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書籍化記念SS「スサーナと12歳の夏の浜辺とバカンスのお客様」

12歳の夏のお話。

 海沿いの街外れには元々小さな丘だったところを削って街区にした場所がある。

 その一角にはほんの少し残った崖を利用した石垣があって、そこには小さなドアがついている。

 それを開けば、土を掘り抜いて木材で内側を抑えただけの小さな通路があって、ほんの五歩でその向こうは海だ。


 男の子たちが、じゃーん、とゼスチュアした後に開いたドアの向こうには暗い道があり、それを額縁に見える白い砂浜と、パライバブルーの鮮やかさにスサーナはごく一瞬くらりとする。


「ほわ……」

「きゃーっ、すっごーい!」


 間髪入れずに歓声を上げたのはアンジェだ。

 講の帰り、男の子二人に最近見つけたという秘密のスポットに寄って行こう、と誘われて、またいつぞやのように危険なところではあるまいかと警戒したスサーナは保護者半分の気持ちで寄り道を敢行しているところである。



「だろ!」

「あ、走るとやばいからね。そこの中、砂利が撒いてあるから滑るんだよ。こないだドンは転んだ」


 リューが言い終わらないうちにドンが飛び上がるように走っていったので、幼なじみの姿を見送りながらリューはスンとした顔になっていたようだったが、すぐに腕全体でアンジェとスサーナを招き、その後に続く。


「じゃ、行こう」


 短い通路から飛び出した子供たちに日が差して、光を透かした髪がちらちらと輝く。風が服の隙間から吹き込み、幼さを残した体の形を追う影を写しながら母衣じみて膨らんで揺らした。


 海辺の光が差す方に子供たちが走っていくその光景の鮮烈さに、奇妙なノスタルジアに襲われて、スサーナはくらくらと息を詰める。

 まるで踏み出したところで夢だと気づくいい夢のようだ、と思考する。綺麗に影で色分けされた通路の入口を眺め、影につま先を浸そうかどうしようか、馬鹿げたことと思いながらも一瞬たじろいで、スサーナはふと先日案内した上位貴族の男の子のことを思い出した。

 ――ああ、あの子、レオくん、あれはこういう気分だったんでしょうね。

 ぽかんと固まった様子を思い返し、海がとても好きそうだったのだから、この景色を見たらあの子もまた処理落ちするだろうか、と思うと少し愉快になる。


「スイー、どうしたー?」

「スイ!早くいらっしゃいよ!」

「すみません! 今行きまーす!」


 ――ミランド公、とおっしゃいましたっけ。セルカ伯のお友達のようでしたし。セルカ伯がまた島の外からも人を招くパーティーをすると言い出せば、あの子もまた来るかもしれませんね。そしたら見せて差し上げてもいいかもしれません。

 取らぬ狸の皮算用。貴族の子供をこんな場所に連れてくるのが許されるのか、などということは、一度は街中歩きの許可もおりたし、ミランド公というあの偉いらしい貴族は許してくれそうに見えたし、などと適当に考えて放り出した。どうせ実現可能性もそう高くない罪のない夢想である。



 辿り着いた浜辺は街の側らしく、いつかの夏に皆で行った海ほど広くもなかったものの、その代わりになかなか小洒落た雰囲気の場所だった。

 わるいおとな達が昼間サボるのに活用されている場所らしく、木造りに帆布を貼った寝椅子やら日除けやら、さらにはどこからか運んできたテーブルやらが置かれ、その上には酒の瓶と壜、それから炭を使った小さな焚き火の側の石積みには網が置かれ、ソーセージだとか燻製の魚だとかを食べたいだけ炙るのに活用されているようだった。


「おっ、腕白坊主どもがまた来たぞ。おや、今日は可愛子ちゃんたちも一緒か」

「けしからんなあ、こういうところでのんびりする愉快さというのは大人になってからでないとわからんぞお」


 寝椅子で寝転がっていた、いかにも街場の洒脱なおじさん、という風情の男性が起き上がって笑い、その側で、波際に針を投げて釣りをしていたちょっとひょろっとした男性が相槌を打った。

