異世界ひとりぼっち
気付くとそこは見渡す限り一面の草原だった。そんな草の海の上を時々風が走り抜けてゆく。そして風が吹いた後には風に揺らされた草が、そこを風が通り抜けた証である風紋を一瞬だけ形作っていた。
そんな草原のど真ん中に彼女は今立っていた。だが彼女にとってその手の風景は既に見慣れたものだ。何故ならハーツとの特訓で彼女は何度も魂だけではあるが異世界へ来ていたのだから。但しその異世界は今彼女が立っている異世界ではない。
ハーツ曰く、実体を伴った転移は不確定要素が多く、事前に魂だけとは言えアルバート王子がいる異世界へ跳ばす事は、魂の残滓が実体の転移時に干渉する可能性があり不確定要素を増大させる要因になるとの事だった。故にアルバート王子がいる異世界へは本番である今回まで跳ぶ事が禁じられていたのだ。
但しハーツもちゃんと考えており、実体を伴った本番の転移で彼女が不安にならない様に極力アルバート王子がいる異世界に似た別の異世界を特訓の場としていたのだろう。それが先ほど彼女が感じた見慣れた風景という感想になっていたのだ。
「う~んっ、ここまでいつもの訓練で使っている異世界と風景が似ていると逆にちゃんと跳べたのか不安になるわね。ちょっとハーツ。ここって本当にアルバート王子がいる異世界なんでしょうね?もしも違ったなんて事だったらただじゃ済まさないわよっ!」
彼女は目線も向けずに傍らにいるはずのハーツへ声をかけた。だがハーツからは返事が返ってこない。なので漸く彼女はハーツを探すべく周りを見渡した。だが見通しの利く草原のどこにもハーツの姿は無かった。
「なに?どこにいるの、ハーツ?えっ、もしかしてこっちの世界でのハーツの本体って、実はこの草だったなんてオチは無いわよね?」
彼女はハーツから返事のない事を訝りしょうもない事を言い出す。そして足元の草に手を添え恫喝を始めた。
「ふふふっ、ハーツ。始めて出会ってから3年近くになるけど今まで言い様に私を甚振ってくれたわね。私は可憐で可愛く、且つ素直で奥ゆかしいか弱い女の子だから黙って従っていたけど、とうとう立場が逆転したわ。ほらほら、謝るなら今の内よ。早くしないと引っこ抜いちゃうんだから。」
そう言うが早いか彼女は手を添えていた草をぐいっと引き抜いた。
「ちっ、これじゃなかったか。むーっ、木の葉を隠すには森の中って言うけど、さすがにこれだけあると全部は引き抜けないなぁ。」
これはわざとなのだろうか?事前の打ち合わせ通りにハーツが隣に居ない事の不安を押し隠す為の彼女のボケなのか?そもそも植物への転移は動けなくなるからまずやらないと以前ハーツが説明していたと思うのだが?
「ハーツっ!今のは冗談だから出てらっしゃ~いっ!」
彼女は周りに向って呼びかける。だが反応は無い。
「ちっ、ダンマリを決め込むとはいい度胸ね。ハーツっ!10秒以内に出て来ないとここいら一帯焼き払うわよっ!10、9、8、3、2、1、ゼロっ!」
彼女は途中の数字を中抜きして一気にカウントをゼロにした。いや、そんな事をするくらいなら初めから5秒にしておけばいいと思うのだが、これもまた彼女なりの漫才テクニックなのだろうか?
