初めての敗北
今ジャンヌはガレリア軍本陣の彼女の天幕の中に横たわっていた。彼女の周りには3人の軍医らしき人物と介護兵が彼女を囲むように傷の手当をしている。
だがジャンヌが胸に受けた矢傷は思いのほか深かった。なので治療する軍医たちの表情は厳しい。そんな状況の為、軍医は側でウロウロしているホワイトが目障りだったのだろう。よって軍医はホワイトへ八つ当たりする。
「邪魔だっ!出て行けっ!あなたが今ここにいてもやれる事はないっ!」
軍医に叱責されホワイトしぶしぶ天幕の外に出た。だがそこで目にしたのは天幕の回りで一心に祈りを捧げる兵士たちの姿だった。怪我を負って動けぬ者もジャンヌ負傷の話を聞き床の上で祈っている。彼らの発するか細い声を聞けたのならその願いの代償として自身の命を捧げると呟いているのを耳にしたはずである。
その時、ホワイトは不思議なものを目にした。
それは祈りを捧げる兵士たちから少しづつ何かが天幕の方へ流れていたのだ。そしてその何かは天幕の上である程度集まると天幕の中へと消えていった。
その時、天幕の中から軍医たちの驚く声が聞こえてきた。その声にホワイトは天幕へと飛び込み問い質した。
「どうしたっ!ジャンヌに何かあったのかっ!」
ホワイトの問い掛けに軍医たちはベッドに横たわるジャンヌを指差し口ごもりながらも説明した。
「傷が・・、ジャンヌ様の傷が塞がってゆく・・。これは奇跡か・・。」
軍医の言葉にホワイトは彼女に近づいて傷口を確かめた。確かに軍医の言うとおりあれ程出血していた傷口がみるみる内に塞がってゆく。そしてとうとう跡形もなく消えてしまったのだ。そこにはもはや矢が刺さっていた痕跡すらない。これは確かに奇跡と呼んでよい現象であろう。
だがホワイトにはその奇跡の元となったものを今しがた見ていた。そう、確かにそれは奇跡だったのかも知れないが、その奇跡は神が成されたものではない。その奇跡は彼女を慕う者たちが起こしたのだ。その者たちの祈りが少しづつ集まり彼女を救ったのだ。
中にはその為に最後のチカラを放出し息絶えてしまった負傷兵もいたであろう。しかし、彼らの死に顔は晴れやかだったに違いない。何故なら彼らは勇者を救ったのだから。そして彼らはこれからずっと勇者といられるのだから。
しかし、傷は塞がり、いやそれどころか消えてしまったのだが彼女は目を覚まさなかった。しかし呼吸は規則正しく成されており発熱もない。だとしたらジャンヌが目を覚まさないのは肉体的なものではなく精神的なダメージであろう。なのでこれ以上は外科的な処方ではどうしようもない。
だがホワイトに慌てる様子はなかった。何故ならジャンヌは勇者だからである。勇者とは武勇もさることながら強い精神力を持つ者でなければ務まらない。故に時間は掛かるかも知れないが彼女は必ず目を覚ますという確証がホワイトにはあった。
そしてホワイトは出血により体温の落ちたジャンヌの手を自身の手で温めながら呟く。
「ジャンヌ・・、兵たちの死を自身のせいにするな。お前は俺たちの希望なんだ。俺たちはお前に導かれて前に進んできた。だがそれは俺たちが自ら選んだ事だ。だからその事でお前が悲しみ苦しむのは逆にあいつらを悲しませてしまう。だからジャンヌお願いだ。お前は笑っていてくれ。それが俺たちの望みなんだ。頼む・・、お前の笑顔を見せてくれ。」
その時、ジャンヌの手を温めていたホワイトの手を逆にジャンヌの手が握り返した。だが彼女の意識はまだ戻っていない。しかし、その握られた手からは確かに彼女の意思が感じられた。
「神よ・・、俺は初めてあなたに感謝する。俺たちから・・、いや、俺からジャンヌを奪わないでくれてありがとう・・。」
ジャンヌに握り返された手に額を付けホワイトは神へ感謝の言葉を呟いた。その姿を目にした軍医たちはもう自分たちがすべき事はここにはないと天幕を出てゆく。そして外で祈りを捧げている兵士たちへジャンヌは助かると告げた。
その軍医の声にその場にいた兵士たちから感嘆の声が沸きあがった。
「おおっ、神よっ!あなたの慈悲に感謝いたしますっ!」
「我らの下に女神様を留め置かれましたご配慮に感謝いたしますっ!」
兵士たちの感謝の言葉は彼女のいる天幕から同心円のように広がっていった。だが中には喜びのあまり嬌声を挙げる者もおり、そんな者へは軍医からの叱責が飛んだ。
「これっ、静かにせぬかっ!ジャンヌ様は傷が癒えたばかりでまだお休みなのだぞっ!」
