七話 罪
廃村は深く掘られたすり鉢状の穴の中にあった。
どうやら村の中央から十字に道が伸びているようだ。
三人は意を決して階段を下っていく。
穴に合わせて長屋が円を描いていた。
そのひとつの陰に、朝陽の懐中電灯の光が金色の法衣と爪の伸びた足を捉えた。
驚いた拍子に樹に体をぶつけてしまう。
「どうした朝陽」
「二人とも静かに」
立ち止まってジッと様子を窺う。
辺りには濃い闇が広がっていて、懐中電灯の明かりさえ飲み込んでしまう。
「おい、電池が切れそうだぞ」
蓮が注意する。
朝陽の懐中電灯がチカチカと点滅していた。
顔をしかめて懐中電灯を叩いてみたが明かりは弱々しく頼りない。
「どうしよう」
樹は迷わず自身の懐中電灯を朝陽に手渡した。
「任せる。僕は二人の後ろをついて行く」
「残り二つの懐中電灯もいつ切れるか分かんねえ。さっさと出口を探そう」
蓮の言葉に頷いて、周囲に気を配りながら早足で村の中心を目指す。
木造建築の長屋は古くも廃墟とまではいかず形をしっかり保っていた。
窓はなく引き戸が一つだけある簡素な作りで、その玄関にはくすんだ色の提灯が一つだけぶら下がっていた。
「池だ」
どれくらい歩いただろう。
三人は村の中心に位置する池に辿り着いた。
池の周囲の建物は長屋と違って少し立派な作りで、そのどれもが独立していた。
「ここが中心みたいだね」
樹は深く溜め息を吐いた。
「出口は本当にあるのか」
「諦めんな樹」
「でも蓮。あるとして、どうやって見つける」
「それは……」
朝陽は反射的に振り向いた。
遅れて二人も振り向く。
「またか朝陽」
「僕はさっき、龍人の足を見た気がしたんだ。今も見られてる気がして」
明かりを振り回してみるも、それらしい姿形は見当たらない。
しかし、足元を照らした時にあることに気が付いた。
薄いモヤが池の方から忍び寄っていた。
それは少しずつ這い上がってきた。
「まずいぞ!」
樹が叫んで朝陽の腕を掴んだ。
突然どこかで鐘が鳴った。
ゴーン……ゴーン……。
この異様な空間で時を打つ音が響き渡る。
何かの時が来た。
魔が逢いに来る。
それぞれが直感して身構えた。
霧は瞬く間に少年達を包み込んだ。
「蓮を見失った」
「近くにいるだろう」
朝陽は手を伸ばしてみたが空を切るばかり。
懐中電灯の明かりは散り散りになって、彼の影も捉えられない。
「朝陽。慎重に前に進もう。今の僕達の後ろに池があるはずだ」
「分かった」
鐘の音が鳴り止んだ。
また不気味な静けに返る。
闇と霧は合わさって瘴気のようになり、二人の精神をジワジワと蝕む。
出口は見つからない。
あまつさえ視界を奪われた。
恐怖と緊張で体が強張る。
冷えて湿った空気が首にまとわりついて背筋をゾゾッと悪寒が走った。
「樹?」
いつの間にか、朝陽の腕から掴まれていた感覚が失われていた。
頭だけを動かして見回しても、それらしい影は無かった。
仕方なく足を進めると、長屋よりも立派に作られた建物が忽然と目前に現れた。
「ひとまず身を隠すしかないか」
朝陽は物音を立てないよう静かに引き戸を開いて中へ忍び込んだ。
中には作業台や木材が、突然そっくり人が消えたみたいに乱雑に放置されていた。
ここが作業場らしいことは直ぐ分かった。
朝陽は恐る恐る奥へ進んで、山積みにされた木材の陰に身を隠した。
万が一に備えて懐中電灯は消した。
目を閉じた時よりも暗い世界に落ちた。
朝陽は上がってきた息を整える。
「朝陽?蓮?」
その折、樹は屋敷の一つに逃げ延びていた。
まるで導かれるように。
隠し持っていたジッポが役に立つ。
頼りない明かりだがないよりマシだ。
外観は和の装いでも、内観は洋で統一されていた。
辺りをザッと一通り確認して、卓上に散らばった数枚の書類などからここは役場だと分かった。
恐らく外と連絡を取るために国が用意したものだろう。
廊下を見つけて奥へと進んでみる。
それは小さな日本庭園を囲むようにコの字に曲がっていて、その角に日の丸の国旗が倒れていた。
床板を踏む音に緊張が高まる。
突き当たりのドアを押し開くと、神社とは真逆の豪奢な内装が施された部屋に通じた。
ここを管理する総督が居座る部屋と見た。
ちらと、ドアの陰に何かを見つける。
人の足だ。
「うああ!」
樹が驚いて部屋の中へ転がると、ドアはひとりでに閉じた。
唾を飲み、そろそろと這い寄る。
ドアの陰に隠れていた者の正体が明らかになる。
「どういうことだ?」
無精髭を生やした若い成人男性の腹を撃たれたらしい遺体が目を剥き出して仰向けに倒れていた。
それもやけに生々しい。
まるで今先ほど撃ち殺されたようで、壁の血は瑞々しく、臭いは鼻を突いて眉間に皺を寄せた。
なお注目すべきは彼の服装。
一昔前、昭和の服装だ。
ジリリリ!!!
