王子を救わなくてはっ!
さて、ホワイトと掃除のおばあちゃん改めミセス・ギリシアが暢気な話をしている間、蚊帳の外に置かれた彼女はどうしたらよいのか判らずにただ黙って立っていた。
確かに彼女は偽王子を見破ったがそれは魂の違いを感じとっただけで外見で見破った訳ではない。なので偽者と判っていても自分に向かってニコリと微笑まれると彼女の脳内ボルテージは忽ち急上昇した。それくらい人は外見で相手を判断するのである。
そんな彼女に偽王子が改めて膝を折り身を屈めて勇者である彼女に身分を偽った事を詫びた。
「異世界からの勇者よ、卑しき身にも関わらずアルバート王子の恩名を名乗り、あなた様を偽った事をお許しください。これも全てはアルバート王子の安全を担保する為です。しかし、あなた様が来て下さった以上、王子の未来は安泰です。故にあなた様を偽った不敬に対して、私は如何様な罰も受ける所存です。」
「いや、ちょっとっ!そんな事されても私困るんですけど・・。と言うか罰ってなんですかっ!あなた、王子の影武者なんでしょうっ!なら最後まで自分の仕事に誇りを持って下さいっ!なんで罰など受けなきゃならないんですかっ!」
彼女の言葉に偽王子は困惑する。そんな彼にホワイトが間に入った。
「はははっ、どうだアーチャー。異世界の勇者は実にフランクだろう?そして真実を見極める目を持っている。そしてその目にはお前がちゃんと自分のやるべき事を成していると映ったようだ。良かったな、これでお前の父上も安心するだろう。」
ホワイトの言葉に偽王子は床についていた拳をきつく握り締め唇を噛んだ。そう、彼もまた彼の家系の王家に対する責務をその肩に担っていたのだろう。
この亡国の危機に際し国をまとめ上げる立場にいるアルバート王子の影武者を務める。これは生半可な事ではない。もはや命などおしいと思うことすら出来ない職務であろう。そもそも敵の目を欺く為に護衛に守られているとはいえ、常に命を狙われる立場にいるのは精神的にも相当きついはずだ。
だが偽王子はここまでそれをやり遂げた。その重責を本物の王子を救うべくやって来た異世界からの勇者に認められたのである。そして、ホワイトからも労いの言葉を貰った。
偽王子が拳を握り締め、唇を噛んだのはそんな苦労が報われたが故の心の高ふりを押さえ込もうとした動作だったのだろう。
彼は王子の影武者である。だがその為には本物以上に本物らしくあらねばならなかった。でなければ影武者の意味がない。しかし、人を偽るという行為は全うな精神を持つ者にとっては相当な苦痛を伴う。彼は影武者の役を命じられてから今日まで心休まる事がなかったはずだ。
これまで彼はのほほんと王子の真似をしていた訳ではない。親グレートキングダム王国派からの疑惑の目を払拭し、また幾人もの暗殺者の襲撃を受けこれを退けてきた。これはまさに本物の王子以上の働きと言える。
そして彼はやり遂げた。この事は賞賛に値するだろう。そして彼は今、その対価を異世界の勇者から受け取ったのだ。
「ぐっ・・、くっ!」
湧き上がる感情を抑えきれずに彼は慟哭する。そんな彼の姿を見て彼女は戸惑う。現代に生きる彼女にとって、男の、それも困難をやり遂げたが故の真の漢が流す涙など、見た事が無いのだ。
いや、頭ではその状況を理解している。だが、理解はしているのだが彼女は達成感により嬉し涙を流す男にどう接すればよいのかが判らなかった。それ程彼女が生きる現代社会では真の漢が人前で涙を流すなどという事は稀だったのである。故に彼女はありきたりな言葉しか掛けられない。
「あの・・、大丈夫ですか?」
「ぐふっ、こ、これはお見苦しいところを、くっ・・、お見せ致しました。申し訳ありません。」
偽王子は彼女の言葉に言葉を詰まらせながら返答する。だが一旦溢れ出した感情は意志のチカラを持ってしても止められるものではなかった。そんな彼にホワイトが声を掛ける。
「さて、勇者のお披露目も済んだ事だし、我々は次の試験へと向う。後の事は頼んだぞ、アルバート王子。」
「ぐすっ、・・ああ、任せてくれ。いや、ちょっと気を落ち着ける必要はあるがそれも一時だ。」
