五話 異
少年達は土壁に屋根瓦を乗せた築垣を横目に少し歩いて神社の正面に回り込んだ。
そこまで来て、お経が微かに聞こえてくるのに気付く。
少年達は興奮のあまり顔を見合わせた。
早速、入り口を塞ぐ邪魔な赤い鳥居を乗り越えて境内へ踏み込む。
そこまで広くはない。
砂利の敷き詰められた境内には一本の石畳の参道と、それに沿って左右九つずつ石灯籠が並んでいる。
そして、朱色に金で装飾された八角形の本殿だけがあった。
珍しい形に少年達は興味をそそられる。
目前まで来ると襖に朧げな影が一つ見えて、お経がハッキリ聞こえてきた。
「誰かいるぞ。覗いてみようぜ」
「それはやめた方がいい」
無謀な蓮を樹が冷静に止める。
朝陽もそれに賛成した。
「もう帰ろう。これ以上はやめた方がいい気がする」
朝陽の言葉に蓮は怒って反対した。
そして腕を掴んで止めようとする樹を振り払って階段を上がってしまった。
襖が一つあるだけ。
蓮は、音を立てないよう静かに隙間を開けて中を覗いた。
線香の匂いが漂ってくる。
二人は見上げたまま緊張で硬直した。
朝陽は気持ちが悪くなってきて、その気持ちごと吐きたいくらいだった。
「お前達も見てみろよ」
大晴が喜んで先に動いた。
朝陽と樹は困った顔を見合わせた。
大晴が二人を手招きする。
蓮に背中を押されて、渋々階段を上がることになった。
緊張が興奮に変わってきた。
覗きたい衝動が一歩一歩階段を上がるごとに強くなる。
お経がまるで耳元で唱えているかのように大きくなった。
中をそっと覗く。
意外と質素というか簡素な装飾で、奥には金の昇竜が祀られていた。
その前に青い法衣を着た坊主が少年達に背を向けてお経を唱えていた。
「何故ここへ来た」
突然話しかけられた朝陽は小さく悲鳴を上げて固まった。
誰も言葉を返さない。
坊主はお経を唱えるのをやめて少年達の返事を待っているかのようだ。
「龍神に会いに来たんだよ」
物怖じせず蓮は吐き捨てた。
「坊さん、何か知ってる?」
坊主は振り向くことなく、まるで子供を諭すように答える。
「それは叶わない。諦めて帰りなさい」
「何か知ってんだろ。言えよ」
「ここにいてはいけない」
「言えって!」
「まだ間に合うだろう」
「言えっつってんだろ!」
蓮は怒鳴ってズカズカと進み出ると、信じられない事に坊主の胸ぐらを掴んだ。
さすがに大晴も慌てて、蓮を抑えようと動いたその時、蓮は恐怖の声を上げて坊主を突き飛ばした。
坊主の横顔がチラッと見えた。
その顔は中心に向かって歪んでいた。
少年達は一同に絶叫して、一目散に外へ飛び出した。
その騒ぎに樹が足を踏み外して階段を転げ落ちた。
遅れて出てきた蓮が起こしてやる。
「樹!血が出てるぞ」
「そんなことよりこの不良!お前は僕達を!」
樹は左足の脛を怪我したらしく不器用に立ち上がって蓮に掴みかかった。
「何だよ落ち着けよ。坊さんの顔がちょっとヤバかっただけじゃねえか」
「この状況じゃ、もうどんな冗談も通じない!普通じゃない!異常なんだ!あり得ないことに僕達は巻き込まれたんだ!どうしてくれるんだよ!」
憤慨して捲し立てる樹が殴りかかっても蓮はそれを軽々とかわした。
「巻き込んだって、自分でついて来たんじゃねえか!自己責任だろ!」
「うるさい!このろくでなし!」
「何だと!お前こそ、ろくでなしだろ!」
「っこいつ!」
朝陽は、これ以上は我慢ならなくて間に飛び込んだ。
「もうやめよう!喧嘩してる場合じゃないって!」
「でも朝陽」
「蓮の言う通りでもあるよ。僕達は自分の意思でここに来たんだ」
「だけど」
「とにかく。お坊さんがまだ間に合うって言ってたし、今すぐに帰ろう」
朝陽の言葉に反論はなかった。
やっと静かになった時、お経が再開しているのに気付いた。
「あいつ。俺達のことなんか気にせず、またお経を唱えてんぞ。坊さんのくせに薄情なもんだぜ」
大晴は呆れながら言って鳥居へ向かって歩き出した。
と、その鳥居の側で何かが動いた。
少年達は目を細めて固まった。
暗闇の中からゆっくりと歪な影が滲み出てきて、灯籠の明かりがその輪郭をハッキリさせた。
金色の法衣を着た龍が立っていた。
龍神というよりも龍人と呼ぶ方が相応しい見た目をしている。
前に長く伸びた顔、不気味に寄った目、長く縮れた髪、そして枯れ枝のような二本の角を懐中電灯の明かりがハッキリさせた。
初めて出会う異形の怪物に少年達は言葉どころか感情まで奪われた。
