食堂
連投します。
「美味い!この鯖一切れで三杯は食える!」
デザイナーの趣味の良さが垣間見える、スマートな大人のレストラン。これから三年間お世話になる食堂は、卒業してからも通いたくなる満足度の高いデザインだった。豊富なメニューに細かな気配りが伺える机や椅子の配置、柔らかな照明の光が頭上に優しく降り注いでいる。
昼休み手前の時間、上級生と鉢合わせしないよう少々早い昼食にした。そして景色が良い場所を取っていてくれた力富と一緒に、食堂の実力を思い知る事となる。
「白飯と味噌汁お替り自由とか、この味でこれはヤバい!毎日腹がはち切れる!」
「オムライスも美味しい!オムライスだけで三種類あった」
「マジ来て良かったー……!」
互いの合格祝いより饒舌に、入学した学校のレベルをじっくり噛み締める。力富は半分まで減った大盛り用ご飯茶碗を離さず、漬物の味にも感動していた。
「この学校オープンキャンパスとかねえから、飯の味だけはずっと心配だったけど……。俺此処に住みたい!」
「私も明日鯖の味噌煮定食食べたい」
「俺メニュー表の上から全部コンプする!あ、でもオムライス一口欲しい」
「はいはい」
数人の熱い視線を独り占めする力富に、あーんをする勇気は無い。皿ごと差し出し窮地を乗り越えた。二口目に手が伸び掛けようものなら、容赦なく鯖を人質にする。未成年の旺盛な食欲に、性別など関係無いのだ。
結局食べ終えるまで、お互い試験の内容には触れなかった。
「―――で、どうだった?」
「オムライスはやっぱりデミグラスソースが好き」
「ケチャップもうめえだろ!って違う!」
「最終入学試験でしょ?そっちはどうやって合格したの?」
最終入学試験。この学校のコンセプトを考えれば、妥当なものだった。詳しい説明が無かった事も、内容が分かれば察しが付く。
此処では無知である事が尊いとされているのだ。
試験会場には黒い正方形の石が用意されていた。試験はその石に触れ、力を示す。それだけだ。
石の正体も力の具体例も無く、己で考えて石を掴む。無限の可能性に常識は邪魔なのだ。
言いにくいのか、水を一気飲みし数拍置く。
「あーーー……石が……ボコボコ、した?」
「ボコボコ……?」
「なんか水風船の水が中で暴れてる、みたいな?」
「何となく分かった。私は、壊れた」
「え、何で?」
「いや知らん、こう……ボロボロと」
「ボロボロ……ぶふっ!」
「人の事笑えるのかボコボコ!」
「ちょ、あだ名みたいに言うなし!」
くだらない話しをしていると、校舎のざわめきが増していた。お昼の時間になったのだろう。自然と腰が浮く。
「やべ、行こうぜ」
「うん」
「そう言わずに、もっと喋らない?」
「へ?」
「ぎゃっ!!?」
机の下から二次元キャラの青い魔物が出て来た。バックや縫いぐるみにされる人気の魔物で、元を知らなくてもテレビとかでよく見ている。
机から出て来たのはそんなファンタジーの魔物、ではなくその帽子を被った人だった。サイズの合っていない丸眼鏡にキャラ物の帽子、バッジの数字は二と一。先輩である。
可愛らしい顔立ちを下から生やし、叶雨達へ微笑んだ。
「入学おめでとう新一年生!私は二年の野々玲で~す!よろしく」
「よ、ろしく、お願いします……」
上目遣いであざとさを匂わせる角度、嫌な視線だ。何か強い目的を持って話し掛けられている。勘ではあるが、叶雨の勘はシャレにならない。
耳の後ろから流れる跳ねた毛先を摘まみ、気の抜ける調子で言葉を紡いだ。
「ねえ。ちょっとだけ、先輩に付き合ってくれない?」
全国の高等学校で二位を誇る敷地内面積、秘密の場所の一つ二つは青春の一ページだろう。
正確な道順を把握していなければ辿り着けない、道無き道を歩いて数分。校舎が葉に高さ負けする場所、深く森の奥まで進んでいた。
木々の擦れる音が神経の弱い部分を突く、気が濁っていく暗さだ。気分を戻したい。
「……力富」
「なんだ?」
「さっき、ぎゃっ!、て言ってなかった?」
「今更!?そっちこそ間抜け面だったろうが!」
