるとよく市場に出てくる、スサーナの頭ほどもある大きなそれは、スサーナの好みに照らし合わせるとちょっと余分に苦かった。


 ちなみに、その苦さを楽しむ、と言う食べられ方をしているので品種改良の機運は高まっていないと思われる。


「なーすー」


 諦めきれないスサーナは、小銭を入れたお財布を握りしめて市場に行くことにした。

 なすだって栽培品種が一種類ということはないだろう。普段買うアレがそういう味だと言うだけで、もしかしたら万が一揚げなすにジャストななすもあるかもしれないのだ。


 徒弟には週に一度――そういえば、ずっと週扱いしてきたけれど、新月の7日、上弦の7日、のように進むので週と訳すのもなんだか少し違うのだが、スサーナの認識では大体週だ――休みがある。


 もちろん、お店に修行に行くのは2日にいっぺんだし講に行くのは週に3日。被る時も被らない時もあるのだが、日曜にあたる日はどっちもないように調整して、きっちりお休み出来る日になっている。

 お家でやる修練もしなくていい日になったのは予想外だったけれど、おばあちゃんはこういう決めごとはちゃんとしておかないといけない、というのが信条で、つまり、今日は朝から何をしてもいい日だった。


 そんなわけで、朝一番に台所のパンとチーズをひと欠片貰って、パンを割ってチーズを挟んで水をお供に一心不乱に食べ、3デナル(6000円相当)――全部小銭なので30アサスというのが正確だが――お財布に入れたの(一月分のお小遣い)を握りしめ、まだ人の少ない街路をずんずん歩いて商人街まで行って、そこから馬車に乗った。

 港の市場を目指すのだ。



 朝一番に来たって港の市場は十分に賑わっている。

 メインは魚であるけれど、野菜だってなかなかのものだ。

 丁度店頭に新鮮な朝取れ野菜が出揃ったぐらいの時間、野菜が集まる売り場はちょっとした朝市の様相を呈していた。


 活発に売り買いするおばちゃんたちの波に頑張って頭を突っ込んだスサーナは、鋭い商人の目(自称)で野菜の海を見渡した。


 ――あったーー!


 お目当てのなすは数店舗に並んでいる。

 普段買う巨大な白いやつ。ちょっと小さい薄紫と白のマーブル模様のやつ。そして親指と人差指で作った丸程度の薄緑のやつだ。

 スサーナはとりあえずそれを最小ロットの3つずつ買い込んだ。


 ――待っててくださいね、揚げなす!!


 別のものを見たりもせず、脇目もふらずに帰る。

 口が完全に揚げなすになっているので、つい数日前から出はじめた氷の屋台ですらスサーナの気をそらすことは不可能であった。


 帰り着いて台所に駆け込むと、首尾よくみんなが朝ごはんを食べ終わった直後、まだかまどの火は落とされていなかった。


「すみませーん!かまど使わせてください!」


 夏に来てくれる料理人のおじさんに了解を取り、とりあえず洗った茄子を各一個ずつ用意して、悩んだ挙げ句に白いものは一切れ切り出し、マーブル模様のものは縦に四等分した。皮目にサクサクと斜めにナイフを入れ、白いなすの断面がすぐにアクで変色していくのは見なかったことにした。


 小さなフライパンに半分ほどオイルを張る。

 時折木串を突っ込みながら温度が上がるのを待ち、そっとなすを鍋に滑らせた。

 しゃわしゃわと揚がってくるのをなすーなすーと唱えながら待つ。


 揚がったかな?と思ったところで取り出して、本当は醤油が欲しいけれどないものは仕方ない。

 ソルトミルでがりがりと削った塩を振り、ざしざしと削った生姜――この世界の生姜は記憶に比べるとちょっとだけ甘いのが不満だったが、背に腹は代えられぬ――を山盛り添えて準備は完了。