どれくらい目を見開いたまま立ち尽くしただろう。
先に、龍人がぬるりと動いた。
鳥居を乗り越えて、スルスルと法衣を擦ってこちらへ迫って来る。
「逃げろ……逃げろ!」
朝陽の叫びを合図に走り出した少年達は本殿の後ろへ回った。
行手を塞ぐ築垣は少年達の身長を超えている。
登ろうと試みてはみたが、瓦が滑って掴むところがない。
「樹が怪我してるし無理だ」
朝陽の言葉に大晴が頷く。
背負っていたリュックを体の前に移した。
「俺が背負ってやる。こい」
「いやいい。少しは走れる」
「言ってる場合かよ!おい朝陽!奴はどこまで来てる!」
朝陽はしゃがみ込んで本殿の下を覗き見た。
奴も向こうからこちらを覗いていた。
半ば飛び出した目は血走っている。
「うあああ!」
朝陽は驚きのあまり仰け反った。
衣擦れと砂利を踏む音が小刻みに大きくなって迫ってくる。
「立て朝陽!みんな走れ!」
本殿の陰から龍人が覗き込む。
それを合図に本殿の脇を走り抜けて参道まで一気に出た。
朝陽が振り向くと視界の端に龍人が鳥居まで来ているのが見えた。
「振り向くな!」
樹が叫ぶ。
朝陽は前に向き直り、少年達は全力で駆けて来た道を戻る。
しかし、その突き当たりは岩壁があるだけで少年達が通った洞窟は跡形も無かった。
「何でねえんだよ!」
蓮は怒りも最高潮に岩壁を蹴った。
大晴の背中から降りた樹は岩壁に背を預けて腰を落とす。
そして、カバンからタオルを取り出して怪我をした足に巻き応急処置をした。
「あいつは追って来てない。少し休もう」
朝日は胸を撫で下ろした。
鼓動は早く破裂しそうで痛い。
少年達は並んで腰を伸ばした。
蓮が煙草を吸おうとして、しかしそれを投げ捨てた。
「みんな悪かった」
蓮は素直に謝る。
大晴が小さく笑った。
「気にすんな。反省会は帰ってからにしようぜ」
「まずは、出口を探そう」
「樹。どうしたらいい?」
朝陽が助けを乞う。
樹は顎を親指でさすり頭を悩ませる。
「円を描いてる建物の配置からして、ここはドーム状の空間だと思う。もしそうだとしたら、このまま右回りに壁沿いを進むのが正解だろうな」
「さすがお坊ちゃんだ」
「からかうなよ大晴。助けて貰ったことは感謝するけど馬鹿にしないでくれ」
「馬鹿にはしてねえよ。頼りにするってんだ」
「よし。とにかく樹の言う通りにしてみよう。神社の裏ならあいつと会わなくて済むかもしれないし」
朝陽の言葉に三人は頷いた。
それから右回りに巡って行くことにした。
数分、数十分、腕時計を見ると出発してから一時間を過ぎていた。
目印に置いておいた大晴の花火が見えた。
「一周したな」
大晴はガッカリしたように言って花火を踏みにじった。
蓮は我慢ならなくなって煙草を吸い始めた。
少年達は行き詰まった。
「お坊さんに助けてもらおうよ」
朝陽は堪らない思いをこぼす。
落ち着いてくると、一刻も早く帰られるなら少しぐらい危険を冒しても構わない気持ちになった。
「それしかなさそうだ」
樹は諦めた風に項垂れた。
蓮が煙草を踏み消す。
「俺が一人で行く」
「ちょっと待って。それは危険だよ」
「朝陽、よく考えろ。人数が多い方が危険だし、何よりお前らは足手まといになる」
朝陽はムッとしたが言い返せなかった。
樹も黙っている。
「俺が見張りでついていくから心配すんな」
大晴はどこか楽しそうに言った。
「そうだな。頼むわ」
「おう、任せとけ」
二人は荷物を置いて、さっさと行ってしまった。
朝陽と樹は止めもしなかった。
二人なら安心できる気がした。
「朝陽、顔色が悪い。ちょっと寝たらどうだ」
「平気だよ。それより樹こそ、一時間以上も無理に歩いて平気なの」
「無理してないよ。骨は大丈夫そうだし、ちょっと大袈裟に血が出たくらいだ」
「そっか」
朝陽はカバンからチョコレートを取り出して食べた。
瞼を閉じてリラックスする。
龍人について考えてみる。
ここで、ふと思い付いて蓮のカバンを漁ってみた。
「どうした朝陽」
「蓮が律儀にプリントアウトしたものがあっただろう。都市伝説として書かれてるってことは、脱出できた人がいるってことだ。ヒントがあるかも知れない」
「なるほど。今日は頭が冴えるね」
「まあね」
目的の資料を見つけてザッと目を通してみる。
都市伝説をネット掲示板に書き込んだ男は二十代の男性。
親戚に歴史ある大工の一家がいて、その人から昔話を聞いたのが事の始まりだという。