異世界転生のその先へ
「待っていたぞミチチカ。見送りに来てやったぞ」
道周たち5人を一番に向かえたのはジノだった。ジノは吹き抜ける風に赤髪を揺らし、湖畔に立ち尽くして出迎えた。その背には道周とマリーを見送りに来た人物が集まっており、最後の時を惜しんでいた。
「ジノはいつ戻るんだ?」
「ミチチカたちを見送ったらすぐさ。白夜王さんに頼んでこの順番にした。前と同じで、オレが見送る方だ」
「そうか。だったら、ユーロにセピア、フォリスによろしく伝えてくれ。俺は元気にやってるってな」
「了解した。皆もミチチカに合えればよかったが、また会う機会はあるだろう」
「勘弁してくれよ。俺はもう転生するつもりはないっての」
道周とジノは心を砕いて笑い合う。親しい2人は和やかに笑い合うと、その後ろから2メートルを超える巨体のバルバボッサが顔を覗かせた。
「おいおい坊主。それじゃあ、おれたちと会うつもりはないってか?」
「そうだぞ。其方はともかく、妾はまだ名残惜しいのだが」
「意地悪言うなよ。転生するのも一苦労。そう何回もするものじゃないだろ。俺だって寂しさはあるが、異世界転生するってことは、いつか元の世界に戻るってことだ。俺はそのために旅をしてきた」
「たはは! 分かっておる。これが最後だからこそ、見送りに来た甲斐があるってものよ!」
バルバボッサは狼狽する道周を見て満足気に笑い声を上げた。豪快な哄笑が湖畔に響き、その隣でもスカーが優美に微笑んでいる。
「ところでアドバンはどこにいる? 何だかんだで、まだ礼を言えてないんだが」
「義兄は太陽光に身を晒すのを嫌ってな。手紙を預かっているから、それで許してくれないか?」
道周の疑問にはアドバンの義妹であるセーネが答えた。セーネは懐から一通の手紙を差し出し、道周に手渡す。
純潔の吸血鬼であるアドバンは、先の戦いでドラグノートの純血と混ざり合い純血の吸血鬼ではなくなった。多大な力を手にすると同時に、ドラゴンの血に蝕まれたアドバンはしばらくの休息とセーネによる血の浄化を以って、徐々に元の性質に戻りつつある。といっても、完全な純血の吸血鬼に戻ることは不可能らしく、その反動で太陽光の元でも束の間の活動を行うことができるはずなのだが、アドバンの意地なのか姿は見せないようだ。
道周は意地を張るアドバンに微笑みながら、渡された手紙の封を切った。
『感謝はせん
夜王』
「あいつっ! どこまでも頑固な奴だ! セーネ。これを渡しておいてくれ!」
道周は頑固なアドバンに耳まで赤くしながら、その手紙に返答の文字を走らせた。アドバンらしいと言えばらしい文面に可笑しく思いながら、ありったけの文句を並べてセーネに突き付ける。
『感謝はせん
夜王
礼は言わない 夜王を倒した男』
「ははは! いいぞミチチカ。義兄が悔しがる姿が目に浮かぶ!」
売り言葉に買い言葉。セーネは面白おかしく笑うと、返された手紙を確かに懐へと仕舞い込んだ。
「マリーは皆さんのところに行かなくていいのですか?」
はしゃぐ道周と領主たちを遠巻きに見詰めるマリーに、ソフィが優しく語り掛けた。
マリーは照れ笑いを浮かべながら、恥ずかしそうに振り向いた。
「何て言うか、ミッチーみたいに振る舞えないから羨ましいなって。ああいう皮肉とか悪戯とか、私にはできないなって」
「ふん。品のないことを良く言ったものだ。あれが我が背に跨った剣士と同一人物とは思えんな」
寂しそうな言葉を漏らすマリーに、ガウロンが寄り添った。最後の戦いで全身に火傷を負ったガウロンは、その傷のほとんどを癒し十全に回復している。
「傷は大丈夫なの?」
「無論だ。あの程度、我にとってはどうということもないわ」