しかし、そんな高等テクニックも相方には届かなかったようだ。
「あらら、もしかして本当にいないの?この期に及んで訓練って訳でもないでしょうし・・。」
彼女は腰に手を当て周りを見渡し状況を把握し始める。そう、どうやら大事な本番の異世界転移で彼女とハーツははぐれてしまうと言う大失敗をしたらしい。
「くっ、一応想定はしていたけどまさか本当に失敗するとは・・。でもまぁ、変な虫や魔物に憑依していないだけマシか。」
彼女は自身の体をあちこち触ってこの体が自分のモノだと確認した。当然持って来た手鏡で顔も確認している。
「さて、となると後はここが本当にアルバート王子がいる異世界かの確認ね。」
そう言うと彼女は何やら呪文を唱え始めた。それはハーツから予め教えられていたものである。
「ディア ワールド。サーチオプション、プロパティナンバー。アウトプット、ジャパニーズサウンド。リターンっ!」
異世界はどんなに似ていようともそれぞれに特徴的な特性を持っている。故にそれを調べればその世界がどの異世界かがたちどころに判るらしい。そんな便利な魔法が今彼女が唱えている呪文である。
『ピッ、分析結果がでました。この世界は異世界番号333番の登録特性と99.99%合致します。次に近い異世界特性との合致率は87%ですので、ほぼこの世界は異世界番号333番だと思われます。以上。』
彼女の呪文によりこの世界の確認結果が日本語の音声で届けられた。そして結果は確かにここがアルバート王子がいる世界であると告げてきた。因みに異世界番号333番がアルバート王子がいる世界の登録番号だ。蛇足だが彼女のいた世界の登録番号は666番である。
「オッケー、取り合えず私はちゃんと跳べたみたいね。」
彼女は確認結果に満足する。なので次の行動に移った。
「さて、となると次よね。えーとハーツはこうゆう場合はどうしろって言ってたっけ?」
彼女は胸ポケットからハーツから言われて彼女が作った『異世界転移の栞』というあんちょこを取り出し、Q&Aで似たような例が載っていないか探し始める。そして、それは割りと簡単に見つかった。
「おっ、あった、あった。なになに、転移に成功したが、同行者とはぐれた場合に取るべき行動・・か。」
彼女はその該当する項目を読み始める。そこには次のような事が書かれていた。
・転移に成功したが、同行者とはぐれた場合に取るべき行動
1.現在位置の確認。
2.現在位置と王子の居る場所との距離と方位の確認。
3.危険な魔物や敵勢力が周囲にいないか確認。
4.一番近いガレリア王国の勢力下にある村の確認。
5.一番近いガレリア王国の勢力下にある村との距離と方位の確認。
6.現地での日時の確認。
7.・・
8.・・
「うへっ、確認ばっかだ・・。」
彼女はあんちょこに書かれた何項目もの確認内容に嫌気が差す。
「もうっ、こうゆう時の為のハーツでしょうに、あいつ本当に使えないわ~。」
いや、そもそもハーツとはぐれたから確認しているのだからその批判は的外れだと思うのだが彼女には通じないらしい。
だがそんな彼女も口ではそう言いながらも次の行動へと駒を進めた。
「ディア ポジション、アウトプット、ジャパニーズサウンド。リターンっ!」
『ピッ、分析結果がでました。現在位置は東経33度、北緯33度です。以上。』
彼女の呪文により確認結果が日本語の音声で届けられた。だがその結果に彼女はしかめっ面となる。
「ちっ、経度と緯度で言われたって地図が無きゃ判んないってのっ!」
確かに数値による位置情報とは基点となる場所が判らなければ使えない。そしてそんな情報が記載されている便利なアイテムの名前を人は『地図』と呼んだ。
「えーと、地図ってどうやって表示させるんだっけ?」
彼女はまたしてもあんちょこの目次を調べ始める。
「あっ、あったっ!あーっ、オプションにマップ表示を指定すればいいのか。そう言えばハーツもそんな事を言ってたな。でも何なの、この魔法。なんか使い勝手が悪いわ~。」
彼女は文句を言いつつも呪文をやり直す。すると今度は彼女の前にスクリーンが現れた。そこには多分この世界の地図と思われる図が表示されていた。だがまたしても彼女は落胆した。
「くっ、地図があったって、もともとこの世界の位置関係とかを知ってないと使えないのか・・。なんだかなぁ。」
そう、確かにスクリーン上には彼女がオプションで指定したこの世界の地図が表示され、現在位置もブリンクされていたが、だからと言ってそこがどこなのかは彼女にはさっぱりだったのである。
「まっ、いいか。取り敢えずこの情報はマーキングしてと。次は王子のいる場所の確認か。」
そう言うと彼女は新たな呪文を唱える。
「ディア ポジション。サーチオプション、アルバート・シビリアン王子。パスワード:xxxx。アカウントパワー:ジャンヌ・オルレアン。アウトプット、スクリーン。リターンっ!」
今回は極秘情報であるアルバート王子の位置情報にアクセスする為、彼女はハーツから予め聞いていたパスワードとこちらの世界での自分の名前を呪文に追加した。
すると先ほどからスクリーンに表示されている地図に、新しいブリップが点滅する。どうやらこの点滅している場所がアルバート王子がいる場所らしい。だが、スクリーンに表示されている地図の範囲が広すぎる為、ふたつのブリップは殆ど重なっていた。
