魔女殺し
『拙僧とサリーの出会いは、実に刺激的であった。なんせ拙僧が息巻いて殺そうと魔女の縄張りに侵入すると、逆に殺されかけたのだからな!
「木乃伊取りが木乃伊になる」とはこのこと。そのまま殺されるのなら拙僧が愚かだったと笑い飛ばせるが、サリーに惚れてしまったのだからもっと笑える! いやはや。菩薩の悟りを開いて獲得した必殺の覚悟も、「愛」の前には薄氷よ!』
『って待って! あなたは……、まさか……?』
『応。お前が思っている通りだろうな。拙僧こそ、マリーの父親なのだ』
『……と言われても、自覚というか実感というか。いきなり言われても』
夢現の世界でマリーは困惑した。ジャバウォックに砕かれた身体も、血涙と怪物の唾液に塗れた全身の気色悪さも全くしない。それどころか「肉体」という概念すら朧気になる「魂」の世界で、必死に目を凝らして見えぬものを見ようと努める。
が、マリーの父親を名乗る明らかに若い声の主の姿はもちろん、輪郭すら捉えることはできなかった。
『まぁ、困惑するよな。拙僧とて同じ気分だ。我が子と言われても、これだけ成長した娘が死にかけているなんて言われても困る!』
その言動は余りにも軽薄・軽率・軽々快々。姿は見えずとも駄目男の予感。それが嘘でも「娘」と呼んだ者へかける言葉なのだろうか。
マリーにとって自称父親の第一印象は最悪であった。生理的に無理という言葉が型に嵌まり、明らかにムッとした溜め息を漏らして口を開
『だが、サリーによく似ている。拙僧の惚れた女は間違いではなかった。拙僧の娘は、1人でここまで立派になったのだな』
ほんの一瞬だが、マリーの脳裏に父親の顔が過った。それはマリーが夢幻の中で描いて来た理想像であり、実際の顔ではない。見たことのない人物の像は描くことはできないが、その表情は確かな父性と慈愛の微笑みに満ちていた。
『……んん! とりあえず、あなたが私のお父さんかどうかは置いておいて!』
『置いておくの? 気にならない?』
『積もる話はあるだろうけど、どこからどうみても私はピンチなの。ここで時間を無駄にはできない』
『無駄に、ねぇ。父親としては寂しいけど、実際時間が限られているのも事実。……仕方ないか』
自称父親の青年は声のトーンを露骨に落とした。それが素の表情なのか感情を揺さぶる作戦なのかは定かではないが、青年は変わらぬ口調で話を切り出す。
『マリーが今欲しているのは、あの大魔女を殺す手段。間違いないな?』
『……そうなるね。殺すという手段はとりたくないけど、やるよ。アイリーンを殺さないと、もっとたくさんの人が死ぬ。私が決着を付ける』
『うむ。娘に殺人を強いるのは心が痛むが、拙僧の愛した人の仇だ。拙僧の持つ力の全てを与えよう』
『で、結局あなたは何者なの? 本当にアイリーンを倒す手段を持っているの?』
『ほぅら、拙僧が何者かという話は隅に置けんだろう?』
『ぐ……』
自称父親の勝ち誇ったような声音にマリーは押し黙る。そのやり取りは父と娘というより、友人という関係性がしっくりくるようなものである。
『拙僧の名はホーキンス。数百年も前のこの大陸で、「魔女殺し」を生業としていた僧兵よ』
『ホーキンス……!?』
マリーは青年の名乗った「ホーキンス」という名に驚愕する。それはマリーが名乗ってきた姓であった。
『拙僧は「魔女殺し」に特化した権能を提て、満を持してチョウランに乗り込んだのだが、如何せん本物の魔女が想像以上に強くてな。
見事に返り討ちにあって死に損なっていた最中、サリーにこの身を拾われ救われたのだ。ま、その後サリーの寝首を狩ろうとして、また死にかけたんだがな!』
『うわ……、最低……』
『おいおい、父親にマジ引きとか止めてくれよ。
で、まぁ気が付いたら結ばれてたわけだな!』
『そこ端折るの!?』
だがホーキンスはマリーの突っ込みを聞き入れない。マイペースなまま、言いたいことだけをつらつらと一方的に述べる。
『でもまぁ、人間の拙僧と魔女のサリーが生涯を共に添い遂げられるわけもなく、拙僧は先に老いていった……』
飄々としていたホーキンスの口調に影が落ちる。
マリーは何も言い返す言葉のないまま、ホーキンスの心中を慮って口を噤んでいた。
