解読と人体模型
「あーっ、至福の時間が終わってしまった・・。」
彼女はカキ氷の入っていたカップの縁に口を付けたままカップごと顔を上にし、少しだけ残っていたシロップが落ちてくるのを舐めとりながら落胆の言葉を吐いた。
「未来ちゃん、幸せってのはそうゆうものなのよ。儚いからこそ大切に思えるの。」
「おっ、文学的だねぇ。」
空になったカップを覗き込み、もはや一滴の雫も残っていない事を確認した彼女は、残念そうにカップを店頭のゴミ箱へ投げ込みながら堀川の言葉を混ぜ返す。
「ふふふっ、歴史はちょっとアレだけど、私国語は結構得意なのよ。そう言えば未来ちゃん、図書室で調べ物してたでしょ?あれってなに?」
「あーっ、これ?これはちょっと手強いわよ。と言うか国語と言うより外国語の知識が必要だと思うし。」
カキ氷を堪能し終えたふたりの話題は、今度は図書室で彼女が調べていた文字へと移った。そして彼女から手渡されたノートを見て結衣が何やら考え出す。
「ん~っ、なんかこの文字って美術系の資料で見た気が・・。」
「えっ、そうなの?それってなんて本?どの書棚にあったの?」
堀川からの突然のヒント彼女の心は色めき立つ。実際彼女は資料探求に関して行き詰っていたのでこの手掛かりはまさに天からの贈り物に近いものがあったのだ。
「えーと、見たのは図書室じゃないわ。確か美術室でちらっとみたのよ。ほら、美術の授業でゴシック体とか明朝体とかポップ体とかを書く宿題を出されたじゃない。その時の参考資料として見た本にこんな文字が書いてあった気がする。」
「あっ!」
結衣に言われて彼女も漸く気付く。かつて彼女も確かに授業でその資料は目にしていた。だから見た事もない文字でありながら何か頭の片隅に引っかかっていたのだろう。だが彼女は文字の形からアルファベッドと推測してしまった。故に文字や言葉関係の資料と美術資料が結びつかなくても仕方がない。如何に毛筆の『書』などが美術的価値が高いと教えられていても、文学と美術を関連付けられる人はそういないはずだからだ。
「うんっ、ありがとう結衣ちゃんっ!今度はそっちを当たってみるわっ!」
「えっ?あー、うん。なんか判らないけどがんばってねぇ?」
そう言うと彼女は堀川を残してそそくさと学校へ戻った。堀川は彼女の突然の行動の意味が判らない。だが、自分もこの後健太郎と約束があったので深く追求せず彼女へ手を振り見送った。
そして美術室に来た彼女は堀川が言った本を探し始める。それは割と簡単に見つかった。
美術室の資料棚から取り出した本を彼女はテーブルの上に置きページを広げる。そして開いた本を見ながら彼女は呟く。
「これだ・・、うんっ、間違いない。」
そこには確かに彼女が彫刻家から渡されたノートに突然現れた文字とそっくりな文字が描かれていた。そして彼女はその文字の横に書かれている説明を読み始める。そこには次のような事が書かれていた。
この文字は古代ローマの支配下に入る前のガリア〔現代のフランスの辺り〕地方の一部で使われていたと思われる文字である。但し、その事を証明する物的証拠は少なく唯一といえる品はランス地方の寺院に保管されていた『古代ガレリア年代記』と呼ばれている書物だけである。
この文字の特徴としては当時のローマ帝国で使われていた文字の影響を強く受けながらも言葉自体は独特な言い回しであり、研究者の間では文字を持たなかった当時のガリア周辺の人々が自分たちの言葉をローマ字で表記したのではないかと考察されている。
それが時代と共に文字自体も変化してゆき、この『古代ガレリア年代記』が書かれた時分ににはガリア独自の文字となったと考えている研究者が多い。その為、この文字はローマ字の亜種と捉えられているが、単語自体は完全な表音単語と考えられているのでその解読は現在でも困難を極めており完全な解読には至っていない。
尚、使われている文字は別として言葉自体には独自性があると判断され、研究の分類としてこの言葉には『古代ガレリア語』という名称が付けられた。
彼女は本に書かれた説明文を読んで納得する。そして自分なら『古代ガレリア年代記』を読めるのではないかとも思った。そしてその中に彼女がノートの文章を読んで理解できなかった単語か、または類似する綴りの言葉があればノートの判読もかなり進むのではないかと思ったのである。
だが、『古代ガレリア年代記』は現在フランスの結構歴史のある図書館に所蔵されているとある。そんなところに極東の島国の女子高生が読ませてくれと尋ねてもほいほいと閲覧させてはくれまい。
と言うか、そもそも彼女にはフランスへ渡航する術すらないのだ。移動にかかる飛行機代など、知りたくもない金額であろう事は一介の女子高生である彼女にすら容易に想像がついた。
なので彼女の今の状態は1歩前進2歩後退と言ったところだった。文字の分類と言葉の発祥地は判った。その言葉で書かれている書物の存在と現在の保管場所の情報も得た。だがそこまで尋ねる術が彼女にはない。如何に現在インターネットにより世界中が繋がっていようと、インターネットにアップされていない情報にはアクセス出来ないのだ。
「くーっ、なんかへこむなぁ。こうゆう場合、物語なんかでは神さまが現れてポイっと連れて行ってくれるはずなのに。いや、それよりも直接説明して貰った方が早いか。なんせ神さまだもんね。宗派が違うから読めないなんて言ったら興醒めだわ。」
