皇后であった頃の悪女は、敗戦を招き恥も知らず捕囚となる
その会見から、二週間後、予告通りに、ブリム大帝国は、大船団を麗辺に向けてきた。
戦艦級蒸気船 二隻
大型戦闘蒸気船 五隻
小型戦闘蒸気船 二〇隻
対抗して、皇国は、国土の防衛のためと、水軍の主力部隊を向かわせた。
大型戦闘用帆船 二〇隻
中型戦闘用帆船以下 およそ二〇〇隻
ガレー装甲戦闘船 三〇隻
彼我戦力差10:1。船は、海峡を埋め尽くし、皇国の民の、だれもが、勝利を確信していた。
その日は、リーベ沖は、穏やかに凪いだ状況が続いていた。その平穏な湾内は、朝の日が、昇り始めたと同時に、皇国側からの砲撃により、海戦の火蓋が切られた。
彌皇后は、蒙皇王の命の元、宝軍務に同行し、リーベに備えられた前線の基地にて、戦況を観察していた。
最初こそ、湾内を埋め尽くすほどにあった、青い自軍の駒は、湾内の赤い敵軍の駒動くたびにその数を減らしていった。敵軍の駒は、わずかに小さい駒が、その数を減らしたくらいで、主力はほぼ健在と、戦況がここから大きく変わることはないことを示していた。
「ここまでやられるとは……」
宝軍務の声を、彌皇后は聞き、再び、盤上に目を移した。青い自軍の駒は、今やチリジリになり、完全に部隊としての統制が失われているのは明らかだった。
そんな折だった。不意に外があわただしくなり、伝令兵が駆けこんできた。
「伝令!敵陸上部隊、砦内に侵入!!守備隊では太刀打ちできません!!」
宝軍務が、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。その直後だった。伝令兵が、肩から血を拭きながら、視界の端に消えた。
その空いたドアから、ブリム大帝国の軍服に身を包んだ兵士たちが雪崩打ってきて、銃をこちらに向けた。とっさに反応しようとした近衛の腕を、彌皇后は、押えた。
「停戦命令だ!わかるな」
額に長銃を突きつけられ、一瞬、宝軍務は、視線を彌皇后に移した。彌皇后は、ただ、宝軍務に視線を送った。宝軍務はその意図を読み解き、頷いた。
そして、現在も戦闘を行っている部隊に、武器を置き、停戦を応じるように、伝達した。
その後、散発的な抵抗はあったものの、リーベ沖は、落ち着きを取り戻した。その海には、打ち破れたジン皇国軍の船の残骸が海峡を埋めるように浮かび、助けを求める声が、響き渡っていた。
そんな中、太陽が南中を向かえる頃、ブリム大帝国の兵に連れられて、宝軍務と、彌皇后は、リーベ近郊に設置された相手の本陣を訪れていた。
「~~~」
彌皇后が一歩、歩くたびに、嘲笑が巻き起こった。言葉は理解できなかったが、あまりにあっけなくついた結果に、拍子抜けしていたのだろう。
「今なんて言ったか聞こえたか?あれは、弱兵ぞろいの、ジン皇国。豪勢なのは皇宮だけと、言ったのだ。」
言葉が理解できずに、呆然とした彌皇后に、わざわざに、兵士は流ちょうな言葉で教えてくれた。
「嗤われていたのですね。教えていただいてありがとうございます」
「まあ、あんたが、誰なのか、なんであんなところにいたのかわからないけど、大変なこったな」
「こら、スミス二等兵」
「はっ!」
「私語は慎め。相手は、貴人の捕虜であるぞ。取り扱いに十分に留意せよ」
「はい!承知いたしました!」
彌皇后は、その様子に、任務を邪魔をしてはいけないと思い、押し黙ったまま、ただ前についていくことにした。
「捕虜二名をお連れいたしました」
「うむ、入れ!」
本陣の天幕の中から、凛々しい声が響き、幕が上がった。中は、広いが、まだ何もない状態で、ただ、机と椅子が用意されているだけだった。
そこには2人の男性がいた。
「あなたは……」
思わず声を出した、彌皇后を、ブライトンが睨みつけた。その視線からは、敗戦の将という自覚がないのかという、無言の抗議があった。
「ブライトン提督、久しぶりの再会なのだ。ここには私たちしかいない。いいではないか」
アーサーはそう言うと、ブライトンに席につくように指示した。それに不承不承という様子も隠さずに、黙ったまま不機嫌そうにブライトンは、座った。しかし、視線は、彌皇后から外すことはなかった。
「さて、君たちはこちらだ」