突然、卓上の黒電話が鳴った。
心臓が高鳴って肩が跳ねた。
電話は鳴り続ける。
ほんの少しの間は硬直して動けなかったが、助けになるかも知れないと思い立つと受話器を手に取るまで早かった。
「もしもし!」
応答を繰り返して、助けを希った。
しかし返事はない。
相手の反応を待つことにした。
耳を押し当てると微かに声のするのに気付く。
それは人、猫や犬、それに鳥といった様々な生物達の悲痛な喘ぎ声が混じったものに聞こえた。
息が詰まる。
樹は受話器を落とした。
「まさか……だって昔のことだ。まだ幼かった時のことじゃないか」
大きな手が視界を奪った。
樹の見る景色に鋭い線が走った。
「樹?」
朝陽は物音に気付いた。
それは壁の向こう、外からだ。
樹の小さな声が聞こえる。
どこか苦しそうだ。
懐中電灯を点けると壁に細い隙間があるのを発見した。
工夫して明かりを差し、壁に頬を当てて片目で外を覗いてみる。
「樹!」
「朝陽……朝陽なのか」
道に倒れ伏した樹の姿は無残だった。
全身に切り傷を負っているようで、身につけている衣服もボロボロに破けていた。
「僕は罰を受けるみたいだ」
「罰って、何の?」
「小学生の頃、よく遊んでたことを朝陽は忘れていただろう。それは僕が目を盗んで皆から離れていたからだよ」
「どういうこと?」
「殺さないよう加減はしたつもりだ。親からのプレッシャーにイライラしてて、完全な八つ当たりだったのも認める」
樹は何者かに懺悔するように弱々しく語る。
朝陽には何が何だか、さっぱり分からなかった。
「何の話?」
樹の頭に手が伸びて、朝陽は咄嗟に口に手を当てた。
金色の法衣。長い爪。
視線を上げると顔の伸びた龍人が前屈みになっていた。
朝陽のことなど気にも留めない。
激しく三度と樹の顔を地面に叩きつける。
樹は呻き声と悲鳴を同時に発した。
持ち上げられた顔は鼻が潰れていて、血が垂れ、歯が一本、二本と落ちた。
そこへ二体の龍人がどこからともなく現れて暴虐に加わった。
朝陽は明かりを消すと壁に背を向けて目と耳を塞いだ。
殴る音と折る音、そして胸を裂く悲鳴が絶え間なく嫌でも耳に入ってくる。
全身が震えて涙が込み上げてきた。
「樹……」
音が止んだ。
「樹!樹!!」
気が付けば足が動いていた。
作業場から飛び出して迂回する。
道の真ん中で、樹は仰向けになって捨てられていた。
手足があらぬ方向に何度か折れている。
顔は原型を留めていない。
破れた服の隙間からは裂けた肉が見えて、そこから血が止めどなく流れていた。
「しっかりして樹!」
「頼む……」
「え?」
「殺して」
「そんなの無理だよ」
「死にたい。もう嫌だ」
「だからって僕には殺せない」
「殺してくれ!殺してくれよ!!」
樹は慟哭して懇願する。
その片目は潰れて涙と血が混ざって濁っていた。
「友達だろう」
朝陽は俯いて、とうとう涙を流した。
「頼むよ。早く楽にしてくれ」
樹の声は掠れていた。
ヒューヒューと木枯らしのような音が喉から漏れてくる。
「首を絞めれば苦しくないから」
間を置いて、朝陽は樹の首を両手で握った。
妙な興奮に吐く息は強く止まらない。
心が揺さぶられ手が痺れる。
手に伝わる、樹の体温と汗と血の感覚が脳を激しく刺激する。
「ありがとう。こんな俺でも殺してくれて」
「樹がどんな奴でも親友に変わりないよ」
友達の首を絞めていると口角が吊り上がった。
ギリギリと強めて、食い縛る歯の隙間から漏れる声が跳ねる。
喉を潰す親指に力を込めた。
僅かな抵抗があって、ついに樹は動かなくなった。
彼は笑っていた。