「別に馬鹿にしたわけじゃ……、そこはきゃっ、の方が良くない?」
「受け狙いじゃねえ!変なリアクション期待すんな!」
「―――ふふっ」
乗ってきてくれたので繋げて会話を続けたかったが、耳をくすぐる笑い声に次が頭から飛んで行った。
「ああ、ごめん邪魔して。でも仲良いなあ、と思って……入学式が初対面なんて分からない位」
「!?……どうも」
何気ない感想だが、力富の返しは短い。その心情を同時に理解した叶雨は、表面に出ない範囲で神経を尖らせた。
叶雨と力富が学校で初対面だと知る者は少ない。入学式で席が隣接していた者なら、或いは狸寝入りだったなら更に一人増えるのだが。入学式は徹頭徹尾新入生と生徒会役員、監督役の教師陣しかいなかった。該当しない上級生は入学式の時間、サボりでもしなければ授業中だ。
しかも生徒会長挨拶前の僅かな時間、複数の雑談がされていた新入生席で、叶雨達の所だけ盗み聞き出来る訳がない。
常識で考えれば、狙っても聞けない情報だ。
不可視の情報網に潜む謎、それが何を意味するか大まかな予測は立った。恐らく力富も。
「ルヴィ!!」
木々の壁を抜けると、直角に抉られた崖。真下には草一本無い、均された地面があった。
そして会議室から引っ張ってきたようなパイプ机と椅子、に座ってお茶を飲む男が一人。優雅な動作にティーカップを幻視したが、そこは普通のペットボトルだった。逆に違和感。
野々が嬉しそうに駆け出し、男に擦り寄る。可愛らしい反応だ。男子制服を着ていなければ、デートの待ち合わせに見えるだろう。
「ごめんね、待たせちゃった?」
「遅いぞ玲。お前でなければ、とっくに帰っていたな」
「ごめんなさ~い!」
なんでいきなり連れて来られて、惚気見せられてるんだろう。
素っ気ない態度に含まれた情、呆気にとられていると男がお茶を野々に渡す。バッジを見るに三年生だ。
「歓迎しよう一年生、君達は玲のお眼鏡に叶った」
近寄らない叶雨達もだが、椅子から降りず体すらこちらに向けない男も大分失礼だと思った。
「最終入学試験。その受験者の中で有望だと判断された、未来ある若者達!君達にドルヴァス・マーフィーの将来の部下として、学業中の従順な奉仕を要求する!」
「…………頭おかしいんじゃないか?」
「し!絡まれるから本心は抑えて!」
野々からの拍手に手を振って応える男、ドルヴァス・マーフィーと名乗っていた。頭の隅で訴える記憶がある。
「マーフィー……思い出した!この島に来る時乗った船のマークだ!」
「つまり学校に賄賂……援助してる、造船会社の息子ってことか?ボンボンかよ」
「造船だけじゃなくて、何か海の事業を手広くやってる大きい会社。だったと思う」
「勉強不足だな、海洋マーフィー会を知らないとは……!この島にある船から、食堂の食材に至るまで!私の会社がもたらした恵みであると理解しろ!」
「マジか!?鯖の味噌煮めっちゃ美味かったです、ありがとうございました!」
「良し。感謝を忘れない気概を買って、無知の釈明としよう!つまり私の会社の恩恵を受けている者は、すべからく私の要求に応じるべきだと思うだろう!」
「いや、それは違うだろ」
立ち上がったドルヴァスに、野々は小走りで傍を離れた。利き手に力が入り、膝の駆動が柔らかくなる。力富が足を出し、叶雨を庇う位置に立つ。
世界の乖離、此処は今三人の世界となった。
「―――建て、〝Whale〟」
世界が構成された。
一時だけの神が存在する世界、現実を捻じ曲げる力が最大限発揮される空間。その存在感は格も麗しい夜の神、近くて遠い手中の銀月。
体が振り落とされないよう、四つん這いに踏ん張るだけで精一杯だった。踏ん張る地面が、茶色から灰色に変わっている。ただ一人が成した人工物、その上に叶雨と力富は居た。
「軍、艦!?」
「まさか……反絶力場まで!?」
全長は甲板に居る叶雨たちでさえ目算不可能な程。打開策を考える余裕が無いまま、立ち尽くしていた。
神が囁く。
「銀とは―――星である」
頭上から降る声、見晴台にあたる場所でドルヴァスは講義する。