アーサーは、粗末な木の椅子に、彌皇后と宝軍務に座るように勧めた。一瞬、不服を顔に出した宝軍務だったが、それならば土の上でもいいとアーサーから言われ、渋々、椅子に掛けた。彌皇后は、穏やかに一礼し、椅子に掛け、ブライトンの視線を受けた。
アーサーは、ブライトンの左隣の一際壮麗な椅子に掛けた。
「さて、私は、今回の作戦の指揮を任せられ、女帝陛下より、ジン皇国におけるブリム大帝国の全権を賜った。アーサー皇太子である」
「皇太子」
「殿下を付けろ、不敬であるぞ」
「ブライトン、相手は皇后だ。こんな国の物でもな」
「失礼いたしました。はいざんこくのこうごうひでんか」
クスクスという、かすかに聞こえる嘲笑を聞きながら、彌皇后は、そっと、宝軍務を見た。自国の皇后をこのように呼ばれ、内心恥じているのは、よくわかっていた。
ひとしきり、ブライトンとアーサーが嗤い、大きなため息をついた。そして、再び、彌皇后を見た。その表情からは、何の感情も見ることはできず、あえて言えば、諦めと自嘲の念すら感じられた。
「あなたの国に、過度な期待を抱いていた我々が、愚かでした。このような、弱小の国とは知らず、大国と思っていた我々が、愚かでした。」
「弱小の……」
「ええ、皇后妃殿下、あなたの国は、弱い国です。かつて、あなたたちの国は強かった。強いあなたの国に皆憧れていました。私たちもそうです。
しかし、あなたの国は強くあろうとすることを自ら捨ててしまった。いつしか、自らより弱い国にしか集れない。弱い国になってしまった。あなたの国は、そのような弱い国です」
アーサーの言葉は、彌皇后の、心に深く突き刺さった。その言葉に反論することもできず、そのまま、アーサーは立ち上がり、ブライトンは蔑んだ視線を彌皇后に向けると、誰に言うまでもなく、高らかに宣言した。
「これより、我が艦隊は、海峡のゴミ掃除が終わり次第、皇都へ向かい進軍を開始します。皇后妃殿下と、司令官殿。皇宮までお送りいたしますので、安心してわが陣内にて、お過ごしください」
陣内では、彌皇后は、気丈にふるまい、負傷した皇国兵たちの世話などの手伝いも行った。最初の数日は抜け殻のようだった宝軍務も、一念発起したのか、皇国兵と帝国兵の間を取り持つように努力をした。皇国兵は、最初こそ、ブリム大帝国への反抗心は強かったものの、皇后の働きと、宝軍務の仲裁により、いつしか落ち着きを取り戻すことができ、捕虜として不足のない待遇を得ることができた。
また、彌皇后は、スミス二等兵と会話を交わし、2週間もたたないうちに、ブリム大帝国での簡単な日常会話くらいは、できるようになっていた。その学習速度に、スミス二等兵は驚き、上官に報告したところ大目玉を食らったが、それに対し、彌皇后が頭を下げ、感謝の意を伝えたことで、スミス二等兵は、彌皇后の通訳兼言語教師として、捕虜の期間中は接することになった。
そんな日が続いたある日、不意に、彌皇后と宝軍務は、アーサーとブライトンに呼びつけられた。
二人とスミス二等兵が、麗辺の元領主用に作られた屋敷に向かうと、そこでは、アーサーとブラントンが兵士の訓練を見ているところだった。彌皇后は、しばしその様子を見ていた。一糸乱れぬ行軍と、戦闘即応訓練。そこにいる誰もが、本気で訓練に臨んでいた。
しばしの後、兵たちに休憩を命じ、アーサーとブラントンは、ようやくに二人に向き直った。
「お連れいたしました」
「うむ、ご苦労だった」
彌皇后は、ブリム大帝国の言葉で交わされたあいさつを聞き、ブライトンと視線が合ったのに気が付き、わずかに頭を下げた。
それに対して、ブライトンが見せたのは、前回のような表情ではなく、微妙な、何とも言えない表情だった。
アーサーは、あの時と変わらないような、微笑みを浮かべながら、彌皇后を見ていた。
「では、ブライトン卿、我々にも休息は必要だ」
「そうですな」
「お忙しいところ、お呼びいただき、ありがとうございます」
アーサーとブライトンは、ぎょっとしたように、顔を見合わせた。彌皇后の口でたのは、きれいなブリム大帝国の言葉だった。とはいっても、語彙は少ないようで、それ以上の言葉は出てこず、この場にあまりふさわしい言葉とも言えなかったが。
「お越しいただいて光栄です。では、こちらへ」