『しかし、だ。拙僧はまだ顔も見ぬ娘に何も残さないほど薄情ではない。魔法を付与することに長けていたサリーに懇願し、拙僧の魂を所縁のある武具に封じ込め、それをさらにマリーの魂の奥底へ封じた。
マリーが平穏な日々を過ごすのなら不要。もし戦いの中で危機に陥るのなら、救いになるように封じ込めた。
その武具こそ、この「魔女殺しの魔鎌」だ』
魂が漂う夢中の空間で光が白んだ。どこからともなく発せられた摩訶不思議な白光は形を形成すると、マリー身の丈を超えるであろう漆黒の大鎌が宙に浮かんだ。
『これは……?』
『これが拙僧の愛用した武具。通称「魔女殺しの魔鎌」である。名前はまだない。魔女を殺した実績もまだない』
『これでアイリーンを倒せるの?』
ホーキンスの不要な一言にマリーは不信感を示した。大仰な演出で出てきた武具の荘厳さは疑っておらずとも、特殊な敵ゆえにその性能が不足していては話にならない。
『理論上は問題ない。元々「魂を狩る」という拙僧の権能を、魔女殺しに特化させたものだ。現在この魔鎌に拙僧の魂を封じて維持しているが、ようやく娘へ継承する時が来たのだ』
『ちょっと待って。それじゃあ、あなたは……?』
さすがのマリーとて勘が鈍いわけではない。ホーキンスが存在を賭して力を託そうとしていることは容易に理解できた。
ホーキンスの声は正直に感情を表す。その声音は悲しみに暮れるではなく、希望を託すという希望に満ち満ちていた。
『拙僧の仕事は二つ。一つはマリーの魂からマリーを見守る。母親の代わりに、異世界での生活を支援する。
そしてもう一つが、この武具を託すこと。二つ目の仕事は出番がない方がよいのだが、折角娘と会うことができるのだから存外悪くなかった』
『待って。そんなことをしたらあなたはなくなるんじゃ……』
『元々老衰していく身を無理矢理封じ込めたのだ。すでに死んでいる者よりも、現在共に歩んでいる者を想え』
ホーキンスはマリーに想いを託す。数百年間、ずっとずっとマリーを見守ってきた父親の積年の想いが、その一言に詰まっていた。
『さあ行け娘よ。半分は拙僧。もう半分がサリーでできていのなら、それはもう誰でもないマリー自身だ。信じた道を拙僧もサリーも応援しているぞ。
苦しくて痛くて寂しくて辛くても前を向く。サリーによく似て、とても美しく育ってくれた』
『……私は間違っていないかな? ユゥは私を恨んでいないかな?』
『それは拙僧にも分かりかねる。ユゥとやらとの面識ないしな。
だから、その者の声なき声を聴くのはマリー自身だ。信じた道を行け。拙僧のようにな!』
『本当、お父さんもお母さんも勝手なんだから。
でも、ありがとう。行ってきます――――』
マリーは夢現から目を覚ます。肉体を忘れ、魂を晒して心中を吐き出した。託された思いは大きく重く、その分だけマリーは力強く足を踏み出す。
見た夢は走馬灯か、幻か。果たして現実に戻ったとき、泡沫のように消えてはいないだろうか。
そんな不安はなかった。
マリーが目覚めた瞬間、その視界には荒々しく牙を剥くジャバウォックが馬乗りになっている。左腕を噛み砕いた次に狙うのは右腕。血走った眼を走らせ視線を移した右腕には、漆黒の大鎌が握られていた。
「っ!? 貴女、いつの間に……!? 魔鎌は一体何ですの……!?
噛み砕きなさい!」
「Buuurrr――――」
刹那の間にマリーの手に握られたいた魔鎌に警戒心を抱いたアイリーンが、血相を変えて檄を飛ばす。
アイリーンの指示と同時にジャバウォックが吼えた。ジャバウォックが大口を開いて牙を剥いたとき、すでにマリーの反撃は終了していた。
「Buuuaaa――――riii――――」
首を切断されたジャバウォックが断末魔を上げる。寂寞として虚ろに響く声は、純白の一角獣の姿を重ねる。ジャバウォックは散り行く微かな声の中でマリーの名を呼び、慈愛の満ちた瞳で喜色を垣間見せる。
「決めたよ、ユゥ。あなたがくれた今を、私は生きる。精一杯生きて生きて、皆が誇れる私でいるよ。だから、もう少し力を貸して!」
一度挫けた少女は再び立ち上がる。無残に折れ曲がり鮮血に塗れた左腕を揺らしながら、その右手には純白の大鎌が握られていた。虚ろ虚ろの覚束ない身体を鎌を支えに立ち上がり、燃える瞳でアイリーンを睨み付ける。