ホワイトから王子と呼ばれたアーチャーは自分の役目を思い出す。そしてすぐさま対応した。そう、彼は確かに偽者であるが、対外的には彼こそがアルバート王子なのだ。そしてアルバート王子は自分の責務を認められたからと言って涙など流さない。何故なら王子にとって王子である事は当たり前だからである。例えその為に如何様な困難を背負い込もうとも、本物の王子は泣いたりしない。故に彼もそれに倣い涙を拭いて王子の態度でホワイトたちに接し始めたのだ。
「それでは未来、次だ。ついて来い。」
「えっ?あ、はい・・。えーと、お邪魔しました・・。」
偽王子に対するホワイトのあまりにも素っ気無い態度を訝りながらも、彼女はホワイトの後に続いて部屋を出た。だが、ホワイトに続いて階段を降りながらその事を質す。
「ねぇ、ホワイトさん。もしかしてあなたたちって仲が悪いの?」
「なんだ?別にそんな事はないが。」
「だって、あなたってあの人に対して随分素っ気無いじゃない。」
「ああっ、そう感じたか。まぁ、そこら辺は察してやってくれ。やつだって本当は人に涙なんか見せたくないはずだからな。ましてやあそこで俺から励ましなんぞ受けたらあいつにとっては汚点でしかない。」
「あっ、・・うーっ、それは判るけど・・。」
ホワイトの説明に彼女はしぶしぶといった感じて納得する。つまりホワイトの偽王子に対する素っ気無さはある意味優しさであったのだ。だが次の言葉で偽王子がとても厳しい現実と対峙している事もホワイトは彼女に説明した。
「それにやがてあいつも判るようになるだろうが、あの程度で泣いていてはもしもの時に遅れをとりかねん。敵の魔女は感情を攻撃するのに長けているらしいからな。」
「感情を攻撃?あーっ、もしかしてインキュパテスみたいなやつ?」
ホワイトの説明に彼女はこちらの世界にやって来てから始めて受けた魔物の攻撃を思い出す。いや、インキュパテスからの攻撃はこちらの世界へ来てから2度目の魔物だったのだが、最初に彼女へ茶々を入れてきた魔物は自業自得的に爆散したので彼女の中では無かったものにされているのだろう。
「ほぉ、インキュパテスを知っているのか。なんだ?サーチから聞いたのか?」
ホワイトは彼女からいきなりこちらの世界にいる魔物の名前が出たので驚いている。しかも確かにインキュパテスは人の感情をも喰らう魔物なので彼女の推測はまさに的を得た物だった。
「えーと、実はあなたに会う前に草原で出会いました。」
「俺と出会う前?それはプルターブ子爵の屋敷を出てからの事か?」
「いえ、その前です。むーっ、あれって私がこっちに来ていきなりだったからちょっと驚いたわ。」
「ほうっ、来た早々インキュパテスに絡まれるとは災難だったな。で、そのインキュパテスはちゃんと始末したんだろうな?」
ホワイトは彼女がインキュパテスからの精神攻撃を受けていたと聞いてその始末を聞いてきた。これは一度インキュパテスの攻撃を受け精神に進入を許した場合、所謂バックドア的なものが心に出来てしまいその後も進入を簡単に許してしまい易かったからである。だから一度精神に進入を許したインキュパテスは殲滅しなければならないのがこちらの世界における常識だったのだ。
だが、そこら辺はポチが心得ていたので彼女も心を鬼にして対応したのは既に話したとおりだ。因みにこの場合、心を鬼にしたという表現は一般的な解釈ではなく、本当に般若の如く怒って対応したという事を表している。うんっ、言葉って難しいね。
そして、そんなホワイトの心配に彼女は抜かりないとばかりに答えた。
「ええ、乙女の純情を弄ぶとは万死に値する事を身を持って経験させたわ。だからあなたもどんな夢を見たかなんて聞かないでね。」
「はははっ、それは怖いな。まっ、なんにしてもさすがは勇者だ。来たばかりで魔物を退治するとは大したものだよ。」
「私の知っている勇者は聖剣エックスリカバリーにて悪を倒すけど、可憐で可愛く、且つ素直で奥ゆかしくてか弱い女の子である私には、さらにその上を行く史上最強の自衛装備、JIS規格合格品マークも誇らしげな万能護身具、その名もちゅんちゅん丸があるから大丈夫っ!」