 おっ釣れた、と柳の枝らしい釣り竿をしならせて小魚を上げた、釣りをしていた男性にドンがまとわりつく。


「なあなあ、次来たら舟に乗せてくれるって言ったろ!」

「おっと、こら。引っ張るのはやめろよ。糸が切れるとまずい……天蚕糸なんだぞ、これ。高いんだからなあ……っと。」

「あははは、堪え性のない坊主だな」


 男達は笑い合い、海辺に逆さまにして干してあったカヌーに似た小舟を出してくれることになったようだった。

 このあたりは遠浅だが、と言いながらも男の子たちが泳げるかどうか聞かれていたので、聞かれない自分とアンジェは留守番だろうか、と思ったスサーナだったが、どうも皆乗せてもらえるらしい。


「よし、じゃあ舟がひっくり返ったら坊主達は自力で泳げよ、おじさんたちは女の子たちだけ抱えていくからな!」

「当然! 講じゃ泳ぎも習うんだぜ!」

「おっ、勇ましいな」

「ははは、島の講ってのはそんなことまで習えるのか。悪くないなあ」


 男の子二人を構いながら笑った男性たちの会話にスサーナはおやっと首を傾げる。


「おじさんたちは島の人じゃないんですか?」


 別に島の人間ではないからと言っても、島に来る船には本土のものもあるのだし、どうということもないのかもしれないが、この間のくちなし島な事件などでちょっと過敏になっているスサーナだ。第一、あんまりそうは見えないが、実は貴族で、ということになると、失礼を働くとどんな面倒がやってくるかわからない。


「お、うん、おじさんたちは本土の出だぞ」

「えっ、じゃあワルモン?」

「いやいや、イイモンだぞ。」

「そうだそうだ。圧倒的に体制側……と言ってもしゃあないけどなあ。」


 ドンのあんまりといえばあんまりな物言いに、怒りもせずに逆に愉快そうにした男達は小さく手を振ってみせた。ドンが口を尖らせる。


「えー。じゃあ密航者とか海賊じゃねえのか……そんな感じなのにな」

「ドン、思ってても本人に言うのは駄目じゃない?」

「はっはっは、ひどい疑いだな、そりゃ」

「ええと、それじゃ、もしかして貴族の方々……」

「えっ、貴族なの?」


 ぱっと目を輝かせたアンジェの意図が取れた気がしてスサーナはちょっと遠い目になる。これはなんとかして新しい物語を読めやしないかと思った顔だ。

 島の子たちのこの種の物怖じのなさ豪胆さにはほのかに馴染めない気がまだしているのだが、自分も生まれた時から島の子供ではあるはずなので、気づかないうちに影響されていたら嫌だなあ、と思うスサーナである。


「俺は平民出だな。そっちのおいちゃんはな……お前、一応木っ端貴族の出だっけ?」

「自分で稼がんといけない四男坊だから偉かあないけどなあ。」


 微妙に警戒したスサーナだったが、男達は、島に赴任してきた貴族というわけではなく、バカンスのようなものだとまた笑う。別に失礼を働いたと怒ったりしない、と言われて、あの変態貴族や暴力貴族のような貴族の関係者だと嫌だなあ、と思いはしたものの、スサーナはまあこの場ではいいか、と思うことにした。継続的な付き合いが発生するというわけでもないだろうし、一人が小舟を点検しにいくのを待つ間にドンが勝手にソーセージにかぶりついても怒る様子もなかった、というのもある。


 洒脱な方の男性が少し離れた場所に上げてある小舟を水辺に押し出すのを待つ。


「しかし坊主、俺も海賊扱いされたのは初めてだぞ。見たことないだろ、海賊」

「馬鹿にすんなよ、あるぜ!」

 フフンという顔をしたドンにひょろりとした男性が呆れたような顔をした。

「流石にちょっと吹きすぎじゃないかあー?」

「ほんとにあるんだって!」


 ドンと男性がじゃれるのを横目で眺めつつ、スサーナはアンジェがむむっと眉をひそめるのを見た。


「むう、ドンったら、また私のこと置いて遊びに行ったわね? 海賊なんてどこで見たのかしら」

「んー、ドンのうちって海関係じゃん。それで見るのかもね。」

「え、うそ。海賊なんて島に来てるの?」

「そりゃね。本島は少ないし、港周りから出ないらしいけど。……だって、海賊がいるから海賊市なんてあるんだしさ」


 リューの解説を聞きつつスサーナは、おお、まあ、それも道理だ、と納得する。

 その割には治安がいいような気もするけれど、なんだか海賊にも種別によっては品位だとか色々あるらしいし、まず第一に、諸島では昔海賊がひどく魔術師を怒らせたことがあるらしく、滅多なことをすると世にもひどい目にあう約束を結ばされているので大抵はお行儀がいいのだとか。


