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ブックハンターミミミ

晩秋のインターリュード

作者: 三角まるめ

※この作品は志室幸太郎様主宰のシェアード・ワールド小説企画「コロンシリーズ」参加作品であり拙作シリーズ「ブックハンターミミミ」の一作です。

「いや~参った参った」

 ライゾウは右足を吊るされた状態でベッドに横たわっていた。だがそう言いながらも朗らかに笑い声を上げている。

「ちょ~っと足を滑らせてしまってなあ。ぽっきり折れてしまったらしい。2週間は入院との事じゃ」

「にっ……!」

 病室に駆け付けたシドは意外にも元気そうな彼の姿を見て一安心したが、その気持ちはすぐに吹き飛んだ。後ろにいるミミミも「あらら」と声を漏らしていた。

「2週間て……ど、どうすんだよ! 本番にはギリギリ間に合うけど……!」

 「神田古本フェス」はもうおよそ二週間後に迫っていた。古書のバーゲン・セールやチャリティー・オークションなどが催される、古書好きには堪らない神田神保町における年に一度のビッグ・イベントである。古詠堂書館ももちろんこれに参加する。順調に回復すればライゾウの退院は本番には何とか間に合う。しかしそれでは遅いのだ。その本番に向けて今正に準備をしている最中なのだから。

「まだまだやる事全然終わってねーじゃん!」

「なーに、別に病室からでもお前に指示くらいなら出せるじゃろ。打ち合わせにはお前が行きなさい」

「マジか! 僕がやんないといけないのか! ……やっぱそれしかねーよなー……! はあ……」

 シドは落胆の溜め息をついた。プレッシャーとかそんなのよりも、単純にめんどくさいと思ってしまう。そんな彼を横目にミミミはがはがは笑う。

「なっはっは、まー頑張れよアーノシド・シュワッチビネガー」

「……お前にも手伝ってもらうぞ」

「は? やだよめんどくさい」

「ふざけんなお前いつも僕がハントを手伝ってんだぞ! たまにはお前が僕を手伝え!」

「あーあーわかったわかった。あれね? オークションに出す品を取ってこいっていう依頼ね? なら喜んで」

「ちゃうわ! 下準備諸々だよ!」

「は? やだよめんどくさい」

「お前なー……! 人の心は無いのか!」

「まあまあシド、ミミミちゃんも仕事が色々と忙しいじゃろうし、今年は今の時点で臨時のアルバイトでも雇おうかと考えとる。その人に店を手伝ってもらいつつ準備を進めてくれんかの」

「ほらほら、じいちゃんもこう言ってるし」

 やはり彼女は意地でも手伝うつもりが無いらしかった。


 早速求人の募集を出してから二日後の夕方、いつもよりかなり遅めの開店準備をしていた古詠堂書館をひとりの女性が訪れる。シドが学校が終わってからになるのでどうしても営業開始がこの時間帯になってしまうのだ。営業日なのにほとんど店が開かない事になるがしょうがない。

「こ……こんにちは……」

 くるりと癖の付いた栗色の髪にぱっちりとした瞳。この日から古本フェスが終わるまで働く事になった大学生の雪平瑠璃子(ゆきひらるりこ)である。ちょうど前のアルバイト先の喫茶店が閉店してしまい、次の仕事を探している最中との事だった。純朴そうで、物事を器用にこなしてくれそうだと思ったのがシドが彼女の採用を決断した理由だった。

 決して胸が大きいからではない。

「あー雪平さん、こんにちは。今日からよろしくお願いします」

「よ、よろしくお願いします」

 緊張気味に話す瑠璃子を見て彼は微笑ましくなる。年上だが、小動物の様な可愛らしさが窺える。少し庇護欲を掻き立てられてしまう様な、そういった雰囲気が魅力的に思えてくる。そしてその可愛らしさとは対照的の様な大きなm

