作戦会議はケーキを食べながら
やがて朝食を食べ終えた二人は他の客に席を譲る為店を出た。だが男は彼女と朝食を食べるのがとても楽しかったのだろう。なのでまだ彼女への説明も肝心の本題に触れていない。そこで男は彼女を別の店に誘った。
「さて、混んでいたのでデサートを注文するのを忘れていた。なので少し甘い物でもどうだ?」
「えっ、甘い物っ!うーっ、でも・・。」
彼女は男の誘いに一瞬目を輝かせたが、何故か躊躇う。だがこれは男に対する警戒からではなく、単にカロリーの取り過ぎを警戒する乙女の躊躇だろう。
「なんだ?甘い物は嫌いか?」
「いえ、大好きですけど・・、でも・・。」
男の問い掛けに彼女はまだ踏ん切りがつかないでいる。
「あーっ、俺と一緒では嫌か。はははっ、では店内ではなくテイクアウトして外で食べてもよいぞ。まぁ、俺はコーヒーだけだがな。」
「うーっ、そうゆう訳では・・。ただちょっとカロリー的に・・。」
「カロリー?なんだ?基本甘味は高カロリーだからエネルギー摂取としても十分取れるはずだぞ?」
「くっ、これだから男は・・。」
彼女は男の甘味に対する認識のズレにちょっと苛立った。そう、彼女は男の認識と違い逆にカロリーの取り過ぎを躊躇しているのだ。何故なら彼女は現代の女の子だからである。
そこに二人の会話に割ってはいる者がいた。そう、情報検索コマンド『ポチ』である。
『ピッ、僭越ですがホワイト様。彼女はカロリーの取り過ぎを警戒しているのです。』
「カロリーの取り過ぎ?なぜだ?基本カロリーは取れる時に取っておくものであろう?」
『ピッ、それは認識の相違です。彼女がいた世界は基本平和であり食べ物に不自由しません。かつ、機械化が進んでいる為労働によるカロリーの消費も少なく抑えられているのです。その結果、欲望のままに高カロリーな食べ物を摂取し続けると肉体に変化が現れるのです。有体に言うと『デブ』になるんです。』
「ポチっ!てめぇーっ、言い方を考えんかいっ!」
ポチの説明に彼女はちょっとはしたない言葉が口をついた。だが、男には『デブ』という言葉に過剰反応する彼女が理解できなかったようだ。
何故ならこちらの世界にも確かに『デブ』はいたが、こちらの世界ではどちらかと言うと『デブ』とはステータスであったからである。
そう、こちらの世界では肥え太れるという事は食べる物に不自由せず、かつ過度な肉体労働をしなくても生きてゆける生活を手にしている者のみに許された肉体美と認識されていたのだ。つまり上流階級という事である。なので男はそれを否定したがる彼女の気持ちが判らなかった。
なので彼女がいた世界の社会通念を情報として有しているポチが彼女でも折り合えるような案を提示した。
『ピッ、こちらの世界はあなたの世界と違い少々過酷です。それは昨日の移動でもご理解いただけたはず。ですからカロリーの摂取目安値はあなたの考える基準よりかなり上の方に振っておかないと逆に栄養不足に陥りますよ。』
「うっ、確かに・・。」
『ピッ、あなたの世界で『デブ』が蔓延しているのは、カロリーの摂取過多が原因ですが、それと併せてそれに見合ったカロリー消費をしない事も一因です。つまり運動不足です。』
「くっ、理詰めできたわね・・。」
『ピッ、以上の事を踏まえ逆に今後あなたがこちらの世界で一日に摂取しなければならないカロリーは約5千カロリーと計算できます。なので甘味のひとつやふたつ食べたところでこの値を越える事はないです。』
「5千カロリー・・、そんなに必要なんだ・・。でも具体的な数字を出して説明するなんて、ポチってどこぞの詐欺師集団だったのね・・。」
『ピッ、こちらの商品はまだ市場に情報が流れていません。ですからこのお値段で提供できるのです。ですが一旦情報が流れれば高騰しますよ?そうなる前にご購入されればその利ザヤたるや他の金融商品などの比ではありません。さぁ、残る枠は後ひとつだけです。直ぐにでも決めないと後で後悔するかも知れませんよ。さぁ、さぁっ!』
「いや、そのボケはいらない。と言うかホワイトさんが理解できなくて顔をしかめているわ。」
彼女の指摘にポチはちょっと慌てる。そして改めて説明しなおした。
『ピッ、あっ、すいませんホワイト様。今のはちょっとした掛け合いです。彼女のいた世界ではこうゆうトークが流行っているのです。』
「ほうっ、そうなのか。うむっ、俺もいずれはそっちの世界へ行ってみたいものだな。さぞかし素晴らしい世界なのだろう。」
「うっ・・、そうですか?でも微妙かも。」
男の言葉に彼女はちょっと困ったような表情になる。まぁ、確かに知らない世界へ行くという事は心躍るものだろうが、それは表面だけをちょっと触る程度ならばという前提があればこそだ。自由競争の名の下に相手を出し抜く事に血眼になっている現代社会の裏構造を知ったら、この男も今言ったような考えが幻想である事に気付くはずである。