「リューくんも詳しいですね?」

「うちも建物やるからには色々話も聞くからねー。」


 リューのその解説を殊の外喜んだのは、ドンの頭を抑えてぱたぱたさせていたひょろっとした男性だった。


「ははん、やっぱり島の子供は詳しいな。おーい坊主達、もう少し詳しく教えてくれたら釣り竿貸してやる」


 ドンとリューに詳しく海賊のことや街の怪しい噂を聞き出した男性の様子にスサーナはもう一つんっ?となったが、ひょろっとした男性は声を潜めてこう言うのだ。


「絶対に秘密なんだが、俺は本土じゃ有名な劇作家をしてるんだ。今回はインスピレーションってやつを求めて、神秘の島と名高い諸島に遊びに来たってわけだなあ。」

「自分で有名っていう人が有名だった試しがないって親父が言ってたけど……」

「うわーっ手厳しいな! 王都の大劇場で何本も俺の劇が掛かってるんだぞー? トパーシオ一座って言ったらわからん? そっかあ、わからんかあ……」


 たはーっと目元を抑えてガックリと肩を落とした男性に、らんらんと逆に目を輝かせたのはアンジェだった。


「劇!! それって、恋愛物語もするものですか?」

「ああ、恋愛劇は特に人気だぞ。お嬢ちゃんも本土に来たら是非見に来たらいい。色んなところで公演はやってるしな」

「いいなーあ! 本土に旅行に行く許可なんて、貰えたりしないかしら……」

「こっちじゃあまり劇はやらないのかい?」

「旅芸人とか。漂泊民とか……あとは街の大人の集まりでお祭りのときにするぐらい? ねえ、島には一座はこないんですか? きっと来たら大人気になるわ」


 島の住人たちは貿易商でもなければあまり島から出たがらず、本土に旅行に行くなんて人もごく一握りであるという。アンジェの両親はどうやら保守派寄りであるらしかった。

 興が乗ったらしいひょろりとした男性に劇の話を聞きながらもうしばらく待つ。

 青く塗った小舟を櫓で漕いで戻ってきた洒脱な男性が手を振り、興奮したドンが全身をばねみたいにして跳ねた。


 それから皆で小舟に乗せてもらい、ドンとリューは前回の邂逅の際には糸を切ると言われて絶対に触らせてもらえなかった釣り竿で釣りまでさせてもらって上機嫌だ。


 浜辺の側で浅場ではあるが、赤い縦縞の小さなハタやら派手なギンポやらを釣り上げて、ドンはとても上機嫌になっていた。港の側でそれなりにスレていそうなものなのにやすやすと釣れるのだから、これはもう釣り道具が余程いいのだろう、とスサーナは思う。


 浜に戻ってから、洒脱な男性が手際よくさばいた小魚をビールで粉を溶いたフリットにして食べさせてくれたもので、男の子たちはだいぶ男性二人組に懐いたらしい。

 アンジェも劇の話ですっかりはしゃいでいて、好感度は非常に高止まりしているようだった。

 酒を飲み、シタールを弾きながら魚を揚げた男性たちは自分でもなかなか良く食べ、いくらかのお小遣いと引き換えに道向うの燻製売りでソーセージを買ってきてくれ、などと数度お使いに出されたりする。

 夕方前にさあ遅くなってきたし子供は帰れ帰れと追い返され、しばらくはこのあたりにいるからまたおいで、と手を振った男性たちは――これはスサーナにしかわからない感慨であるものの――いかにも古き良き時代、という風情で、スサーナはいかにも人懐こいようでも、誘拐だのを行う「本物の悪い大人」だったら困るなあ、と思ったものの、それなりにほのぼのしてしまうのだった。


 ところで、その後。スサーナが侍女ばたらきをしている間、スサーナ抜きの子供たちはよく彼らのところに遊びに行っていたようだったし、島に来た貴族の中ではダントツにマシなのではないかとそっとスサーナが認定したセルカ伯と彼ららしい人物が親しげに話しているのを数度見かけた気がしたので、彼らは本当に悪い大人ではなかったらしかった。



 夏の終わりに彼らは本土に戻っていったようで、ドンとリューはとても残念そうに、来年も来たらいいね、と言い合っていた。



時系列的には満月の祭りの前部分のエピソードになるものです。

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