「賦とは、古代中国では文体であり……日本でも近い意味で使われている。詩や歌だ。昔は誰かに贈る物として用いられていた。地球も無窮の宙に輝く、星の一つに過ぎない。故に―――」
掲げた右腕から鋭い光が差す、持ち主である神に応えて力を贈っていた。
「地球からの贈り物―――即ち〝銀賦〟、と私達はこの力を名付けた」
光の源は黄金。比喩は無く、純度百の金が腕輪となりドルヴァス・マーフィーを神に召し上げていた。
顕現した軍艦とその周囲十数メートル、そこはあの男の世界だ。
艦内に動きは無い。ドルヴァスの視界から逃れられれば、もしかしたら脱出の機会が有るかもしれない。が、そんな次元の力量差ではなかった。
甲板に設置された砲門が回頭、足元への威嚇射撃で命は霧散するだろう。明確な脅迫である。
「君達には将来性があり、投資する価値がある。そして常識を片足踏み外した経歴とプライドが、一度交わした契約を必ず完遂させると確信させた。尊厳を損なう命令はしない、約束しよう。大企業からのヘッドハントと思い、名前を書いてくれないか?」
身元を、調べられていた。
頭で羞恥と血が混ざり、怒りと憂いで叫び出したかった。拳には人を殴った感触が蘇り、神にも変えられない過去が心を掻きむしる。
入学式の前から目を付けられていて、入会試験の結果で絞ったのだろう。それらの手段を考察するのは後だ。
視界の端で、力富が落としていた腰を伸ばす。
「……俺は、書いても良いと思う」
「敵わないから?」
「それもある、この規模で力場を広げられる相手だ……。正直入学初日から問題を起こしたくない」
正論だ。いくら校舎から離れていて世界が外から見えなくなっていても、抵抗は互いの禍根となるだろう。叶雨達は先輩と呼ぶ立場の人間を常に警戒し、ドルヴァスらは二年分の経験を使った優位を確立させる。
敵意を感じない野々に大丈夫だろうと付いて行った、叶雨達の油断が招いた失態だ。
多少の屈辱は受け入れ、この学校を知る為の苦い経験だと飲み干すしかない。それに受け入れれば悪い条件じゃなかったと思えるかもしれない、野々を見れば大失敗とはならないようにも思えた。
しかし叶雨はポケットに手を入れ
「嫌だね」
と、嫌悪を暴露した。
力富は目を丸く開き、ドルヴァスは目を細め顎を上げる。あくまで見下す姿勢を貫く、その態度が嫌いだと思う子供の思考。
幼稚だ、しかし譲れないモノがある。
「そもそも試す前から力に屈するなら、この学校を選んだ意味が無い」
張りぼての神を作る力、銀賦。
世界の根幹であり生活となりつつある銀賦は、軍事社会の利になる面が大きい。コストパフォーマンスを計算すれば、変え様の無い現実だ。
国立賦力第三高等学校も軍事関係社から多大な援助を貰い、人事の優先権を渡している。星からの贈り物が相手を傷つける力である事は百も承知で、未成年を徹底的に教育する施設なのだ。
そんな学校に入ろうとする物好きが、力に首を差し出す軟弱者ばかりである筈がない。
例え足が震えても、相手が強い、たったそれだけの理由なら。
「名前を書かせたいなら、私に負けを認めさせてみろ。ズタボロにでもなれば、喜んで書くかもしれないよ?」
「ぶぅはっ!あっはっはっはっ、はひぃーーー!!!」
笑い声が軍艦の外まで響いた。大声で愉快だと腹から笑う、絶望を微塵も滲ませない表情で。
力富は格上を挑発した少女の、叶雨の肩を叩いた。
「痛めつけてみろってか!!?マゾの脅しとは恐れ入る!!」
「うっさい。あんたは早く書くもん書いてあっち行けば」
「馬鹿言うなって!付き合うぜその破れかぶれ!」
見下す瞳には怪しい光が宿っている。支配欲という、病気に匹敵する好意とでしか共存出来ない光。
真っ向から見上げる叶雨の、何て頼りない眼光だろうか。しかしそれが二対なら、もしかしたらとポケットの中身を握りしめた。
「……残念だ。こちらは無血開城を望んでいたが……」
「一昨日来やがれ!!」
「慢心は敗北への近道ですよ」
砲弾が空気を殴る音より速く、叶雨の目の前に銀が塗布された。