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異世界転生は履歴書のどこに書きますか  作者: 打段田弾
第6章「異世界大戦」編
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開戦前夜

 ニシャサの夜は、灼熱の昼間とは打って変わって肌寒い。砂漠地帯特有の昼間と夜間の寒暖差に適応することがニシャサで生きる大前提であり、吹き抜ける冷風に火照った身体を晒すのもまた趣深い。

 魔王軍との全面戦争への作戦も、兵力の統率もつつがなく完了した。残るは開戦を控えた緊迫した状況で、その開戦を明日に控えた眠れぬ夜はなんとも居心地が悪い。

 テゲロの中枢機関かつ象徴的な建造物である太陽神殿の庭先で、白夜王セーネ・ドラキュリアは満月を見上げて深い溜め息を吐き捨てた。

 拵えられたベンチに腰を下ろしたセーネは、吹き抜ける冷たい風に黒髪を揺らして思いを馳せる。


「身体を冷やすぞ」


 1人で満月を見上げるセーネに道周が歩み寄った。道周は持ち寄った薄手の毛布をセーネの肩にかけると、ベンチの隣へ腰を下ろす。自らも肌寒いと、用意していたもう一枚毛布に身をくるんで夜空を見上げた。


「開戦前夜に何か心配事か?」

「そうだね。心配は尽きないし、何より不安で一杯さ。それでも弱音じゃないよ。僕には皆がいる。ミチチカたちと出会ってから、義兄とも他の領主たちとも分かり合えた。もう1人で抱え込んだりしないさ」


 セーネは道周と同じ夜空を見上げた。感慨深く思いを言葉に残すと、思い出されるのはイクシラでの死闘だ。

 セーネは仲間の死と故郷での革命で大きく変わった。1人でイクシラの命運を背負い、マサキと召喚したという罪を背負い込んでいた。

 その小さな背中には過ぎる重荷をともに分かち合い、一つずつを丁寧に取り除く、道周たちの旅はセーネという1人の少女が変わっていく旅でもあった。

 道周はセーネの何気ない言葉に昔日を想起する。出会った頃の堅物だったセーネに、戦いの中で殻を破ったときの横顔。そして隣で哀愁を漂わせる美少女の瞳は、どれ一つとして同じものはない。全てがセーネ・ドラキュリアといういたいけで誠実な人物の側面である。


「懐かしいな。イクシラでリベリオンを率いていたときのセーネは、どこか暗かったものな」

「よしてくれ。あのときの僕は責任感で一杯だったんだ。本当に僕が領主を務めたことが正しかったのか、ついて来てくれた仲間に戦わせてまで革命をするべきなのか、答えのない問い掛けにはまってしまっていたと今なら言えるけどね。当時の僕に分かるはずがなかった」

