ニアミス
さて、プルターブ村のメインストリートを歩くこと15分。今彼女はプルターブ子爵の館の前にいる。そして門番と思しき男相手にプルターブ子爵へのアポイメント交渉を始めた。
「あーっ、私、護国寺 未来と言います。訳あってプルターブ子爵にお会いしたいんですけど取り次いで頂けます?」
「見かけない顔だな。誰かからの紹介状は持っているのか?」
彼女の問い掛けに門番は型通りの対応をとる。だが口ではそう言っても態度は完全に彼女を物乞いか娼婦とでも思っているようだった。
なので彼女は正攻法を諦めポチに問いかけた。但し人前なので脳内である。うんっ、ここら辺は多分にご都合主義かもしれない。いや、魔法のある世界なんだからこれくらいは普通か?
<ちょっとポチ。王子からの紹介状を偽造して頂戴。いや、このオヤジをぎゃふんと言わせたいから王様名義のやつの方がいいかな?>
彼女は門番の物言いが気に喰わなかったのが、ポチに天下御免の印籠を出すように言った。だが当然ポチは拒否する。
≪ピッ、見たこともない服装の女性が王子の紹介状なんか出したって信じて貰えませんよ。ましてや王様からのなんて、バレなくたって公文書偽造で犯罪です。≫
<ならどうしろってのよ。このおやじ、絶対取り次いでなんてくれないわよ。>
≪ピッ、えーと、紹介状ではなく王子からプルターブ子爵宛ての手紙を預かってきたという設定でいきましょう。これなら私も別件で使うはずだったやつを持ってますから。≫
<なんだ、そんなのがあるなら初めから出しなさいよっ!ふふふっ、このオヤジをぎゃふんと言わせてやるわっ!所詮は門番、王子の手紙を見たら恐れ多くて土下座するわねっ!>
≪ピッ、いや、そこまでしないって。まずは手紙の真偽を確かめるはずです。その後の対応は執事がするはずですから門番は関係ないですよ。≫
<えっ、そうなの?う~んっ、なんかこのオヤジ気に入らないから権力に物言わせて跪かせたいなぁ。>
≪ピッ、そうゆうざまぁはいらないです。それじゃ手紙はそのバックの中に転送しますからね。後、あなたの設定は王子が潜伏している宿屋の女中という事にして下さい。名前は・・、あーっ、さっき名乗っちゃいましたね。んーっ、この国の名前らしくないからどうしますかねぇ。まっ、遠くの国から出稼ぎに来ている事にでもしておきましょう。≫
<くっ、プルターブ子爵に会うだけなのにそこまで設定しなきゃならないとは、面倒だなぁ。>
≪ピッ、今はあなたの身元を保証してくれるモノがなにもありませんからね。だから王子の下に着くまでは無難な身分で通しましょう。ざまぁなんて後でグレートキングダム兵相手にいくらでも出来ますから。≫
<えーっ、ざまぁってそうゆうものじゃないと思うんだけどなぁ。>
≪ピッ、グレートキングダム兵のやつらは多分あなたの姿を見ても小娘扱いして笑ってきますよ。≫
<ほうっ、それはそれは。うんっ、本当にそんな事をしてきたら地獄に送ってあげるわ。いえ、死ねない程度にいたぶった方がすっきりするかしら?>
≪・・。≫
彼女はニタリと笑って凄い事を言う。なのでポチはそれに答えられない。まぁ、だけどこの程度の残虐性は大抵の人は持ち合わせているものだ。ただ、平和な時は表に出ないだけである。仮に出てきたとしたら、それはその人が幸せでないからだろう。
「おいっ、いつまでぼーっと立っているんだ。紹介状がなければお前のような小娘を屋敷の中に通す訳にはいかないぞっ!物乞いなら他を当たれっ!とっとと消え失せないと酷い目にあわせるぞっ!」
門番は無言でポチと会話している彼女に業を煮やしたのか、物乞いには用はないとばかりに追い払いにかかった。
すると彼女は手に提げていたカバンから何やら取り出して門番に見せた。
「えーと、紹介状は預かってこなかったんですけど、これを見せれば取り次いで貰えるって言われたんですけど。」
「なんだ、それは?」
「アルバート王子様からこちらのご当主様へ宛てられたお手紙です。」
「なにっ、アルバート王子からの手紙だとっ!小娘っ、貴様どうしてそんな物を持っているっ!」
「どうしてって言われても・・、王子様は今私が奉公している宿屋にお泊りですから。あっ、この事は内緒ですからね。本当は絶対言っちゃ駄目って言われていたんですから。もしもあなたに話したなんて王子様に知られたら私だけじゃなくてあなたの首も飛んじゃいますからね。」
「くっ・・、しばしそこで待てっ!真偽を確かめてくるっ!」
「はぁ~い、できるだけ早くしてくださいねぇ。あんまり待たせると帰っちゃいますよぉ~。」
彼女は王子の手紙を受け取ってあたふたと屋敷の中に消えてゆく門番の背中に向って嫌味を言う。全く彼女は門番の何がそんなに気に喰わなかったのだろう?もしかしたら教えるのがぶっきら棒で生徒全員から嫌われている数学の教師にでも似ていたのか?だとしてもそれは門番からしてみれば冤罪だと思うのだが?