「う~んっ、世界地図で東京タワーとスカイツリーの場所を表示させるとこんな感じなのね。えーと、拡大表示はどうやるのかしら。」
彼女はまたしてもあんちょこを調べ始める。そして調べる事3分。彼女は別の事実を知る。
「えーと、ボイスコマンド入力からグラフィックユーザーインターフェイスへの変更?なによっ、ちゃんと便利な方法があるんじゃないっ!何だったのよ、今までの苦労はっ!ハーツったらなんでこんな大切な事を説明しておかないのよっ!」
いや、そもそもそのあんちょこは彼女がハーツの説明を書き写したものなのだから、彼女は最低でも1回はハーツから聞いているはずなのだが今の彼女にそんな事を言おうものならバールが振り下ろされるであろうから突っ込んではいけない。
「チェンジ・ユーザーインターフェイス。GUI。セットキャラクター:ジャパニーズ。リターンっ!」
彼女の呪文によりそれまでスクリーンに表示されていた地図の上の方に何本かのツールバーが表示される。当然そこに書かれている文字は日本語だ。それを見て彼女は満足そうに頷いた。
「よしよし、こうでなくちゃね。あーっ、でも操作するのにマウスがないな。えーと、タッチ操作でいいのかな?」
試しに彼女はツールバーに拡大縮小と書かれている文字に指を添えてみた。するとポップアップメニューが現れ、インジケーターが表示された。
「はははっ、まるきりネットと同じような操作方法なのね。まっ、この方がやり慣れているからいいか。どれどれ、このバーを拡大の方にスクロールさせれば・・。」
彼女の指がインジゲーターを動かすとそれに合わせてスクリーン上の地図が拡大した。
「おしおし、となると位置をずらすのは画面上を滑らせれば・・。はははっ、まるでスマホだよ。これ。」
彼女はスクリーン上の地図が彼女の指にあわせて移動した事に得意になる。確かにその動きや操作方法はスマホとそっくりだった。
その後、グラフィックユーザーインターフェイスとなったスクリーンから彼女は確認すべき情報を全て取り出した。その情報によると現在彼女がいる場所は王子の居る場所と200キロ程離れており、一番近いガレリア王国の勢力下にある村の名前はプルターブと言い10キロほど北であった。そして現地での日時は7月1日。但しこの暦はひと月を30日とし、12ケ月で1年とする異世界での7月1日だ。
因みに王子のいるこの異世界も何故か1年は365日である。なので数が合わない5日分は12月を35日として帳尻を合わせていると、彼女はグラフィックユーザーインターフェイスとなったスクリーンから知った。まさにグラフィックユーザーインターフェイス様さまである。
もうひとつ付け加えておくとこちらの世界でも1日は24時間だ。但し、こちらの世界の1時間が彼女がいた世界での1時間と同等かは判らない。何故なら1日を24等分したのが1時間だからだ。そして1日とは惑星が1回自転した時の変化の区切りの事である。簡単に言うなら朝に日が昇って夕方に日が沈み、また日が昇ってくるまでが1日だ。
なので惑星の自転時間が変われば24等分された1時間も違ってくるのである。でも、その事も彼女はとっても便利なグラフィックユーザーインターフェイスの情報検索コマンドで確認していた。はい、こっちの世界も彼女がいた世界と1時間の長さは同じだそうです。う~んっ、どこかで誰かがご都合主義と呟いている声が聞こえてきそうだ。
さて、なので彼女はこの便利なグラフィックユーザーインターフェイスの情報検索コマンドに名前を付け、1アクションで呼び出せるようした。
「えーと、呼び出し呪文のカスタム方法は・・、あっ、これだ。ふむふむ、ふ~んっ、専用の名前を付けるだけなんだ。はははっ、簡単じゃんっ!よしっ、今日からお前の名前は『ポチ』だっ!」
『ピッ、情報検索コマンドへのカスタムが承認されました。呼び出し名はポチです。以上。』
彼女の命名にグラフィックユーザーインターフェイスは音声で反応した。
「うんっ、魔法も使い方さえ判れば便利なのね。と言うか初めっからこっちのやり方を説明しておけってのっ!全くハーツは使えないんだからっ!」
いや、だから説明はされていたと思うんだが・・。しかし、そう突っ込むはずのハーツはここにはいない。と言うか彼女はハーツを探す気はないのだろうか?情報検索コマンド『ポチ』を使えばハーツがどうなっているかも判るかも知れないのだが・・。
しかし、ハーツ以上に便利なアイテムである『ポチ』を手に入れた彼女の頭の中では既にハーツはお払い箱のようである。なので彼女は次の行動へと移っていった。
「アルバート王子の居る所までは200キロかぁ。本当なら直ぐにでも向いたいところだけど、こっちの世界の事を少し知っておかないとアクシデントに巻き込まれるかも知れないからなぁ。うんっ、ここは石橋を渡る気持ちで一歩づつ着実に行こうっ!」
いや、石橋は結構丈夫だぞ?だからこの場合は、石橋を叩いて渡るつもりと言うべきではないのか?うんっ、やっぱりハーツは必要かも知れない。でないと彼女のボケに誰も突っ込まないからな。