「って言いつつも、一時は危なかったんですよ。ガウロンの意地っ張りが、まさか役に立つなんて思いもせんかったわ」
「ミチーナ貴様、我に喧嘩を売りに来たのか?」
「まさか。うちは親愛なるマリーを見送りに来たんです」
「ふふふ」
幻獣たちに囲まれたマリーは自然と笑みを漏らしていた。楽し気に笑うマリーは何かを思い出したように両手を広げると、その手に飛来したユゥスティアと魔杖が収まった。魔王を倒した武具を持ったマリーは、それらをガウロンとミチーナに差し出した。
「これ、皆で持ってて。私の元の世界じゃ持っていられないものだから」
「いいのか? ユゥスティアはユゥの意志が。魔杖は母の遺物であろう?」
「だからこそ、この世界を見守ってもらうの。魔王に代わる誰かが現れた時、皆の力になりたいから」
「そういうことならば。うちらで確かに受け継ぎますとも」
ガウロンとミチーナはすぐにマリーの意志を汲み取った。誇り高き幻獣だからこそ、マリーの強い意志を尊重する丁重さがあった。
別れの時だというのに、2人を惜しむ声は止まらない。わざわざ駆け付けたのは領主たちのみならず、それぞれの領域で関りを持った者たちが集結していた。
イクシラで生活を共にしたメイドのシャーロット。
グランツアイクでマリーの師匠となったエルフのラブに、姉弟子の獣人モコ。ナジュラをともに駆け抜けたガンジョー・バンジョー兄弟。
ニシャサの将軍イルビスに、ハーピィのお目付け役フゥ。
マリーとともにチョウランの「試練」に挑んだ幻獣、ヒッポカンパスのスイスイに巨人のドエー。
そして彼らの旅路を影ながら支え続けた、ムートン商会のアムウとダイナー。
積もりに積もる話は、道周とマリーに少しでも長くこの世界に残ってほしいという思いからか。
尽きない話題の種の中、セーネが話に耽る道周の袖を遠慮気味に引いた。
「ん? どうしたセーネ?」
「少し時間をくれないか? ミチチカに渡したいものがあるんだけど、少し大きくて重たいものなんだ」
「別に構わないぞ」
道周はセーネに袖を引かれるまま後をついていく。セーネは「渡したいもの」の元まで道周を牽引すると、そこは湖畔の森の中であった。
「……で、セーネ。渡したいものってなんだ?」
「それはね。僕の「愛」さ……!」
道周を引っ張て来たセーネは、耳まで紅潮させて振り向いた。できるだけ堂々とした顔をするセーネだが、視線は泳ぎ頬はリンゴのように真っ赤。慣れない告白に狼狽している様子が見て取れる。
「おいおい。それは嬉しい贈り物だ」
対する道周には照れや狼狽えといった様子はない。セーネの告白を冗談だとあしらうわけではなく、真面目に受け入れた上で冷静極まる態度で対峙する。
「思ったより冷静だね。僕の一世一代の告白なんだ。もう少し反応してくれてもいいんじゃないかい?」
「とは言われてもな。何となく予想できていたというか何というか……」
「おっとそれ以上は言ってはいけないよ。平静を保っていたと思い込んでいた僕が死ぬ」
セーネは取り繕っていた平静をかなぐり捨てると、両手で顔を覆った。羞恥の余り顔から火が吹き出そうになり、思わず顔を背けてしまう。
「喜ばないということは……、つまり迷惑だったかな?」
「いいや、むしろ逆だ。セーネの気持ちはとても嬉しいよ。
セーネの言う「愛」が「恋慕」ならなおさらだ」
「そうだろうそうだろう。
僕がミチチカに上げるのは「恋慕」であり、同時に「敬愛」と「親愛」だ。別れと時に卑怯だと思われるかもしれないが、僕は君という男性を好ましく思っている」
「そりゃあ最高のプレゼントだ。大きすぎて重すぎて、持って帰るには勿体ない」
「だろう?
