皇后であった頃の悪女は、皇国の威に泥を塗り、自らは放蕩に酔いしれる 下
ボナパルドが、彌皇后に今までの経緯を説明した。それは、実に驚くべきものだった。
「ブリム大帝国は、本来は貴国と同盟関係を結ぶ予定でした。ジン皇国と言えば、かつての大国で、その抱える人口などは、ブリム大帝国とヌーサ共和国の全人口を足しても、まだ足りないほどです。そのため、眠れる熊と呼んでいたのです」
彌皇后は、大事な話になると思い、四務を召集してよいかとボナパルドに聞き、ボナパルドは、それを認めた。
すぐに捕まったのは、卓外務と武財務だった。残念なことに、徐内務、宝軍務は、その時は捕まらなかった。二人は、部屋に入ると、居合わせた人物に驚いた。今まで、皇宮に上がったこともない、三賊と外国人が、彌皇后に向き合っていたからだ。
立ち上がろうとした恵良を、彌皇后は留めた。
全員が、着席したのを確認して、亜萬が、亜紗に、意味深な視線を向けた。それを、亜紗は、頷く代わりに、長い瞬きを2回した。馬賊における承諾の意味を持つ所作だった。
「彌皇后。この方たちは?」
外交の場のように張り詰めてはなく。かといって、親睦を図っているようには見えず、何とも言い難い生ぬるさすら感じるその空気に耐えきれなくなったのか、卓外務が、彌皇后に問いかけた。
「発言してもいいですかな?」
「ええどうぞ」
その、卓外務の発言を察していたように、亜萬が、控えめに発言を求めた。そっと、彌皇后は、亜蓮に視線を向けたが、そこには厳しく、見守っている馬賊の女性の姿があった。
「現在、我々は、彌皇后との面会を求めて、皇都より、1町の場所に、三賊で申し合わせて、1万の部隊を展開しております。」
卓外務と、徐内務が1万の部隊と聞き、顔を見合わせた。今の皇国の軍事は、張り子の虎と化しており、この半年の間に、総兵力数は、10万を切った。皇都の守備隊の多くは、都内の警備に回していて、即応できる部隊数は、皇宮の近衛隊を含めても、せいぜい3000といったところだろうか。
「一万ですと」
「一万……」
「勘違いしないでいただきたい。我々は闘う為に、来たのではない。もちろん、闘いを望むのならば、こちらとて容赦はしない。」
その自信に溢れた声に、卓外務と武財務は、押し黙る。
「では、お聞かせいただけませんか?あなたたちが何を求めてこられたのかを」
彌皇后の声に、亜萬が、芝居臭く頷いた。
「今後の皇国の在り方を示すために。三賊を含め、広く民の中から人材を集めるべきだと思いたちました。三賊の内、二賊でここに参りました。まさか、その程度の提案も飲めないとは思っていませんが……」
亜萬は、対面に座する4人に威圧的な視線を送る。
その視線を、彌皇后は、真正面から受け、見えないように、両手を強く握りしめた。卓外務と徐内務は、何とか気力で耐えていたが、外目に見ても、威圧されていることは、明らかだった。
「そのような視線を向けられれば、こちらも、友好的な手は取りずらくなります」
彌皇后は、そう言い、二人に助け舟を出した。如何にも如何にもと、二人は頷いた。その様子を見て、少しは、落ち着きを取り戻せたのかと、彌皇后は内心で安堵した。
「広く民から人材を集めると言われても、そんなことは、皇国の歴史の中では、前代未聞です」
「いえ、前例があります」
卓外務の声に、今まで押し黙っていた、男が反論した。特に彌皇后は、その発言を止めることはしなかった。
「前例?そんなものが?」
「ええ、ジン皇国の開祖は、かつて、国を興す際に、自らが先方に立ち、天下に広く人材を求め、応えたものを重職につけたと言われています。その人々の中には、開祖に敵対するものもいたと言われていますが、開祖はそれを適材適所に添えたと言われていますね」
「そんな昔の話を取り上げられても困るのですが」
「前例を出せと言われましたので、出したまでです。蒙皇王は、80代目の皇王でございますが、その重鎮に開祖のとった行動は時代遅れと言われましても……いささか、残念ではありますな。」
一瞬、むっとした表情を浮かべた、卓外務を見て、男はさらに言葉を発した。
「それとも、特に戦闘の意図のない船が1隻、北に舵を取ったくらいで、尻を見せて逃げ出すのが、時代の先陣を駆けているということでしたかな?」
皮肉気に発せられた言葉に、一瞬場が凍り付いた。
「蒙皇王の身の安全を最優先とし、一時的に危機からの回避を図っているまでです。皇国の情勢が整いましたら、お戻りいただくと考えております」
彌皇后は、そう反論すると、一旦言葉を切った。そして、その男をよくよく観察する。まだ、若いように見えていたが、よく見ると、そうとも言い切れない、老練な雰囲気を醸し出していた。そう言えば、と、彌皇后は、記憶を手繰る。二賊がこの会談に臨んでいるとさっき父親である、亜萬が言っていたではないか。
ということは、この男も、その一人なのだろうかと、訝し気に視線を向けると、その視線に応えるように、男は、大仰に手を広げた。
「プロイン王国に、ジン皇国の国河に、その人ありと言われた。河賊の楊だ」
皇都を潤す川幅5町(おおよそ20km)を超える大河。それが、『国河』と呼ばれる、ジン皇国で最も貴重な川だった。そこに住んでいるのが、河賊と呼ばれる、人々で、国河に、家を浮かべて、日がな船で異動する人々だった。
