皇王戻りて 皇宮の乱れを制する
玉座と后座それは、天から人を見るためにあたえられたとこの国に伝えられている。そこに座し、まるで天上人の如く、憮然とした態度で、臣下を眺めている紅の衣を纏った生粋の王と、その王に見初められ、始めて袖を通す衣に、着られている皇后が、視線の先の扉が開くのを今か今かと待っていた。
臣下も、その扉に気をかけているようだった。その視線には、何とも言い切れない感情が渦巻いているように見えた。
扉が開くのか、それとも開かないのか、その心中の葛藤が永遠に続くかと思われるほどの、永く時間が流れた。
ゆっくりと、開いた扉に、最も、歓喜の笑みを浮かべたは王と皇后だった。多くの臣下たちは、一同に、目を伏したり、唇を噛みしめて、まるでこの時が来なければよいのにと、悔恨の念を一瞬だけにじませた。
扉から現れたのは、かつては腰まであった黒に近い蒼の髪を肩まで切り落とし、少し浅黒く日焼けした粗末な服を来た女性だった。罪人の証という様に、本来は何にも縛られないはずの、手と腰には、細く縄が回されている。後ろを歩いてきた近衛が、その女性の前に立とうとすると、女性は、その近衛を視線で制した。驚く近衛を、頷き気遣い、そこから先は、自らの素足で、冷たい石でできた床を歩いていく。
やがて、臣下と近衛兵の見る中、謁見の間の中央、螺鈿の牡丹の花が描かれた床に静かに片膝をつき、だれもがため息の出る様な、座礼を見事に行った。
「アーシャ。かつての、我妻よ。お前が我が国にて行った悪辣な行いは、遠く離れて過ごす我の耳にも入ってきた」
沈黙が支配した場に、王の声が、高らかに響き渡った。
床を見ている、アーシャと呼ばれたその女性は、その場から、動かずにその言葉をうけとめているようだった。
「国難にもかかわらず、宝石を買い集め、卑位なるものと交わり皇宮の品位を貶めた。自らが皇王であるかのように皇宮の主として振舞い、四務の業務を私物化した。他にもある。卑民共に権限を与え、中には、重要な任に着かせた。貴様は、皇后たる地位を私物化し乱用したもの。これに、異議はあるか?」
皆の視線が、アーシャに集まる。皆が、アーシャの声を待っているように見えた。
しばしの重い沈黙があった。
「皇王様のおっしゃることに間違いはございません。私は、皇宮の主のごとく振舞い、、皇后としての地位を濫用いたしました」
アーシャが声を上げた。少し、枯れていたものの、その声は、鈴を転がすように美しく。
そして、自らの罪を全て認めた。
「アーシャ、いや、彌皇后、貴様との婚姻関係を廃する。また、皇宮の地位を著しく穢した貴様は、廃妃し、代わりに、我が妻そして、新皇后として、ゼイを置く。今後は、彌皇后を、アーシャ、ゼイを正皇后と呼ぶことにする。また、悪辣な行いで国の品位を著しく傷つけたアーシャについては、断首の刑に処すことにする。」
その声に、臣下の側から、声が上がった。
「お待ちください、蒙皇王。6年ぶりの帰還、このような喜ばしい場で、血を流す決意を為さるなどは為すべきではありません。今は臣民に、君の御姿と皇后が隣にあることを示すべきです。処刑など……」
「黙れ、軍務の長よ。元はと言えば、貴様たちの失態だろう。ようやくの捲土重来。その機にたるんだ伝統を立て直すべきではないのか?」
「失礼ですが、皇王陛下。軍務の長のおっしゃることも重要です。ここは国内の秩序の安定のために、皇宮が健在であることを内外に示すべきでございます」
「私も、外務大臣の意見に同じでございます。」
「内務の長としても、他の長の意見に同意します」
意外なところから出た反対意見に、蒙皇王が、一瞬怯んだ。そのまま、視線を流し、アーシャを視界にとらえる。相変わらず、冷たい石の床に、片膝を着いたまま、ピクリとも動いていない。
「悪辣なる罪人アーシャ、もし、我に謝の礼をもって接するのならば、考えてやろう。どうだ?発言を赦す」
再び、皆の視線が、アーシャに集まった。アーシャは伏した姿勢のまま、息を吸うと、一気に言葉を吐いた。
「私が、唯一、謝し、礼を持って接するは、天のみです。天の意志によって、今日、この日にジン皇国があることを赦してくれているそれだけだからです。」
アーシャの言葉に、一部の臣下の内から、「なんと傲慢な」「恩知らずが」とわずかに声があがった。
「しかし、この国の品位を貶めた、悪辣なる皇后として名を遺した私は、確かに皇宮にはふさわしくありません。皇王様が望むのでしたら、喜んで罰を受け入れます」
アーシャは、そこまで言うと、再び押し黙った。いかなる罰も受け入れるというその声に、一度、臣下から上がった声は、再び止まった。
「……」
そのアーシャを、蒙皇王は、しばし憎々しく見つめた。
「モウ、アーシャが罪を受け入れるって言っているんだから、受け入れさせてあげなさいよ」
皇后の座から、ゼイが声をあげた。アーシャは、その声にもピクリとも反応しない。
蒙皇王は、アーシャに興味を失い、再度、臣下たちを見下ろした。
「四務は、このものを、いかに裁くか?」
四務と呼ばれた、大臣たちは、お互いに顔を見合わせ、頷いた。
「……恐れながら、彌皇后、アーシャ様の処遇つきましては、……蒙皇王の目で再度調査をお願いしたく思います」
四務の長である、内務の長が、言葉を濁しながら、そう発言した。それを、蒙皇王は、鼻で笑った。
「我が帰ってきたから、異境の未開人共との戦にも勝ち、皇都の民に平穏を授けられたのだ。皇国の品位を貶めたこのものと、政を誤った貴様らに、何の価値があろうか?