さて、そんなお喋りをしながら歩いていたふたりはとある店の前で立ち止まった。
「あーっ、マリアが言っていた店はここだな。どうする?俺の知っている女が言うにはここの甘味は絶品だそうだぞ?」
「うっ、うーっ、そうですか?あーっ、なら一口だけ頂いちゃおうかなぁ~。」
彼女は言葉ではそう言うが心は既に店内から漂ってくる甘い香りの虜となっていた。ただ先ほど男の前で躊躇した手前、すんなり食べたいとは言えないのだろう。
だが男はそんな彼女の気持ちなど気付かないのか彼女の言葉を了と受け取り店へと入ってしまった。慌てて彼女も後に続く。
そんな甘味屋の店内は甘い香りでいっぱいだった。とは言ってもさすがに朝っぱらから甘い物を買いに来る客はいないのだろう。二人以外に店内に客はいない。そんな二人に店員が声を掛けてくる。
「あーっ、すいません。まだ仕込み中で品物が用意出来ていないんです。なのでちょっと時間がかかりますよ。」
「いや、構わない。だが飲み物は出せるであろう?俺にはコーヒーを、彼女には・・、何かリクエストはあるか?」
男は彼女に向って飲みたいものがあるか聞いてくる。
「えーと、どうしようかなぁ。あっ、フルーツジュースをお願いします。」
彼女は壁に貼ってあるメニューの中から無難と思われるものを注文した。
「はい、コーヒーとフルーツジュースですね。焼き菓子はちょっと時間が掛かりますけど、ケーキ類はもう少しで出来上がります。」
「そうか、なら出来たら一人前を持って来てくれ。あのテーブルにいるから。」
「判りました。」
店員はそう言うと奥へと引っ込んだ。そしてふたりは店にふたつあるテーブルのひとつに腰掛けた。
「はぁ~、すごく甘い香りだわ~。う~んっ、ケーキ屋さんって女の子のつきたい職業で常に上位なのも判るなぁ。」
「はははっ、そうなのか。まぁ、それはこちらの世界でも同じようなものらしい。後は仕立て屋なんかも人気があると聞いている。」
「成程、手に職ってやつですね。やっぱりこっちの子は自立意識が高いのかしら。」
「魔法使いも憧れらしいが、あれはちょっと才能がもの言う世界だからな。誰でもなれるというものではないらしい。」
「あーっ、魔法使い・・。本当にいるんだ。」
「まぁな、いずれお前にも紹介しよう。」
彼女と男は飲み物が運ばれてくるまでそんな他愛もない会話を続けた。それは彼女にとっては単なる場をもたせる為の会話だったのだが、男にとっては久しぶりに心を偽る事なく話が出来た心和む貴重な時間となったのかも知れない。
その後、店員が飲み物と出来立てのケーキを一皿持って来たので話は一旦中断した。だがそのケーキを見て彼女は驚きの声を上げる。
「うはっ、ちょっとポチっ!これってショートケーキじゃないっ!」
『ピッ、そうですね。それがなにか?あっ、もしかして食べた事がないとか?』
「んな訳あるかーっ!現代日本の平均的サラリーマン家庭の家計を甘く見るんじゃないっ!私の誕生日には毎年お母さんが不二の実屋のケーキをホールで買ってきてくれるのよっ!」
『ピッ、なら何を驚いたのです?あっ、苺じゃなくて赤いゼリー玉が乗っているから本物じゃないという否定の意味としての『じゃないっ!』でしたか?』
「ポチ・・、あなた時々言葉で遊ぶわよね。そうじゃなくて私の感覚だと異世界って中世欧州風だから、ケーキとかもあってもパイやスポンジケーキくらいかなぁと思っていたのよ。」
『ピッ、あーっ、つまり生クリームでデコレートされていたから驚いたと。えーと、言っていませんでしたけどこちらの世界ってあなたの世界における冷蔵庫と同等の機能を持っている設備があるんです。だから食料の貯蔵や保管に関してはあなたの世界と比べても引けはとりませんよ?』
「あっ、そうなんだ。う~んっ、先入観って怖いわ~。気をつけなきゃ。ではまず一口。う~んっ、おいしい~っ!確かに味も不二の実屋のケーキに引けをとらないわっ!」
『ピッ、はいはい、良かったですね。』
そんなふたりの掛け合いを男は黙って聞いていたが、取り合えず落ち着いたのを見計らい説明に入った。
「さて、それじゃ食べながらでいいんで聞いてくれ。お前はアルバート王子の命により王子付きの羊飼いであるハーツによってこちらの世界へ招かれ跳んできた者だ。そして王子がお前を呼んだ目的はグレートキングダム王国の勢力をこの国から駆逐し、最終的に王子が次の王位につく助けとなるべく勇者として働いて貰う事だ。この辺の事は理解しているな?」
