暗躍するタルタロス
魔王が支配する領域、その名はエヴァー。地理的にも政治的にも中心に位置する都市の、そのまたど真ん中に聳え立つ魔王城の天守には、大陸を混沌の中に陥れた張本人である魔王が鎮座していた。
カツン――――。
殺風景な石造りの廊下で、甲高いヒールの音が響いた。そのリズムは忙しなく、歩調を上げて疾走する。
カツンカツンカツンカツン――――!
「――――魔王!」
踵の高いヒールで走るアイリーンは、魔王が座す広間の扉を大袈裟に叩いて開いた。紅潮する頬は全力で駆けたことを意味しており、アイリーンの焦燥っぷりを表していた。
そんなアイリーンとは相対して、魔王は落ち着き払った様子で玉座にて欠伸をした。
「騒がしいぞアイリーン。走り息を乱すなど、アイリーンらしくないな?」
「そんな悠長なことを言っている場合ではありませんわ! 例の者による情報だと、ドーゲンが敗死したと言うではありませんか!?」
「そのようだな。あの馬鹿者め。「場を掻き乱すだけ」と宣っておきながら敗北し死ぬとは、やはり脆弱な人間であったか」
「呑気なことを。私だってドーゲンは好きではありませんでした。むしろ嫌いも嫌い。大っ嫌いな男でしたが、彼の者の戦闘力は我ら魔王軍の一翼を担うものです。それを早々に欠いたとなれば、件の「魔女同盟」が率いる全領域との戦闘で不利になるかと」
アイリーンは至極真っ当な正論を述べる。魔王に対してこれほど正面から意見できるのは、ドーゲンマサキ亡き今、序列第3位のアイリーンと序列第2位の祭司長のみである。
対する魔王はアイリーンの進言を冷静に聞き届けると、怒るでもなく感心するでもなく、淡々とした声で答える。
「確かにドーゲンがいなければ戦力は大幅減であろうな」
「でしたら、こちらも何か手を打たなければ――――」
「そう急くことはない。戦争の基本は大きく2つだ。分かるかアイリーン?」
「……? 個の戦闘力と、数的優位、ですか?」
魔王による突然の問いかけにも、アイリーンは即答した。語尾に自信のなさが表れているものの、その回答は魔王の満足のいくものであった。
「その通りだ。その2つが揃えば文句はなく、最低でも片方を有していなければ敗戦あるのみである」
「ですが魔王。敵勢力は「四大領主」を有している上に、全ての領域の人員を動員してくるでしょう。私たちエヴァーの総力を以ってしても、優位を取ることは……」
アイリーンは口をもごもごとさせて言葉尻を濁した。「優位を取ることはできない」と断言してしまえば、今は落ち着いている魔王がどんな反応をするか未知数である。
しかし魔王は荒れ狂うでもなく、含みのある邪悪な笑みを浮かべた。
「個の戦闘力で言えば、我らにはアイリーンがいるではないか」
「ま、魔王……」
アイリーンは魔王が寄せる突然の信頼に、頬を赤くしてときめいた。うっかり騙されそうになったが、冷静に考えればアイリーン1人の戦闘力が「四大領主」と同等は考えられない。
我に返ったアイリーンは、不満ありげに頬を膨らませて、魔王に次の言葉を要求する。
「そして数的優位においても、アイリーンの魔法があるだろう? 1つの命を分解を再構築、3頭の怪物を生み出す。これほど効率的な戦闘力は敵にはあるまい」
「確かにそうですが……。ジャバウォックなど数を集めても強者には歯が立ちませんわ」
「ジャバウォックなど雑兵の相手で十分だ。強者にはミノタウロスをぶつける。数さえ分散させれば、我がまとめて葬ってくれる」
その言葉を聞き届けたアイリーンは表情を明るくさせた。魔王の口からで出た、魔王が出撃するという一言以上に心強い文句はない。絶対的な信頼と忠誠を寄せるアイリーンの顔には、もう不安と焦りの色はなかった。
「それに、だ。戦争とは情報戦でもある。敵がどれほどの戦力で、どのように攻めて来るのか。情報を握っている方が優位なのだ。
敵の勢力も大所帯とは言え、攻め入ってくるのは西か南の2方のみであろう」
「……どうして言い切れますの?」
アイリーンは断言した魔王に対して純朴な疑問を投げかける。アイリーンが叡智の大魔女とは言え、戦争のハウトゥーについては素人である。戦争理論については、愚直に問い掛け含蓄とする姿勢があった。
「地形の問題だ。
大軍を率いて攻めるのならば、極寒の北の領域から、わざわざ山脈を超える利点は少ない。
西からの進軍も同様だ。断崖絶壁の連峰を乗り越え、足並みの揃わぬ幻獣と攻め込むなど下策も下策。
即席の連合軍ならば、進軍のし易い道程を経て攻め込んでこそ足並みが揃うというもの。無理な進軍など士気を下げるだけよ」
「なるほどですわ……。相手が領域の総力を結集させているからこその弱点ですわね」
「それに対し、我ら魔王軍は統一されている。アイリーンが率いる怪物たちならば、我らの指揮するままである。情報の優位も合わせれば、この戦争は五分以上に運ぶだろう」
「素晴らしいですわ! ならば、私ももっと気合いを入れなければいけませんわね」
興奮したアイリーンは鼻息を荒らげて飛び跳ねる。恍惚とした表情で魔王を崇拝すると、その情熱を怪物の量産に向けた。
「捕えた者どもを、1人残らず戦力に変換させよ」
「御意。魔王の仰せのままに」
アイリーンは片膝を着き、魔王に忠誠を捧げた。
魔王は玉座の上で不敵な笑みを浮かべる。用心深く戦い慣れした魔王の言葉に嘘はなく、情報のアドバンテージという優位を存分に発揮する所存である。
先手を打たんと画策する魔王は、アイリーンに1つの指示を下した。
「ジャバウォックを揃えろ。「魔女同盟」とやらに挨拶をせねばな」
「先制攻撃を仕掛けますの? ならば、ジャバウォックだけでは心許ないのでは?」
魔王はアイリーンの心配すら見越していた。アイリーンの問い掛けに対して口角を吊り上げると、満を持してとある怪物の動員を指示した。
「FUuuuOOOooo!」
猛り狂う怪物の咆哮が木霊する。