軍医からの一喝に兵士たちは忽ち大人しくなる。それを見て軍医は今度は側に控えていた副官へ話し掛けた。
「副官殿、ホワイト殿は今ジャンヌ様の下を離れられない。なので以後はあなたが指揮を取られるべきであろう。ただ、これは私見でありますがくれぐれもジャンヌ様が目を覚まされた時に落胆なされない様にされるべきかと思います。」
「・・、了解した。」
軍医の言葉に副官は一瞬戸惑ったようだが直ぐに真意を汲み取り各隊へ号令を掛けた。
「前線の兵たちへ撤退の合図を送れっ!モンシュルへの攻撃は一旦中止するっ!但しスライド・ブリッジは死守しろっ!対岸へ防御壁を構築するのだっ!ウォーグレール隊は引き続き城塔を重点的に破壊しろっ!工兵はスライド・ブリッジの補強と新たな橋の構築を急げっ!」
「はっ!」
副官の命令を受け伝令兵が各隊へ散ってゆく。その命を受けジャンヌの天幕の周りに居た兵士たちも自分たちのやるべき事をやるべく散っていった。
しかし、撤退戦は突撃より難しいと言うのは戦場の理である。しかも今回は完全撤退ではなく一事的後退だ。しかも対岸付近のスライド・ブリッジは敵の火矢が届く範囲にある為これを守るのは一筋縄ではいかない。そもそもスライド・ブリッジ自体が使い捨てを前提に設計されているのでこれを保持するのは並大抵の事ではなかった。なので副官はスライド・ブリッジとは別に新たな橋の構築を命じたのである。
こうしてガレリア側の当初の目論見とは違い、モンシュルの町への攻撃は持久戦へと戦況が変わっていった。とは言ってもグレートキングダム側にして見れば目の前にガレリア側の橋頭堡があるのは脅威でしかないので火矢による執拗な攻撃は続いた。
それとは別に密かにモンシュルの町を抜け出した一隊が川の上流より丸太を流しスライド・ブリッジの破壊を試みる。但し、これはガレリア側も予測していた事なので丸太を川に投入される前に迎撃隊が発見し撃退した為何とか事無きを得た。
しかし、ガレリア側も順調とはいかない。まず予定より長い時間砲撃を続けたウォーグレール砲の弾薬が底をつき始めたのだ。なので6門あるウォーグレールの内、モンシュルの町の周壁に一番近い場所に配置されたスライド・ブリッジを守る為に2門だけが継続して砲撃を続ける事になる。
そしてこの事はグレートキングダム側に周壁の補修をする機会を与えてしまう。また砲撃密度が減った事によりグレートキングダム側の兵士たちにもガレリア側の備蓄が少なくなっている事を悟られた。これはグレートキングダム側の士気にも影響を与え守りきれるという自信を持たせる事となったのである。
このように一旦歯車が狂いだした戦場は次第にグレートキングダム側有利へと戦況は傾き始めた。
本来ならジャンヌが倒れた時、副官はチカラ押しでも攻撃を押し進めるのが定石であったのだろう。そもそも、今回の作戦自体が短期決戦を念頭に組まれていたのだ。そしてそれは順調に進んでいた。それをひとりの少女の思いを酌んで組み直すのは愚の骨頂である。
だが人は機械ではない。みなの気持ちが勇者であるジャンヌへと向いているのなら、彼らが優先すべきは目の前の勝利ではなく彼女の思いであった。
確かに彼女が目を覚ました時にモンシュルの町が陥落していれば当初の目的は達成できたと言える。だがその代償として兵士たちの屍が周壁の下に折り重なっていたらジャンヌが受ける心の傷は計り知れないものがあるはずだ。そのような事になったらもはや彼らの天使は彼らの下を離れてしまうかも知れない。
その恐怖が将校や兵士たちに目前の勝利を手放させた。それ程彼らにとってジャンヌという存在は大切なものとなっていたのである。
だが、そんな不利な状況へと追い込められつつあっても何故かガレリア側の兵士たちの士気は高かった。その一番の要因はやはりジャンヌの容態であろう。軍医の言葉により彼女は助かると聞いた兵士たちは、ならば彼女が目覚めた時に彼女の号令の下再度攻撃できるように準備を整えておくべく動いていたのだ。
そう、一時の撤退は次の反撃への足がかりなのだ。彼らはまだ負けていない。何故なら彼らの天使であるジャンヌは生きている。そしてジャンヌさえいれば負ける事はないという思いが彼ら全員の一致した思いだったのである。
はい、書き溜めていた分はこれで品切れです。ですので次の投稿は多分2022年の春になります。いや~、コロナの流行でここまで経済が停滞するとは思ってもいませんでした。実生活が安定しないと創作も思うようにはいかないんですねぇ。