僕だってこれからの未来で、君を忘れることはできなさそうなんだ。だから、ミチチカからも僕に思い出をくれないか?」
セーネは顔の熱と胸の高鳴りが収まる時機を見計らって振り向いた。顔を隠すことはせず、凛然たる姿勢で手を差し出した。
「握手しよう。僕とこの世界を救った者の手を、僕に取らせてくれないか?」
「喜んで。
俺より男前な告白だ。いっそ膝を着いて手の甲にキスでもしようか?」
道周は茶目っ気で恥ずかしさを誤魔化し、差し伸べられたセーネの手を取った。
小さく柔らかいセーネの手は力強く道周の手を握る。
道周もセーネの気概に答えようと、くすぐったさを捨てて握力を込めた時、
「スキありだ」
「おぉっ――――」
セーネは握った道周の手を力一杯に引き込んだ。小柄な女の子と言えど、セーネは吸血鬼と戦乙女の温血であり、その膂力で人間である道周を凌駕する。ましてや不意打ちである。さすがの道周とてバランスを崩して膝から崩れ落ちた。
セーネは大胆な不意打ちで道周の唇を奪った。鮮烈なキスは瞬きの間だけ触れ合い、惜しみなく離れた。
触れた柔らかな感触、ふわりと香る甘い香りは夢か幻か。現実を理解した道周は照れた顔でセーネを見上げる。
「夜這いなら昨晩が最後のチャンスだったんだけど、やり直しはできないかな?」
「却下だ。僕の純潔は簡単にはあげないよ」
「つまりセーネは処j」
「ふんっ!」
「がふっ!」
余計なことを口走りかけた道周のみぞおちに拳骨が打ち込まれた。慈悲のないセーネは作り笑いを浮かべ、逸る鼓動と赤面を誤魔化した。
「さ、行こうかミチチカ。お別れの時だ」
「行き辛くなるなぁ」
「大丈夫さ。何せ異世界の門を開くのは僕だ。また会えるよ」
「もう転生するのはごめんだけどな。セーネの頼みなら、聞いちゃうかもしれない」
セーネはうずくまる道周に手を差し出した。今度は不意打ちのキスではなく、戦友を引き起こす信頼の手である。
道周は苦笑いで手を取り立ち上がる。自分の脚で確かに立つと、旅立ちの場所へと歩を進める。
「――――さぁ皆。別れを惜しむ気持ちも分かるが、それでは終わりがなくなってしまう。別れではあるが、永遠の別れではない。この世界を救ってくれた友を、精一杯の笑顔と激励で送り出そう!」
セーネが旅立ちの音頭を取った。別れを惜しむ者からは叱咤激励や嗚咽を啜る音など、それぞれの感情が渦巻く声が混ざり合う。
横並びに立つ道周とマリーは、嬉しさと誇らしさの混濁した晴れやかな表情を浮かべていた。
セーネは道周とマリーに振り返り、最後の言葉を絞り出す。
「今回、2人は転生ではなく召喚に応じてもらう。もう死んで異世界を渡る必要はないんだ。安心してほしい」
「よかったー。また身体を斬られるのかと思って不安だったけど、安心だね」
「マリーには苦しい思いや辛い選択をさせてしまった。本当に感謝を言っても言いきれないくらいだ」
「気にしてないよ。私も自分の運命と出会うことができた。何より、唯一無二の友達がたくさんできた。
こちらこそ、お礼を言い尽くせないよ」
「マリー。自分を見失っていた私を救ってくれたのは貴女です。世界が別っても、私と貴女は親友だと思っています」
「もちろんだよ。ソフィも、これからは自分のために楽しく生きて。あなたの仲間は私だけじゃないから」
マリーとソフィは万感の思いに代えて抱擁を交わす。感極まる2人の頬には涙が伝うが、その表情は誇らしげだった。
「――――さぁ、世界を超える準備はできた。ミチチカ、マリー。本当の最後だ。君たち2人には感謝してもしきれない。その思いはこの場の全員が思っていることであり、紛れもない事実だ。
そんな2人の幸福を僕たちは切に願っている。この先、2人を待ち受ける辛いことも苦しいことも、きっとどこかの世界の僕たちがいることを忘れないで欲しい。
世界を違えようと、僕たちの絆は本物だ。君たちが救った世界は、こんなにも美しいのだから――――」
セーネの言葉の最中、2人は眩い光に包まれた。湖畔の大地から湧き出る光の円は天まで昇る柱となった。
2人の身体が浮遊感に包まれた。肉体の実感は徐々に薄れ、光の中へと溶けていく。光の粒子へ化けた身体は感覚を失くし、視界は目一杯の白い光に包まれた。投げ掛けられる言葉も遠くへ霞み、意識は遠のく。
2人が次に目を覚ました時、そこは豪雨の降りしきる転生したあの夜にいた。
全身をびしょ濡れにしながら振り返った2人は、ひしゃげたコンビニ「ヘヴン&トゥエルブ」のネオンが眩く点滅を繰り返す。無窮の怪物ミノタウロスに襲撃されたはずのコンビニには大型トラックが頭から突っ込んでおり、世界の修正力が働き事実が変化したのだとすぐに悟った。
「私たち、帰って来たんだね?」
「あぁ」
「夢じゃなかった、よね?」
「あぁ……」
狐につままれたような2人は立ち上がり空を見上げる。フロンティア大陸の仲間の声は耳を澄ましても聞こえない。
が、その手には異能を必要としなくなった白銀の剣が握られており、想像を具現化する魔王の炎が灯っている。
「遂に戻って来たんだね」
「異世界転生のその先だ。ここから先の未来は俺たち次第……か」
「うん。これは頑張るしかないね!」
これは誰にも言えぬ冒険譚。
きっと夢物語だと笑い飛ばされる異世界転生のその先へ。少年少女の道はまだ終わらない物語――――。
実質の最終話となります。
今までありがとうございました。
まだもう少しだけ続くよ。