 決して胸が大きいからではない。

「荷物は……すいませんロッカールームとか無くて、店の奥から(ウチ)に繋がってるんで、居間にでも置いてもらう事になります」

 一通り案内をし、その後彼女にスタッフ用のエプロンを渡して着けさせる。エプロンは彼女の腰の辺りでしっかりときつく結ばれ、おかげでその大きな胸が強ch

 決して胸が大きいからではない。

「レジの操作は実際に購入するお客さんが来たらそん時教えますね。じゃあもう開けたいんで、外に出す棚を運ぶのを手伝ってもらっていいですか?」

「は、はい……! よろしくお願いしましゅ(・・)!」

 あー、可愛いなこの人……。

 こうして古詠堂書館は平常時よりもかなり遅れて営業を開始した。

「よっ」

「あ、い、いらっしゃいましぇ(・・)!」

 瑠璃子はまたも噛んでいる。開店が大幅に遅くなっているし待っていたお客さんもいたのかな……などと考えながらシドは入口の方を見ると。

「……あー雪平さん、こいつは無視していいですよ」

「えっ」

 客ではなくいつもの冷やかしであった。ミミミは我が物顔でずんずんと奥に入ってくる。

「ちょっとちょっと、白けた空気をいつも賑やかにしてあげてる超絶美少女ミミミちゃんに向かってその言い方は無いんじゃないの?」

「白けてねーよ落ち着いてんだよ。それが神田古書街(ここ)の趣だよ」

「んで何? この姉ちゃんが例のバイトさん?」

「おい失礼な事はするなよ」

 彼女は品定めをする様に瑠璃子をじっと凝視した。

「な、何でしょう……」

「……なあシド、お前、胸で選ん……」

「よ、用が無いんならとっとと帰れ!」

 決して胸が大きいからでは……ない。

「あーはいはい。超絶美少女ブックハンターミミミちゃんは忙しいからね。言われなくてもさっさと往にます(・・・・)よ」

 そう言い残して彼女は今日はあっさりと帰ってしまった。ほんとに何しに来たんだあいつ。

 アルバイト初日という事でこの日シドは営業時間中はずっと店に出て、瑠璃子の世話を見ていた。ちょうど購入客もいたのでレジの操作も教える事が出来たし、とりあえずはこれで彼女は大丈夫のはずである。ぶっちゃけ彼女にやってもらう事はそれくらいしか無いのだ。ネットでの問い合わせへの対応もあるが、それは元より任せるつもりは無い。臨時の短期のアルバイトなのだ。簡単な接客だけしてもらえればそれでいい。

「それじゃ明日から僕は営業中もフェスの準備をするんで、店内は任せますね。大変かもしれませんが……まあ喫茶店で働いてたんなら大丈夫だと思います。それよりは確実に暇なはずなんで」

「は……はい……頑張りましゅ(・・)……!」

 ほんと可愛いなおい。

「そ、その……シドさんは何だか凄いですね……」

「え? どうしてです?」

「こ、高校生なのにしっかりしてて、ひとりでお店を回して……ちょ、ちょっとかっこいいです……」

「……」

 そんな事初めて言われたから何だか照れてしまう。

「べ、別にそんな事無いっすよー。あはは……」

「そ、それじゃあまた明日、よろしくお願いします」

「あ、はい。また明日ー」

 去っていく彼女の後ろ姿を見ながら彼は少し上機嫌だった。どこぞの自称超絶美少女なんかとは大違いだ。何ていい人なのか……まったく、あいつにも見習って欲しいものである。


 翌日からシドは古本フェスの準備に専念した。瑠璃子がいてくれるお陰でフェス出品用の商品の選書はかなり捗り、日曜の夕方には一旦終える事が出来た。その後すぐにパソコンの画面をスクロールしながら何回かに分けて携帯のカメラで撮っていった。ライゾウにチェックしてもらうためだ。彼の携帯はフィーチャーフォンであるため、リストファイルを共有するクラウドストレージを病室で閲覧する事が出来ないのである。したがっていちいち一枚一枚画面の写真を撮り、メールに添付する形でこれまた何通かに分けて画像ファイルを送る必要があるのだった。

