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雑文恋愛「卒業式では泣けない。だって・・」  作者: ぽっち先生/監修俺
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卒業式では泣けない

季節はまだ春も初旬。だがその日は朝から暖かな日差しが降り注がれ、心なしか空気にも柔らかさが感じられた。

そうは言っても道行く人たちの服装はまだ冬仕様だ。しかし、厳冬期の標準装備であった手袋やマフラーをしている人は少ない。いや朝家を出てくる時は付けていたのだが、今はポケットや荷物入れに仕舞いこんでいるのであろう。それ程今日の陽射しは暖かかった。

そんな穏やかな雰囲気の中、今多くの学校では学生たちが体育館や講堂に集まっている。いや、全員ではない。その集団の中には学校内での最上級ヒエラルギーを占める3年生たちがいなかった。

だが、みなその事を気にしている様子はない。何故なら今日はまだそこに登場していない3年生たちこそが主役となる日だからである。

3年生が主役となる日。そう、今日は卒業式なのだ。


「卒業生が入場されます。」

とある高校の体育館で既に中に集まっている在校生たちに向ってスピーカーからの声がそう告げる。すると校舎と体育館を繋ぐ通路に面する一番大きな扉が開いた。それに合わせて厳かな音楽が少し控えめな音量でスピーカーから流れ出す。

そして入り口の外で待機していたのであろう、卒業生たちが体育館の中へと入場してきた。それを在校生たちが拍手で迎える。

在校生たちが拍手で迎える中、整然と進む卒業生たち。そんな卒業生たちの表情はそれぞれである。緊張の面持ちで口を真一文にひたすら前に進む者や、ちょっと恥ずかしげにそわそわしながら歩く者。中には何か気に入らない事でもあるのかぶすっとした表情で歩く者もいる。

だが、それでもみな一様に事前の練習通りに自分の指定された場所へと向かうのは、これがそれまで3年間一緒に学んできた学友たちとの最後の集団行動なのだという思いがあるからであろう。

そう、本日を持って彼ら、彼女らはこの学校から卒業する。明日からはそれぞれ別の道を行く事になるのだ。

卒業とは決別でもある。そして決別には覚悟がいる。中には足が竦んでしまう者もいるだろう。だがそんな者たちの背をそっと押してやる為の儀式が卒業式なのだ。

卒業とは新たな門出でもある。慣れ親しんだ暖かな巣から、それぞれの目標に向けて羽根を広げて飛び立つ晴れの舞台。その先に待つのは未来だ。そして未来とは無限の可能性を秘めている。

過去はもう変えられないが、未来は如何様にも出来る。しかし、そこにはレールは敷かれていない。故にそれぞれがそれぞれの足で踏みしめ道を作ってゆくのだ。

卒業式とはそんな未来へ向けて歩きだす冒険者たちを称える為の式典なのであろう。


そして式は厳かにプログラムを消化してゆく。卒業生ひとりひとりに卒業証書 (冒険者ライセンス)が手渡され、その後在校生代表からの激励が贈られる。それに対し卒業生代表からも返礼の言葉が返される。そして生徒たちがみなで校歌を歌う頃には殆どの生徒たちが感極まり涙を流していた。


しかしそんな中、ひとりの卒業生だけはじっと前を向いて泣く事がなかった。彼女の周りの女子生徒たちは一様に涙を流している。最初こそは彼女のように泣かないでいた者も何人かいたが、感受性が敏感な青春期の彼ら彼女らにとって周りに引きづられるという事はままある。なので大抵の者は結局我慢しきれず泣き出していた。

だがその女子生徒だけは泣いていなかった。かと言って不貞腐れているようでもない。ただ何かを決意しているかのように前を向き卒業式が終わるのをじっと待っているようだった。


はたして彼女をそうまでさせている決意とは何なのか。それはまだ彼女しか知らない。そう、彼女にとって卒業式とは新たな世界へ旅立つ為の通過点であった。その世界へ跳ぶ為のカウントダウン・ゼロの日。しかし、彼女が跳ぶその新たな世界とは、他の生徒たちが飛び込む『大人社会』とは違っていた。

なので彼女は泣けなかった。泣いては決心が鈍るかも知れない。しかし、行動しなくては手に入らないものが彼女にはあった。

なので彼女は泣けない。高校生という3年間を共に過ごした仲間たちとの決別は確かに悲しかったが、その仲間たちとの決別よりも大切なものが今の彼女にはあったのだ。


そう、彼女にとって今日という日は学生生活の卒業とは別にとても大事な目的を遂行する日だったのである。

その目的を成し遂げる為、彼女は卒業式がつつがなく終わりあちこちで生徒たちが最後の別れにまたもや涙している中、ひとりその集団から離れ美術教室の備品保管庫へと向った。


それは暖かな日差しが備品保管庫の窓から差し込む中、部屋の片隅で真っ白なシーツを被って彼女を待っていた。そう、彼女の目的とはこのシーツに隠れている石膏の胸像だったのである。

