皇后であった頃の悪女は、皇国の威に泥を塗り、自らは放蕩に酔いしれる 中
その条約締結から半年の間、彌皇后は、常に排除と暗殺の危険にさらされ続けていた。
ジン皇国に見切りをつけて、他の国に移る貴族、それに伴い広がるデマと暴動、悪化する治安、この機に、皇宮を手にしようとする革新派の貴族、皇后を廃し、蒙皇王を迎え入れ皇国の威信を保とうとする守旧派の貴族、それによる宮中内の争い。
上げだせばキリがない。
そんな中を、彌皇后は四務と、宮中にわずかに残った、自らと心持を同じとする同志によって、皇都の平穏と、皇宮の安定のために、様々な施策を行っていた。
無家の保護もその一つである。
後宮から姫や華が離れたため、その建物の利用について、様々な議論が交わされた。彌皇后の住まいとすることも考えられたが、彌皇后は、これを拒否した。この際に内務より、皇都に取り残された子女についての保護についての対策を講じる必要があると言われた際に、皇宮を介さずに直接に皇都と出入りのできる後宮の一部を使用し、その対策に充てることを、彌皇后が提案を行ったと言われている。
その提案について、徐内務が、皇国の宗教である、『黄頭巾教』に働きかけたところ、その世俗派もこれに賛同し、尼僧を後宮に派遣し、皇都の女子の保護並びに、後宮の建物の保護、保全並びに子女の保護を行った。
それは、皇国の厳を損なうとの意見もあった。しかし、蓋を開けてみれば、子女は皇宮にて保護を行う。という、良い評判が流れていた。彌皇后は、徐内務、武財務によく相談を行い、様々な改革を行っていった。
しかし、大きく評判を上げることができたのは、この一件くらいで、他の案については決してうまくいっているとは言えない状況であった。特に、高級官僚の不足は補い難く、対外に交渉を任せることのできる人材が、不足。いや、全く皇宮にはいない状況であった。
それは、この半年の間、卓外務が、一度も外遊を行っていないことからも明らかで、彌皇后も、そのことについては、何度も四務を交えて、話をしてきたが、少なくとも、現在まともに外交を行えるだけの能力をジン皇国が有していないことは明らかで、ブリム大帝国に睨まれて首を押さえつけられているジン皇国の行く先は、大帝国の属国化と内乱以外の道はないと思われていた。
現に、かつての属国であった、扶奈国は、蒙皇王を招き入れたことで、ジン皇国の実はここにありと、対外に高らかに宣言をしていた。
それをみた守旧派の貴族の多くは、自らの私財を持ち、扶奈国へ移住していた。この時に、皇宮から、人材の引き抜きが起こり、状況はさらに悪化。かつて、三千人が暮らし、働いていたと言われている皇宮には、四務とその側近、及びわずかな下級役人並びに女官が500人ほどいるほどになり、中枢としての機能も停止しつつあった。
ジン皇国と彌皇后は、この半年の間に袋小路追い込まれようとしていた。
そんな時であった。彌皇后は、朝廷を終え、2か月前ほどから定例になっていた帝都内の視察に出ることにしていた。子女を後宮にいれる事業を行う際に、帝都の状況を自らの目で確認した方がよいと、尼僧より言われ、彌皇后は、その意見に賛同した。
その後、公式非公式を問わず、民と直接に対話を持つように心がけ、良い意見は積極的に採用した。これは、財政的には、立て直しが図られていたからこそできたことではあった。
しかし、彌皇后が、民との交流に尽力していることは、特に昔を懐かしむ者たちからは、皇国の威を損なっていると、厳しい意見にもさらされた。しかし、彌皇后は、その意見にも耳を傾け、決して、我を無理に通そうとはしなかった。
彌皇后が視察のための準備を終えようとしている時であった。不意に、部屋の戸が、壊されるのではないかと思うほどに、激しくたたかれた。
「彌皇后、火急の事態です。すぐに、お越しください」
「どうしたのです?恵良」
恵良は、もともとは、後宮にて姫のお世話をする上級女官であったが、姫が家族ともどもも、扶奈国に逃亡したため、主を失った。途方に暮れていた恵良ではあったが、彌皇后により、素養の高さを見込まれて、四務の一人、武財務に仕えるようになった。
恵良は、彌皇后より、2歳年上ではあったが、二人は、姉妹のように、実に親しく接していた。
「皇都正門から1町 (約4キロメートル)のところに、馬賊と思われる、集団が現れました。数はおよそ1万」
「1万?1万の集団がそこまで近づくまで、気が付かなかったというの?」
恵良が黙って頷いたのを見て、彌皇后は、驚きを隠せなかった。
「宝軍務が、現在近衛隊200並びに、皇軍1000を率いて、対峙していますが、なにぶんに、数に差がありすぎます」
彌皇后は、少し考える素振りを見せた。その後、恵良をしっかり見つめた。その視線が泳ぐのを見過ごさなかった。
「恵良。なにか、相手から要求をされているの?」
その言葉が正解だという様に、長く、恵良は、押し黙った。彌皇后は、恵良が、口を開くのを待ち続けた。しばし沈黙を続けた恵良は、呼吸を整え、一度目を閉じた。その目を開いたときには、もう迷いは内容だった。
「相手からの要求は、一つ。彌皇后との会談を望んでおられます」
そんなこと、と一瞬だけ彌皇后は思ったが、この選択が、今後の明暗を分けることは十分にわかり切っていた。今まで、ジン皇国において、馬賊、河賊、丘賊は、三賊と侮られ、卑民として、まともな交渉の場など用意されたこともなかった。