「……よっし、これで全部送ったっと」

「あ、あの」

 送信を全て終えた所で瑠璃子が廊下から顔を出した。シドはずっと家の居間に籠ってパソコンとにらめっこしながら作業をしていたのだった。

「あ、はい雪平さん。何ですか」

「い、いえ、お疲れ様でした。一段落したみたいで」

「ありがとうございます。とりあえずじいちゃんのチェック待ちっすね。店の方は大丈夫ですか」

「はい。もう閉店の札を出しました」

「えっ、もうそんな時間か」

 時計を確認すると午後六時を回っていた。休日は一時間早く閉店する。

「いやー雪平さんのおかげで作業に集中出来ました」

「ほ、ほんとですか? ……そ、そう言ってもらえると嬉しいです……」

 彼女は照れ臭そうに微笑んで俯いた。それから何やらもじもじとし始める。

「……? どうしました?」

「い、いえ、あの……お節介かもしれませんが、ちゃんとご飯食べてるのかなって、気になって……」

「……あー……」

 シドはぽりぽりと頭を掻いた。普段はちょっとした調理をしたり、スーパーで惣菜を買ったりするが、最近はコンビニ弁当の比率が増えた。フェスの準備で忙しく疲れるからだ。スーパーよりコンビニの方がここからは近かった。

「あ、あの……よかったら何か作っていきましょうか……?」

「へっ!? 作るって、料理を!?」

「は、はい……簡単な物しか作れませんが……」

「いやいや悪いですって!」

「な、何かお役に立てればと思って……!」

「働いてくれてるだけでもう役に立ってますよ」

「そ、それだけじゃなく、もう少し……もう少し何かお手伝い出来たらと……」

「……」

 ……こ、これは……バイト初日の彼女の言葉を思い出す。

 ま、まさか、まさか雪平さん、僕に気があるんじゃ……!

 いやそんな訳無いか。

「その気持ちだけ受け取っておきますね。第一何か作っても今日はご飯が無いですし。めんどくさくて炊いてないんですよ。弁当買った方が早いです」

「あ、そ、そうですね……おかずだけあっても駄目ですね……」

 何だか彼女がしょんぼりした様に見えた。少し申し訳無くなる。

「い、いやーでもせっかくだから雪平さんの手料理食べてみたかった気もしますけどねー! ざ、残念だなあ」

「な、なら!」

 何か閃いた様子で彼女は顔を上げた。

「あ、明日こそ作ります。明後日は2限からなので少し遅くなっても大丈夫なんです。だ、だから明日はしっかりとご飯を炊いてて下さい」

「え? ……そ、そこまで言うならお言葉に甘えて……いいんですか?」

「はい、甘えて下さい! ……あ、いや、その、失礼でしたね」

「い、いえいえ……わかりました。じゃあご飯炊いとくんで、雪平さんも一緒に食べてって下さいよ。僕だけ食べるのも悪いんで」

「わ、わかりました……よしっ」

 何がよしなんだ?