 いざ。

 気迫を込めてぱくりと一口――


「ぐぐぐぐ 苦い……」


 スサーナは口を抑えて落胆した。

 油と言えば山菜にも勝つのだから行けるのではないか、と思ったのだが、やっぱり白ナスがしっかり苦かったのだ。

 もちろん、食べられないというほどではないし、弱い苦味と呼んで差し支えはない。前世のゴーヤなんかよりかは苦くないし、これはこれでと言って食べる人もいるはずだ。

 だが、スサーナが食べたかったのはとろっと甘い揚げなすである。ついでに言えば皮が殻かってぐらいに硬い。失格。


 次に口にしたのがマーブル模様のなすである。


「あっこれはそれなりに……でも種が多い……」


 薄々わかっていたことだが、小さなコイン状の種がいっぱい入っていて、これが結構硬い。揚がっているので食べられないことはないのだが、口触りが悪いのだ。

 失格。


 最後に口に入れたのが小さな青茄子。


「あっ……これ!大体これ、うーん、ちょっと味が弱い……?でもコレ!」


 種はなく、皮は噛み切れる程度。プチットロッ感はある。スサーナはちょっと興奮したが、なんといっても一つが人差指と親指で作った円程度、つまりプチトマトほどのサイズなのだ。


「下ごしらえも面倒くさい割に食べるのが一瞬……ううん……」


 三者三様の欠点にスサーナが腕組みしていると、やってきた料理人が何をやってるんですかお嬢さん、と言う。


「この小さななすがアクが薄くて好きなんですけど、このサイズしかないんでしょうか……」

「ああ、これは生で食べるやつですね。半割にしてサラダに入れるんですよ。こいつを焼いて食べたんです? 苦くなくて美味しい?ハハハハ。子供はまあそんなものですか。」


 おのれ食文化の違い。スサーナが歯噛みしていると。

 苦くないのがお好きだっていうなら、と、料理人が残ったなすをみんな割いて塩を振り、出た水を拭いてからさらに水に晒した。


 もしかして苦くなくす手段が?と目を輝かせたスサーナが、待っていてくださいと言われたのをスルーして台所の隅で座って見ていると、それを手際よくグリルして、スプーンで皮から外し、刻んで潰して網で裏ごしした。

 それから流れるようにオリーブオイルとレモン汁、塩コショウと擂ったニンニクと、調味料だなの壺から出した練りごまとはちみつが少し。それから水抜きしたヨーグルトと混ぜ、棒状のクラッカーで掬って一口渡してくれる。


「…………美味しいです」


 とても美味しい。アクもなくてコクもあり、とても美味しいのだが、コレジャナイ。

 スサーナは釈然としない顔で、胸を張る料理人にお礼を言った。むぐむぐ。




 数日後。とある塔の魔術師が嘱託商人を介して注文書を受け取っていた。

 この島においては有力な商人たちは魔術師にとって良い取引先である。

 付与術をかけたちょっとした魔術道具、魔術で作り出す氷や、栽培した植物、薬品など、こまごまとしたものが継続してそれなりの収入になる。


 とある商家からの注文封筒の中に、別に小さな封筒が入っている。

 商家からやって来るこういうものはたいてい特別な知らせだ。

 おおっぴらな依頼、と言うものにしたくない何かを頼む時、彼ら(商人たち)はよくこのような手段を取る。

 正式な依頼ではなく、こちらが気を回した、というふうに振る舞う際の常套手段。

 例えば、秘密裏になにか後ろ暗いことをして欲しい、だとか。特別な薬……大抵はいわゆる媚薬や回春薬の類。がほしい、だとか。


 魔術師は特に気にもとめずに指を動かした。虚空に浮いた封筒の封印が解け、ぱっと蓋が開く。


 中から浮かび上がった便箋を見て、ふっと魔術師が眉間を寄せる。

 それなりに美しく形が揃い、格好はついているものの、まだ儀礼文字の形式を教えられていない……つまり、子供の字。


 手元に寄せて内容を読む。


『拝啓 魔術師様。お聞きしたいことがあり筆を執りました。そちらでは果物を大きく甘くする技術があると聞き及んでおります。偉大な魔術師様におきましては、茄子のアクをとること、もしくは子ねずみ茄子(緑色の小さな茄子のことを農家でそう呼ぶそうです)を味と種はそのままのまま、大きくすることは可能でしょうか。…… 』


 あとは、揚げたナスがどれほどにうまいものなのか、と言うことを表すために修辞技法を駆使した、情熱ほとばしる詩歌が便箋二枚分であった。


 魔術師は、便箋を二度見し、裏を改め、透かしてみて、念のために魔術で精査し、どんな隠し文章も暗号もないことを確認して――宇宙空間を背景に背負った猫のような顔をした。

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[良い点] >宇宙空間を背景に背負った猫のような顔をした。 スペースキャットわろた
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