「プロイン王国?」
「ああ、ジン皇国の北方に位置する大国だ。かつて、ジン皇国の開祖も大いに苦しめられた、鉄と氷の大国。それが、プロイン王国だ。亜紗と、梁が、かつて囚われた国だ」
その問いには、亜萬が、答えた。
その言葉に驚きを隠せなかったのは、彌皇后だけではなかった。
「そんな、馬鹿な。亜紗様は、国の有力貴族、籐家の子女様と聞いている」
「ほう、そんな作り話を良く信じたものだ。武財務」
「皇国の方、馬賊の掟を教えて差し上げましょう。肉親が奪われたのならば、自らの命を捧げてでも、取り返す。これは鉄則です。……プロイン王国から、ようやく戻ってきた娘を、攫ったのは、あなた方、ジン皇国。この事実に異がありますか?」
亜萬と、亜蓮が、卓外務と武財務に詰め寄る。場の温度が、下がった。
「少し、待ってください。それだけ大事ならば、この5年近くの間、亜紗様をなぜ、あなた方は迎えに来れなかったのですか?」
思わず、恵良の発した言葉に、その場にいた者たちは、顔を見合わせた。特に卓外務と武財務は、驚いたような表情を浮かべている。
「そなた、配属は?なぜここにいる?」
「わたくしは、彌皇后付の女官で、名を恵 氏を良。恵良と呼ばれております。彌皇后さまのため、そして、亜紗様をお守りするために、ここにおります」
その言葉に驚いた表情を浮かべた武財務だったが、彌皇后からの視線を感じ、それ以上の言葉を出すのを止める。ジン皇国側が落ち着いたと見たのか、亜萬は、言葉を続けた。
「理由はいくつかあるが、その後、プロイン王国が、頻繁にジン皇国の国境を侵すようになった。それに対処するために、どうしても、亜紗のことは後回しにせざる負えなかった」
「そんな報告は上がっていないぞ」
「事実です。相手は強兵。小さな敗北をかさね、多くの戦力を私たちは、失いました。しかし、5年前に、プロイン王国において政変がおき、その間隙を縫って、我々は、ヌーサ共和国と連携し、プロイン王国に打撃を与えることができました」
武財務の発した声に、亜蓮が答えた。
「その後、三賊は連携し、プロイン王国の勢力を、ジン皇国内から撤退させることに成功しました。皇宮に、この報告は何度か行いましたが、無視されたようです」
その話に、彌皇后と武財務は、思わず卓外務を見る。
「……事実です。蒙皇王に何度か、上申を行いましたが、三賊と蛮国の争いと、聞き入れてはもらえず。また、ヌーサとの同盟関係の提言についても、三賊との間で行ったこととされ、廃案とされました」
さらには、ヌーサ共和国に対しても、属国として振舞う様に無礼を働いたようで、ヌーサ共和国内では、ジン皇国は交渉に値せずとの意見が根強く会ったらしいが、それに対して、三賊は、粘り強く交渉を続け、今の地位を確保したのだという。
新しい事実に、彌皇后は、つい、ふぅっと、かすかに息を吐いた。
「そう言う事情がある。今までと変わらぬ対応を行うのならば、私たちの娘を攫ったジン皇国にある、彌皇后は、亜紗として、我々の下に返してもらう。その上で、我々は、独立させてもらう。これから先、ジン皇国にあるのは、滅びだけだ」
「お待ちください。あまりにも性急すぎます。」
彌皇后の声に、全員が、一瞬黙った。
「急ぐのには理由があるのだ。彌皇后。ブリム大帝国内に、すでに貴国を見限ろうをする勢力が台頭してきている。これをアーサー皇子並びに女帝閣下が押えてはいるものの、分が悪いのが現状だ。また、この半年の間に、ジン皇国恐れるに足らずと、プロイン王国が戦力をジン皇国の国境に集めてきている。今後、春先から、常海を目指す、大規模な南下攻略作戦がある可能性がある。貴国は、外交を行うものが、全く外遊できていないようで、情勢にすっかり疎くなってしまっているようだが、これが真実だ」
ヌーサ共和国の武装外交官ボナパルドの声が、沈黙の中に良く響いた。
「これだけの好条件がそろっているのだ。いかがか?彌皇后?」
「好条件ではございますが、条件がいいだけで首を振っていては、それは、国としての在り方に関わります。」
「流石、亜萬殿のご子息。肝が据わっていらっしゃる。もちろんただでとは言いません。常海に、我が国の大使館をおくことを容認していただきたい」
なんとと、声が上がったが、彌皇后は、それを耳に入れながら、少しの間、瞑想するように、目を閉じた。
「卓外務、武財務。他二務を呼んできてください。一旦、ここは休会としましょう」
彌皇后の、その声は、穏やかではありながら、わずかに悲哀の混じった声だったと言われている。そのことをお互いに了承し、ボナパルドは、三賊たちの元へ、そして、二務は、残りの二務を呼びに行くことにした。
再び、顔を合わせるまでの間、彌皇后と部屋に残った者たちが、何を話したのかは、記録に残ってはいない。ただ、三人が出ていった後に、恵良が、お茶を近衛に所望したとある。6つの茶器と、すっかり高級品になった茶菓子を持ち恵良に渡すと、再び、部屋に入っていったと伝えられている。
ただ、その際に開いた扉からは、異国の言葉と、確かに楽し気な、彌皇后の声が聞こえたと、その近衛は、親しいものに語っていた。