「あ、あと……瑠璃子……でいいですよ」

「え?」

 少しドキッとしてしまった。

「そ、それじゃあ今日はもう帰ります……また明日」

「あ、はい……お疲れ様です」

 彼女が帰った後シドはしばらくぽかんと口を開けていた。女子大生が自分のために料理を作ってくれる……? そんな事が現実に起こるとは。

「ま、まさかこれは、ガチで脈ありなのでは……? な、なんてな」

 彼の頭の中にはたわわに実った瑠璃子n

 決して胸が大きいからでは(ry。


「……という訳で今夜は雪平さんの手料理を食べられるんだよ」

「……ふーん……」

 ミミミは飲み干した牛乳のパックをぐしゃりと握り潰した。

 月曜の昼休み。道礼高校学食。

「いやー楽しみだなあ。だから今日の昼飯は少し量を抑えてんだよ。腹減ってた方がより美味しく味わえるだろ?」

「あーはいはいそうだね」

 何だか彼女の言葉が冷たい。いやいつもこんなもんか。

「空腹とそして、僕のために作ってくれるその気遣い、思いこそが至高の調味料になる訳だ」

「いや臭過ぎて引くわ」

「何だよお前何か機嫌悪くねーか? そういや雪平さんのバイト初日以来ウチに顔出してねーな。まあ静かになるからいいけど」

「……別に。仕事が忙しいだけだよ……っしょっと」

 彼女はトレーを持ってがたんと席を立つ。

「んじゃね」

「お、おう……何か用事でもあんのか?」

「男を待たせてるんだよ。いやー仕事がデキる女は色んな男から引っ張りだこだよ。困っちゃうわ」

 ひらひらと手を振ってミミミは食堂から出ていった。やはりやや不機嫌そうに見える。

 ま、いっか。シドは味噌汁を啜った。


 その日の放課後はライゾウからの指示により選書の若干の見直しを行った後再び彼にメールを送り、それから出品商品を保管してある倉庫に足を運んで軽い検品を行いつつ搬出の準備に手を着けた。これもまたなかなか大変なのである。

 そして夜になり、約束通り瑠璃子が簡単な手料理を振る舞ってくれた。冷蔵庫の中にあった豚肉とキャベツ、それに買ってきたもやしで作った炒め物だ。他にもいくつか惣菜を買ってきてくれていた。

「美味い、美味いっすよ雪平さん……むぐむぐ……」

「ほ、ほんとですか? た、ただの炒め物ですけど……」

「ただの炒め物でも十分です。もぐもぐ」

「よ、よかったです。あ、あと……」

 髪を掻き分けてから上目遣いに彼女は続けた。

「瑠璃子でいい……って言いましたよね」

「あ……は、はい……」

 シドはまたドキリとした。時折見せる積極的な一面もまた彼女の魅力かもしれない。年相応のお姉さん……といった感じだ。

「る、瑠璃子さん」

「……はい」

 満足したのか彼女はぱくぱくと食事を再開した。それにしても今気付いたが、今日は薄いTシャツというラフな格好である。そのため胸がいつもよりも強調されている。やはり大きい。ムフ。いやいかんいかん。よく考えると同年代の女の人を家に上げたのは初めての様な気がする。いやミミミは置いといて。

「そ、そういえば古本フェスに出す本のリスティングはもう終わったんですよね」

「え、あ、はい、何とか。じいちゃんのオッケーも貰ったし、次は倉庫から引っ張り出さないと……」

「あ、後で見せてもらってもいいですか。どんな本が出るのかなあって気になって」

「ええいいですよ」

 食事を終えるとパソコンを開き、瑠璃子が作ってくれたインスタントのココアを飲みながら彼女に選書のリストを見せてやった。彼女はシドの隣に座り込み、興味深そうに画面にぐいっと顔を寄せて覗き込んできた。近い。凄くいい匂いがする。胸が腕に当たっているし……。