彼女はホワイトの言葉に対して彼女の世界から持ち込んだ秘密兵器を高々と掲げて見せた。うんっ、本当に彼女ってどこにバールを仕舞っているんだろうね。いつも気付いた時には手にしているもんなぁ。
「あーそれか。ふむっ、確かにそれには只ならぬチカラを感じる。さぞかし名のある名工の作なのだろう。」
「ふふふっ、そう思うでしょうけど差にあらず。これぞ日本が誇る統一規格の成せる技。なんとこれはホームセンターで売ってまーすっ!」
彼女の言葉にホワイトは返す言葉が見つからないようだった。そもそもホワイトにはホームセンターが何なのかも判らない。だが、そこは少し持ち上げておいて静かにスルーするのが彼女に対する正式な対応だとポチから聞いていたのでホワイトはそのように対応する。
「ふむっ、そうなのか。まぁ何にしても業物を使いこなしているのは大したものだ。」
「本当は金属バットとどっちにしようか迷ったんだけどこっちの方が安かったからこれにしただけなんだけどね。」
彼女はホワイト相手に楽屋ネタのような事を話しだす。そうか、そのバールってホームセンターで買ったんだ。しかも金属バットとどちらにするか迷ったのか・・。でもどちらにしても自称『可憐で可愛く、且つ素直で奥ゆかしくてか弱い女の子』が持つものとしては不釣合いなんじゃないかなぁ。
さて、そんなお喋りをしながらもふたりは宿を出て裏通りを町の中心とは反対方向へと歩きだした。そんなふたりを宿の受付で新聞を読んでいた老人が入り口まで出て見送る。そしてふたりの姿が角をまがって見えなくなると背後の護衛役たちになにやら話し掛けた。多分、万が一に備えてふたりの護衛をするように命じたのだろう。そして老人に命じられた男たちはそれぞれ静かに裏口から消えてゆく。
多分ホワイトだけなら老人もそこまでしないのが普通なのだろうが、今回ホワイトは勇者を伴っている。故に念には念を入れた対応を老人は取ったのだろう。彼らにとって勇者とはそれ程大切な存在なのであった。
さて、王子の影武者がいる宿屋を後にしたホワイトたちは、今度はブルージュンの町の中でも人々が居を構える住居地区へと来た。そして一軒の共同住宅の前で立ち止まる。そんなふたりにいつの間に現れたのか物売りが近づいてきた。
「へへっ、旦那。もしかして誰かを訪ねて来なさったのかい?見たところ手ぶらのようだがどうだろう?手土産に果物でも持っていかさっては?お安くしておきますぜい?」
「ほう、そうだな。俺とした事が忘れていたよ。どれ、それではひとつ貰おう。」
「へへへっ、ありがとうごぜいやす。3千ギールになりやす。」
物売りはそう言うと手に持ったかごの中から果物をみっつ取り出し紙の袋に入れホワイトへ手渡した。だがそれを見ていた彼女は物売りが果物とは別になにやら封筒のようなものを袋の中に入れたのを見逃さなかった。だが当のホワイトは物売りのそんな動作も気にしていない。それどころか金を支払いながら物売り相手に世間話を始める。
「俺は数日留守にしていて今日この町に帰ってきたところなのだが、留守中に何か面白い話はあったかい?」
「へぇ、そうですなぁ。あると言えばありますけんど、話としては面白い物ではないですなぁ。」
「ほうっ、やはり戦争がらみの話か?」
「へぇ、また北の方の町がひとつグレートキングダム王国の軍に降伏したそうでがす。まぁ、この町のお偉方は否定していやすがね。あの話は敵の間諜が流しているデマだと言って逆にその話題を話している者たちを取り締まるくらいでさぁ。」
「なるほどな、その行為が逆に噂に信憑性を持たせているのか。」
「後は今日の話なんでがすが、この家の飼い犬が散歩に出たっきり帰ってこないなんてのもありますがね。だもんで飼い主が心配しているんでがすよ。こんな事は今までなかったらしいんで。」
「ほうっ、あの犬が逃げ出したのか。」
「いえ、飼い主の話ではあの犬は血統書付きだからペット泥棒にさらわれたんじゃないかと大騒ぎでさぁ。」
「犬泥棒だと?」
「へい、なんでもこの町の御領主様が突然毛並みの良い犬を探しているなんて噂がたちましてね。それで町中で犬泥棒が頻発し始めたんでさぁ。」
