最後の朝を友と
魔王が滅んだ後も、魔女同盟と魔王軍の全面戦争は尾を引いた。魔王の滅亡により魔王軍のほとんどが降伏したが、一部勢力はこれを好機と独立と暴政を宣誓したのだ。
無論、魔女同盟側としては魔王の意志を継ぐような勢力の勃興を防ぐべく戦闘を継続した。魔王の意志を継承せんとする盲信者の討伐に時間はかからなかった。
残る戦火も沈静化し、フロンティア大陸は次の段階へ進もうと動き出していた。
それすなわち、異世界からの来訪者との別れのときが近付いているということである。
魔王との最終決戦から一か月が経過した。平穏が訪れた大陸は、また一つ新しい朝を迎える。
そして、別れの日の朝日が四角い窓から差し込んだ。
「おはようミッチー」
「おはよう。もう起きてたのかマリー」
「うん。最後だと思うと眠れなくてね。この世界の風景とか匂いとか、聞えるものを焼き付けておこうと思って起きてた」
異世界からの来訪者である道周とマリーは、静かな夜明けの温度を共有していた。胸に迫る哀愁や寂寞に言葉を詰まらせながらも、荷物をまとめて扉を開ける。
2人は戦火から外れた旧魔王領域の都市に滞在していた。昼間はあちらこちらに動き出す人々の流れに賑わう都市も、夜明けの早い時間は静まり返っている。街そのものが眠っている時間に、2人は最後の思い出を焼き付けようと街路を練り歩いた。
「この世界も変わったね」
「俺たちが変えたんだよ。そして、これからはこの世界の人々の手で変わっていく」
「見届けられはしないんだね……」
「マリーはこの世界が故郷だったんだ。元の世界に戻らないっていう選択だって十分に」
「それは言わない約束だよミッチー。私の決断が揺らいじゃう」
「ははは! そうだな。マリーだって十分悩んだんだものな。俺が無粋だった」
軽口を叩き合う2人は街を見回した。薄暗い街並みには徐々に陽光が差し込み、人々の営みの音が鳴り始める。世界が動き出す実感の中で、この世界の行く末を慮る。
魔王という支配者がいなくなった領域は、新たに舵を取る者を求めていた。その役割を果たすのは他の領域の領主ではいかない。既存の支配者ではい誰かが、大陸の中央に位置する領域を指導しなければならない。
そんな大役を仰せつかったのは、まさかのリュージーンであったのは道周たちにとってこれ以上ない関心事であった。
「まさか、リュージーンが新領域の大臣だなんてな。あいつも権力者になって願ったり叶ったりだろうが、今頃目を回して働いているんだろうな」
「誰かが目を見張っておかないと、リュージーンが悪さをしないか心配だよ」
「それもそうだ。帰る前に、一回締めておくか」
道周とマリーは冗談を交えて軽快に歩む。哄笑を上げる2人の足取りは軽く、目的地に向かうべく都市の大通りを抜けた。
周囲の景色は様変わりし、徐々に魔王との死闘の傷痕が残る場へと歩む。
整備された道を進む2人の前に、道を塞ぐように仁王立ちする者が現れた。
「誰が悪さをするって? もう一回言ってみろマリー」
「そうですよマリー、それにミチチカ。リュージーンが悪さをしたときは、私が締めるので安心してください」
立ち塞がる声は刺々しいものと柔和なものの二つだった。
一つは目の下に隈を刻んだリザードマンの男、リュージーンによる悪態だった。管理職として四六時中働くリュージーンは、その疲労を隠すこともせずに道周たちの前に現れる。
隣で佇む女性は銀色の短髪を跳ねるように揺らす。疲労で重たい足取りのリュージーンとは対照的に、愛らしいステップを刻むのはソフィだった。
「ソフィ! 見送りに来てくれたんだね!」
「もちろんです。友達の旅立ちを見送らないとあらば、ずっと後悔してしまいますからね」
「って言っても、忙しいのに抜け出すのは大変だったろう?」
「ですです。と言っても、私の仕事は誰かさんのお目付け役ですので、この場に来るもの仕事みたいなものです」
「おい、オレを無視するな」
総スカンを喰らったリュージーンは唇を尖らせて反駁した。もはやいつもの流れであるやり取りに、リュージーンは疲労困憊ながらも突っ込みを入れる。
そもそも、リュージーンが馬車馬のように働いているのは、新たなフロンティア大陸を切り開くための大役を担っているからだ。
魔王の支配から解き放たれた領域は、エヴァーの名を残しながらも復興と改革が行われていた。それらは未だ始まったばかりの途上ではあるが、全ての人々が希望を抱いて従事している。その指揮を執るのがリュージーンであり、ソフィが補佐を担っていた。
「そもそもオレは領主でも何でもねぇし、絶対的な権力なんて持っちゃいねぇ。新しいエヴァーは民主制を取り入れるんだ。オレだってしばらくすればお役御免。ゼロからのリスタートってわけだ」
「俺だったらリュージーンに投票しないな。どんな汚いことをするか分かったもんじゃない」
「それは偏見だぞミチチカ。手を染めるのなら、今の段階からオレの地位を守るための手を打っている。それをしていないってことは、すなわちオレは潔白だ」
「こういうことを自分で言うんだね。余計性格捻くれてない?」
「元からですよマリー。私たちはリュージーンを美化しすぎたのです」
賑やかな4人が穏やかに歩む。かつての旅路を思い出すように面々に、心穏やかに自然と笑顔が零れる。
4人はいつの間にか荒廃した戦後の大地を進んでいた。魔王の打撃に紫炎の痕が無残に残る地にも日差しは差し込み、先で待つ者のシルエットが際立った。
「皆楽しそうだね。僕も混ぜてくれないか?」
「セーネ!」
「もちろんだ。セーネも俺たちの仲間だ」
「セーネが仲間と思っていてくれているのなら、ですけどね」
「悪戯を言うようになったじゃないかソフィ。もちろん、僕は君たちの仲間、いいや友達さ!」
セーネは紅玉のような瞳を爛々と燃やし、楽しそうに列に加わった。
「仲間なら、オレの残っている仕事手伝ってくれても」
「「「それは自分でやれ!」」」
「お、おう……」
一同はリュージーンを叱咤し、重なった声が可笑しくて笑い合う。
語る話は未来の展望であり、共に乗り越えてきた旅路の思い出だ。懐かしさに瞳を細めながらも、自然と悲しさはなかった。寂しさは確かに胸に灯るが、今は楽しくて可笑しくて、悲壮に暮れる時間がもったいなかった。
一同が目指すのは、道周とマリーが召還された湖である。ジノの召喚に成功した実績から、湖畔で異世界に通じる門を開くために向かっている。
あと一時間も歩かないうちに、一同は湖畔に辿り着くだろう。
自ら歩いて行くことを志願した来訪者たちは、気の置けない友と語り暮れる。この時間が永遠に続けばいいいと思いながら、別れの時は確実に近付いていた。
終わりがあるからこそ、今を惜しみなく生きる。
道周もマリーも、ソフィもリュージーンもセーネを惜しみなく語らい笑い――――、離別の湖畔へと辿り着いた。




