因縁の終わらせ方 2
「――――Gyaaa……!?」
しかし、ミノタウロスが上げたのは勝利の祝砲ではない。戸惑いと困惑の声だった。
ミノタウロスの視界に入った影は、ミノタウロス自身だった。詳しく言うならば、鏡に映ったミノタウロスであった。
「油断したな怪牛。左腕は、冥土の土産にくれてやる。代わりに命、寄越しな!」
右腕一本で魔剣を引き絞った道周が跳んだ。腕力だけでなく、跳躍の勢いと身体の回転で魔剣を穿つ。
この状況こそ、道周が想定して一撃必殺の好機である。この場所、道周が一度飛び込んだテゲロの呉服屋こそ、一撃必殺のために必要な条件を満たす場所であった。
鬼族やリザードマン、人狼や人虎などの亜人たちが集うテゲロの呉服屋には、全ての亜人たちに対応する姿見が存在する。2メートルを超える者のためにこしらえられた姿見は、無論ミノタウロスの全身を映すには充分であった。
ミノタウロスが見た殺気を放つ影こそ、己自身であったのである。己が放つ最大級の殺気が最高のブラフとなり、弱った左側の視界こそ唯一の弱点である。
そして跳躍した道周が狙うのは、ミノタウロスの眉間、ではなく「眼」である。かつての己が与えた火傷痕の上から魔剣を突き立てる。過去の微かな抵抗という点が、線となって結実した瞬間である。
道周の一刺しは確かにミノタウロスの眼球を抉る。光を失った眼球に走る激痛は鼻筋を通り、右の眼まで貫通した。
「GUuummmaaaAAA――――!」
激痛に悶えるミノタウロスは、全身を揺さぶって抵抗を示した。頭に憑りついた道周を振り払おうと巨躯で暴れる。巌のような身体が狭い建物を揺らし、捻じれた牛角が天上に穴を空ける。
だが、この好機に喰らい付いた道周は離れない。残された右上で魔剣にしがみつき、全身を駆動させて魔剣を振り払う。
ミノタウロスの顔面を串刺しにする魔剣は、加えられた力に従ってミノタウロスの頭蓋を輪切りにした。ミノタウロスがどれだけ屈強で頑強な怪物であろうと、頭蓋が真横に絶たれてしまえばひとたまりもない。
歴戦の猛者、天上天下の怪物。異世界転生の始まりを作り出した因縁の怪牛は、遂に絶命した。
「「「Bbbuuuleee!」」」
しかし、同人にタイムリミットである。ミノタウロスとの死闘で勝利を結実したとしても、ジャバウォックの大軍を防ぐことはできない。そして道周には、ジャバウォックの1頭と渡り合うだけの体力は残っていない。
「……、くそ……。こんな重症、受ける予定じゃなかった、のにな……」
左肩の出血を抑え、道周は屋外へ出た。薄れていく意識の中で脚に鞭を打ち、晴天を染めるジャバウォックの大軍を睨み付けた。
「対空砲、放てぇぇぇ!」
宮殿より亜人の指揮が飛んだ。防衛戦力の彼らは、道周との誓いの通り、ジャバウォックを迎撃する用意を終えていた。だが、対空戦力と対空砲のほとんどを第3給水街に差し向けたため、ジャバウォックの群れおよそ300を迎撃するには不足していた。
「「「Buuubleee!」」」
「戦力、出会え! 地上に降りてきた敵から、非戦闘員を守るんだ!」
ジャバウォックと亜人の怒号が飛び交う。それぞれの叫びが木霊し、血生臭い異臭が鼻孔を刺す。
意識がもうろうとする道周は、何とか参戦できないかと魔剣を握り締める。だがその手には力が入らない。明らかな血の不足。ミノタウロスとの戦闘で追ったダメージの大きさと、流した血の量が多すぎた。
「くそ、このままじゃ……」
テゲロが陥落する。そう断言できるほどに、テゲロの防衛線は不利を強いられていた。
圧倒的な戦闘員の不足と、想定していない対空戦闘経験が戦況を傾ける。
スカーによりテゲロの防衛を託された道周は奥歯を噛み締める。ミノタウロスを討つという大役を果たしたが、テゲロが陥落すれば元も子もない。
(この劣勢を打ち破る戦力は……)
道周は重たい瞼を抉じ開けて空を見上げる。そこに埋め尽くされるジャバウォックたちの隊列は乱雑であるが、圧倒的な数故に軍勢としての体を為している。
「「「Buuuulbeee――――!」」」
優勢を自覚したジャバウォックたちが戦慄いた。本能の赴くままに牙を剥き爪を光らせる。残る地上戦力を討滅せんと降下を始めたとき、一陣の風が吹いた。
東方から吹き抜ける、目の覚めるような疾風が渦巻く。その風はジャバウォックの群れのど真ん中を、一擲の槍のように突き抜けた。
「一斉攻撃、いくよユゥ――――!」
吹き抜けた風が言の葉を鳴らす。鈴の音のような弾む声に合わせ、渦巻いた疾風がジャバウォックの身を切り裂いた。