「ふわあ……凄い……こんなにたくさん出すんですね」

「そ、そりゃあ年に一度のお祭りですからね。どこも気合い入れてますよ」

 平静を装いながら話すが実際はかなり緊張している。瑠璃子が近過ぎる。ほぼ密着状態だ。何だかふわふわとした浮遊感の様な物を感じる。

「1年で一番の稼ぎ所って事ですか」

「ん、んーと、っていうよりも、1年で一番古書が盛り上がるから……だと思いますけど……みんなやっぱりそれが嬉しいんでしょうね」

「……」

 瑠璃子はふとシドの顔を見つめてきた。この距離だと目を合わせ続けると恥ずかしくなる。かといって視線を落とすと、今度は胸の谷間が見えた。これもこれでいけない。

「……な、何でしょう……!?」

 目をきょろきょろと泳がせながら彼は尋ねた。

「い、いえ……やっぱりしっかりしてるんだなあと思って……」

「そ、そそそうですかね……」

「………………かっこいい、です……」

 ドキッ。

「は、はい……?」

 な、何だこの雰囲気は……? くらくらしてくるぞ……。

「そ、その……今更なんですが……」

「……な、何ですか……」

「………………こ、こんな時間に男女がふたりきりって……ちょっと……あれですね……」

「!? あ、あああれとは!?」

 そっとシドの手の甲を暖かい物が包んだ。瑠璃子が自分の掌を重ねてきたのだった。

「何か……いけない事が……起こっちゃいそうです……」

 今度は胸をゆっくりと押し付けてくる。凄く、凄く心地がいい……。

 ……そしてシドは……。






 それからしばらく時間が経ち、古詠堂書館の裏口にひとつの人影が見えた。人影はその場を急いで立ち去ろうとしていたが突然誰かから呼び止められ足を止める。予想外の事態に彼女(・・)は戸惑った。

「お仕事お疲れ様でした」

「……え、ええと……あなたは確か……」

「超絶美少女ブックハンターのミミミちゃんだよ。覚えといてね」

「…………あ、ああ、そうでした。どうしたんですか」

「そのバッグの中に入れてる本を置いてってもらおうか」

「………………な、何の事でしょう」

「とぼけてもこっちはわかってんだよ。ハナっからそいつを狙ってこの店に近付いたんでしょ?」

「……うふふ」

 瑠璃子は妖しく笑った。と同時に目付きが突然鋭くなる。先ほどまであった柔和な雰囲気は今はどこにも感じられない。

「私がいつ同業者だってわかったのかしら」

 口調もすっかり別人になっていた。今までの態度はずっと演技だったのだ。

「いつも何も1回しか会ってないじゃん」

「へえ……ちょっとやり過ぎたかしら。業界の情報網を舐めてたわ」

「きっしょい仕草と態度で野郎の懐に入り込んで獲物を取っていく……毎度同じ手口じゃさすがにね。ま、今回は運が悪かったね」

「返せと言われて素直に本を返すブックハンターがはたしているかしら? あなただってそうしないでしょ?」

「しないね。でも置いていけ」

 ミミミは提げていたアタッシュケースを瑠璃子の前に放り投げた。

「……何のつもり?」

「開けてみればわかるよ」

 言われた通りに瑠璃子はしゃがみ込みそれを開けた。そして中身を見た彼女は思わず息を呑んだ。

「キャッシュで200万。その本の相場の4倍だ。もちろん本物だよ」

「……本を置いて、代わりにこれで手を引けと?」

「うん。調べたけどあんたは基本的に人の依頼で動いてないハンターだ。要はお金が入ればいいんでしょ? それで弟達にいいもんでも食わせてあげなよ」

「……確かに私にとっては得しか無い交渉だけど……正気? あなたそんなにあの子が大好きなの?」

「まさか。別にあいつを助けてやろうなんてつもりはさらさら無いね。自業自得だし。ただまあ、何て言うか……ボクはあんたが嫌いなんだよね……シドのじいちゃんもあんたが転ばせたんでしょ?」

「ふふっ、まさか道端にバナナの皮を置くだけで引っ掛かるとは思わなかったけど」

「あんたの好きにはさせないって事だね。ここで200万を取って本を置いていってよ。そしたらあんたのハントは失敗だ」

「……馬鹿みたい。200万は手放すのに?」

「まあ、気紛れだよ……いいからとっととその金取って本を置いて、さっさとこっから失せな。そして二度とこの店に近付くな」

「……わかったわ。それじゃあありがたく……」

 彼女はそのままアタッシュケースを拾い立ち上がる。そしてすぐに振り返り逃走を図った。

「金も本ももらっていくわ! ぐえ!」

 しかし電柱の陰から飛び出してきたソラジのラリアットを喉元に受け奇声を発しながら道路に背中から倒れ込んでしまう。こういう事態を当然予想してミミミが予め彼に頼んでおいたのだ。