「それはそれで魅力的だったけどな。セーネは顔がいいから、いつだって画になる」

「それはマリーにも言われるよ」


 2人は屈託のない笑みを交わした。その間にある感情は信頼であり、心を砕くことのできる特別な関係である。

 だからこそ、セーネは内心を吐露すべきだと確信した。開戦を明日に控えた夜に、心残りだけは残してはいけない。そんな直感が、セーネの躊躇いを振り切った。


「ミチチカ、君に聞いてほしいことがある」

「ん? 何だよ改まって……」


 満月を見上げていた道周は、突然のセーネの切り出しに困惑した。先ほどまで軽口を交わしていたとは思えない、なんとも真面目な空気に口を結ぶ。


「50日ほど前、ミチチカたちはマサキを倒してくれた。そのおかげで、彼に割譲していた権能が少しずつ戻ってきていたことは知っているね?」

「あぁ。スカーもバルバボッサもそんなこと言ってたな。割譲していた権能の規模によって、完全に戻る時間が変わるとか何とかも言ってたな」

「そうだよ。それで、およそ半分の能力を分け与えていた僕の権能は、完全に戻るまで時間がかかっていたんだ。そして……」

「遂に完全に戻ったのか……?」


 道周はセーネの言葉の先を察した。言い難そうにしているセーネに先んじてその真意を口にした。

 セーネは道周の言葉に素直に頷き、その先の思いを紡ぎ出す。


「そう。僕の権能は「空間転移(テレポート)物質転移(アポート)」だ。だが本質は「星の運行」、すなわち世界の境界を操作することができるんだよ。

 ……その意味、ミチチカなら分かってくれるよね?」


 セーネは遠慮気味に、しかし明確な意図を持って道周を見詰めた。同じベンチに座りながら、毅然とした上目遣いで問い掛ける。

 道周はセーネの中性的でありながら整った顔と、潤んだ瞳の愛らしさに胸が締め付けられながらも、セーネの言わんとしていることを理解した。


「「元の世界に戻れる」と……」

「そうだ。それも、ミチチカとマリーが望むなら今すぐでも元の世界に戻そう」

「……冗談だよな?」


 セーネの言葉に、道周は微かに怒りを滲ませた。いくらセーネが紅顔を駆使してねだって見せようと、道周にも譲れないプライドがある。

 だがセーネとて譲ることができないラインがある。たとえ道周と正面から言い争うとなれど、口にしなければ気が済まなかった。


「冗談なものか! 僕がミチチカとマリーを、この戦いに巻き込んだ。君たちにとって、この世界の戦いは無関係だろう!」

「無関係なものか!」


 セーネが叫んだ本心を、道周が上回る思いで遮った。セーネは想定外の道周の反駁に面食らい、ポカンとして固まった。

 道周は豆鉄砲を喰らったセーネの肩を両手で掴み、熱い思いを言い聞かせる。


「この戦い、俺におってはもう他人事じゃなくなっている。

 マリーだってそうだ。マリーにとってアイリーンは母親の仇だ。それを討つのに、俺たちが手を貸してもらうんだ」

「でも、ミチチカたちが身を切る必要は――――」

「喧しい! 俺の身体は俺の意志で使う。俺が戦うのは俺のため、俺がこの世界を救いたいと願ったからだ!」


 道周は息を切らしながら意志を言葉にする。

 その本心に触れたセーネは、何も言葉にできずに惚けてしまう。ようやく冷静さを取り戻すと、頬を赤らめて、道周から視線を逸らした。


「いいかセーネ。誰に頼まれようと、こんなこと簡単に引き受けたりしない。俺は俺の意志でいる。セーネが気に病むことは何もない」


 道周の真っ直ぐな視線に、セーネは鼓動が早まる。勘違いでなければ、この感情をセーネは知らない。今は不要な感情だと知りながらも、セーネはもう少し甘えてみたいと心が訴えた。

 道周はそんなセーネの気持ちも露知らず、何か閃いたように顔を上げた。


「それでも何かしたいって言うのなら、一つ頼みを聞いてくれないか?」

「……頼み? 僕にできることならなんでも言ってくれ」


 セーネは道周にしては珍しい頼みごとに、やる気を見せて身を乗り出した。


「魔王との戦いで、俺たちには敵の想像を超える切り札が必要になるだろう。その切り札について、いいアイデアがある。もちろん、セーネにしか頼めないものなんだけど」

「聞かせてくれないか?」

「もちろん。俺が言いたいのは――――」


 道周は秘めた作戦を打ち明ける。未だ素性の掴めない魔王に対する有効な「切り札」について、根拠を含めて仔細に語って見せた。

 道周から耳打ちを受けたセーネは、瞬時に表情を明るませた。その話の真偽は別にして、実に魅力的で神秘的で運命を感じさせる。同時に、その作戦であれば本当に魔王への切り札になりえると感じた。


「素敵な提案だ。ぜひ、僕の力を貸そう」

「助かる。こんなこと頼めるのはセーネだけだよ」


 そう言った道周はケラケラと笑う。セーネの鼓動の高鳴りや不自然な紅潮など気にも留めず、軽快に月を見上げる。

 そんな道周の隣で横顔を見詰めるセーネは、躊躇いを振り切った。もう生真面目で我慢するだけの自分ではないと胸に手を当て、もう少し我が儘に大胆に、自分に正直になってみる。


「て……、てい!」

「お、おいセーネ!?」


 大胆になったセーネは、一息に道周の胸へ飛び込んだ。以外にも逞しい道周の身体に身を預け、安堵したように瞳を閉じる。


「交換条件とは言っては何だが、僕の頼みも聞いてくれるかい?」

「……もちろんだ。遠慮される方が傷つく」

「なら、もう少しこうしておいてくれないかな。僕の我が儘、聞いておくれよ」

「……分かったよ。気が落ち着くまで付き合おう」


 そう言って2人は身を委ねた。肌寒い風に身を震わせると、より親密に身を寄せ合う。2人が羽織毛布は重なって擦れ、風に攫われて地に落ちた。しかし、セーネが寒さを感じることはなかった。

 逸る鼓動を悟られまいと、2人は必死に冷静を装った。

 歪で不自然な静寂の中、道周は何か会話が必要だと思考を巡らせる。その結果、脳裏に過った言葉を口にする。


「……月が綺麗だな」

「そうだね。いい満月の夜だ」


 2人は決戦前夜を穏やかに過ごした。吹き抜ける風は戦いの予兆など感じさせない平和なものだ。この時間が永遠に続けばいいと願いながらも、時間は無残にも過ぎ去っていく。

 それぞれの願いと祈りと思いを込めて、大陸の運命を別つ日の太陽が昇った。

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