さて、そんな彼女と門番が屋敷の正門で揉めていた時、屋敷の迎賓の間では当主のプルターブ子爵が客を迎え入れていた。
「これはこれは殿下。まさか殿下自ら私の元へおいで下さるとは光栄です。ささっ、その様な所におられず上座へお座り下さい。」
プルターブ子爵はそう言うと入り口に立つ男性に何時もなら自分が陣取るテーブルの上座へ座るよう勧めた。そして勧められた男はそれがさも当然のように悠然と上座の椅子に腰掛ける。
そう、何を隠そうこの男こそ護国寺 未来をこちらの世界へ呼び寄せた張本人。ガレリア王国の第2王子アルバート・シビリアン殿下だった。年の頃は30歳前後だろうか。いや、もしかしたらもう少し若いのかも知れない。
だがその風貌は護国寺 未来が恋焦がれた美術保管庫の胸像とは少し違った。いや、全くの別人とは言わないが胸像の柔らかくカーブした髪や眼光鋭く凛々しい顔立ちと違って、今そこにいる王子は少々暗い印象を見る者に投げ掛けていた。その事が王子の見た目年齢を実年齢より高く見せているのかも知れなかった。
もっともそれは胸像とは違い短く整えられた髪や、心労なのかややこけている頬がそれを強調しているのかも知れない。ただ眼光の鋭さだけは胸像以上で、その瞳に見つめられた者はまるで心の内まで見透かされたかのような印象を持つであろう。
これは隣国グレートキングダム王国との争いと、長い潜伏生活が影を落としているのかも知れない。そう、今王子は巨大な敵と戦っているのだ。その為にこれまでいくつもの辛い決断をしているはずである。そんな過酷な運命が王子の表情から笑顔を奪ったのかも知れなかった。
そんな王子にプルターブ子爵が声を掛ける。
「先王アリステア・シビリアン様がお亡くなりになったと聞いた時は私も胸が張り裂ける思いでした。たが、君命により私どもは後衛に徹しろと命じられており、先王の戦場に馳せ参じられなかったのが今でも悔やまれます。」
プルターブ子爵はアリステア・シビリアン国王の事を先王と呼んだ。これは退位したり亡くなった王に対する敬称なので全くの間違いではないが、次の王が決まっていない現状では王位が空席である事を強調しているようで些か不用意な呼び方だった。
だが、王子は敢えてそれを無視する。今は敵国グレートキングダム王国に諸侯一丸となって対応しなければならない時である。そんな時にいちいち細かい事を言って味方であるプルターブ子爵を刺激したくなかったのだろう。
「プルターブ卿、まず初めに注意しておくが今の私は身分を王家ゆかりの騎士と偽っている。なのであなたと二人以外の場ではそのように接して貰いたい。これは敵の諜報員を欺くためだ。あなたには面倒を掛けるがいらぬ危険は避けたいのでな。よろしく頼む。」
「おおっ、そうでしたかっ!確かに初め、王家ゆかりの騎士が私に面会に来たと執事が言った時は何を言っているのかと思いましたが、そのような策であるなら従いましょう。」
プルターブ子爵は口ではそう言っているが内心では驚いていないようだった。戦いに敗れ国を亡くしかけている王族が身分を偽って潜伏するのはこの時代の常套手段だ。事実、プルターブ子爵本人も万が一の時は旅芸人に扮して秘密の別邸に逃れる準備を常にしていた。
備えあれば憂いなし。この時代、権力者たちはたわいもない事でその身を追われる事も少なくなかった。なんと言っても絶対王権制度なのだ。貴族と言えど王の一言で領地を取り上げられる事も無きにしも非ずなのである。それ以外にも農民の一揆などが起これば寝首をかかれかねない。なので権力者たちは常に身の保全を担保する準備をしているのだ。
命さえあれば巻き返す方法は幾らでもある。それが貴族たちの矜持だったのだ。
「して、今回のご訪問は如何なる用でありましょう?こんな王都から遠い場所では刻々と変化する最前線の状況も中々情報が掴めません。まさか皇太子殿下の身に何かあれられたのですか?」
「いや、兄上に変化はない。相変わらず王宮にて酒びたりの日和見状態だ。兄上には父の仇を討つ気概すら見られないのだからな。全くだらしがないにもほどがある。」
アルバート王子はプルターブ子爵を前に、自分の兄であるフランダム・シビリアン皇太子の事を怒気は抑えているが蔑んだ。だが、これはフェイクだ。アルバート王子とフランダム皇太子の間にはちゃんとそれぞれが成すべき役割分担が事前に話し合われていたのである。
つまり、フランダム皇太子は対外的に弱腰の姿勢を演じ、敵であるグレートキングダム王国を油断させる。そして相手が気を抜いた所にアルバート王子がガレリア王国諸侯を結束させグレートキングダム王国勢力を押し戻すという計画が事前に計画されていたのである。
この事は計画の根本をなす事なので味方であるプルターブ子爵にも打ち明ける訳にはいかない。なのでアルバート王子は、プルターブ子爵の前でもフランダム皇太子の事を罵ったのである。これも全て謀略である。今は味方に付いている貴族も情勢次第ではいつ反旗を翻すか判らない混沌とした情勢では二重三重の謀略が必要だったのだ。
信じられるのは血の繋がりのみ。いや、それすら場合によっては覆るのが王権制度の暗部である。権力が複雑に絡み合う王権制度では、信頼とはそれほど脆いものなのであった。