一穴の綻び
「至急伝令! テゲロに敵襲!」
「っ!?」
突然舞い込んできた伝令の一言に、イルビスは豆鉄砲を喰らったように固まった。言葉の意味を理解し、状況を飲み込んだイルビスが次に取る行動は、リュージーンへ疑念の眼差しを向けることである。
「リュージーンまさか……、知っていたのか?」
「何を」とは問わないが、イルビスの脳裏に過ったのは、旅立つ前にスカーが残した言葉だった。
『リュージーンという参謀、よくよく注視し動向を観察せよ。不審な行動を取れば斬り捨てても構わん』
『しかし、それでは魔女同盟と軋轢が生じるのでは?』
『問題ない。これは魔女同盟からの直々の申し出である』
聡いイルビスがそれ以上を追求することはなかった。リュージーンという男のしたたかさを理解した上で、その真意を探ることには深く同調できたからである。
――――そして今こそ、リュージーンという不確定要素に白黒を付けるときではないのだろうか?
そう考えたイルビスの手は、気が付けば帯刀した剣の柄に伸びていた。が、その剣閃が放たれることはなかった。
「っっそ! 遅かったか!」
リュージーンの悔しさに満ちた怒号にも似た絶叫が木霊する。
その表情に演技などはない。少なくとも、イルビスはリュージーンの雄叫びを疑うことができなかった。
「……リュージーンよ、策を練るぞ。こういうときのための魔女同盟であろう?」
イルビスは手に込めた力をゆるりと脱力する。そして冷や水を浴びたような冷静さを以って、リュージーンに策を求めた。
対するリュージーンも次の瞬間には思考を切り替え、その視線は飛び込んできた伝令の亜人へ向けられていた。
「最新の戦況は? こちらの防衛戦力はどこまで削られた?
敵の数と構成も教えろ。それに、どの方角から来て、敵軍はどういう進路を辿った?」
「え、えと……。まず……、えっと……」
捲し立てるようなリュージーンの質問に、伝令役の人狼の少年は狼狽えた。きっと少年の手元には詳細な情報があるのだろうが、リュージーンの剣幕と語勢に圧倒される。
「しゃんとしろ! それでもニシャサを背負う者か。たとえ伝令であろうと、役目を担うのならば胸を張れ!」
「は……、はい! 失礼しました!」
イルビスの檄が飛んだ。口調こそは荒々しく厳しいが、その言の葉の力強さに少年は背筋を伸ばす。そして見違えるような饒舌さを以って、伝令としての役割を全うする。
「まず、戦況はこちらの圧倒的不利とのこと。テゲロに滞在した防衛軍およそ100のうち、現在2割強の兵士がやられています。現在は防戦に徹底することで敵の進軍を防いでいますが、それも時間の問題とのこと」
「何と、2割強も削られただと? テゲロの兵士がか!? そんなもの、いつ決壊してもおかしくない戦況ではないか!?」
イルビスは半ば錯乱したような声を上げた。
無理もないだろう。通常の戦争であれば、よほどの拮抗勝負でない限りは、戦力の2割が削られる前に撤退するのが定石だ。そうしなければ、数の差でより甚大な被害が出ることは確実であり、すなわち「大敗」を意味する。
今回で言えば撤退こそできないが、それほどの戦力が瞬間的に敗北することなど、洗練されたテゲロの防衛兵では考えにくいことなのだ。
取り乱したイルビスに代わり、リュージーンが続きの問い掛けを投げ掛けた。
「それで、敵軍の数は? 一体、どんな奇襲を仕掛けられ、劣勢に持っていかれた?」
「それが……」
胸を張ったはずの人狼の少年が口籠る。その様子は先ほどの狼狽したものとは異なり、手元の情報が俄かに信じがたいような様子であった。
しかしリュージーンたちにとって、テゲロの様子を探るための全てがその情報なのである。
落ち着いたリュージーンは口調を整え、できるだけ穏やかに問い掛ける。
すると伝令の少年も瞳穏やかに息を整え、満を持して手元の資料を朗読した。
「敵勢力は1。単体の正面突破です……」
「「…………は?」」
こればかりは冷静ではいられなかった。
指揮官と参謀として毅然・凛然を求められる2人が、声を揃えて目を丸くする。
「まさか、アイリーンによる奇襲か? まさか、魔王本人……?」
リュージーンの脳裏を過った最悪の思考が、言葉となって筒抜けとなる。
「いいえ。丁度、あのような姿の怪物が……――――」
が、伝令の少年は首をふるふると横に振って、目の前の戦況を指さした。
2人は少年に示されるがままに振り返り、先ほどまで優勢に傾いていた戦場を見渡した。と同時に、次の伝令が飛び込んでくる。
「新手です。牛の頭をした大男の怪物が約10。ものすごい強さです!」
「GuuuRYYyyy!!」
戦場を掻き乱す猛牛の雄叫びが、嫌に脳裏に張り付いた。