これより、私は、悪辣なる者により歪められた、規律を正し、皇国をあるべき姿に還していく。罪人廃妃アーシャよ。貴様の罪は、償いきれないほどのものだが、今までの皇后としての働きに免じ、全財産及び資産没収の上、皇都よりの永久追放とする」
「承知いたしました。天に誓って、追放としていただけますか」
それは、皇王に二言はないですねと問いかけるものであった。
「当たり前だ。天に誓い決定する。貴様のような恥さらしを妃に迎え入れ、皇后としたのが間違いであったわ」
「皇王様、それは、あまりでございます。彌皇……」
「ありがとうございます。外務の長。あなたも、心身が健やかであることを祈っています」
アーシャは、近衛兵に促され、その場から立ち上がり、古今の伝承に沿った礼を行うと、そのまま、その部屋を後にした。
蒙皇王がアーシャのその後を知ることができたのは、たった、2つの報告だけだった。
一つは、追放から1週間後。皇都から出て、しばらく行ったところで、アーシャの馬車は、山賊に襲われて、アーシャの身柄を放棄したということ。
そして、もう一つは、それから1か月後、アーシャと思しき水死体が、租借地の近辺の海岸に打ち上げられたということ。腐敗が激しく、かろうじて残っていた所有物から、アーシャと判断され、その遺体は、火葬され、灰は海へと流されたとのことだった。
1つ目の報告の際には、協力者がいたのかと、怒り狂った蒙皇王だったが、2つ目の報告をきいた時には、思わず、天に感謝したものだった。天は、あのような悪辣な性根を持つものを見逃さなかった。
蒙皇王は、2つ目の報告を受け取り、読み上げた際に、思わずこう漏らした。
「やはり、天は我に味方したのだ」
と
それから、5年の月日が流れた。皇国が、伝統に則り軍を再編し、近隣諸国に再び威を唱え始めた。
皇王は、最初から帰還まで付き従ったものたちで、周りをかため権力の強化を図った。周りの者も、ジン皇国の伝統を忠実に護り、皇后により失墜した皇宮の権威の復興に務めた。
やがて、周辺諸国の中に帰順とまではいかなくとも、交流をの意を示す国も現れた。しかし、かつての勢いを取り戻すには程遠い状況だった。
「あの、蛮国の者どもは、相変わらず、我らの声に応じようとはしないか?」
蒙皇王の目下の頭痛の種は、財政難と租借地の存在だった。アーシャが買い付けたと言われる天下の輝石を売りさばけば、財政に余裕ができるはずだった。しかし、禁殿の宝物庫には、元からあった、一流の芸術品と、元からあった金銀財宝こそ手つかずであったものの、アーシャが買ったはずの、輝石はその影すら見つけることはできなかった。
租借地についても、現在ブリム大帝国と、ヌーサ共和国という、2つの国が、ジン皇国内に租借地を持っていた。一方的に、そして勝手に定められた条約により、租借地となったものの、周辺諸国から見れば、領土を闘いにより失ったと映ったのだろう。それは、いままで覇を唱えていた、ジン皇国の威厳を大きく損なうものだった。
しかし、今や負けるはずもなかった。軍備は再構築されて、闘いの準備は整った。蛮国に肩入れする四務や大きく皇国の威厳を貶めた悪辣の皇后はの残滓は、皇宮から、消えていなくなっていたのだ。
「蛮国の使者たちに、登宮し、帰順するように伝えているのか?」
蒙皇王は、新しい外務の長、典外務に、問いかける。一瞬、典外務は、言葉に詰まったが、今現在の状況を報告することにした。
「はい、ですが。どちらからも、芳しい返答をもらえていません。ブリム大帝国は、その租借権は、貴国との戦闘による勝利の代償として、勝ち得たものだと言い、また、ヌーサ共和国は、アーシャとの約状により租借しているといっており、平行線をたどっています。」
アーシャが職権を乱用して行ってきた、数々の越権行為は、この5年をかけてようやく浄化に道筋が撞きつつあった。例えば、卑族たる、河賊との協力関係の破棄や、伝統を損なうような技術の取入れ、民草への慰安並びに巡礼。上げだすときりがない。その上、越権中の越権、勝手に領土の切り売りを行うなど、本当に死んでくれと当然だと蒙皇王は、心中で苦虫を嚙み潰したように顔を歪めた。
それも一瞬のこと、再び王の顔に戻ると、臣下に令を飛ばすのだった。
「そうか、やむえまい。我が大国としては、王道に則り、礼を求めるつもりだったが、傲慢故に礼を知らぬ者どもには、我々が、それを教えてやらねばなるまい。李軍務を呼べ。我々の領土を、威厳を取り戻す時が来た」