「あーあー、大人しく従っときゃ痛い目に遭わずに済んだのに……よっと」

 ミミミは瑠璃子に近付き、バッグを開けて彼女が奪った本を取り出した。シドが大切に保管しているポルノ本(禁書)のひとつである。マニアの間ではかなりの値打ちが付いているらしい。瑠璃子はこの本が古詠堂書館のどこかにあるという情報を仕入れて、ライゾウに怪我をさせ入院させ、アルバイトとして店に入り込んだのである。シドは見事に性的嗜好(巨乳好き)を利用されたのであった。

「ごめんね先輩、受験生なのに付き合わせちゃって」

「いいって事よ。お前らのためならな。ちょうど息抜きになったよ」

「先輩は人がいいねえ」

「お前が言うか?」

「何の事やら」

「いたた……ごほっごほっ……あの子はぐっすり眠ってるわよ」

 瑠璃子が苦しそうにしながら起き上がる。

「私が作ったココアをごくごく飲んでたからね」

 その中に睡眠薬でも仕込んだのだろう。いつもやっている手口がそうらしい。店内にターゲットが無い事を知った彼女はシドの部屋に目星を付け、彼を眠らせている間に漁ったのだ。そして見事に発見したという訳である。

「ちょろかったわ……童貞だから」

「でしょ?」

 ミミミは秒で言葉を返した。


「いやー今年も賑わってるなあ」

「うん、確かに凄い人だね……でシド君、何で僕が手伝ってるのかな」

 遂にやってきた神田古本フェス。今年は十二日間の開催だ。シドはクラスメイトの芦辺と共に靖国通りに展開されている特別出店ブースに立っていた。フェス期間中の最初の週末に限り神田神保町周辺の靖国通りの一部は車両通行止めとなり歩行者天国となっている。そしてさながら祭りの屋台のごとく、車道にずらりと特別ブースが並ぶのである。

「しょうがねーだろー、来るはずの人が急遽辞めちまったんだから……どうせ予定無かったんだろ」

「桐野さんとのデートが入ってた」

「うっせー死ね! ……はあ……にしても瑠璃子さん……どうしてもバイトに入れなくなったって急過ぎるぜ……」

「シドに視姦されて来たくなくなったんじゃないの?」

 ひょこっとミミミがブースの前に顔を出した。例年通り遊びに来たのだろう。

「お前突然現れたと思ったら……ふざけんな。んな事……」

 ……いや否定は出来ないわ。

 それにしても彼女が料理をしてくれた夜の記憶が曖昧だ。食事をした後の事をほとんど覚えていない。疲れが溜まっていたからか満腹になるとすぐに寝てしまったと電話越しに彼女が話していた。その電話が彼女との最後の会話だ。火曜の夕方にかかってきた。どうしてもこれからはバイトに入れなくなり、フェスも無理そうだと。本当にすみませんと何度も謝っていた。

「それにしてもいい人だった……可愛らしくて……」

「胸が大きくて」

「そうそう」

「いや引くわ」

 ライゾウは無事に退院し、今日は店舗の方にいる。今朝は元気にバナナを食べていた。

「はあ……また顔を見せに来てくれるといいんだけど」

「……そうだね。んじゃちょっとばかし手伝ってやるか」

「おう手伝え」

「200万な」

「払うか」

 空は爽やかな秋晴れ。すっかり冷たくなった風が年季の入った古書の匂いをビルの谷間へと運んでいく。神田古本フェスは今年も活況だ。

タイトルにはありませんが本作は「2015」の中の一編です。久し振りに登場したキャラクターもいますね。懐かしい。

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