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異世界転生は履歴書のどこに書きますか  作者: 打段田弾
第6章「異世界大戦」編
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嘘と言ってほしくて

 彫刻のように逞しい純白の肉体は一変していた。雨風に晒され続けた巌のように荒々しい巨躯と重量にものを言わせ、踏み付けたマリーに一切の抵抗を許さない。


「ユゥ……。あなたは」

「Buuurrr!」


 マリーの言葉を遮ってジャバウォックは吼える。さながら巨木の脚でマリーを下敷きにして、長い鎌首をうねらせて牙を剥く。血走った眼にはマリーを映しているが、意識は向いていなかった。


「Uuuuuu……」


 ジャバウォックは直上から落下しマリーを拘束した後、攻撃的な素振りは見せない。まるで品定めをするようにマリーの顔を見詰め、喉を鳴らして唸りを上げる。

 マリーを見詰めるジャバウォックは牙を剥く。大口を開けて生臭い吐息を吐く。不気味に伸びる一対の髭を触手のように扱いマリーの頬を撫でた。慈しむように、硝子を割らないように、赤子をあやすように穏やかに輪郭をなぞる。

 マリーは口角から零れる唾液も、鼻を塞ぎたくなる吐息も忘れる。身を濡らし汚す穢れも忘れるほどに、慈愛に包まれる眼差しは紳士たる一角獣の姿を重ねる。

 ユゥの死に絶望を突き付けられ心を砕かれた。そんな傷心のマリーは重ねた幻影に、思わず手を伸ばした。

 マリーの手はジャバウォックのざらついた頬に触れた。鱗に覆われ魚類の骨格をした顔を指先でつつくと、ジャバウォックがそれに答えた。

 ジャバウォックは舌を伸ばしてマリーの火傷を労わる。爛れた白い肌に愛を込め、その髭で腕を包み込むと、


「Buuurrruuu!」

「が――――」


 ジャバウォックはマリーの腕に喰らい付いた。白く細く傷付いた腕に牙を立てる。噛み付いた腕を食い千切らない程度には加減をしつつも、確実に骨を砕き肉を貫く。

 それは殺意に満ちたジャバウォックにしては卑しく下劣な、いたぶるための悪意ある攻撃であった。


「ぁぁぁぁぁっっっ――――!!」


 筆舌に尽くし難い激痛にマリーは絶叫した。垣間見た友の幻影に弄ばれ、瀬戸際で堪えていた心が決壊する。歯を食い縛り耐えていた悲壮の波は堰を切って、涙の濁流となってボロボロと零れ落ちる。


「ユゥ! 止めて! 痛い……、ぁぁぁ……! もう、止めて――――!!」

「ははははははは! なんて無様ですの。なんて滑稽ですの。なんて痛快なんですの!」


 ジャバウォックの手綱を握るアイリーンは、口に手を当てて下品な笑い声を上げた。こんな喜劇は他にはないと笑い涙を零しながら、激痛と絶叫の渦の中で泣き叫ぶマリーを弄んだ。

 アイリーンの指示により、ジャバウォックはマリーの腕を咀嚼すると吐き捨てた。

 辛うじて形の残っているマリーの左腕だったが、見るも無残なほどに鮮血に塗れあらぬ方向へ歪んでしまっている。

 腕も戦意も、立ち上がる気力すら挫かれたマリーは沈黙した。激痛の中で荒んだ喉には血の味が染み渡る。すでに左腕の感覚はなくなり、肩から先に繋がるものはただの肉と骨の塊に果てていた。


 もう、どうでもいいや。もう、何も聞きたくない、見たくない、感じたくない。

 希望を見出すのに疲弊した。絶望に心を手折られた。再起することすら億劫で疎ましい。

 いっそこのまま楽になるのであれば――――。


 否。もう二度と死んでは堪るか。

 私は一度死に転生した。

 ミノタウロスに身体を斬られ命を散らした。あの刹那の痛みを、苦しみを、虚しさを、やるせなさを、無力感をどうして忘れられようか。


 挫けたマリーは未来を見据えた。骨の疼きも肉の痛みも火傷の熱さも忘れるほどに、その先の未来を見たいと願ってしまった。

 手折られた希望は再燃する。この場所にいる意味を思い出す。マリーが背負っていたものの重さを知る。

 この状況を打開することは容易くない。

 片腕を失い、激痛を伴いながらジャバウォックを倒す。その先にいるアイリーンを倒す。

 言葉にすると実に漠然としているが、難易度は相当高い。だが、「やらない」という選択肢は存在せず、「できない」という未来は許さない。


 ――――まだ、力がいる。私1人じゃ届かないなら、仲間の力を借りる。マリーはそうやって苦難を越えてきた。それこそがマリーの強さであり、かの地龍ですら認めた魅力である。


『――――よろしい。ならば拙僧の出番だな!』


 マリーの脳裏に駆け巡る青年の声。軽快な声から聞き取れるほど、軽率な性格の青年はマリーの内側から言葉を投げ掛けていた。

 一体どういう魔法か神秘か。はたまた奇跡か。

 思念の海の水底で、マリーは回答を念じる。


『……誰?』

『…………。ま、そうだな。会うどころか、話すことも初めて。認識すらしていなかったのだから、やにわに驚くよな』

『あなたはどこから話かけているの? 一体どうやって――――』

『急くな急くな。お前が真に危機に陥ったときにのみ、限定的に干渉が許されているのだ。そう時間はないが、急いていては積もる話ができんだろう』


 軽薄な声の主は弾むような口調で飄々と回答を濁す。

 マリー青年の受け答えに苛立ち、荒い口調で問い質す。


『私はまた立ち上がる、その覚悟を決めた。時間を無駄にしている場合じゃ――――』

『無駄じゃないさ。我が子との最初で最後の顔合わせだ。拙僧は嬉しいとも』


 謎の拙僧の姿は見えないが、軽薄に笑う姿が想像される。

 夢見心地のマリーは、幻の中で耳を疑った。

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