彼女はテーブルの上の本を閉じると元の場所に戻す。そして今日はまだ胸像に挨拶をしていない事を思い出し隣の備品保管庫へと向った。部屋に入るといつもの場所に白いシーツを被って佇んでいる胸像からシーツをとる。そこにはいつも通りの胸像があった。そして胸像はいつも通り彼女へ語りかけてくる。
「やっと見つけたよ、僕のジャンヌ。」
このメッセージを彼女は既に何回聞いただろう。いや、実際は耳で聞いたのではなく心に響いてきたのだが、そんな違いは彼女にとって瑣末な事だった。
そして彼女はこれまたいつも通りに胸像へ問い掛ける。いや、いつもはただ胸像の目を見つめて問い掛けるだけだったのだが、今回は新たな情報が手に入った興奮からだろうか、彼女が最初に胸像に出会った時と同じように胸像の頬に手を当て問い掛けていた。
「あなたは誰?何故私をジャンヌと呼ぶの?」
彼女はそう言いながらそっと唇を胸像の唇へと近づける。だがそんな彼女に話掛ける者ががいた。その者は彼女にこう言う。
「けけけっ、とうとう待ちくたびれて胸像相手に自慰行為かよっ!これだから最近の若いやつはモラルがねぇって言われるんだ。まっ、性衝動ってやつは理屈じゃねぇからな。だが出来れば俺の見ていないところでやってくれ。当てられるこっちとらいい迷惑なんだぜっ!」
突然横から声を掛けられた彼女は驚いて胸像から離れ声のした方を見る。そこにはあの人体模型がいた。そう、彼女に声を掛けたのはなんと胸像の隣にいた人体模型だったのだ。
人体模型が話しかけてくる。普通なら有り得ない事だ。百歩譲って学校の怪談話なら一バリエーションとして花子さんの次の次くらいに入れてもいいが、それとて子供たちが話のタネとして面白おかしく創作したもののはずである。
しかし、本来なら驚いて大声を挙げかねないこのシチュエーションも実は彼女にとっては2度目だった。なので声の主が人体模型だと判ると彼女の目がすーっと薄くなった。
「あなた出歯亀も大概にしてよね。なんでいつもここにいるのよ。あなたがいるべき所は理科準備室でしょっ!」
人体模型に向けて彼女の叱責が飛ぶ。だが喋る人体模型もそうだが、それに動じない彼女も大概だ。ここはどう考えても叫び声をあげておしっこを漏らすシチュエーションだと思うのだか?
しかし、胸像への初めての行為を中断された思春期真っ盛りの彼女に常識は通用しないらしい。これは恥ずかしさからきた誤魔化しではなく、心底怒りに燃えているようだ。その気配を感じとったのか人体模型は即座に下手にでた。
「まっ、待てっ!そう怒るなっ!俺だって邪魔しようなんて思っていない。ほら、だからいつもは黙っていただろう?ただ今回はあんたが胸像に所定のシーケンスで接しちまったからさ。なので俺に掛けられたトリガーも発動したんだ。まぁ、だからと言ってからかったのは謝るっ!だからその手にしたバールを下ろしてくれっ!と言うかどこから出したんだ、そのバールっ!」
人体模型は彼女の手にしているモノに恐怖を感じたのだろう。いや、さすがにどす黒い殺意を噴き出させながらバールを手に睨まれたら誰でもビビるか。
だが、彼女の怒りはそんな嘆願くらいでは収まらないようである。なので少しづつ人体模型に近づいて次のように告げた。
「そもそもあなたが普通にぺらぺら喋れてこの胸像が同じ事しか喋らないってなんなの?それって不公平なんじゃない?」
「いや、そんな事言われても俺と胸像では掛けられた魔法の種類が違うし。」
「魔法の種類?なに?あなたもしかして中2病なの?」
いやこの場合、中2病の疑いを掛けられるのは平然と人体模型と会話をしている彼女の方だと思うが、それを心配する人がここにいないのは幸いだった。
「待てっ!今説明してやるからとにかく待てっ!」
「説明してやる?」
人体模型の言葉づかいに彼女の目がピクリとする。それを見て人体模型は慌てて訂正した。
「あっ、いや、説明させて下さいっ!お願いしますっ!」
「そう、まぁ私もちょっと煮詰まっていたところだから聞くだけは聞いてあげるわ。でもしょうもない内容だったら・・、判っているでしょうね?」
「ひぇ~っ!」
彼女の凄む声を聞き、人体模型は模型の癖に体を震わせた。多分仮に人体模型に人間としての体があったならきっとじゃばじゃばと漏らしていた事であろう。
「で、説明ってなに?あなたが一体何を知っていると言うの?」
彼女はテーブルに戻り椅子に腰掛けながら人体模型に説明を促がす。だがその手には今だバールが握られていた。
「おっ、おう。まぁ落ち着いてくれ。実は俺はこんな成りをしているが本当は羊飼いなんだ。」
バンっ!
「ひぇ~っ!」
人体模型の説明が気に入らなかったのか彼女は机をバールで強かに叩く。その音と行為にまたしても人体模型は悲鳴を挙げた。
「私、中2病設定はいらないって言わなかったかしら?」
「いや、本当だから怒らないで聞いてくれよ。でないとこれから話すこと全部が中2病で片付けられちまう。」
人体模型の懇願に彼女は暫し考え込む。そして答えた。
「判ったわ、3回までは許してあげる。」
「3回までって・・。それってどうカウントするんだよ・・。」
「私の機嫌次第って事よ。さぁ、とっとと説明してっ!」
なんとも女王様的な判断基準だが今の人体模型には拒否権はなかった。故に人体模型は言葉を選びに選んで説明を始めたのであった。
というか、彼女、キャラが変わっていないか?