彼女はそっと胸像にかかったシーツをめくりとる。するとそこには古代ローマ彫刻風の男性の姿があった。大きさはほぼモデルとなったであろう男性の実寸大かもしれない。しかし美術彫刻によくある裸体像ではなかった。その胸像はいかめしい甲冑を付けていたのである。しかし、兜は被っていなかったのでダイナミックではあるが柔らかくカーブした髪や眼光鋭く凛々しい顔立ちが胸像全体の雰囲気を和らげていた。

そして何より胸像は真っ直ぐ前を見ていた。なので胸像の前に立つとまるで胸像に見つめられているかと錯覚しそうなくらい強い視線を感じるのだ。しかし、その眼差しは柔らかい。口元もなんとなく微笑んでいるように見えなくもない。

世間には目は口ほどにものを言うとの格言もあるが、まさにその胸像の目は前に立った者へ何かを語りかけているようであった。そんな胸像を前に彼女は初めてこの胸像を目にした時を思い返す。あの時もこの胸像は彼女に語りかけてきた。


「やっと見つけたよ、僕のジャンヌ。」

僕のジャンヌ。何故彼女は胸像が自分にそう語りかけているように思ったのだろう。彼女の名は『護国寺 未来 (ごこくじ みらい)』と言った。ならばここは自分の名前を当てはめるべきではないか?もしくはいつか読んだ物語の影響でもあるのだろうか?その物語の中の主人公とこの胸像を重ね合わせたのか?だがその物語の主人公の恋人の名はジャンヌではなかったはずだ。

しかし彼女はこの『ジャンヌ』という呼び掛けに違和感を抱かなかった。自分の名は護国寺 未来であったが、ジャンヌと呼ばれる事も自然と思ったのである。これは別に級友たちから呼ばれる彼女のあだ名が『ジャンヌ』だったなどというオチではない。彼女はそれまで一度たりとも他人からそんな名で呼ばれた事はなかった。

だが胸像は彼女を『ジャンヌ』と呼んだ。いや別に胸像が本当に喋った訳ではない。全ては彼女の脳内妄想だ。だが何故『ジャンヌ』なんだろう?何故自分はそれを自然と感じるのだろう?

それは彼女が初めて胸像に出会った時にジャンヌと囁かれてからこれまで何度も繰り返してきた自問だ。だがとうとうその答えはでなかった。しかし、その答えを知る方法を彼女は既に得ていた。それが今日という日だったのだ。


そして彼女は胸像に話しかける。

「王子、とうとうこの日が来たわ。うんっ、長かった。あなたに初めて会ってからもう3年近くになるものね。」


彼女はその胸像を王子と呼んだ。まぁ、これは年頃の女の子ならままあることだろう。だが『王子様』ではなく『王子』と敬称無しで呼んでいるところが彼女のこの胸像へ思い入れの深さを物語っている。つまりこの胸像は彼女にとって虚像アイドルではないのだ。そう、彼女はこの胸像に恋をしていたのである。但し正確を期すとすれば胸像本体ではなく胸像のモデルとなったであろう人物にだ。


この胸像は彼女がこの高校に入学する3年前にとある郷土の彫刻家より学校へ寄贈されたものだ。その彫刻家はそこそこ名が知れ渡っていたので学校も喜んでこの胸像を校内の玄関に飾った。だがそこはやんちゃ盛りの高校生たちが集まる場所である。一週間もしない内に胸像はマジックで眼鏡とヒゲを書き込まれた。

なので学校は対応策として胸像を校長室へと移した。だがこの対応は寄贈した彫刻家の機嫌を損ねる。


「私は別にあなたへこの作品を贈った訳ではないのだが。」

彫刻家の言葉に校長は苦慮し、折衷案として日頃は美術室の備品保管庫で保管して美術の授業や文化祭などのイベント時に生徒たちの前に展示する事で納得して貰った。全くもって先生という職業は大変だ。これが小学生辺りならまだ理解できるが高校生にもなってこんなイタズラを嬉々としてやるやつらがいるのだから先生たちの苦労がしのばれる。


そして胸像は何もない日は備品保管庫にしまわれる事となった。目に付かなくなった胸像に生徒たちはずぐその存在を忘れた。美術の授業でデッサンのモデルとして使われる時も、ああ、そう言えばそんなモノもあったなという程度である。

やがて、移動させるのが面倒になったのか美術の授業でもその胸像は使われる事がなくなった。さすがに文化祭の時は彫刻家も招かれるので表に展示したが、通常は備品保管庫でシーツを被って余生を送っていた。今では生徒たちの中でもその胸像がそこにある事を知っている者の方が少ないくらいである。いや、殆どの生徒が胸像の存在すら知らないであろう。

だが、青春真っ盛りの高校生たちにとって美術品とはその程度のものなのかも知れない。そもそも今は昔と違い情報に溢れている。絵画とて油絵などよりアニメ画の展覧会の方が人手が見込めるくらいだ。自分が好きなものを自由に選択できる。これが現在を生きる若者たちに与えられた神からの贈り物なのかも知れない。

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