背負っていく生き様
「がっ…………!」
突然、地龍が口から血を吐いた。飛び出た血塊は深紅を刻み、大地に深々とした影を落とした。
「だ!? 大丈夫!?」
「「「地龍様!?」」」
地龍の吐血に、マリーはもちろん居合わせた幻獣たちが驚嘆した。ドラグノートはロンの老体に起こった出来事を察しているようだが、よしみもあってか口を挟むことはしない。
マリーたちは急いで地龍に駆け寄ろうと踏み出すが、その足場がマリーたちを阻むように隆起した。複雑に波打つ足場は立つことすらままならないく、凸凹と隆起する道程に脚を奪われる。
マリーは慣れない足元に、堪らず膝を着いた。倒れる身体を四肢で支え、首を上げて地龍の姿を仰ぎ見る。
額に龍玉を掲げた地龍は、突然の吐血にも動じる様子はない。不動の巌のように頑なに祈りを捧げ、さらなる鮮血の乱舞も全く意に介さない。
「ち、地龍さん……?」
「地龍様、一体何を……?」
マリーの困惑はユゥたち地龍にも伝播する。地龍の奇行に戸惑いは隠せず、止めに入ろうとガウロンが翼を広げた。
足元の大地が覚束ないのならば空を行けばいい。
単純明快な回答を見出したガウロンはいの一番に飛翔し、羽撃きで空を震撼させて颯爽と宙を駆ける。が、飛び出したガウロンの身体は大樹の幹の如き力で引き留められる。
「ぐ……。なぜ我を止めるのか、ドラグノート!?」
振り向いたガウロンは、荒々しい声音でドラグノートを恫喝した。
ドラグノートは図太い尾でガウロンを捕えたまま、落ち着き払った声で熱くなるガウロンに声をかける。
「なぜだと? 我にはロンの成そうとしていることが分かるからだ。ロンの覚悟を、貴様に邪魔させるわけには行かぬので止めさせてもらった」
「地龍様は一体何をしようとしているのだ!?」
「それを教えると、きっと貴様は止めに入るだろう。もちろん、他の者も止めに入るだろう」
「話にもよりますけど、そこまで言うのなら、きっとうちらも止めに入ってしまうでしょうね」
ドラグノートの含みを孕んだ物言いに、ミチーナがさりげない毒を吐いた。しかしドラグノートは気に掛ける様子など全く見せず、浅い溜め息を吐いて言葉を連ねる。
「貴様らの気に障るだろうが、言わせてもらおう。貴様ら程度の者に、ロンの最期を邪魔させるわけにはいかないのだよ」
「何だと……!?」
ドラグノートの忌憚ない言葉に、ガウロンが青筋を立てた。ドラグノートの尾の中で暴れ回り嘴を突き立て傷痕を抉っても、ドラグノートはその力は弱めない。
「どれだけ噛み付かれようと、切り裂かれようと、この力は弱めん。我はロンの旧知として、最期の瞬間を汚すことは何人たりとも赦しはせん!」
ドラグノートの咆哮が轟いた。魂に響く誓いは、かつて領域の頂点を競い合った好敵手へ向けられた最後の手向けである。
「最期、なの……?」
「…………」
マリーの問い掛けに、ドラグノートは沈黙を貫いた。
回答を得られなかったマリーは、依然として不安げな視線を地龍に向ける。その眼差しの先の地龍が、掠れた声を発する。
「儂がサリーに龍玉を与えた当時、儂は勇者に権能の一部を割譲しておった。故に、儂の権能の一部が足りない状態での付与になったのだが。近日、勇者に割譲していた権能が戻ってきたのだ」
地龍が口にした「勇者に割譲していた権能」の件については、この場の誰よりもマリーに心当たりのある事柄であった。
マサキを倒したことをきっかけに、セーネやスカーに権能が戻りつつあったという。権能を分け与えいた地龍にも、同じ現象が起こったとしても何もおかしくはないだろう。
「今の儂ならば、サリーに与えたもの以上の加護を付与できるだろう。それこそ、マリー自身の限界を超えるような奇跡を起こせるものだ」
「でも、そうして地龍さんが苦しむ必要があるのさ?」
「ふはは。考えてみれば簡単なことよ。儂とて迫り来る時の波には打ち克てぬ。この老体を保つのは権能が持つ異能であり、それを引き出すとなれば儂の身が綻びても何もおかしくはあるまい」
そう言った地龍は朗らかに笑って見せた。己の死期を悟った老龍は、徐々に朽ちていく最期よりも、花火のような鮮烈な最期を望んでいるのだ。
地龍の覚悟を悟ってしまったマリーは、言葉を詰まらせながら地龍ににじり寄った。地龍から認められることはマリーの望むことではあったが、マリーの力になるために地龍が命を賭すことはよしとはしない。