それが、今になって現れたということは、今までの恨みを晴らそうという魂胆がある可能性はあった。しかし、彌皇后も、元は馬賊の生まれ。皇后としての教育を受けたことで、そうは見られないことも多いが、れっきとした卑民の生まれであった。
葛藤があったが、もし、馬賊1万が、皇都に乱入したのならば、混乱は避けられないだろうし、今のジン皇国、皇宮にそれを止めるすべはないということも、十二分に知っていた。
「会談を承りましょう」
恵良の目に、ほんのわずかに悔しさがにじんでいるのはわかっていた。が、彌皇后は、それに、大丈夫ですと答え、残された応接室を用意するように、伝えるのだった。
後になって思えば、これが、転換点になる大きな出来事だった。
視察用の服から自らで服を着替えた彌皇后は、恵良の案内の元、相手を待たせている応接室に急いだ。
恵良によれば、相手は、男性が3人に女性が2人。内一組は夫婦と見れるとのことだった。また、現在のところ、要求もなく、ただ、待っているだけとのことだった。
扉の前に、たどり着いたときに、恵良が、彌皇后の衣服の乱れをわずかにも直してくれた。服も半年の間買うこともできず、酷使してきたので、少しガタが着ていた。それを直せる職人が皇都にはいたが、彌皇后は、皇都の民にその力を使ってほしいと、懇願し、職人たちに自らの財の中から給金を渡していた。
「皇后がお付きになられました」
そう、恵良が告げると、その扉が開かれた。
中にいたのは、亜紗にとって、懐かしい顔が3つと、見知らない顔の人が2人いた。
「彌皇后。多忙の中、会談の場を設けていただいてありがとうございます」
思わずに表れた感情に、飲み込まれないように、亜紗は、必死だった。でも、今日は、彌皇后としての顔ができそうにない。それでも、演じるしかなかった。
「きょ……今日は……」
恵良は、彌皇后が、言葉を発する事ができないことに驚いていた。主の見たことのない表情、そして、その表情を浮かべている理由が理解できた。
「席を外した方がいいですか?」
恵良が小声で聞くと、彌皇后、亜紗は首を振った。まさかの反応に、恵良は、驚いた表情を浮かべ、頷いた。
恵良が視線を、場に這わせると、亜紗を除く全員から、賛同を得た。恵良は、扉の外に出ると、近衛の配置変更を指示した。
全てが終わり、恵良は部屋に戻り、内鍵を掛けた。これで、万が一にも、漏れ聞こえることはない。
「……君のことを、亜紗が信頼していることは、十二分にここからもわかる。まずは礼を言いたい。娘を護ってくれてありがとう」
「あなたの尽力は、感謝の言葉もありません」
ここは、外交の場というわけでもないため、儀礼は排された。その言葉で、恵良は、眼前の2人の人物の正体を掴んだ。
「……彌皇后妃殿下のご両親様でございましたか」
恵良が、礼を取ろうとするのを、亜紗の両親は止めた。亜紗は、恵良に着席を促した。本来臣下たるもの、主君の隣に座ることなど許されないが、主君いや、かわいい妹のために、恵良は、隣に座った。
「亜紗よく耐えたな。この半年、大変だっただろう。私は、お前を誇りに思っている」
「ばか、そうではないでしょう。もう、ごめんなさいね、亜紗。本当は、もっと、家族として、接してあげたいけど、この人、外交関係の事ばかりやってたから、口調も硬くなっちゃたのよ。あなたのこと、ずっと聞いていたわ。助けてあげられなくてごめんなさいね。でも、本当によく頑張ったわ。この半年、大変だったでしょう」
恵良が見ると、亜紗の顔が、ぐちゃぐちゃになっていた。本当なら、飛び込んでいきたい。その一線を何とか護っているように見えた。
「あ、ありがとうございます。」
その一言を出すために、どれだけの時間を有したのかもわからない。亜紗は、何とか、顔を落ち着かせている。きっと、もっと家族と語らいたいのだろうと、そう言う思いで、恵良は見た。
しばしの後、亜紗は、だいぶ落ち着きを取り戻しつつあった。
「しかし、お父様、お母様。今日は、私のために来たっていうわけではないのでしょう
?」
わずかにだが、亜紗としての願望より、皇国の皇后としての矜持が勝ったのだろう、隣の3人が、気にかかったようだった。
「ね、言った通りでしょう?亜紗は、とてもできる人なの。」
亜紗と同年代の、活発そうな女性が声を上げた。
「ええ、素晴らしい人ですね。アーサー皇子が認めるわけです」
男は、巻いていたターバンを取る。そこから現れたのは、ジン皇国では珍しい、輝くような銀髪に澄んだ碧眼を持つ青年だった。
「アーサー……ブリム大帝国皇子を知っておられるのですか?」
「ええ、知っております。あなたがた以上に、詳しく。それは、亜萬首長とその細君であります、亜蓮様、そして、亜紗様の幼馴染で苦労を供にされた、梁様よりも、わたくしの方が詳しいと思いますね」
「……全く、自己紹介くらいしなければ、ほら、せっかく、亜紗の顔になっていたのに、皇后妃殿下の顔に逆戻りになっているじゃない」
「いいんだよ。後で、たっぷりあなた方の子供の顔になればいいのだから。さて、」
軽口を叩き、男は、彌皇后の顔になっている、亜紗に向き直った。
「わたしくは、ヌーサ共和国の武装外交官を務めております、ボナパルド・リ・ヌーサ3世と申します。兄は、共和国の現首相を務めさせていただいております。ブリム大帝国に抵抗できる戦力を集めており、貴国の力をお借りしたいと思い伺った次第です」