「ブルージュ卿がか?なんだ?あいつにそんな趣味があったとは聞いていないぞ?」
「そうですなぁ、噂ではどこかの偉いさんに取り入る貢物として探しているって話でさぁ。」
「成程な、確かにあの犬なら貢物としても上玉だろう。うむっ、俺も気に掛けておくとしよう。また何かあったら教えてくれ。これは少ないが取っておけ。」
「へい、ありがとうごぜぇますだ。」
ホワイトは物売りに幾ばくかの金を渡す。それを受け取った物売りは来た時と同じようにあっという間にいなくなった。
「さて、少しまずい事態になった。なので場所を変えよう。」
そう言うとホワイトは周囲を一瞥した後、彼女を伴ってその場を離れた。そんなホワイトに彼女が説明を求める。
「えーと、何かまずい事ってなんです?もしかして王子絡みですか?」
「うむっ、どうやらアルバートがここの領主に拉致されたらしい。」
「王子がっ!」
「全くあのアホがここの領主には気をつけろと言っておいたのにな。多分護衛も付けずに会いにいったのだろう。その結果がこれだ。」
ホワイトはアルバート王子が拉致された原因も既に推測できているらしい。と言うか先ほどの物売りはホワイト側の間者だったのか?確かに犬を王子に置き換えれば先ほどの会話もそんな話に取れなくもない。
「ちょっとホワイトさんっ!それってすごくまずいんじゃないですかっ!」
「ああ、そうだな。だがここの領主はアーチャーが王子だと思っていたはずだ。やつがアルバートに掛けられた魔法使いの偽装を見破ったとは考えられん。となるとあいつがアホな事をしでかしたのかもしれん。全くあいつは周りの苦労を簡単にぶち壊しやがる。これだからボンボンは甘いと言われるんだ。」
どうやらホワイトは此度の失敗をアルバートの失態と考えているようであった。まぁ多分その推測に間違いは無いのだろう。なんと言ってもホワイトとアルバート王子は既知の仲なのだ。故にホワイトにとってアルバート王子の行動など容易く予想できるものなのだろう。
「と、言う訳でアルバートへのお目見えは延期だな。と言うか下手したら会えなくなるかもしれん。覚悟しておいてくれ。」
「そんな・・。」
ホワイトの言葉に彼女は動揺する。
「ちょっとっ!駄目ですっ!そんな事は絶対だめっ!今すぐ王子を助けに行きましょうっ!」
「うろたえるな、大丈夫だ。アルバートの偽装は完璧なんだ。例えアルバートが自分が王子だと名乗り出たとしても相手は確かめようがないはずだ。故に今はまだ監禁されているだけだろう。それにグレートキングダム側に引き渡すにしても死体では価値が激減するからな。なので取り合えず身の安全だけは担保されているはずだ。」
「そっ、そうなんだ・・。でも・・。」
ホワイトの言葉に彼女は少しだけ安堵する。だが、状況が最悪な事には変わりがない。なので今すぐ王子の所に駆けつけたいという思いは収まらなかった。
そんな彼女に対してホワイトが諭す。
「まっ、如何に勇者とは言え単身裏切り者の前に出向くのは悪手だ。いや、過去の勇者には問題を全てチカラでねじ伏せた者もいたと聞いているがお前のキャラではあるまい?」
「うっ、うー・・。」
ホワイトの言葉に彼女は返事に窮した。確かに彼女ひとりが領主の下に殴りこんでも結果は見えている。いや、もしかしたら彼女の持つ勇者特典により、並み居る敵兵を蹴散らして王子を助けだせるかもしれないが、その後には死屍累々とした屠殺場のような光景が残るはずである。そんな陰惨な状況を戦いの興奮から冷めた彼女が見たらとても耐えられないであろう。
そう、ここは人と人とが大義名分の下に殺し合いをしている世界ではあるが、彼女は取り合えず自国内では平和が保たれている幸せな国の住民なのだ。理不尽な人の死など映画やドラマでしか見たことが無いのである。ましてや、自分の手を人の血で汚すなど考えた事もあるまい。
だが、怒りや興奮は人の倫理思考を一時的に遮断する。そうでなくては普通の人々は人殺しなど出来やしないのだ。もしも冷静な判断により人を殺したとしたら、そいつはもはや『人』ではない。それはこの異世界においても同じであり、そのような魔に落ちた者たちを彼らは『修羅』と呼んでいた。