彌皇后は、スミス二等兵の通訳を聞き、頷いた。そのまま、司令官用に作られた小屋へ移動する。
小屋の中には、粗末なテーブルと木でできたベンチがあるだけだった。アーサーはスミスに、水を用意するように伝え、彌皇后と宝軍務に着席を促した。
「ここおける、皇国兵に対するあなた方の行動は、様々なものから報告を受けている。本来ならば、謝意をもって答えるべきだが、許されぬゆえに、こうしてお呼びした次第だ。」
その言葉に、彌皇后と宝軍務は一瞬顔を見合わせた。
「時に、皇后妃殿下にお伺いしたい。あなたは、敗戦の際に、初陣ならば必ずある混乱も、怖れもなく、その事実を受け入れた。その後も、敗戦後に行う理想的な行動をとってくれている。このことにまず感謝するが、ずいぶんと手馴れている様子がうかがえるが?」
宝軍務が、思わず、彌皇后を見た。彌皇后は、敵に銃を向けられた時も、パニックに陥らず、冷静な行動をとっていた。そして、確かに、敗戦後、あの一幕以降は、献身的な活動で、皇国兵の反抗心が高まらない様に、配慮をしてくれていた。
「すでに、2度ほど、敗戦は味わっていますが故に。この身のことはあきらめております」
彌皇后から語られたのは、10年ほど前に、北のプロイン王国と馬賊の小競合いにより、しばらくの間、家族と別れ、プロイン帝国領内に奴隷のようにこき使われながら、住まざる負えなかったこと。それから、5年後に、ようやく故郷に帰って1年後、ジン皇国の兵に、馬賊が襲われ、まるで略奪されるように攫われ、未来の蒙皇王の妻となることを強いられ、皇宮にて4年近く妃教育を受けることになったため、家族の顔も見ていないことだった。
彌皇后の話を聞いた、アーサーとブラントンは、ふぅっと、深いため息をついた。
「そのような過去がありましたか……」
ブライトンが納得したように頷き、アーサーに目配せをした。
「皇后妃殿下、いや、亜紗でよかったかい?」
「はい、そうですが?」
「皇后としての地位を捨てて、我が国に来ないか?これから起きることは、君にとっては残酷だ。君が背負うべきものではない」
宝軍務が驚いた表情を浮かべたが、それをブライトンは、一喝するように睨みつけた。突然の申し出に、亜紗は、驚いた表情を浮かべたが、その顔は、再び彌皇后としての顔に戻る。
「お申し出ありがとうございます。ですが、わたくしは、皇王の妻、皇后なのです。我々を敬うものや慕うものがいる限り、わたくしは、そのお申し出を受けるわけにはいきません」
「アーサー様の、ご厚意を無にするつもりか?」
ブライトンが思わず立ち上がろうとするのをアーサーは止めた。
「今日決断しろなんて言わない。弱い国に縋りついて、生きて行く君がとても惨めでみすぼらしく見えていたから。そこからすくい上げるのは、僕の義務ではないかと思っただけだ」
ノックの音が鳴り響いた。
「すいません、おまたせしました」
「遅いぞ、スミス・ウィルキンスン」
スミスは、それぞれに、陶器のコップを置くと、水を注いだ。そこからは、かすかに柑橘とミントの匂いがした。
「さて、スミス入り口を固めてくれたまえ。これから、二人に大事な話をする。」
場の雰囲気が、一瞬で引き締まるような重たい空気に包まれた。
「一週間前に、我が艦隊が、皇都に向けて北上を開始した。目的は、この戦闘の結果の報告と、捕虜の取り扱いに関する条項の締結、そして、麗辺に関する取扱いについての交渉を行う予定だった」
そこで、アーサーは言葉を切り、宝軍務を見た。
「北上を開始した我が艦隊を見た、皇宮の連中は、我先にと逃げ出した。今や、君と同じ三務と一部の役人以外、皇宮には残っていない」
「ま、待ってください、皆逃げ出した?蒙皇王は?蒙皇王は、どうしたのですか?」
驚いたように問いかけた、彌皇后の声に、アーサーは一瞬言葉を出すことを躊躇するが、ブライトンの視線に急かされるように、苦々しく、声を出した。
「真っ先に逃亡されたよ。逃げた先もわかっている。多分、そこからは、もう出てこないだろう。皇后妃殿下、皇国代表として、最後の仕事をお願いしたい。そして、宝軍務、皇后妃殿下の邪魔をしないように、他三務と協力の上で、皇宮の規律回復をお願いしたい。よもや、できないとは言わないでしょうな」