「はぁ、まぁ一応・・。でも私勇者特性は持っているみたいだけど、戦争なんてした事ないわ。と言うかしたくもない。」
男の説明に彼女はケーキを頬張りながらちょっと嫌そうな顔をした。
「はははっ、そうだな。まぁそれが普通だ。だが戦いと言っても色々あるのさ。我々はお前に直接前線に立ってグレートキングダム兵と戦って欲しい訳じゃない。そんなのは兵士たちの仕事だ。なのでお前にやって貰いたい事をこれから説明する。」
男はそう言うとコーヒーを一口飲んで間を空けた。
「まず現在我々はグレートキングダム勢に対して劣勢にある。この主な要因が兵士不足だ。これは我々ガレリア王国側が貴族単位による、その貴族たちが有している領地の出来高から招集する兵の数を割り当てるという古来からの慣習に則った軍編成で戦っているからだ。対してグレートキングダムはそれまでの慣習を捨て、王が民衆に対しある年齢になったら強制的に軍事訓練に参加させ予備役とさせている。これは、いざ戦争を始めようとした時に戦場に送り出せる兵士の総数を劇的に増強できるシステムであり、実際グレートキングダム側の兵力は我々の3倍だ。これにより本来防衛側が有利とされていた動員できる兵士の数が、対グレートキングダム相手では逆転してしまった。」
「・・。」
彼女は男の説明に対し、頭の上に鳩を飛ばしている。有体に言うと何を言っているのか判らないのだろう。だが男はそんな彼女を気にせず説明を続けた。
「なので数には数で対抗するしかない。だがそれまで一家当たりひとりを兵士として送り出せばよかったところに更に男手を出せと言っても民は納得しない。これは慣習の問題だ。いくら国の危機だと説明しても民はそれまでの流れを変えたがらないものなのだ。それにやつらにとっては国が負けても支配者が代わるだけだからな。一時的に増税などで苦しむかも知れぬが戦場なんかに立って死ぬよりはマシだとの考えの方が強い。」
「・・。えーと、ケーキのお代わり頼んでもいいですか?」
男の話す重い内容に対して、彼女は目の前の問題をまず解消しようとした。だがこれもまた彼女なりの駆け引きなのかも知れない。彼女は男の話す内容に対し、彼女の世界において過去に民衆の要求を履き違えた王妃の故事になぞらえてケーキがなくなったのなら注文すればいいのにと言ったのだ。
さすがは大抵の物は金を出しさえすれば手に入ると思っている現代っ子だ。いや、これは違うか。彼女はただ単にケーキがおいしかったのでもうひとつ食べたいと思っただけなんだろう。
そんな彼女のおねだりに男はケーキの追加を店員に注文する。
「えっ?ああ、構わぬが・・。店員っ!新しいケーキをくれっ!」
「はーい、ただ今お持ちしま~す。」
男の声に店の奥から店員が応える。そして今度は別のケーキを持って来た。
「はい、どうぞ。こちらは結構若い子たちにも人気なんですよ。」
店員はそう言って栗色の細い麺のようなものが渦巻いているケーキを彼女の前に出した。それをみた彼女の感想は次のようなものだった。
「う~んっ、これってモンブランだよね?そうかぁ、ケーキってどの世界でも共通なのかぁ。」
「ほうっ、お前の世界にも同じようなものがあるのか。ふむっ、それはこちらではマロンクリームと言う。まぁ、栗を練りこんであるからそう言うのだろう。」
彼女の感想に男がこちらの世界でのケーキの名前を教える。この男、見た目の雰囲気と違って結構この手の知識に詳しいようだった。
「あーっ、そうですね。私の世界のと味や作り方は多分一緒だと思います。ただ名前に関してはこのケーキを初めに売り出した人が、その形が有名な山に似ているからと名前を拝借したという話を聞いた事があります。」
「はははっ、それはまた商売上手だな。確かに誰も知らない新しい名前よりも、既知の有名な名前を付ければ親しまれるであろう。」
「ん~っ、そうゆうものなのかしら?まぁ、私は美味しければ名前はどうでもいいんですけどね。」
そう言って彼女はひとすくいケーキを口にする。
「うはっ、おいしいっ!くーっ、この店ってクリームが絶品だわっ!」
「はははっ、そうか。うむっ、まだまだ種類は沢山あるはずだ。好きなだけ食べるが良い。」
「う~っ、悪魔の囁きが聞こえてくる・・。でもまぁ、食べた分は消費すればいいってポチも言ってたし大丈夫よねっ!」
『ピッ、デブはみんなそう言います。』
「くっ、ポチ・・。お前って段々私に対してきつくなってない?」
『ピッ、学習効果の反映です。どうやらあなたは自分を律するのが不得意のようですので。』
「ちっ、道理で時々お母さんモードになったのか・・。」
だが、ポチに諌められても彼女は気にせず新しいケーキを注文する。そんな彼女を男は静かにコーヒーを飲みながら見守っていたのだった。