「だったら、そんなものはいらない! 私は地龍さんの力を貸して欲しいとは言ったけど、命を投げ捨ててまでなんて望んでいないもの!」
「ふはは。さすがはマリーの娘だ。どこまでも他人に優しく、命を重んじる。が、その甘さが其方の弱さでもある」
「…………」
地龍は朗らかな口調の中で、厳しい言葉を投げ掛けた。
戒めのような檄に、マリーは押し黙って言葉を待つしかない。
「いいかマリー。儂ら龍種も、そこなドラゴンも、他の幻獣も。無論、幻獣に限らず他の生命において「死」とは必ず訪れるものだ。儂の長き生命活動が、それを証明している。
生きることとは、すなわち死に向かう旅路なのだ。誰にでも訪れる「死」という終焉は、決して悲しいものではないのだ。それを誉れとは言わずとも、悲観することもありはしない」
「でも、今地龍さんが命を投げ捨てる理由には――――」
「なるのさ。なるとも。我には分かる。地龍は死に様を選んでいるのだ」
地龍の言葉を裏付けたのは、同じ長命を過ごしてきたドラグノートだった。ドラグノートは旧き好敵手の思いを汲み取り、マリーを宥めるように語り掛ける。
「永き生命を過ごす我らにとって、死に様とは実に重要だ。我らの死に様とは、すなわち生き様である。誰かに祈りと思いを託すこと以上に、誉れ高いことはあるまい」
「そんな……。自分で死ぬことを選ぶなんて」
「こればかりは相容れぬだろうな。どれほどの歳を重ねても、どれだけの知恵を深めても、言の葉には紡げない感情は存在する。
しかし、これだけは変わらない。命の輝きを踏み躙り、死へ向かう旅路から逃れようと他者を巻き込んだ大魔女だけは、決して許してはいけない。其方は、儂とサリー、そして倒れていった魔女たちの悲願を背負って歩んで行ってはくれないか?」
地龍は再び柔らかい物腰で語り掛ける。老齢の翁が幼子に言い聞かすように、その命を次の世代へ引き継ぐように。
「……さぁ、これを、受け取ってくれないか? マリー。サリーの娘よ。最後の魔女の子よ――――」
地龍は祈りを込め終わった龍玉を差し出した。その掌に収まった龍玉は、透き通った碧い光を放って輝いている。紺碧の暗い魅力とは打って変わって、輝く龍玉は清流の如き透明感の中、マリーをじっと見つめている。
マリーは地龍の声が細々と弱っていくことに気が付きながら、差し出された龍玉をまじまじと見詰めた。奥歯を強く食い縛り、浮かび上がる涙を必死に堪えた。ふるふると落涙を堪えながら、龍玉を確かに受け取った。
「……鳴々、ようやく終わるのか。戦乱のチョウランを治め、泰平の領域を見守り、友の絶滅を看取り、友の娘に未来を託す。これはこれは、生き様としては上々ではないか。のう、ドラグノートよ」
「全くだ。我ながら天晴である。ロン、貴様には最後の最期まで勝てなかったな」
「まだだ、ドラグノート。貴殿には儂のいないチョウランを纏め上げるという責務を背負ってもらうぞ。貴殿には、次なるチョウランの領主になってもらう」
「っ! ……よかろう。好敵手たる貴様の代わり、我でよければ遂行させてもらう。安心して逝くがよい。
…………馬鹿者」
「ふはははは……。はは、ははは……は――――」
ドラグノートは寂しそうな顔をした。自嘲気味な笑みを浮かべ、地龍から引き継いだ重責に冠りを上げる。
地龍は嬉しそうに、それでいて恥ずかしそうに笑い声を上げる。地龍の笑い声は途切れ途切れになっていく。地龍は、ロン・イーウーという一頭の龍は永い生涯に幕を下ろした。これから未来の道を行くマリーにも、自らの領域で繁栄した幻獣たちにも、掛けたい言葉は山のようにあった。
儂の治政に不満はなかったか?
儂が誇り高い幻獣の頂点でよかったか?
儂のやり方は正しかったのか?
他の領域から隔絶されたチョウランで、其方たちは幸せだったのか?
サリーよ。儂は其方に行くぞ。笑って迎えてくれるか? 其方の娘は、実に快活な美女に育っていたぞ。
マリーよ。其方の行く道に幸があるように。儂の加護が、闇に塞がれた道を開拓する閃光となるように。
鳴々、良い生であった――――。
「…………うぅ。ぐっ……」
「地龍、様……」
「うっ、くぅぅ……!」
「はぁっ……。あぁあ!」
「…………っっ!」
1つの時代が終焉を迎える。
地龍が作り上げた時代に生きた者たちの、悲壮に満ちた嗚咽が木霊する。
地龍からバトンを受け取ったマリーは、新たな思いを背負って新たな一歩を踏み出す決意をした。




